三雲修 メルティング・ユー





玄関扉の前に立つ名前の顔を見て、ああ今回も、と冷静に受け入れる自分がいた。


「おさむ」


こちらを見上げながら名前は声を震わせた。セーラー服のスカートのプリーツが、両手でぎゅっと握りしめられているせいでぐしゃぐしゃに乱れていた。ざらり、と胸の内を何かが撫で上げる。何度となく訪れたそれに今日も気づかないふりをしながらぼくは彼女を迎え入れた。何も言わずとも、名前は靴を脱いで階段を上がっていった。重い足音を聴きながら台所へ移動しお湯を沸かす。その間に戸棚から紅茶のティーバッグを取り出し外袋を破った。まだ小学生だった頃、名前がおいしいと喜んで飲んでいたのを母さんが覚えていて、それ以来買い置きしているのだった。
名前には恋人がいる。「私、彼氏できたよ」。高校に入学して半年が経った頃、玄関扉を開けたぼくに名前は言った。あの時は笑顔だったのに、二ヶ月が経過したいま、扉を開けた向こうにいるのは今にも泣き出しそうな顔をした名前。くしゃりと歪んだあの表情が、ぼくは苦手だった。胸の内がざわざわと音を立て始めるのだ。
インスタントコーヒーの瓶の蓋を開けたところではたと気づく。自分のマグカップにも紅茶のティーバッグを入れていた。香りに気圧されて今まで一度も飲んだことがなかったが、開けてしまったものは仕方ない。眼鏡が曇らないよう気をつけながらお湯を注ぐと、あたりに華やかな香りが広がった。

名前はドアに背を向けて座っていた。部屋に入るとだらりと首を垂れた名前の後ろ姿が一番に目に入った。紅茶とお菓子の載ったトレイをテーブルに置き、彼女の真正面に座る。コースターとマグカップを置いてやると、香りに気づいたのかぴくりと頭が動いた。気だるげに毛先が揺れる。前髪の間から現れた真っ赤な目がマグカップの中を見つめた。ぼくがいない間に泣いていたらしい。取っ手をつかみ、そのまま口元へ引き寄せる。半開きになった唇を湯気が包みこんだ。


「あの人がね、キスしてるの、見ちゃった」


名前の声音は落ち着いていた。少し笑ったように見えたのは見間違いだろうか。もう一度名前の顔を見ると、確かに口角が上がっていた。ぼくはなんと答えたらいいのかわからず、「そうか」と当たり障りのない返事をした。


「別れようかな」


ふふ、と今度は声を漏らしながら名前は笑った。その笑顔はからからに乾いていた。暗いその目が痛々しい。名前の両手はマグカップを包み込んだまま動かない。まるで必死にしがみついているかのようだった。雑音に埋め尽くされた心に、ぽつん、と何かが垂れた。


「ぼくなら」


息を止めた。
いま、何を言おうとしていた。喉の奥に押しとどめた言葉をおそるおそる反芻する。「ぼくならそんな顔させないのに」。ぞくり、と背中に寒気が走る。


「修?」
「なんでもない」


名前がこちらを覗き込む。ぼくは反射的に視線をそらした。名前には恋人がいる。二人の関係に口を挟む権利はない。


「ねぇ」


名前の小さな声が空気を割った。


「……続き、聴きたい」


華やかな香りが鼻を刺激する。そういえば、自分のマグカップにもあの紅茶を淹れたのだった。そっと顔を上げると、幼い頃より見知った名前がそこにはいた。その瞳に翳(かげ)りはもうない。波立つ心が、静かに、静かになだめられていく。ぼくは口を開いた。


















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修の誕生日カクテル「レディーズカクテル(カクテル言葉:あなたの心はどこに)」をお題に使用しました。




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