「どうせ染まるのなら」

屈強な男相手の仕事ほど腕が鳴るものはなかった。
気の強い女相手の仕事ほど胸の踊るものはなかった。
老人相手には敬いの心を忘れず、子供相手には慈悲を必ず持った。
黒い浴衣を一枚だけまとい、石壁づくりのひんやりとした部屋に足を踏み入れた加々見は、ただ微笑みだけをその顔に湛えていた。壁際で姿勢を正していた部下たちを下がらせ、唯一懐刀と決めた男だけを残し、壁に磔にされたそれに向き直る。
それは身じろぎ一つなく、大人しい。
赤茶の髪は土を被って汚れ、頬には青痣を作り、剥かれたその体には一本鞭の痕が痛々しく残っていた。手荒く扱われていたことは明白である。部下たちの教育のためにほんの少しの時間を与えただけだったが、加々見は自分の判断ミスに舌を打った。
やりかたがなっていない。
これでは何の意味もない。
大人しいどころかぐったりとした男の頬に、加々見を手をゆっくりと伸ばして触れる。
本来ならば白くなだらかであったはずのその肌は、青痣に加えて腫れもあるのかじんわりと熱を持っている。その熱は冷えた加々見の指には好ましいものであったが、やはりどうしても部下たちの振る舞いが癪に障る。
「謝罪しよう」
加々見は意識があるかどうかもわからないそれに言った。
「お前は覚悟をしてここにきた。俺と対峙して、最悪死ぬ以上の目に合うことさえ考えてここまできたそれを俺以外に穢させてしまった」
張り付けられた体の節々に、暴れた痕は見受けられなかった。それを目に止めると、加々見は険しかった顔を再び柔らかくして笑う。
「ここからはきっちりと俺がお相手しよう。お前が期待したその通りの、それ以上の、まさしく死ぬ以上の目に合わせよう」
その笑顔は美しかった。
それを見たのは隣に控えていた男、寿々波ただ一人であったろうが、その常に仏頂面をした美しい顔は、笑みによって花が咲いたように彩られる。ただただ白い、傷跡がよく目立つ頬は薔薇色に染まり、そこには確かな高揚が隠れることを忘れて在った。心臓が早鐘を打つのを止められず、緊張のためか何度も唇を舐める舌が色っぽい。
今この瞬間、加々見は恋をしていた。
名前も素性すらも知らない、ただ自分に害をなすとしか認識していない目の前の男に、間違いなく刹那的な恋慕の情を寄せていた。
「ゆっくりと、じっくりと……丁寧に」
加々見の手の中で光るものがくるくると弄ばれている。
「お前の中身を全部、見せてくれ」
そうして男は目を開ける。
緑色の目は加々見の姿を映しただろうか、それともそれは、地獄の底に住む餓鬼の姿だったかもしれない。

