あんこうまとめ2


◆四話
私、葉山向陽とは、以前申し上げたこともあ
ったと思うが、面白みに欠けた人間である。
平々凡々、大きな挫折も歓喜も無い生の営み、
凪のような日々を送ってきた。
彼女と出会う少し前であったなら、学業に明
け暮れる中僅かな刺激があったものの、学生
でなくなってからはそれすらも霧散した。
日々先生から託された用事と自らの創作に対
し頭を悩ませる事を交互に繰り返している。
彼女もすっかりそれに慣れ切った様で、時折、
一人で用事を済ませに行くときは、こっそり
離れを抜け出て私に付いてくるようになった
ほどだった。そうでもしない限り、彼女には
退屈な、老いていくだけの日々であった。
そんな彼女との生活に慣れ始めてきたとある
日、私は何時も通り自然に任せるままに起床
し、僅かにぼんやりとした頭でぐるりと辺り
を一周見渡してみせた。
いつもと変わらぬ景色が其処にある。
本棚と、文机と、散乱した原稿用紙と、燭台
と。となりにこんもりとしている布団の山す
ら何時もの通り、と言えるまでになってきて
しまった。
もふもふ、とその小さな山を撫でてやってか
ら、冷たい空気の侵食を最小に留めつつ布団
から抜け出す。
まだ太陽も昇らない朝の五時。起きるのには
中々勇気が要ったが、もう慣れたものだ。立
ちあがり、寝間着を脱いで襯衣を羽織る。冷
え切って皺の伸び切ったその布は撫でるよう
にこの肌の上を滑っていった。その感触すら
もきんと冷え込んで、この身を震わせる。
その上に着物と袴をつければいつもの格好だ。
髪を耳の下で纏めあげてしまえば何時でも外
に出られるようになる。
絹紐の入っている机の引き出しを開くと、前
は一種類だったその色も今では随分と増えた。
未だ眠る彼女が「いつも同じではつまらない」
などと宣って、あれやこれやと増やすのであ
る。
適当に掴み取った細い深緑のそれで髪を束ね
ると、残していく彼女の寝顔に後ろ髪を僅か
に惹かれ乍ら扉の前まで移動し、引き戸を開
いた。
太陽は未だ沈んでいる。薄暗い中母屋の光を
遠くに見つめながら下駄を鳴らして歩いた。
母屋の勝手口の扉を叩くと、その扉はすぐに
開いた。着物に割烹着、そんな恰好をした下
女が私を迎えてくれるのである。
「お早う御座います」
「お早う御座います」
互いにあいさつを交わし、其の儘奥、つまり
は台所を超え居間の方へと進む。
道中、配達された新聞と牛乳を回収し、先生
の部屋の前へ。朝餉前のこの時間、牛乳を飲
みながら新聞を読むのが先生の日課なのであ
る。
先生の部屋は洋室であり、入口には装飾の施
された握り取っ手がついた立派な扉がついて
いた。その木の板を響くように叩き、声をか
けた。
「先生、いつものものをお持ちしました」
「ああ、お入り」
はっきりとした声。この屋敷に住まわせても
らうようになってからもう四、五年が経とう
としているが、先生が寝坊をしているところ
など見た事が無かった。
扉をくぐると、寝間着に身を包んだ先生が寝
台の上で体を起こしている。
絨毯が敷かれ家具も全て西洋風にまとめられ
たこの部屋は、屋敷の中の他の部屋に比べて
異様であった。しかし、既に見慣れ勝手も知
ったもの、物怖じする事は無い。
燻らされた煙草の匂いを嗅ぎながら、私は窓
辺へ近づいた。
「お早う御座います」
「嗚呼、お早う。今日は晴れるのかね?」
「ええ。昨日の天気予報では、そう出ており
ました」
寝台の脇には小さな机が置かれている。その
机の上に新聞と瓶を預けてから、窓を少しだ
け開けた。
白んできた空、空気は澄んでいる。天気予報
の言う通り、屹度今日は晴れるだろう。
「朝餉はいつもの通りに。今日は何かご用命
が?」
「ああ……それは朝餉の時に言うことにする
よ」
あまり日頃聞かない、煮え切らないような返
事だった。その違和感に首をかしげながら、
ざっと部屋周りに目を通す。西洋風の文机の
上は綺麗に整えられて書き損じの一つも無い。
どうやら昨日は何も書かれてはいないようだ
った。きっと、今日は何か書かれることだろ
