恋のはじまりなんてこんなもの






家から近いから。アルバイト先を和菓子屋「鹿のや」に決めたのは、簡単な理由だった。
今日みたいに講義が午前中だけの日は、食堂でお昼を食べ、そのまま鹿のやへと向かう。平日昼間の町は人影がまばらだ。鹿のやも例外ではなく、この時間帯は閑散としている。
社員さんと配送の準備をしている時だった。扉を開く音が聞こえ、「いらっしゃいませ」とそちらへ振り向く。六頴館高校の制服を着た男の子が立っていた。私の声が大きすぎたのか、びくっと彼の肩が揺れた。心なしか目に怯えが見える。社員の岡田さんは手を止め、男子高校生のもとへ向かった。こんにちは、と声をかけられ、高校生はほっとした表情を見せた。

「バターどら焼きを四個、お願いします」

高校生にしては落ち着いた声だ。はいはい、と流れるように岡田さんは袋にどら焼きを入れていく。常連さんなのかもしれない。
二人で高校生を見送ったあと、私は先ほど気になったことをぽつりとつぶやいてみた。

「私、そんなに怖いオーラ出てますかね……」
「どういうこと?」

怖がられていたような気がしてショックだった。そう話すと、岡田さんは少し迷ったあと、そっと教えてくれた。

「あの子、女性が苦手なんだよ」

それを聞いて胸を撫で下ろした。私の顔が怖かったわけじゃないんだ。
岡田さんは彼からその事情を聞き、自分のシフトを毎月教えているのだという。女性が苦手、その一言では収まりきらないほど、それは深刻らしい。
辻新之助さん。名は体をあらわす、という言葉が浮かぶ。真面目で堅実そうな子だった。でも、私が接客することはこの先ないだろう。常連さんなのに、残念だ。


***


「す、すみません。岡田は不在でして……あと二時間くらいで出勤するとは思うのですが」
「そ……そうです、か」

ショーケースを挟み、私と辻さんはお互いに大量の汗をかいていた。彼の蚊の鳴くような声に、申し訳なさが募る。岡田さんは急用が入り、出勤が遅れていた。
今日はもう帰るだろう。そう思っていたのに、辻さんはショーケースの中を熱心に見つめている。視線を辿ると、鹿のやの定番商品を詰め合わせたギフトセットに行き当たった。

「ええっと、今日はご進物……でしょうか」
「あ、は、はい。これを、お願いします」

いつも通りの単品ならすぐ終わるのに、よりによって今日は進物。伺うことがたくさんある上に、滞在時間だって長くなる。辻さんもそれをわかっているのだろう、この世の終わりみたいな顔をしている。あまりにも気の毒すぎる。辻さんはここのバターどら焼きのファンだという話を、以前岡田さんから聞いたことがある。できる限り早く終わらせてあげなければ。できるだけ「はい」「いいえ」だけで答えられるように話しかけよう。

「掛け紙はかけますか」
「あ……ふ、普通の手土産なんですけど、いりますか」
「それなら包装だけでいいと思います」

辻さんはこくこくと頷いた。私も深く頷き、店内の一角、配送伝票を書いてもらうテーブルに彼を案内した。店の奥に駆け込み、お茶とお菓子をお盆に載せる。辻さんのもとに持っていくと、彼は目を丸くした。

「お待ちの間、よかったら召し上がってください」
「い、いいんですか……?」
「はい。これ、季節限定のお饅頭で、ええと、昨日発売したばかりで……味見してみてください」

テーブルに湯のみとお菓子の載ったお皿を置く。できるだけそっと置いたが、他のお客さんがいない店内は静かで、ごと、と重々しい音が響いた。カッと体が熱を持つ。なんで私が緊張しているんだ。
一礼し、早足で作業台へと向かう。辻さんのほうを見ると、口をもぐもぐ動かしながら手に持ったお饅頭を眺めているところだった。よかった、食べてくれた。これで少しでも気を楽にしてもらえたら。
包装を終え席まで持っていくと、辻さんは急いで立ち上がり紙袋を受け取った。

「あ、ありがとうございます……」

うつむきがちに小さな小さな声で言うと、辻さんは逃げるように店外へと出た。その後ろ姿に向かってお辞儀をした。
顔を上げると、外にはもう辻さんの姿はなかった。今後も来てくれたらいいんだけど。私、何も粗相してないよね……?自分の接客を順を追って思い出す。あ、とおもわず声が出た。お会計するの、忘れてた。


