純真無垢

昔々、といってもまだ二十数年前のこと。東京都にあるとある市に住む大家族に、また一人女の子が仲間入りしました。
その子はなかなかの美貌と素直な性格に恵まれ、父親をはじめとする過保護な家族に囲まれながらすくすくと成長します。途中不幸な事故に恵まれたりもしましたが、育まれたマイペースさ(鈍感さともいう)を存分に発揮し、大した障害もなく伸び伸びと暮らしてきました。そんな彼女もついに学校を出て働くときがやってきました。流石に一人暮らしというステップアップは出来ませんでしたが、警備員だった両親のツテで「ものずくり大学」という学校の警備員になりました。
このお話はそんな彼女、純真実(すみさだ・まこと)ちゃんの一日を紹介するものであります。



実ちゃんの朝はとても早いです。朝はまだ太陽が顔を出す前、だいたい四時くらいに目を覚まします。夜も早い時間に寝ているおかげで目覚めはすっきり、布団を畳み身支度をするために部屋を出ます。家族の大多数はまだ夢の中なため足音はたてずに、その足取りはとてもゆっくり。もともとあまりうるさい方ではない彼女は、こうなると本当に耳を澄ましても音が聞こえないほどです。

「おはよう、実」

洗面台の前まで来て、ようやく実ちゃんは起きている人に会います。三人のお兄さんの一人、景兄さんです。景兄さんはジムのインストラクターをしています。体を使うお仕事をしているので、朝早くからトレーニングをしているのです。よって純真家の中では一番の早起き、実ちゃんと二人で朝ご飯の準備をすることもよくあります。

「味噌汁は作ってあるからな。今日は実の好きなじゃがいもとわかめだぞ」

毎日何かしら実ちゃんの好物を食卓に並べてくれるお兄ちゃんが実ちゃんは大好きです。
顔と歯を磨き、ジャージに着替えると朝御飯の準備をして散歩に出かけます。今日の朝御飯は焼鮭とたまごやきです。ランニングに行くという景兄さんとは玄関で別れ、実ちゃんはのんびりのんびり住宅街を歩いていきます。大体一時間ほどでしょうか、すっかり顔見知りになった散歩中のおじいちゃんと楽しくお話をしながら、帰宅します。その頃には家族の全員が起きているのでおかえりーと元気のいい声が聞こえてきます。

「ただいま」

その声に小さく返事をしながら、実ちゃんはみんなの待つ食卓へ。声が小さくてもみんなはちゃんと聞き取ってくれます。実ちゃんは口元に怪我があるため大きい声や長い会話がしづらいのですが、それをちゃんとわかっています。

「まこちゃんおはようー」

「やめんか、うっとうしい」

ダイニングに入ってすぐに抱きしめてきたのがすぐ上のお兄さんである純兄さんです。妹の実ちゃんが思うのもどうかと思ってしまいますがすごく甘えん坊。みんな手を焼いています。その純兄さんを剥がしてくれたのが真ん中のお兄さんである智兄さん。とっても頭が良く、実ちゃんは智兄さんによく今でも勉強を教わります。
そんな二人の様子を両親と景兄さんが笑いながら見守る。それが純真家の朝風景です。
みんなでご飯を食べたら、実ちゃんは出勤です。時刻は六時半、いつもと変わらない時間におうちを出ます。
職場であるものずくり大学までは自転車を使えばすぐ。愛車にまたがり安全運転で進んでいきます。

「おはようございます」

更衣室を借りて制服にお着替え。詰め所に行けばそこには既に先輩の警備員さんがいました。いつもは一番乗りの実ちゃん、一番下っ端であるが故にちょっと罪悪感がわいてきます。そんな気持ちを抱えつつ、ある程度切り替えてさあお仕事です。
校門の前に立ち、学生さんたちに挨拶をしながら学生証を確認して通す。不審者がいたらチェックして何かしようものなら通報する。
言うだけなら簡単なお仕事ですが、人数が人数、重労働です。一限直前のピーク時が終わればちょっと疲れた様子を見せてしまいます。そういうとき決まって先輩は笑いますが、特に悪意はないので気にしない気にしない。
するとそこに一人の女の子がやってきました。深刻そうな顔(実ちゃん視点)をしています。おかしいなーと実ちゃんが首を傾げていたそのとき、女の子が実ちゃんの眼前までぐっと近づいてきました。

