第四十二羽 月明かりの下での決意
「・・・そんなところで何をしているのさ、翼?」
腕の中の彗がもがく。さっきまでおとなしくしていたのに、翼の姿を見た途端これだ。
「ちょっと、木ノ瀬くん、離して、ってば!」
「だめ。僕が離すと思ってるの?・・・で、翼? いつからそこにいたの?」
「お、俺は、」
目の前の現実から逃げたいけれど、それでも必死に何かを訴えようとする気持ちが翼の顔を歪ませ、目には決壊寸前の涙を溜めている。
その表情を、僕はよく知っている。
翼が子供のころ、そう、英空じいちゃんの家で。
「彗を拒絶したんだってね。・・・なんで?」
「きょぜ、つ、じゃない・・・・怖くて逃げてただけだ」
僕らが子供のころ、親戚中が英空じいちゃんの家に集まった。勿論僕の両親も呼ばれた。
いい歳の大人たちによる "厄介者の押し付けあい"。 翼の扱いに困って怒号が飛び交う部屋から程遠くない廊下の隅の作業スペースで、渦中の翼は一人黙々と発明品を作っていた。
「怖い?違うでしょ。翼は彗がいらなくなったんだ」
「ちょっと、木ノ瀬くんやめて、翼はそんなこと言ってない」
「いらなくなったから捨てるんだろ?」
「っ! ち、ちが、」
「もうやめて!」
結構な力で捕まえておいたはずなのに、いつの間にか彗が僕の腕からすり抜けて翼に駆け寄った。
彗は大きな体を抱え込むようにうずくまる翼を抱きしめながら、ただ黙って僕の方を睨んでいる。
「・・・彗」
「・・・・・」
夜の中庭に、耳が痛くなるような張り詰めた空気が漂う。
どれくらいそうしていただろう。陽はすっかり地球の反対側に向かい、月明かりが僕たちを切なく照らしていた。
目の前の現実を見れば、どんな鈍い奴でも二人がどのような関係なのか察しが付くだろう。
それでも僕は、一度自分が捕われた存在を諦める事ができないんだ。
僕だって、縋り付いてみたい。僕を至高へ導くその輝きに。
「どうして、僕じゃだめなの?」
「どうしても。・・・私には翼以外、考えられない」
びく、と翼の背中が一瞬震え、ゆっくりとその顔が上がる。
それに気が付いた彗が翼に視線を合わせ、こくんと頷いた。
そんなやりとりを見ている僕の胸が、ズキンと痛む。
感じた事のない痛みとやりきれない焦燥感に、思わず顔が歪む。
徐々に痛みを増す胸を制服ごと掴んでうつむいた。
「梓、おれ・・・」
今まで沈黙を守ってきた翼がようやく口を開いた。
「・・・何」
うつむいた顔を少し上げると、彗の肩越しから遠慮がちにこちらを見る翼と目が合った。
翼はすぐに視線を右往左往させたが、意を決したのか、改めて僕に向き直ると、今度ははっきりとした口調で話し始めた。
「・・・俺がこんなこと言える立場じゃないのはわかってる。でも、彗は俺にとって特別なんだ」
「・・・っ」
彗の肩が一瞬震える。
彗は今、どんな思いで翼の言葉を聞いているんだろう?
そんなことを思いながら、僕は深く息を吐く。
「・・・そんなの誰が見てもわかるよ」
「ぬ、ぬぬ・・・そうだったのか、だっ、だったら尚更誰にも渡したくない」
口を真一文字に結んで、僕を見上げる翼は、まるで子供が親に反抗している時の表情そのものだ。
ただ、それだけに思いは純粋でまっすぐだ。
「俺、彗の笑顔が俺のものになるなら、俺はきっと何だって頑張れるんだと思う」
「そんなの、僕だって同じさ」
「ぬ、梓はさっき、彗に振られただろ?男子たるもの、諦めが肝心だぞ?」
「あんなの、僕の中じゃ振られたうちに入らないよ。それに僕は諦めが悪いんだよ。特に一度執着した対象からはね」
「しつこい男子は嫌われるのだ」
「ほっといてよ」
にっとはにかんだ、翼特有の笑顔がようやく顔を出す。
それにつられて、僕も彗も笑い出す。
ああ、僕らはようやくひとつの答えにたどり着いたのかもしれない。
十数年前・・・・・
無表情な子供だと揶揄されても、その表情ひとつ変えなかった翼が作業の手を止めて泣いたことがある。
「おれのことは何を言ったっていいよ。でも父ちゃんや母ちゃんの悪口をいうのはゆるさないぞ」
自分が信じるものを否定されるのは、胸をえぐられるほどに辛い。
だからこそ、強く強く思い続けることが自分を強くする。
「負けないよ」
「うぬ!俺も負けないのだ。というか、俺の勝ちは見えてるんだぞ!」
「なにそれ。僕を誰だと思ってるのさ」
「ぬ?梓だろ?」
「そ。僕なら可能性が0だって100にして見せるよ」
「ぬは!それは楽しみなのだ!」
互いに手をグーにしてこつんとつき合わす。
彗を挟んで、僕らは静かに宣戦布告をしあう。
夜空の月が明るさを増し、僕らの決意をやさしく見守っていた。
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