***


「常連さんでしょ?また近いうちに来るよ」

その時にお代もらったらいいよ、大丈夫大丈夫。とんでもないことをやらかしたというのに、怒るどころか店長は励ましてくれた。卒業するまで勤めあげよう、と強く心に誓った。その後辻さんは私のシフトが入っていない日に来店したらしく、岡田さんが対応してくれたと聞いた。

私が辻さんに会えたのは、あれから二週間後だった。今日はお連れさんがいる。辻さんと同い年くらいの、華やかな雰囲気の男の子。彼はまっすぐ私のもとまでやって来ると「こんにちは」とにっこり笑った。

「辻ちゃんがお世話になってます」
「ちょっと犬飼先輩、やめてください」

すみません、と謝る辻さんに負けじと私は深く頭を下げた。

「先日は大変申し訳ありませんでした」
「あ、いや、俺も気づかなくて……すみません」

しばらく二人でぺこぺこ謝り倒し、いけない、と顔を上げる。

「岡田を呼んできますので少々お待ちください!」
「あ、あの、大丈夫です」

ぴたりと動きを止めた私を見ながら、辻さんは「大丈夫、ですから」とふたたび同じことをつぶやいた。本当に、私でいいのだろうか。さすがに聞くことはできなかった。以前と同じようにお茶とお菓子を用意しながら、どう接するのがベストなのか考えた。いつも通りでいいのだろうか。
お盆を持って売場に戻ると、犬飼さんだけがイスに座っていた。辻さんはショーケースの上に並べられた単品を見ている。犬飼さんの前にお菓子を置くと、彼は丁寧に手を合わせ菓子楊枝でお饅頭を切り分けた。

「これおいしい!こんなのいただいたらたくさん買って帰らないとなぁ」
「ありがとうございます」
「お茶菓子って毎回出すんですか?」
「そうですね。いまみたいに空いてる時や進物の包装でお待ちいただく時は出してます」

一拍置き、へぇ、と犬飼さんは唇の端を上げる。そしてお菓子を選ぶ辻さんに目線をやった。

「うーん、黙っとくか」
「ええっと……?」
「この前お茶菓子を出してもらったのが嬉しかったみたいですよ。辻ちゃん、どれにするか決まった?」

辻さんは籐(とう)のカゴを持ってこちらにやってきた。いつものバターどら焼きと、この前お出ししたお饅頭が入っている。

「ありがとうございます!私もこれ好きで……」

我に返り、口を閉じる。気に入ってもらえたのが嬉しくて、話し続けてしまうところだった。辻さんは女性が苦手。忘れてはいけない。

「やっぱり岡田を呼んできます」
「え?いや、な、なんで……?」

どんどん顔が赤くなっていく辻さんを見ていられなかった。大丈夫だと言ってくれたのも、気を遣ってくれてのことだったのだろう。店の奥へと体を向けたその時、「あっ、の!」と絞り出したような声がした。

「だ、大丈夫なので……だから、お会計、お願いします」

振り返った私の目の前に、ずい、とカゴが差し出される。受け取ろうとすると、辻さんの手に触れてしまった。バサバサとものが落ちる音、床に散らばるどら焼きとお饅頭たち、万歳の姿勢のまま固まった辻さん。

「す、すみません!!」

店内に私と辻さんの大声が響く。迂闊だった、手を触ってしまうなんて!

「新しいもの用意しますね!」
「あ、あの、これっ、これでいいので!」

辻さんは私よりも先に素早くお菓子を拾い集めるとレジまで走る。私は急いでその後を追いかける。

「お会計……お願い、します」
「う……わかりました」

なにがなんでも譲らない、そんな固い意思が瞳の奥に見える。あの辻さんがここまでするなんて、もうこちらとしては身を引くほかなかった。
その時、ふっ、と空気が抜けるような音がした。ぱっとそちらに顔を向けると、辻さんの後ろの犬飼さんがぷるぷると肩を震わせている。目があうと、彼は何事もなかったかのように、真顔から一瞬で笑顔へとシフトした。とりあえず、私も笑顔を向けておくことにした。
















お題「きっと二人は恋をする」
こちらからお借りしました。
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