犬飼長編1



終礼が終わり、教室が一気に騒がしくなった。我先にと教室を飛び出していく人、扉あたりで雑談を始める人。廊下は他クラスの人たちも合流し、ごった返しはじめた。落ち着くまでもう少しかかりそうだ。人の隙間を縫って帰るのは抵抗があるから、イスに座りなおしスマホを取り出した。今日は少し遅くなることをメッセージアプリで母に連絡したあと、メモアプリを起動した。一番上に出てきた「ほしいものリスト」をタップして、自然に口角が上がる。今日は大好きな漫画の発売日なのだ。昨日もらったお小遣いはちゃんとお財布に入れてきた。この後書店に寄って、それから雑貨屋さんでかわいいものでも物色しよう。特集コーナーが個性的できゅんとさせられるいつものお店に行くか、最近オープンしたあのお店を覗いてみるか。両方行くのもありだ。改めてお店の位置を確認してみよう。わくわくしながら地図アプリを開いたところで名前を呼ばれた。顔を上げると、担任の先生が教卓のそばに置いている資料を指さしていた。


「これ、準備室まで運んでくれないか?両手が塞がってて」


先生はさっき回収したばかりのノートとプリントの山を持ち上げて言った。教卓に視線を移すと、両手で持てるくらいの量の冊子や資料が積んである。あれくらいなら軽いしすぐ済むだろう。頷くと「いつもありがとう」と先生は一言残し、小走りで教室を出ていった。
教卓に移動し、改めて資料を確認する。そばに立て掛けられているものに気づき、ため息をついた。授業で使った大きな世界地図。ちょうど私の席からは死角の位置にあったから見えなかった。同時に持って行けそうにないから、二回に分けるしかない。


「今日も先生の助手やってるの?」


急に降ってきた声に驚き肩が跳ねる。見上げるとクラスメイトの犬飼澄晴くんが立っていた。声を出せずにいると「準備室に持っていけばいいんだよね」と手が伸びてきたので慌てて引き止めた。


「私が引き受けたことだからいいよ」
「じゃあこれ一人で持って行けるの?」
「それは……」
「無理しないの」


犬飼くんは私が持とうとしていた冊子を半分と地図を持ち上げると、まだ混みあっている教室の出入口に向かった。慌てて残りのものを持ってあとに続く。「はーい通るよー」という陽気な声が道をつくっていく。彼の背中を見ながら私は肩を落とした。また助けられてしまった。困った場面に出くわすと、必ずと言っていいほど犬飼くんは現れる。「どうしたの」「こうしたらいいんじゃない?」と、絶妙なタイミングで声を掛けてくれるのだ。きっと他人を放っておけないタイプなのだろう。
準備室に到着し、荷物の少ない私が率先してドアを開けた。独特の香りが流れ出す。犬飼くんは机の上に荷物を置くとこちらを振り返った。


「先生、人使い荒いね。人使いというか名字さん使い?」
「え?」
「だってあの先生、名字さん以外の人にお願いしてるところ見たことないよ。断ればいいのに」
「断る理由、特にないから。手が空いてるから手伝ってるだけで……」
「ふぅん」


犬飼くんは私の手から荷物を取って、さっきと同じように机の上に置いてくれた。その動作があまりにも自然で、なるほどこれがモテる男の子の所作かと感心してしまった。犬飼くんの噂は、教室の隅でぼぅっと日々を過ごす私の耳にもよく入ってくる。話しやすい、親しみやすいとか、一緒にいて楽しいとか、何よりかっこいいから目の保養になるとか。告白しようか相談する声も聞いたことがある。


