何を今更、

学院の人間が亡くなった。学院の中で、一人でひっそりと亡くなった。
その死を悼み、人が黒一色に染まる中、一人白でよく目立った私の友人は、私を見つけるとすっと手を上げる。
「ロジ」
ざわめきの中で紛れてしまうほどの声量で僕の名前を呼ぶと、ちょいちょいと手招きをする。僕にはそれを拒否する理由もない。大人しく従った。
傍によって気付いたのは、彼の適度にたくましい体が少し細くなっている事。きっと気付くのは僕だけだろう。僕が作ってやった礼服のウエストが少し余っているだけのことだったから。
「ちゃんと食べてるのか?ちゃんと君にぴったり合わせて作ってやったのに」
余った部分の裾を引きながら言ってやると、彼は何かもごもごと口を動かした。
いや、とか、それは、とか、断片的に弁解が聞こえる。え!?と少し強めに聞き返すと、やっとちゃんと聞こえる声量が響いた。
「葬儀の日取りが決まってから食べてない。それがしきたりなんだ。仕方ないだろう」
ああ、どうやらへそを曲げられた。そらされた顔がそれを告げてくる。
だがそんなのは知ったこっちゃない。何も入っていないだろう胃のあたりを服の上から押してやる。痛いし気持ち悪いはずなのに、彼は何も言わなかった。
「ベックストレーム教授!」
少し焦ったような男子生徒の声がよく響く。イェオリ・ベックストレーム、目の前にいる彼の名だ。葬儀民俗学の権威、この葬儀の責任者。
葬儀民俗学なんて何に役立つんだ、とかよく言われるらしいが、こういう時すべて身内で片が付くのは便利だと思う。すごく稀なことだけど。
そうこう考えているうちに、彼は時間が押しているのだと言われていた。自分の受け持つ学生たちに引きずられながら、こちらに手を振っている。またすぐに、と目が言ってきた。恐らく終わるまで彼は拘束されるだろうから、すぐにとはいかないだろうに。
「バルツァー教授!」
「え?」
首根っこをいきなり掴まれてフリーズする。バルツァー、それは僕のファミリーネームである。
呼んだ相手も知らない子ではない、僕の所の学生だ。
そんなに急いでどうしたの、なにかあったの、そんな問いをする前にずるずると先ほどの彼と同じように引きずられる。情けない、相手は女の子だぞ。
「装束は服飾学部の仕事だとお伝えしたはずですが!」
ああ。そんなことも言われていたっけ。いやいや、僕のせいじゃないよ最近はちょっと立て込んでてあんまり寝ていなかったんだ、ちょっと意識はあったけどどこかお空に旅立っていて、そうそう、そのせいだよ。
「何か言い分がおありのようでしたらお聞きしますが!!」
「いいえ……」
女の子って怖い。