* * *

「加々見さん」
控えめにかけられた声に加々見は意識を戻した。
気絶をしていたわけでは決してないが、仕事中は加々見の加々見たる意識はどこかへ行ってしまうようであった。気づけはそこに広がるのは壁一面の絵画であり、その規模の大きさと漂う生臭さに、加々見は思わず一歩後ずさる。
端から中央へ、絵の具が薄くなって乾いた所から未だ乾かず濡れた所まで、黒から赤への深く重いグラデーション。中央には桃色と赤、白の大きな花が一厘、それは誇らしげに咲いている。その奥の奥はまだ温かく、時折ひくりひくりと痙攣する。
生とは貪欲なものだ。
一枚の絵を描きあげるたびに、加々見は口に出すことはないがそう思う。こんな姿になってまで、まだ生きる。その生への執着が何より、加々見には好ましかった。
「もう死んでますよ」
その加々見の余韻をぶち壊すように、寿々波はさらに言葉を重ねた。
「もう、そこには何もない」
するりと寿々波は加々見の背後に添う。
「そこには」
浴衣の襟もとに手を這わせ、肩まで肌を撫で上げるように露出させる。その黒の下に、磔にされていたあれのような白い肌は存在しなかった。鮮やかな赤色、濁った黄色、出来たばかりと治りかけ、小さな内出血。ぼこりと歪に盛り上がった火傷跡。何本も筋状に走る縄のような圧迫痕。どれもこれもが生々しい生の記録。
それを寿々波が確かめるように一つ一つ指でなぞる。その度に吐息の温度が上がる、同時に、肌蹴させられた皮膚がふるりを冷えるのを感じた。
これは常だ。既に馴れきった、寧ろないことに違和感を感じる行為だ。今まさにそうあるように高ぶったこの肌を抱えたまま帰るなど、加々見にとってはありえないことだった。その傍に、寿々波という男がいるならば。
「ならば、どこに『それ』はある?」
それは意地の悪い質問であった。答えなどはない、寿々波は愚か加々見にさえも見当のつかないものであった。と、同時にそれは、寿々波にとっては許しにも近い一言であった。
ガリ、と首筋に歯を立てる。するとそれを促すように、加々見の手が寿々波の髪の中にするりともぐりこんだ。
「ここに」
肉に歯が食い込む。ぶちりと、ぬいぐるみの首を落とすときのような無残な音が自分の体内からする。
ぬいぐるみ。人に振り回されて終わりの、ただそれだけの、愛くるしい玩具。
自分の身体をそれと重ね合わせたその時、加々見の中でまた温度が少し上がった。そして、それがわからない寿々波ではない。
求められているものの正体はわかっていた。ならば、あとは為すだけである。
鉄の味がする口を放し、突き飛ばすように抱いていた彼を壁際へ追いつめる。ずるりと床にへたり込んだ彼は、まとった仕立てのいい布をすっかり汚くなった赤で汚した。
「もう着れませんね、それ」
荒くなった呼吸を隠すこともせずに、寿々波が言う。
「どうせこんなもん一期一会みたいなもんだ」
動くのももうだるい。そう主張するような緩慢な動作で、加々見は自らの浴衣の裾を引く。下駄も脱ぎ散らかして裸になった足で、下に広がる水たまりでぴちゃぴちゃと遊ぶ。水が、足に跳ねる。
「こんなもん気にするなら、やめにするぞ」
遊ぶだけの相手なら他にもいないわけじゃない。
目じりを下げて笑う瞳が言外にそう告げる。
寿々波にとってそれは頭のねじを無理矢理数本抜かれるようなものだった。頭の中にある「理性」という名の機能を、ブレーカーごと落とされるようなものであった。
次の瞬間には布を裂く耳障りな音が石の壁に響き、続いてカラカラとした笑い声とまだ些かの青さを含んだ嬌声の交じり合ったものが聞こえ始める。
黒と赤の中に白が沈み、そこに赤が散る。
キスマークならまだ幾分かましだ。歯型、爪痕、他人が見れば間違いなく目を逸らされるだろうその体に、さらに傷が増えていく。
痛々しい。
そう口に出すものはここにはいない。
死人に口なし。磔の彼は沈黙を守った。
「すずな、み……」
加々見の身体が寿々波から見て「食べごろ」になるまで、そう時間はかからなかった。いつもしゃんと伸びた背筋は体の中心を隠すように丸まり、力強いその手足は頼りなくただ寿々波の身体に添わされているだけだ。
可愛い。
生唾を飲み込み、乾いた唇を舐める。
ただの布きれと化した浴衣を捨て去り、下着すら取り払う。
本来ならば指を咥えるでもして……または咥えさせるなどして濡らすものだが、加々見に至ってはその必要はなかった。
彼は様々な意味を持って「食べごろ」だ。
常なことと言うのならば、こうなることは予測をするまでもない。あらかじめ馴らしてあったのだろう彼の蜜壺は、前から垂れてきた蜜をさらにまとっててらてらと鈍く光っていた。
見られている。
視線を感じたのか口を閉じようとするその様子すら愛おしい。閉じきる前にと指を差し込むと、あ、と短く声が上がる。だがそこで止まることが出来るほど今の寿々波に余裕はなかった。奪われた理性は未だ戻らず、柔らかく熱く指を包む肉を荒々しく掻きまわした。
「ひ、っあ、ああ、ん」
その指に加々見への配慮は全くない。ただ自分の入る隙間をこじ開けるためだけの行為だ。ただその際に時折触れるイイ所への刺激と、いつも犬のように可愛がっていう男から物のように粗末に扱われているというこのシチュエーション。それだけであふれ出る蜜の中に白濁が混じるような気がした。加々見は心の中で自分の呆れた性癖に溜息をつく。頭が白く染まりきる前の悪あがき様なものである。
「や、ぁも、ちゃんと、ちゃ、とさわって、」
ぐちゃぐちゃと水音だけが目立って響く中、なんとかと言ったふうに肩にしがみつき懇願する。加々見とてその懇願が叶えられるとは到底思ってはいないが、言わずにはいられない。粘りつくような吐息を纏わせたそれはただ寿々波を煽るだけであり、中を探られるどころか、乱暴に抜かれてしまう始末であった。
「は、あう……」
もっともっとと求めていた体がひくりと震える。
目の前の男はおろか、自分の身体すらままならないこの状況に、加々見はうっとりとほほ笑んだ。
思い通りになることほどつまらないことはない。本能のまま、欲望のままに蹂躙するその姿の方が、よっぽど人間らしく輝いて見える。
その輝きで加々見の身体は再度更に疼くのだ。
「かがみさん……」
久方ぶりにうめく以外で寿々波の声を聴いた。ん?と加々見が小さく返事してやると、かがみさん、と繰り返す。まるで昼の、犬のような彼に戻ってしまったようで、加々見はほんの少し首をかしげた。
なにか、とまってしまうようなりゆうがあっただろうか。
ぼんやりとそんなことを考えるけれども、彼の中にそんなものの心当たりはない。ならば、することはひとつに決まっていた。
「すずなみ?」
くちゃり、と足元でいやらしい音がした。
はしたなく開いたままだった足を持ち上げ、寿々波の身体の前まで持ってくる。動きやすさを優先させた、白いシャツと黒いスラックス。その胸元に足を押し付ける。そのままするり、するりと足を動かして、行きつく先は足の間にある確かなふくらみだった。
「きつそう……」
指先の一振りで掻き消えてしまいそうな声音だった。
寿々波の視線の先にいる加々見は、足の先に目を向けて、ぼうとした顔で唇をなぞっている。
一回、二回、三回
なぞるたびに唇が鉄の色を濃くした。
もう彼には赤色しか纏うものがなかった。纏っていた黒は体の下で赤に沈み、頭の上から落ちてくる滴が彼の鮮やかな緑髪さえ上書きする。
「おれにくれよ」
すっかり、絵と同じ色になってしまったなと思ったのだ。
いつもと変わらない、いつもと同じ行為、いつもと同じ結果光景のはずなのに、寿々波の中ではどうもひっかかる。
ひっかかる。
気に食わない。
そこでいきなりやめられるほど寿々波にも余裕はないが、それでも、
「すずなみ」
加々見が呼びかける。
「はい」
「すずなみ」
「はい」
「すずなみ」
「…………はい」
足が寿々波の身体から離れていく。また中心を晒すように開いて、元の位置に収まる。
「おまえにやるよ」
くち、と加々見から濡れた音がした。
顔から下へ視線を移すと、鮮やかな桃色をした肉が蠢いているのが見える。加々見の白い指が、自分の壺を開いて見せつけている。
「おまえに、やるよ」
そこからの記憶を、寿々波は覚えていない。

