第三十七羽 僕の軌道を乱す者
無言のまま腕を引かれて歩く事数分。
その手に篭る力と伝わる熱、その背中からこちらに向けられる威圧感に、
ただならぬ気配を感じる。
声をかけても、無言のまま歩きつづける木ノ瀬君の背中を見ていると、
少しの不信感と動揺が私の中に広がっていく気がした。
ふう、とため息をついた後、ずっと見ていた木ノ瀬君の背中から視線を外す。
グラウンドの角を曲がると、目の前に弓道場が見えてきた。
そのまま歩き続ける私の視界に、弓道場の白い壁に規則的に配置されている抜き窓が流れていった。
(・・・ああ、木ノ瀬君は部活に行く途中だったな。)
どこにもラブ度を感じないこの様に、更なるため息をつきながら、私は暢気にそんなことを考えていた。
これから起こるであろう事など思いもしまいままに。
木ノ瀬君は私の腕をつかんだまま、器用に入り口の鍵を開け、私を入口に連れ入った。
外の喧騒から離れた静かな場内は、凛とした空気が漂い、弓道の礼節を思わせるようだった。
そこにはただ、私達の靴を脱ぐ音や布擦れの音だけが響いている。
廊下を歩き、曲がり角を曲がったところで、木ノ瀬君が立ち止まり、目の前にある引き戸を開け、そこへ私を押し込んだ。
やっと離された腕の痛みに顔をしかめて振り返ると、木ノ瀬君は俯きながら後ろ手に戸を閉めた。
やがてゆっくりと顔をあげた彼の、その表情に一瞬躊躇したが、この空気に堪えられそうも無かった私は、
胸を占めていた思いを一気に口にした。
「弓道場まで連れて来て・・・さっきから一体なんなの!? 言いたいことがあるなら言えばいいじゃん!」
その言葉を黙って聞いていた木ノ瀬君が、眉をひそめる。
彼は、壁から体をゆっくり離すと、こちらに向かって歩いてきた。
部屋の薄暗さが、普段何とも思わない木ノ瀬君の行動に怖さを与え、私は体を強張らせた。
心の中の不信感と動揺は、不安という大きな黒いモヤに変わって私を侵食していく。
これまで知った事の無い感覚に押しつぶされそうになりながらも、キッと木ノ瀬君をにらみつけた。
「・・・ほんっと、かわいくないよね。」
やっと言葉を発したかと思った刹那、お留守になっていた両の手首は木ノ瀬君によって壁に押し付けられた。
ドン!という鈍い音と痛みを背中に感じて目をぎゅっと閉じる。
「いった〜・・・、もう! 木ノ瀬君いきなりなにする・・・。」
その行動に文句を言いながら目を開けた時、木ノ瀬君の顔が間近に迫っていて心臓がドクンと跳ねた。
「・・・何で」
「えっ?」
「彗は何で僕の言う事を聞かないのさ? 僕、何度も注意してるよね、危ないよって。」
暗闇の中、私の目を木ノ瀬君の視線が射抜く。蛇に睨まれた蛙のように、私の全身が恐怖で泡立った。
表情をゆがめた私に口端を上げながら、木ノ瀬君は尚も言葉を続ける。
「・・・その顔、そそるね。」
「なっ!!」
「無防備な自分に気づきもしないで、平気で狼の巣窟に飛び込もうとするガキの癖に。」
押し付けられた手首に力が篭る。その痛みに、私の気持ちは、注意してくれたことへの感謝よりも、
子ども扱いされた事への文句が先行した。
「狼の巣窟ってサッカー部のこと? マネージャーは陽日先生の勧めだし、先輩達は優しかったよ。
それに学校なんだもん、危ない事なんてないよっ!」
「・・・さっき自分の身に起こったことも忘れてるくせに。」
すぐさま返される言葉にぐうの音も出ない。
校内放送で不知火会長が、私の名前を叫んだのだ。私の身に何か起こったことは、誰もが知っているところ。
それに、勘のいい木ノ瀬君のことだ。大体の事は把握しているのだろう。
木ノ瀬君は私から視線を外し、俯いて長く息を吐いた。そして再び私に向き直った時、彼の瞳が揺らいだ。
「そんなだから、僕が彗をそういう奴らから遠ざけていた事なんて、わかるはずが無いんだ。」
そう言った彼の指が存在を確かめるように、私の唇の輪郭をなぞっていく。
顔だけ見れば確かに笑っているのに、彼の瞳は何故か悲哀に満ちていた。
木ノ瀬君のその言葉と行動に、校内で数人に囲まれた時と同じ感覚が私を襲った。
その感覚に、私は更に体を強張らせ、唇をぎゅっと噛み締める。体が少し震えているのがわかった。
怖い。
(怖い、けど・・・木ノ瀬君があの人たちのような事をするはずが無い。きっといつかの屋上庭園みたいにからかっているだけなんだ)
必死に自分にそう言い聞かせ、開放された片方の手で木ノ瀬君を押し返した。が、そこは男女の差。
あっさり腕をつかまれて再び壁に押し付けられた。
木ノ瀬君がゆっくり近づいてくる。
・・・ぁ、これって。そう思った瞬間、私はぎゅっと目を瞑った。
「!! ・・・ぃや、つばさ!」
「っ!」
ガラッ
「・・・誰かいるの・・・?って、彗ちゃん?梓くん?」
鈴の音の声が倉庫内に響いたと同時に、部屋に明るさが射す。
ハッとして、声のした方に顔を向けると、そこには驚いた表情の月子先輩が立っていた。
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