「あの!入ってもいいですか!」

「学生じゃないとだめです……」

流石実ちゃん、突然で驚きはしましたがきっちりかっちりお仕事をします。
学生証がないと入れません、学生だったら詰め所で手続きをして仮の学生証をもらってください、学生じゃなくても詰め所で書類に記入して入校証をもらってください。
先輩に教わったことそのまま、頑張って取ったメモを読み返した甲斐がありましたね。それにしても深刻そうな顔だこと、断った実ちゃんですが思わず「いいよ」と言ってしまいそうです。
そして断られたことで引くだろうと思っていた女の子ですがまさかこんなことになろうとは、引く気配がありません。みるみるうちに目にじんわり涙がたまり、その目の縁に水の玉がかろうじて引っかかっています。ああ、泣いているのか。そう理解するまで実ちゃんは三回ほどフリーズしました。正直止まりっぱなしです。ガッチガチに固まっています。ですがそんなことは女の子には関係ない、むしろ好都合なようです。自分のより大分上にある実ちゃんの肩をつかみガクガクと揺さぶります。
「母が!危篤で!!どうしても筍が食べたいって!!!言うんです!!!!」
どんな理屈だ、100%嘘だと誰もがわかります。もしここに第三者がいたら確実にそうツッコミを入れたことでしょう。母が危篤ならそばにいてやりなさい、そもそも筍って何故、それに採るならもっと適した場所があっただろう、林があると言えど本当に竹があるのかもわからないし。そう反論を並び立てることだって簡単です、朝飯前です。ですがなんということでしょう、今の実ちゃんの状態は朝御飯を食べる前のようです。

「そんなにいうなら……」

なんと、通してしまうとは。実ちゃんは体を一歩分横にずらして道をあけました。思った以上のあっさり対応だったからか、女の子がぽかんと口を開けています。その様子に実ちゃんは首を傾げました。

「急いでるんでしょう?」

なんと先まで急がせてくれます、なんと優しい子でしょう、なんと騙されやすい子でしょう。ちらちらと何回も振り返ってこちらを見る女の子を見送って、実ちゃんは心の中でお母さんが助かりますようにと神様に祈っていました。かわいそうですがきっとそんなお母さんはいません。

「嬢ちゃん、なんかあったのかい」

先輩の警備員さんが声をかけてくれます。先輩と言いますがそのお年は実ちゃんよりずっとずっと上。白いふわふわの髪の毛と垂れた目元がやさしげなおじいちゃんです。実ちゃんのことをかわいがってくれます。

「さっき、女の子が……」

少し疲れたのでしょう、実ちゃんはメモ帳を取り出してさっきまであったことの一部始終を書きました。内容と言えばずいぶんと良心的な解釈がされていますが、一人の女性が警備員を騙して不法侵入したということ。ただの事件です。

「こりゃあいかん!」

そうして先輩は全速力で詰め所に戻っていきました、もちろん不法侵入女子を捕まえるために。
無事捕まった後、実ちゃんはこってり絞られたのですがこれはかわいそうなのでこの一言だけで口をつぐんでおきましょう。
その後数回の校内パトロールを終え、実ちゃんはおうちへ帰りました。朝の失敗とお説教が効いているのでしょうか、その顔には少し元気がありません。リビングのソファにうつ伏せで横たわり、息苦しさを感じながら足をばたばたと動かしています。時間はもうすぐ八時になります。そろそろ他の家族が帰ってきて、みんなでお母さんの作ったご飯を囲むことでしょう。それまでに元気になっておきたいと思っている実ちゃんでしたが、気分はずーっと沈んだまま、泡の一つすら浮かんできません。本人も困り果てていました。

