甘い企み






直角九十度に腰を折り曲げた三雲修先輩。こんなきれいなお辞儀、初めて見た。この体勢からずっと動かない彼に、私はどう対応していいのかわからなかった。


「本当に、申し訳ない」
「先輩、顔を上げてください」
「いや、でもこれは……」


三雲先輩は私が持っている透明の袋を見て、さらに顔を青くした。口をキュッとタイでしばった、手作り感満載のラッピング。その中にはぺしゃんこになったカップケーキ。表面を彩っていたアラザンやカラースプレーははがれ落ち、哀愁をより際立たせている。
何が起きたのかというと。私は玉狛支部で千佳ちゃん、出穂ちゃんと一緒にバレンタイン用のお菓子を作っていた。ラッピングが完成した直後、「男子禁制」の貼紙を無視して何やらぶつぶつ言いながらリビングに入ってきた三雲先輩とぶつかった。手から落ちた袋を先輩が踏んだ。真っ平らになるカップケーキ。以上。
私としては最近彼女ができて調子に乗ってる兄への嫌がらせに作ったものだったから全然構わないのだけど、出穂ちゃんはカンカンだし先輩は謝り続けるしで、言い出す隙がなく、いまに至る。


「弁償ッスね、メガネ先輩」


私の隣で仁王立ちした出穂ちゃんがぴしゃりと言い放つ。


「でも、材料は玉狛支部のものを使ったから……」


おずおずと千佳ちゃんが言うのを聞きながら私は激しくうなずいた。玉狛支部の明日のおやつを作る、という甘すぎる条件のもと、私たちは支部の材料を使わせてもらったのだ。先輩に弁償してもらうのは違う。
三雲先輩もそう思ったのか、ぐっと唇を結び、冷や汗をかきかき動かなくなった。まじめな人だ。こういう人が隊長だから、玉狛第二は大躍進を遂げているのだろう。


「三雲先輩。この後、時間ありますか」
「う、うん。あるけど……」
「カップケーキ、一緒に作りませんか」


え、という三人の声。戸惑う視線。それらを一身に浴びながら、私はじっと先輩を見つめた。


***


「先輩、そのくらいでストップ」


ゴムベラから手を離し、三雲先輩は短く息をはいた。ほとんど先輩が混ぜてくれたので、先ほどより労力をかけずに生地を完成させることができた。今度は私が仕事をする番だ。ボウルを受け取り、隣で用意していたカップに生地を流し込んでいく。座って待っていればいいのに、先輩は熱心に私の手元を見ている。


「焼いたら生地がふくらむから、入れる量は四分の三くらいでいいんです」
「なるほど……」


気をそらそうと話しかけてみたのに、先輩は短く返事をするだけで、視線は釘づけのままだった。徐々に高まる緊張感に耐えながらすべてのカップに生地を流し、予熱が完了したオーブンに入れて時間を二十分にセットした。あとは焼き上がるのを待つだけだ。


「意外と早く出来上がるんだな……」
「そうですね。私もレシピを見つけた時は驚きました」


夜に千佳ちゃんと出穂ちゃんが狙撃手合同訓練がある関係で、時短でできるものを三人で探したのだった。オーブンの中を興味深げに覗く三雲先輩の横顔を盗み見る。カップケーキにして本当によかった。窓の外はもう日が傾きかけていて、玉狛支部の皆さんが帰宅する時間が近づいている。他のレシピを選んでいたら、こんな時間を過ごせなかったかもしれない。
時間を持て余した私たちはリビングのソファに座った。


「洗い物、ありがとう。もう遅い時間だし、完成したあとの片付けはぼくがやるから」
「お気遣い、ありがとうございます」


先輩は紅茶の入ったカップとチョコレートをトレイに載せて目の前に置いてくれた。お礼を述べ、チョコレートに手を伸ばす。キャンディのように両端をきゅっと結んだパッケージには隣町で有名なパティスリーの名前が入っていて、私はおもわずうなった。玉狛支部ではこんなものが日常的に食べられるのか。なんとも羨ましい。そのまま先輩に伝えると「全然知らなかった」とパッケージをまじまじ見ながら言った。三雲先輩はきっと舌が肥えているに違いない。その可能性に気づき、心がきゅうとしぼんだ。


「あの……なんで、ぼくをお菓子作りに誘ったんだ?」


さて、なんででしょう。なんて言う勇気、あるわけがない。あなたと一緒にいたかったから、あなたの粗相を利用させていただきました。もっと言えるわけがない。だから、私はそっと目を伏せた。ソファの横に置いていた鞄に手を伸ばす。つぶれていない、きれいなカップケーキが入った包みを取り出すと、三雲先輩の前に差し出した。


「どうぞ、食べてください。口に合わないかもしれませんが」
「ぼくにはもらう資格ないよ」
「あります。名前、書いてます」


クラフト製のラッピングタイにくくりつけたメッセージカードを指さす。三雲先輩へ。その続きを読んだに違いない。目を見開いた先輩が、私を見た。


「好きです」


ピーピーと電子音がリビングに鳴り響く。焼き上がったようだ。立ち上がり、仕上がりを確認しにいく。いい焼き色。いつの間にか先輩が隣に立っていて、あやうく天板を落とすところだった。平静を装い、オーブンから下ろす。


「これ、何個かもらってもいいですか」
「それは、もちろん」
「ありがとうございます。大切に食べます」
「う、うん」
「冷めたらこの保存容器に入れてくださいね」


持ってきていたラッピング用ビニールにカップケーキを詰めながら、先ほど食器棚から出した大きめの保存容器を指さした。


「返事、なんですけど」
「えっ?!はい」
「ホワイトデーにいただけますか」
「わ、わかった」
「私、本気ですから。よろしくお願いします」


謝ってくれた時の三雲先輩に負けじと、腰をきれいに折り曲げる。勢いつけて顔をあげたら、見たことがないくらい先輩は真っ赤で、おもわず笑みが浮かぶ。


「それでは、また」


そのままリビングを出て、玄関を出て、私は走り出した。冷たい空気がぴしぴしと容赦なく顔と体を打つ。カップケーキのあたたかさを両手に感じながら、私はさらにスピードを上げた。












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