*  *  *

気づいたらそこは空気のこもった拷問部屋ではなく、また質素な寿々波の自室でもなく、加々見の部屋の無駄にデカくふかふかとしたベッドの中であった。
そこには寿々波がいて、さらには加々見もいて、二人揃ってきしむ体を労わるように横になっている。あの部屋に行くときはいつもこうだ。このベッドで行為を行う際にはぴんぴんとして煙草を嗜む余裕さえある加々見でも、体を預けるのが石畳となるとまた事情が変わる。背中は石を押し付けられた痕で痛々しく、あちこちをぶつけて擦り傷が出来ている。寿々波の膝も同じだ、絆創膏がなければ布団が赤くなる。
疲労困憊。
その四字熟語がよく似合う。
「おまえ、いやか?」
加々見が尋ねる。その声は擦れていて、意識の濁った寿々波がどれだけの無体を強いたのかを物語るようだった。
「なにが、ですか?」
「あそこでするの」
とちゅうでとまったから。
もそり、と加々見が身じろぎする。寿々波の腕の中にいるものだから、さらりとした髪が胸元を擽るのだ。
「やじゃない、ですよ」
くすぐったさに声を震わせながら、寿々波が答える。
「うそだ」
「嘘じゃないですよ」
「じゃあなんで」
また身じろぎ。腕から逃れる気なのだろうが、それを許す寿々波ではない。追いかけて、深くまで抱え込む。
「血はね、なかなか落ちないんですよ」
「?」
「それだけなんですよ」
とんとん、と宥めるように加々美の背中が叩かれる。元から疲れているのだ、そんなことをされたら睡魔が襲ってくるのは当たり前。見るからにとろとろと加々見の瞼の落ちていく様子を、寿々波は目を細めて見送った。
「おれだけで、いいでしょう」



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