騎士気取りの犯罪者

注意
人を選ぶような内容です。
ヤンデレ、ホモ、近親相姦、殺人をほのめかす描写などがあります。
これは無理、と思う方はそっとお戻りください。





















ずるり。
それは音もなく私に忍び寄り、私の足を掴んだ。そしてゆっくり、ゆっくり手を引いて、私を自分の方へ手繰り寄せる。
ああ嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
もがけばもがくほどその力は強くなり、足を取られて倒されてしまえばあとは引きずられていくだけ。
立てた爪は剥がれ、叫んだ喉は潰れ、最終的には十本の赤い筋がそこに残るだけ。
嫌、嫌、いやいやいや。
もがいてもがいてもがいてもがいて、そして絡みとられたその先。そこは怖くもなんともない。ただ顔の整った青年が、じっとこちらを見ているではないか。ガラクタとごみの散らばったその廃墟の中で、青年は私の目をじっと見ている。もっとガラの悪い男が待っていると思っていたのだ。暴力団とか、外国人とか、そんな人種が待ち受けているものだと思っていた。だがそうではない。私より少し年の若そうな、純日本人の青年。スーツは黒一色でシンプル、髪すら染めていない、ピアスは付けているがその程度。怖がる必要なんてなさそうな、そんな青年。
一瞬ほっとした。そしてその一瞬の隙に湧きあがる、感情。大部分は憤怒、その他は二の次として埋め尽くされてしまった。
私は叫ぶ。感情に身を任せ、潰れたはずの喉に鞭を打ち、この建物中に響く声で叫ぶ。
青年はずっと、叫ばれても顔色一つ変えずに、私のことを見ていた。

「やっぱり、あんたはふさわしくないんだよ」

青年が小さく言った。私の声が響き渡る中、よく聞き取れたものだと、自分の耳ながら感心してしまう程度の声量で言った。
顔をよく見ると、笑っている。その笑顔には色々な感情に満ちていた。挙げられるだけ挙げてみる。安心、不安、興奮、好奇、焦燥、困惑、緊張、尊敬、親しみ、憧憬、欲望、恐怖、後悔、嫌悪、恥、軽蔑、嫉妬、罪悪感、期待、優越感、劣等感、怨み、苦しみ、悲しみ、切なさ、怒り、諦め、憎悪、愛しさ、空虚。そして、殺意。それらの全てが声と視線を通じて私に襲い掛かる。私の喉は再び潰れた。顔を手で覆い、噴き出してきた汗をぬぐう事もしないでただ俯く。

「相応しくない、あの人に」

呼吸が荒くなっていく。息がまともに吸えない、胸が苦しい。

「全て、が、駄目」

肩が掴まれて、青年の顔がすぐ近くまで寄ってくる。整った顔、人形のような、感情のない様な顔。だが今は少し違う。顔は少し上気し、どこか興奮している、そんな印象。

「寄るな、触れるな、聞くな、話すな、贈るな、会うな、見るな、存在するな、呼吸をするな。そのすべてがあの人を汚くする」

そうして彼はまたにっこりを笑った。体温が下がるのをありありと感じながら、私は一つ不思議な感覚を覚えた。
私はこの人を知っている。
なぜか、そんな感じがした。

PiPiPiPi

電子音がどこからか鳴り響いた。それは青年の物のようで、ごそごそと彼は着ていたスーツのポケットを漁っている。この隙に逃げればいいのではないか。頭の片隅に追いやられた冷静な私がそう囁く。でもそんなことは出来そうになかった。情けないことに、私の身体はぐったりと弛緩して、もう限界とばかりに床にへたり込んだ。上がる意気に震える手足、これで逃げられるとは思えない。

「はい、須藤です」

青年が電話に応答する声がコンクリートの壁に反響する。
須藤。
聞こえてきた名前にはどこか聞き覚えがあった。須藤、須藤、どこでだったか。ぼやけた思考はなかなかつながってはくれない。