   * * *


「ほら、すぐだったろう」
「知ってたなら教えてよ。学生に怒られるなんて……」
まだ立ち入り禁止にしてあるせいか、会場である湖のほとりには誰もいない。
あとは御遺体に化粧を施して、各所の確認を待つだけだ。綺麗な白のドレスと確認してうんと頷けば、僕の仕事はもう終わり。還ろうがここに留まろうが勝手だ。だが。
「向こうに戻るのか」
「まさか。わざわざ人ごみには戻らないよ」
ここの雰囲気は嫌いじゃない、それにイェオリの仕事の様子も少し見てみたかった。
いつもどこか抜けていて、真剣な所などめったに見せないこの男の本気。
しかしそれを見るためには、あまり精神衛生上よくはない遺体の前にいなければいけないわけだ。ああ、体の中がキリキリする。好奇心に勝てない自分が悪い。
「水面でもみていればいい。少しだが楽になる」
「いや、何でもないんだ。見てるよ」
緊張するんだが、と心にもないことを言う彼の表情はどことなく嬉しそうだ。
腰に付けたいくつものポーチから、慣れた手つきで道具を取り出す。見覚えがあるそれらは普通の化粧道具だった、服飾学でもよく扱う。何か専用のものがあるのかと思っていたが、少し意外だ。
マッサージを施しながら下地を作り、瞼や頬に色を乗せていく。時折聞こえてくるイェオリの独り言には、顔が赤くなりそうだった。
「君は……そうだ、目が特に綺麗だったな。綺麗な青……睫毛が長くて……前髪が流れた時に少し見える額の白と……ああ、綺麗だった……」
過去形であることを覗けば、君たちは恋人か何かだったのかとどつきたくなる。それをぐっとこらえながら彼の手を見続けた。ふざけたことを言いながらも手を止まらずスムーズに動いている。
「唇は何色がいいか……青味が……濃い色にしてみようか、それがいい」
生きている女性でも、彼はここまでのことをするだろうか。ふとそう考えるが、考えるだけ無駄なことだ。
彼の中で女性とは、自分が理想的な葬儀でこの世界から出るための連れ合いに過ぎない。生きていることに、彼はもう興味がない。かといって、死んでいる人ではだめだ、もうスタートラインが違う。一緒には逝けない。
本能から少し離れた位置に彼はいるのだ。理解なんて到底できない。
「少し濃すぎたか……」
暫くして彼はポツリとつぶやいた。
その頃にはもう化粧は終わっていて、最終チェックをしていたのだろう。あんなに近かった顔を少し離して、遠目からの見栄えを確かめている。そこで浮かんでしまったのが先ほど吐きだした違和感だ。
僕には何がどう駄目なのかわからないくらい綺麗だが、彼からしたらどうも気に入らないらしい。
「だったらやり直したらいいじゃないか」
本当にこれで拭っていいのかわからないが、ティッシュを差し出してやる。だが彼はこっちを振り向く様子もなく、彼女、恐らくはその唇を見つめていた。
「やり直し……いや、」
一応僕の言葉は届いていたらしい。差し出したポケットティッシュを手で制して、また彼女との距離を詰める。
そして僕は目を見開いた。刺激的だ。友人と死体のラブシーンを見るというのは。
「これでいい」
納得したのか、放心していた僕をよそに彼は彼女から離れていった。
完成した彼女は美しい。確かに美しいが、やはり血の気というのは大事だ、とても。
「イェオリ!」
つい叫んで、彼をこちらへと向かせる。
彼女のと一緒の色をした唇が弧を描く。
「美しいだろう。それは認めてくれるだろう。それを愛でて何が悪いのか」
彼は続ける。
「生きている頃の彼女もそれは美しかった。私の理想に近い女性だった。だが惜しい、彼女は女性であり少女だった。捨てねばいけない憧れが多すぎた。勿論私の誘いは断られたよ。それに少し安堵したのも事実だ。そこまでに彼女は美しかった。だが知っての通り、私はそうなってしまうと生きているものには余程でない限り興味を失う」
あの少女は有象無象まで落ちぶれた。
そこまで聞いて私は絶句した。
生徒にまで手を出していたのか、この男は。いや、今気にするべきはそこじゃない。
頭の中で彼女についての情報をさらう。
彼女はどうやって死んだのか、彼女はどうして死んだのか!
「それは私だ。私のせいだ」
彼はほんの少しだけ首を傾けた。彼の表情は動かない。ただ唇の赤だけが淡々と動く。
「生きている私を愛してください、と、言われた」
そんなことが出来るわけがない。彼には生きる意味がない。彼女は彼の意味にはなれない。
「貴方のせいで狂ってしまいそうだ、と、言われた」
イェオリという男は麻薬に少し似ていた。端正な顔立ち、動かない表情、まるで氷。そんな彼から注がれる熱い視線。悪い気がするはずない、それどころか、慣れてしまえばもっともっとと欲しがってしまう。それは誘いまでの期間限定。切れてしまえば……、予測は簡単についた。
「どうしたら愛してくれるのか、と、聞かれた」
だから答えたんだ、と。
何でもない事のように言う彼を、どうしても責める気にならなかった。
先ほどまであんなに怒っていたのに、その胸ぐらをつかんでやりたいとも思ったのに。
「生きている人間なんて御免だ。逃げる手段がいくらでもある。死の淵にいる人間はいい。もう逃げた後の、その終着を捕まえられるのだから」
「イェオリ……」
「だから私は、きっとこれからも殺す」
得られるものが見つかるまで、私が死ぬまで、ずっとずっと。
そして彼は棺から離れて、周りに添えられていた花を一輪、その中に投げた。
紫陽花だ、青い大きな紫陽花だ。
「お前は、紫陽花みたいな男だよ」
ぼそりと一言呟けば、彼はニヤリと笑っていった。

「何を今更、」



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