「あ、まこちゃんがビチビチしてる」

「どうした実、何かあったのか?」

そこに帰ってきたのは景兄さんと純兄さん。実ちゃんの様子がおかしいとなれば荷物を廊下に投げて寄っていきます。お母さんに怒られようがお構いなしです。

「……」

もう話すことすら億劫な実ちゃん、いけないとは思いましたが昼間に書いたメモをそのまま見せます。それで納得してしまう兄たち、こうした失敗はきっと一度や二度ではないのでしょう。あー、だの、またかー、だの言いながらわしゃわしゃと実ちゃんの髪の毛を乱します。それがまた心地のいいこと。

「今度から気をつければいいさ」

「そうそう、反省すればいいんだよ」

なんとか二人の兄は慰めようとしますが、実ちゃんは未だソファの上でビチビチしたまま。その動きはだんだんと弱くなっているようです。兄たちまで困り果てました。これ以上慰める術を知りません。

「ただいま」

そこに帰ってきたのが智兄さん。あまりそういった慰めの光景を見たことがないので一か八かでしたが、二人はそこに賭けてみることにしました。

「智兄、まこちゃんがかくかくしかじかでさ」

いったん実ちゃんを景兄さんに預け、純兄さんが今の状況を説明します。すると一瞬で険しくなる智兄さんの眉間の皺。

『『あ、あかんわこれ』』

兄二人の思いがぴたりとシンクロした瞬間でした。実ちゃんを撫でる景兄さんの焦りからかさらにはげしくなります。

「何をバカなことを」

小さく智兄さんが呟きました。実ちゃんの体がビクリと一回震えます。智兄さんにまで怒られたら、きっと実ちゃんは泣いてしまうでしょう。それを予測して、景兄さんは智兄さんに口をつぐませようとします。

「智、お前ちょっとだま、」

「そんなくだらないことで悩むなら勉強しろ。お前を景兄や純みたく脳筋にするわけにはいかないんだ」

「うるせぇひ弱!貧弱!モヤシ!」

「つうか俺そこまで筋肉ないし!景兄さんと一緒にしないで!」

これはまさかの飛び火。一気に雲行きが怪しくカオスになってしまいました。
まさかの兄弟三つ巴のバトル、といっても純兄さんは頭数にはならないので一騎打ちかも知れませんが、とにかくこれは止めなくてはなりません。

「兄さん……」

実ちゃんが小さく声をあげますが、
「それに素直さはお前の長所だ、潰すことはない。嘘をついたこの(放送禁止用語)女が悪いに決まっている」

ぴたりと景兄さんの手が止まりました。どこか信じられないものを見る目で目の前にいるすぐ下の弟を見つめています。三十路を超えたお堅い職業(と書いて教職と読みます)に就くこの弟が、今何を言ったのか。景兄さんは信じられません。

「実」

そんな景兄さんをよそに、智兄さんは起きあがった実ちゃんをじっと見つめます。実ちゃんもそらすことはありません。じーっと見つめ合いが続きます。

「何がどうなろうがお前は一切悪くない、だから悩むのはやめなさい」

そして智兄さんは一人自室のある二階へ上がっていきました。荷物を置いたらきっとご飯になるのでしょう。置き去りにされた残り三人の兄妹は、廊下の惨状に気づいたお母さんに怒られるまでずっと呆然としていました。
お母さん、兄が(弟が)立派なシスコンに育っているよ。
兄二人は自分を棚上げしてそう訴えたい気分でしたが、その言葉は夕飯の唐揚げと一緒に飲み込まれていってしまいました。
ご飯が終わってしまえば後は寝るだけ、明日もきっちり四時に起きる予定である実ちゃんは、九時にはもう寝る準備を始めます。テレビにはあまり興味がありません。一日の最後には新聞の夕刊と文庫本を読むに限ります。さぁ、今日も一冊読み終わった。
おやすみ、実ちゃん。明日も楽しい一日がくるといいですね。

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