かわいいあなた後編






「辻ちゃん、お疲れ様!今日はグミだよ」

会うたびにいつもお菓子をくれる名字先輩。受け取るととても嬉しそうに笑ってくれて、その顔が見たいがためにお菓子をもらっているだなんて、先輩は知らないだろう。
この気持ちを伝えるつもりはなかった。伝える勇気がなかったし、いまの関係の心地良さに満足していたから。その考えが変わったのは一か月前のバレンタインデーだった。
先輩のことだから、きっとバレンタインチョコを用意してくれているはず。正直、かなり期待していた。いつもお菓子をくれる時みたいに、笑顔で駆け寄ってきてくれると。


「出水くん、米屋くーん!チョコあげる!待って待って三輪くん逃げないで」


満面の笑みで三人のもとに走る名字先輩を遠目に見ながら、気づいた。あの笑顔は自分だけに向けられているものではないこと。先輩にとって、俺は特別に可愛がってる後輩ではなくて、大勢の後輩・友人のなかの一人でしかないこと。そして、先輩への気持ちが抑えきれなくなっていること。
先輩からお菓子をもらうのも、笑いかけてもらうのも、俺だけだったらいいのに。現状で満足している、なんてもう言ってられなかった。

本部からの帰り道、もう名字先輩の家の近所に差しかかってしまうというところで小さな公園を発見し、なかば強引に先輩を引っ張りこんだ。プレゼントを渡すのも、告白をするのも、もうここしかない。
古びたベンチに座ると、さっそくカバンから包みを取り出した。


「名字先輩。これ、ホワイトデーのお返しです」
「ありがとう!開けていい?」
「どうぞ」


わぁ、と小さな歓声が聞こえた。パステルカラーの袋から出てきた透明のプラスチックケースには、テディベアをかたどったチョコレートが入っている。


「かわいい……こんなの食べられないよ」
「チョコなんで食べてください」


八の字に眉を下げ、心底困った様子の先輩。思わず吹き出してしまった。先輩は膝に乗せたカバンの上にそれを置くと、ポケットからスマホを取り出し、写真を撮った。かわいい、ともう一度言いながら、ケースの上を撫でる。俺が撫でられているわけではないのにドキドキしてしまった。


「あれ、カゲからだ」


見て、と先輩がスマホをこちらに向ける。「うち集合。名字とヒカリは本日無料」というメッセージが表示されていた。荒船先輩や穂刈先輩もメンバーにいるようで、「アイス奢ってやる」「俺も奢ってやる、アイスその二を」とメッセージが続いた。


「この男ども、ホワイトデーのお返しをお好み焼きとアイスで済まそうとしてる!しかも奢ってやるってなに?!」


辻ちゃんを見習え!と先輩はいまいましげに叫びながら、同じ言葉とさっき撮影したテディベアチョコの写真を送った。そしてまた文字を打ち込み始める。悪いとは思いながら、嫌な予感がして画面から目が離せない。「しかたないから行ってあげる」という文章が目に映った瞬間、文字を打つ先輩の手を握ってしまった。


「い……行かないでください」


先輩は目をまるくした。とっさに出た言葉に、行動に、どんどん心拍数は上がっていく。しかし引き返すつもりはなかった。


「好きです。だから、あの、行かないでほしいです」
「辻ちゃん?ええっと、私も大好きだよ?」


先輩はなだめるように答えてくれた。ちがうんです、その「好き」じゃなくて。さっきよりも小さな声、情けない。


「俺は、先輩と出かけたりしたいというか」
「そういえば遊びに行ったことないね。今度行こっか」
「ちがう、いえ、行きたいです。行きたいけど、そういうことじゃなくて」