「ありがとう。でも私が勝手にやってることだし、気にしないでいいからね」
「それは無理かな」


どういう意味なのかわからず何も返せない私に、「やっぱり気づいてないか」と犬飼くんはにこりと笑みを浮かべ近づいた。きれいな青色の瞳が目の前に迫る。


「おれ、名字さんのことが好きなんだ」


耳から入ってきた言葉が、頭の中をいっぱいにした。好きってなに。犬飼くんが私を?そんなわけないじゃないか。あるとすれば、そうだ。


「罰ゲーム?」
「違うよ」
「大変だね……」
「信じてよ。て、ちょっと」


準備室を足早に出る。後ろから聞こえた足音にギョッとして、私の脚は教室まで猛ダッシュを始めた。教室に戻り、カバンを引っ掴む。後ろを振り返る。教室の中にも外にも誰もいない。足音も聞こえない。でも安心するのはまだ早い、この教室と準備室は同じ階にある。さっさと学校から出よう。階段に近い、教室の前のほうの扉に向かう。途中机にぶつかってしまいそれを元に戻しつつ、急いで廊下に出る。そのまま左に行けば階段のはずなのだが、私の体は柔らかいものにぶつかり行く手を阻まれた。


「大丈夫?」


その声に汗がひやりと浮かんだ。恐る恐る顔を上げる。


「逃げないでよ。さすがに傷つくって」


犬飼くんだった。困ったように眉を下げ、こちらを見下ろしている。横を抜けようとしたがしっかり読まれていたみたいで、彼の左腕が通せんぼをした。



「立ち話もなんだし、教室入ろうよ」


ほら、と背中を押され、私の体は教室へと逆戻りした。犬飼くんは扉を閉めるとイスを引いて座り、突っ立っている私にその隣のイスを勧める。私が座ると、犬飼くんはこちらに体を向けた。


「おれじゃダメ?」
「な、何が……」
「名字さんの彼氏」


彼氏。その単語に、ぶわっと顔に熱が集まる。犬飼くんが笑っているのが横目に見えて、あまりの恥ずかしさに私は膝の上でスカートを握りしめた。


「だって、犬飼くんのこと全然知らないし……」
「うーん、そっか。あんま喋ったことないしねぇ」


そう、犬飼くんと私は三年生で同じクラスになるまでまったく接点がなく、会話と呼べるような会話を交わしたことがなかった。さっきみたいに手伝ってくれた時に軽く話すくらい。つまりいま、初めて彼とまともにお話をしている。そんな関係なのだから、犬飼くんが私を好きだなんて到底信じられない。知り合いと呼ぶにも程遠いような人間に好きだと言えることに怖ささえ感じる。だからさっき私は逃げ出したのか、と今さらながら気づいた。
犬飼くんが黙ってしまったのでどうしたのか気になり、少し視線を向ける。ばちっと目が合ってしまった。思いっきり目を逸らす私をまた笑い、犬飼くんは身を乗り出しながら言った。


「じゃあ、友達にならない?」
「友達?」
「うん、友達。どう?」


告白の断り方の定番、「友達」。バラエティ番組の企画とかでよく見かける流れだ。その後の関係がぎくしゃくするのを防いでくれる、便利な文句。この場合私が言う側なのになぜ犬飼くんがこの提案をしてくるのかわからないが、おかげでほっと力が抜けた。ここは頷いておいて、少しずつフェードアウトしていけばいい。犬飼くんは引く手あまたなんだから、すぐ次の子を見つけるだろう。


「友達なら……うん」
「決まりだね。連絡先、交換しよ」


少しぎくりとしたが、連絡先くらいなら大丈夫だろう。メッセージがきたとしても話題もないし、自然に関係は消滅するはず。ワンテンポ遅れて私もスマホを出した。
家族の名前が並ぶトーク一覧に「犬飼澄晴」と新規メッセージの通知が出てきた。「よろしくね」の一言と、かわいい動物のスタンプ。「あ、既読ついた」と犬飼くんは当たり前のことを言った。


「返事、くれないの?」
「えっと、よろしくお願いします」
「直接も嬉しいけど、こっちもほしいな」


彼の指先が、コツコツと自身のスマホの画面を鳴らす。私はスタンプの欄からお辞儀をする猫を選んで送った。


「ありがとう。改めてよろしくね」


頷くと、何がおかしいのか犬飼くんはふふ、と小さく笑った。
今日が金曜日でよかった。次に会うのは三日後。時間が経てば飽きてくれるに違いない。この告白は、犬飼くんの気まぐれなのだから。











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