「ああ、兄さん。……うん、わかってる。……ちゃんと買って帰るから、うん」

お兄さん……?
モヤモヤとしたものが一つに繋がるときの感覚というのはいつ感じても気持ちのいいものだ。それがたとえ、こんなときであっても。

「っ、須藤さんの弟さん!?」

見覚えはあった、そう、何度だって見たことはあったのだ。毎日毎日職場までお兄さんを迎えに来る過保護な弟、今までそんな印象しかもっていなかった。だからここまで気付かなかった、気付けなかったのだ!!
青年は電話を終えたらしい。切れた携帯電話を握りしめたまま、視線だけをこちらに向けて硬直している。
今までごちゃ混ぜになっていた感情が一つの形を持ってこちらに向けられていた。よりにもよって、それは最悪の形で。それを言葉にするなら

殺意。

先ほどまでの逃げるのを諦めていた自分を恨んだ。無理だと分かっていても、そうするべきであったのだ。歩く音がカウントダウンに聞こえる。頸をわし掴んだ手がひどく冷たい。締められていく気道。意識が薄れていくのを感じているのに抵抗なんてめったに出来なくて、ああ、これは、もう、




「ただいま」

がさがさとビニール袋を鳴らしながらマンションの一室の扉をくぐる。返事はない、そこにはきっちり揃えられた革靴が一つ置かれているだけ。
帰ってきてはいる。それはわかっていたから、不安になることはない。
置かれていたものに倣い、自分の靴も脱いだ後隣に並べて置く。取り出したスリッパに足を突っ込んでぺたぺたと歩けば、小さくテレビの音がしていた。時刻は六時を少し回ったところ、きっとニュース番組でも流れていることだろう。よく聞く男性キャスターの声が自然と耳に入ってきた。

「兄さん」

リビングを覗き込むと、そこに目当ての人はいた。やっぱり、というか薄々予想はしていたが、ソファーに体を沈ませて彼は安らかに寝ていた。
自分とはあまり似ていない顔。自分とは違う、清らかさのにじみ出た顔。それを眺めるのが、自分は何よりも好きだった。寝ていても、起きていても、その美しさは何一つ変わらない。どんな時でも輝き続ける愛しい兄。やっぱり自分が行っていることは正しいのだ。その顔を見るたびに改めてそう思う。あんなものがこの人の近くに湧いていることを許してはいけない。手折った残骸の記憶を一つずつ潰しながら、その上から今見ているものを上書きする。
起こしてしまおうか、そろそろ夕飯の準備もあるだろう。いやわざわざそうすることはない、自分が少し我慢すればいいことだ。
ギチリといつの間にか手の甲に突き立てていた爪を抜き取り、ダイニングへ。買って来たものを袋ごと冷蔵庫に押し込め、いったん自分の部屋へ戻った。やることが一つ、あったのだ。
落とさないよう内ポケットに入れておいた鍵を差し込み、回す。
カーテンを閉め切り、電気をつけていかなかったその部屋は真っ暗であった。馴れきった動作でぱちりと明かりをつけると、そこにはぎっちりと

「ただいま、兄さん」

壁一面に貼り付けられた写真、写真、写真。被写体は全て統一されていて、どれも視線が合っていない。隠し撮り、というのが隠すことなく伝わってくる。全て自分で撮ったものだった。証拠に、パソコンを開けば元のデータが山ほど出てくる。
扉を閉め、後ろ手に鍵をかけると、久しぶりに息をしたかのように大きく息をする。ここでしか自分は息が出来ない。この汚泥の中でしか息が出来ない。自分はここで生きて、そして死ぬのだと思う。ここの中でさらに汚いものを集め続け、集めるだけ集めて、それと共に消えてなくなるのだと思う。あの人の所へ行かないように、あの人が綺麗なままでいられるように。それが俺の仕事なのだろう、生きる価値なのだろう。
勝手にそう、思っている。



「騎士気取りの犯罪者」

和泉佐代子(処分済み)
また一つ、綺麗に出来た。

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