第八羽 今は一番近くて一番遠い
さて。
彗は生徒会室のドアの前で深呼吸を繰り返していた。
見た目はごく普通の入り口だが、あの生徒会長が支配している生徒会の巣窟に踏み入るには勇気が要る。緊張してきたのか、妙に心臓の音が煩い。
ぎゅっと腕の中のぬいぐるみを抱きしめた時、お昼時に聞いた声がまた聞こえた。
”一人は嫌だ”
「・・・まただ。」
誰もいない廊下ではっきりと聞こえた声と、無意識に落ちる目線。この子が喋れるはずが無いのに。
そういえば、「青い魔法使い」も寂しそうな目をしていた。
小さかった私には、そんな目をした彼の寂しさがわからなかった。でも寂しさなんか吹っ飛ぶくらいの楽しいことなら沢山知っている。
そうだよ、一度しかない人生だもん、寂しくて終わっちゃうなんてもったいない! 楽しまなきゃ! ね!
私は意を決して生徒会室のドアを開けた。
「失礼しまー・・・す」
巣窟の入り口を開けると、そこには誰もいなかった。
「っはー・・・なんだぁ・・・」
結構な覚悟を決めてきたのに、拍子抜けとは随分だ。がっくりと肩を落とした私は、ふと室内を見回す。
立派な椅子、きちんと整頓された書類たち、予定が書かれたホワイトボード。想像と反し生徒会室にふさわしい雰囲気がそこには漂っていた。
「誰もいないんじゃ、帰ろっかな・・・」
踵を返して帰ろうとしたその時、部屋の片隅から、わずかだが機械音が聞こえる。これは・・・電動ドライバーの音?
私は部屋を見回した。ふと目に付いた和室付近のドアに近づくと、音はさらに大きくなっていた。・・・ここに誰かいる。
私はそーっとドアを開けてみた。
「失礼します・・・」
そこには机に向かって作業をしている一人の男子生徒がいた。 集中しているのか、私の声が聞こえなかったらしい。
・・・いた。
彼が、天羽翼?
入学式にチラ見しただけだけど、確か背は高かったと思う。大きな背中を丸めて椅子に座っていた。
ボーっとその背中を見ていると、人の気配に気が付いた彼がふいにこちらを向いた。
「ぬ・・・ぬあああ!!!!!」
「わわっ!」
彼はさぞかし驚いたようで、口をパクパクしながらこちらを指差している。
「だ、だ、誰なのだ!?」
「あ・・・あの、」
「ぬあ! それ、俺のぬいぐるみ!」
私の手からぬいぐるみを掻っ攫うと、ぬいぐるみを抱きながら此方を睨んでいる。
「あ、あの! あなたが天羽翼さんですか!?」
「ぬ、そうだけど」
あれ?
ちょっと「青い魔法使い」に顔が似てるかも・・・まぁ、他人の空似っていうのもあるし、違うか。
心の中でわずかな可能性を否定しながら、怪訝な表情を浮かべる天羽翼に対して言葉を繋ぐ。
「わ、私、天文科の成宮彗です。今日のお昼にそのぬいぐるみを拾ったので届けに来ました」
「・・・・・・」
天羽翼はこちらをじっと見たまま答えず、しばらく沈黙が続いた。
その沈黙に耐え切れなくなった彗は
「あ、えと、ごめんなさい、急に入ってきたりして。あ、あと、その子を抱えてたら”さみしい”とか”一人ぼっちは嫌だ”って声が聞こえたの・・・って何言ってるんだろう私。ごめん、じゃあ!」
うっかり口を滑らせてしまった私はパニック状態に陥り、赤くなる顔を抑えながら生徒会室を出た。うっわ、恥ずかしい! 空耳を初対面の人に言ってしまうなんて。絶対変な奴だと思われた!
こんな顔じゃ昴に何を言われるかわからないので、顔のほてりを冷ましに、屋上庭園を目指して走る。
はじめは恥ずかしい気持ちが先行していたはずなのに、今は悲しい気持ちが私を支配していた。悲しくなることなんて無かったはずなのに涙が堰を切ったように流れおち、いくら拭っても止まらない。
たどり着いた屋上庭園は幸いにも人がまばらだった。あまり人が来ない屋上庭園の片隅で、彗は声を殺して泣いた。
生徒会室のラボで、翼はあっけにとられていた。
いきなり部屋に入ってきた女子生徒が、自分のくまのぬいぐるみを持ってきて空耳を聞いたという。その言葉を聞いた時、正直驚いた。
「寂しい」や「一人は嫌だ」という気持ちは俺の専売特許だ。常に俺の心を支配している。小さい頃からどんなに足掻いても、それから逃れることは出来なかった。
じいちゃんと暮らし始めてからは、楽しいことも嬉しいことも増えたけど、一時的でしかなかった。
ただ、じいちゃんが残してくれた不思議な予言は、心の奥底で小さな灯火を揺らめかせている。俺に現れると言われた星は、いつ俺の目の前に姿を現してくれるんだろう?
互いが互いを見つけることができないまま、運命の歯車は、また一つ輪を加えてゆっくりと回り始めた。
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