諏訪洸太郎 すっぴん見られて勘違いされる話


息せき切って教室に滑り込む。スマホで時間を確認。講義が始まる五分前。間に合った。

最後列の端の席にドッと腰を下ろす。体中に充満していた焦りを吐き出すように深く息をつくと、目の前に真っ白なモヤが広がった。マスクをつけているせいで眼鏡が曇ったのだ。日常的に眼鏡をかける人は大変だな。
レンズを拭きながら金髪頭を探す。三列前の反対側の席に奴──諏訪洸太郎は座っていた。これだけ離れていたら大丈夫かな。

今日、諏訪に会うわけにはいかなかった。なぜならすっぴんだから。起きたら家を出る時間の五分前。咄嗟に眼鏡とマスクを引っ掴んだ自分の判断力を褒めたい。これでなんとか一日凌げるだろう。

男子にすっぴんなんて見せられない!なんて乙女心満載な理由では一切ない。
諏訪とはいつの間にか軽口を叩き合える仲になっていた。冗談をぶつけてくるのはまったく構わない。話しやすいと思ってくれているのはとても嬉しいし、むしろどんと来い。ただ、たまに真顔でいじってくるのがムカつくのだ。


例えば。
ピンクのアイシャドウを塗った日には「なにお前、泣いてたのか?目ェ腫れてんぞ」、オフショルダーのトップスを着てちょっとオトナになった気分を味わっていたら「肩ずり落ちてんぞ、さっさと直せ!」。
あの男、何度私の地雷を踏み抜いたことか。数えだしたら両手じゃ足りない。そんな諏訪にすっぴんなんて見られたら、「誰だよ。ビフォーアフター激しすぎだろ」とか散々いじられるに決まっている。たぶん真顔で。これまでの経験からそんな気がする。よし、しばこう。諏訪への殺意を新たに固めていると、ふ、と右隣が翳った。


「うーす」


諏訪が立っていた。
なぜいる。あんたさっきまであっちに座ってたでしょ。


「なかなか来ねーからどうしたかと思ったわ。このへん座るの珍しいな」


諏訪は両手に持っていたテキストとペンケースを机に広げながら言った。


「人違いです」
「なに言ってんだお前」


ぎし、と椅子が揺れる。私の抵抗虚しく、諏訪は隣に座ったようだった。なんでわざわざこっちに移動してきたんだ。私はあんたの視界の外にいたんだぞ。いや、その前になんで私だとわかった?この重装備なのに。そんなに私の隣に座りたかったか。さびしがりか。愛いやつめ。
すっぴんじゃなかったらいじめてやったのになぁ、と視線だけ右隣に移すと、思った以上に諏訪の顔が近くて思わず距離をとった。


「な、なに」
「お前さ、風邪引いてんだろ」
「は?」
「なんで講義受けてんだよ。家で寝とけ」


熱は?と頬杖をついてため息混じりに言う。何を言ってるんだこいつは。


「それはいつもの冗談?」
「ちげーよ馬鹿」


諏訪は怒ったような顔をした。真顔で冗談を吐く時に少し似ていたが、初めて見る表情だった。
見たらわかるだろ、と諏訪は小さく呟く。


「マスクしてるし」


顔を隠したいからですね。


「顔色悪ィし」


ベースメイク施してないからですね。


「しんどそうな目ェしてるし」


クマ丸見えですもんね。


「ねぇ、しばいていい?」
「それが心配してる人間に対する態度かよ。帰れ」
「やだ」
「やだじゃねぇ。ったく、講義終わったら家まで連行すっからな」
「んげ」


さすがに男子に部屋を見られるのは抵抗がある。そもそも私は風邪っぴきではない。
反論しようと口を開きかけると、煙草の香りが鼻をくすぐった。肩に諏訪のシャツがかけられている。


「風邪は引き始めが肝心だろ。着とけ」
「煙草くさいんですけど」
「お前ほんっと可愛げねぇなぁ!」


教室中の視線が諏訪に集まる。諏訪はがしがしと頭をかきながら私を睨んだ。ざまあみろ。今のでちょっと気をよくした私は本日初めて自分から話しかけた。


「こんな格好してるのによく私だってわかったね」
「わかるわ」


諏訪は教授が黒板に書いていく文字をノートに書きつけながらひどくうざったそうに答える。さっきのがよっぽど堪えたのかな。私の中のいたずら心がむくむくと膨らんでいく。


「諏訪くんは私のことが大好きなんですねぇ」


反応がない。言い返す元気もなくなったか。笑いをこらえながら諏訪の顔を見る。


「悪ィかよ」


今度は私が黙る番だった。
なんで。なんでそんな顔真っ赤にしてるの。
私が固まっているのをよそに、諏訪は黙々とシャーペンを動かす。顔を黒板に戻したが、文字は見えない。ゆるゆると机に突っ伏す。ふわ、と諏訪のにおいが私をつつみ、頭にじわりじわりと侵食していく。それはいつもの冗談だよね?なんて、あんな顔見たらもう言えなかった。





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