先輩は慌てふためく俺を見てぽかんとしている。かわされているわけではないらしい。どう言えば伝わるだろう。


「名字先輩!」
「は、はい!!」


思わず大きな声が出てしまった。すみません、と一言謝り、呼吸を整える。


「先輩の恋人に……彼氏に、してくれませんか」


先輩は無表情のまま、ぴたりと固まった。当たり前だ、ただの後輩だと思っていた男からこんなことを言われたら、誰だってこうなるだろう。それでも伝えたい。その気持ちは揺らがなかった。
しかし本当に動かない。まばたきもしないことに気づき、心配になってきた。


「名字先輩……?」


顔を覗き込むと、「うっ」と小さなうめき声が聞こえた。それきり言葉を発しない先輩に何度も何度も呼びかけたが、しばらく返事はなかった。


***


ボーダー本部から外へ出ると、まだ雨が降っていた。朝よりは勢いが弱まっていて、少しほっとする。私と辻ちゃんは傘を広げると並んで歩きだした。

「個人戦ブースに入り浸りだったって聞いたけど大丈夫なの?もう期末テストでしょ」
「どうしても試したいことがあって」

辻ちゃんは弱々しげに言いながら視線をそらした。真面目なのは前から知っていたが、ここまでくれば頑固だ。三ヶ月前の告白も、本人いわく、その性質がはたらいた結果らしい。

彼氏にしてほしい。顔を真っ赤にして、でもはっきりと言葉にした辻ちゃん。あのかわいい辻ちゃんが私のことを好きだなんて考えたこともなかった。頭が真っ白の私を心配そうに覗きこむ彼に、妙にドキドキしたことを覚えている。告白するの、前から決めてたのかな。このテディベアのチョコ、頑張って買ってくれたんだな。私の知らないところで私のことを考えてくれていたのがなんだか嬉しくて、彼の不安そうな目を見ながら、ゆっくり、大きくうなずいた。
辻ちゃんを男子として意識したことがなかったけど、お付き合いが始まってからというものの、日に日に彼への気持ちはふくらんでいく。いまだって、雨だから手を繋げない、そのことをさびしく感じてしまっている。

我が家の近所に差しかかった。横を歩いていた辻ちゃんは急に道をそれていく。どうしたのか気になりながら着いていくと、告白してくれたあの公園に入っていった。
先を歩いていた辻ちゃんが急に立ち止まり、振り返った。何も言わず、じっとこちらを見ている。そういえば、今日はまだお菓子を渡していなかった。そのことだろうか。カバンを探りフルーツ味のアメを取り出すと、彼の前に差し出した。


「はい、今日のお菓子」


辻ちゃんは戸惑うようにゆっくり手を伸ばし、アメを持つ私の手をなぜか握った。目が合ったと思ったら、唇に軽く何かが触れた。キスされた。不自然なほど素早く離れた彼を無言で見つめると、とたんに視線が泳ぎだした。


「傘で隠したから大丈夫、です」


あわてながらもさすがは辻ちゃん、しっかり言いきった。ところで、それは私に言ってくれてるのか自分に言い聞かせてるのか、どっちなの?いまにも汗が滴り落ちてきそうなくらい、辻ちゃんの顔は赤い。
手からアメの袋の感触が消えている。ちゃっかりアメも奪っていった彼を、欲ばりめ、と心の中でこっそり小突いた。


「近所の人に見られたら、私もうこの辺歩けないんだけどなぁ?」
「す、すみません。でも、期末テストが終わったら今度は名字先輩の試験期間で……しばらく会えないじゃないですか」


めずらしい大胆な行動の理由に、どんどん顔がにやけていく。必死に我慢したけど、バレてるな。辻ちゃん、ちょっとむくれている。
……しょうがないなぁ。


「ねぇ、かがんで」
「え、ええと……?」


辻ちゃんは顔にクエスチョンマークを浮かべた。かまわず、彼のお腹のあたりのシャツをきゅっと軽く引っ張る。


「傘で隠れるからいいんでしょ?」
「そ、れは……」


真っ赤なかわいい顔に、また気持ちがふくらむ。たまらなくなって、私はせいいっぱい背伸びした。視界の端で、ふたつの色がゆれた。












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