第三十九羽 ずれ始めた二つの軌道
ひとしきり走ったところで、走るのを止め、笑いながら息を整えた。
「はぁ、初めて部活さぼっちゃった!たまにはこういうのもいいかもね!」
「まさか先輩がああいう行動に出るとは思いませんでした。」
「こういうのは哉太が得意なんだよ? サボる口実を探すのが上手いの。そういう意味では哉太に感謝かな?」
「哉太先輩に怒られますよ?」
「ふふっ、そうかもね」
鞄を両の手で後ろに持ち、くるりとこちらを振り返った月子先輩の長い髪が風になびく。
しゅるりと音がなりそうな金糸の髪が、綺麗な弧を描いた。
その様に、同性ながらときめきを感じてしまった自分は 異常ではないと思いたい。
その思いに対する不安要素を払拭するために、ぶんぶんと顔を振る。
そんな私の行動を見て、月子先輩が不思議に思わないはずがない。案の定「どうしたの?」と
可愛すぎるそのお顔で私を覗き込んできた。
おかしな後輩と思われないため、自分の思いを悟られないように何か話さなければと気持ちが逸った。
ちらちら辺りを見回し、校舎が視界に入ったとき、数時間前の保健室での顛末が思い出された。
月子先輩は保健委員だし、他人の事には勘のいい月子先輩の意識を逸らすにはこれ幸いと、私は饒舌気味に話し始めた。
最初はうんうんと頷いて聞いてくれていた先輩だったが、話が進むにつれ、その表情が冴えないものとなってきた。
そこで気づけばよかったものの、自分のことで精一杯だった私は空気を読まずに話を進めてしまった。
気がついたときには、月子先輩は俯いてどんよりな表情をしていた。
「あ、あれ?先輩?」
「そう・・・、彗ちゃんのお茶は『おいしい』と言ってくれたんだね・・・、先生たち」
「ど、どどどうしたのですか?? そんなに落ち込まなくても」
こんなに落ち込んだ先輩を見たのは初めてだ、というか、これは私のせいだよね?
学園のマドンナの笑顔を曇らせたとなれば、学園中の男子生徒が黙っていない。
このまま放置した後の自分の処遇を想像しただけで鳥肌が立った。特に、錫也先輩が怖い・・・!
すっかり意気消沈してしまった先輩にどうやって声をかけようか迷っていると、先輩が不意にこちらを見て話し始めた。
「流石に落ち込むよぉ。いつもいつも星月先生に『マズイお茶』って言われてるもん」
「えっ!なんてヒドイ事を・・・私、文句言ってきます!」
「・・・なーんてね!おどろいた? マズイお茶なんてもう言われ慣れちゃった。それにね、料理をすると変なものが出来ちゃうの。これに関しては錫也も呆れてるの」
な、なーんだ。さっきのは演技だっだんですか!ちょっと、驚かさないで下さいよっ!
先ほどまで頭に浮かんでいた錫也先輩の黒い笑顔が、さわやかな笑顔に変わった。
変な冷や汗を拭い、月子先輩の言葉に耳を傾ける。料理をすると変なものが出来る?一体どういうことなんだろうか?
「?? 分量を間違えなければ、ちゃんとした味になるんじゃないんですか?」
「うーん、味とかそういう問題じゃなくて・・・」
お互い話がかみ合わずに、下校途中の路上でうーんと唸って二人して考え込む。
月子先輩が言っている状態を見たわけではないので、考えてもあくまで憶測でしかない。
はた、と先に名案が浮かび、私がその沈黙を破った。
「先輩、もしよければ私にお茶を淹れて頂けませんか?」
「それは構わないけど・・・どうして?」
「分量さえ間違えなければ、そう大差ない味が出せると思うんです」
「そ、そうかな? じゃあ私が間違えないように、彗ちゃんが側で見ていてくれる?」
「はい!勿論です。 では、生徒会室にあるインスタントコーヒーで試してみませんか?」
「あ、それいい! うまく出来たら一樹会長にも淹れてあげればいいよね」
ぱん、と両手を合わせてにこやかに笑う先輩を見て、安堵した。
次の日。
放課後の生徒会室。テーブルの上のコーヒーを見つめながら唸りを上げて考え込んでいる二人の女子生徒。
ただのインスタントコーヒーを淹れたはずだった、のだが・・・色といい、香りといい、これは、コーヒーではない。
何故だ、何故なんだ!
「・・・月子先輩、インスタントコーヒー以外に何か入れました?」
「入れてないよっ!コーヒーを小さじ2杯淹れてお湯を注いだだけだよ?」
「なのに何故・・・」
「こんなんじゃ、羊くんのお味噌汁なんて いつ作れるようになるのか分からないよ・・・」
「えっ?何ですかそれ?」
「あっ!!!」
しまった、という表情で口を押さえる月子先輩。味噌汁と言う言葉がコーヒーとリンクせずに呆ける私。
そのまま数分間、黙ったままお互いの顔を見つめる月子先輩と私。
沈黙に耐え切れず、口火を切ったのは月子先輩だった。
「あ、あの・・・ね。実は羊くんと私、その、お付き合い・・・してて、」
「えっ!!そうなんですか!?それ初耳ですけd「しーっ!声が大きい!」」
(むがが・・・す、すみません)
聞けば、アメリカにいる羊先輩の為に、おにぎりとお味噌汁が上手に作れるように練習をしているという。
恥ずかしそうに話す先輩に思わず胸がきゅんと締め付けられた。月子先輩マジ天使!
「彗ちゃんはそういう人居ないの?」
「え、私ですか?」
「そう。この人のために、何かしてあげたいなーって思える人」
「うーん・・・そうですねぇ」
どんなに考えてみても、浮かぶのは翼の顔ばかり。
ぬははと笑う顔、心配そうに私を覗き込む顔、すねた顔、怒った顔、寂しそうに笑う顔。
同じ予言を持っていて、こんな私のことを俺の姫だと呼んでくれる。
私にとっても、大切な、存在。
月子先輩には言ってもいいだろう。そう小さく決意して、先輩に向き直り先輩からの問いに答えようとした。
「あ、あの。実は私は翼が・・・」
ガラッ
「あ、翼くん」
タイミングがいいのか悪いのか。生徒会室に入ってきたのは、今まさに自分が口にしようとしていた名前を持つ存在だった。
彗にとって、翼の登場は嬉しいサプライズだった。思わず駆け寄って翼を見上げ、「翼、あのね」と話しかけた。
だが、翼は悲しそうな顔をして、逃げるように生徒会室から出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっと翼くん!?」
「・・・・翼?」
何かおかしい。
いつもは彗を見つけると真っ先に抱きつきてくる翼が今日は抱きつくどころか言葉も交わさない。
それどころか、翼はとても悲しそうな顔をしていた。何かあったのだろうか。
「月子先輩、私、ちょっと翼が気になるので追いかけます。ごめんなさい!」
「うん、わかった。翼くんのこと、よろしくね」
「はい!」
にこやかに手を振る月子先輩に会釈をして、私は生徒会室のドアから翼を追いかけた。
「・・・彗ちゃんにとっては、翼くんがそういう存在なんだね」
生徒会室に一人残った月子がドアを閉めながらぽつりと呟く。
「私も頑張らなきゃ。ね、羊くん?」
晴れ渡る青い空に向かって月子は話しかける。同じ空の下で同じように空を見上げているであろう、愛おしい存在に向けて。
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