う。時折、時間を見て掃除に入らなくてはな
らない。しかし、何か用を任されるとなると
それも出来なくなってしまう。
「外に出かける用でしょうか?」
「ああ、そうだね。多分、丸一日はかかるだ
ろう」
掃除は明日に回さなければならないだろうか
……あまり下手に下女に任せると必要な書類
も捨てられるものだから、先生は私以外がこ
の部屋に入るのを余り好まないのである。嬉
しく思う事だが、少し難儀であった。
「さて、そろそろ時間だろうかね」
先生は話を打ち切る様に、少し焦った風でそ
う言った。牛乳を開け、男らしく一気に飲み
干すと新聞にも手を付けず椅子から立ちあが
った。
これからお着替えを為さるのだろう。衣装箱
を開き、襯衣と洋袴を手に取って、寝台の上
に置く。
「それでは、失礼致します」
人の着替えを覗く趣味はない。加えて、私も
朝餉の支度を少しくらいは手伝わなくてはな
らない。頭を下げ、その場から去る。手の中
の荷物が無くなって僅かながら身軽になった
ところで、少し早足気味に先程通り抜けた台
所までの道のりを戻っていった。
戻ると其処に居たのは先程も見かけた下女と、
先生の奥様とお嬢様であった。
「あら、向陽さん。お早う御座います」
「御座います」
「……お早う御座います」
下女のいる家ではあまりない事だが、この家
では奥様もお嬢様も台所に立たれた。特に理
由も無く、それが当たり前とでも言いたそう
な顔をしてお二人とも割烹着をお召しになっ
た。
私の実家にも下女下男がいたために、最初は
それはもう驚いたものだ。しかし時というも
のは酷く万能で、これにももうすっかり慣れ
てしまった。何も言う事は無い。
私は一礼をした後、二人を手伝うべく台所に
立った。
いい匂いがする。
味噌に納豆、焼き魚に卵焼き。朝食の匂いが
する。
既に八割の準備がそこには整っていて、あと
は飯を茶碗に盛り運ぶだけといった様子だっ
た。
先生の部屋にいたのはそんなに長い時間だっ
ただろうか。二人の手際にはいつも首を傾げ
てしまう。いつの間にここまでの支度をした
のだろうか。
「運ぶのをお手伝いいただいていいかしら。
もうすぐ寝坊助たちも起きてくるわ」
「ええ、勿論です」
「私もお手伝いします」
盆に皿を乗せて運ぶだけ。
不器用な私が毎朝手伝える仕事などその程度
だ、細やかなものだ。
居間までの短い道程を歩いていると溜息が出
そうになるが、お嬢様の手前それも出来ない。
お嬢様はいつも通りその長い髪をまとめ上げ、
厚手の、鮮やかな群青色の着物を纏っていた。
何度か見た事のある着物、恐らくはお気に入
りなのだろう。白く入った花びらの柄が目を
引いて綺麗なのだ。
「向陽さん」
唐突にお嬢さんが口を開いた。咄嗟に「はい」
と返事をする。こうしたとき、何も考えられ
ずに頭が真っ白になってしまうのは酷く厄介
だ。
「今日はお暇なの?お父様から何か頼まれ事
があって?」
頭が少しずつ働いてきて、一拍の時間をおい
てから私はその言葉を呑み込んだ。
先生との先程のやり取りを反復するも、正直
に繰り返す。
「いいえ、まだ……朝食の時に言いつける、
と」
「そう、そうなの……」
そう言ったきり、お嬢さんは黙り込んでしま
った。私の答え方が何か癇に障ったのだろう
か、そんな確かめようのない不安を抱えなが
ら、到着した居間。中央の卓袱台に盆から食
器を移した。
「今日の魚は何だね?」
ちょうど全員分の支度が整った頃、新しい声
が投げられた。
先程振りの先生は薄い青色をした襯衣に薄い
色の線が入った洋袴を穿いていた。私の袴よ
りもずっとはいからで動きやすそうだが、少々
寒そうにも見える。
「先生、半纏はいかがです」
「ああ、ありがとう。やはりまだこの時期は
上衣が要るね」
春に差し掛かろうという時期だがまだまだ空
気は冷たいのだ。未だ現役とばかりに働く半
纏を先生に差し出すと、先生は笑みを浮かべ
てそれを受け取り肩にかけた。
影の形が膨れた先生は、もこもことして少し
ばかり可愛らしく見える。
決して口には出せないまでもそんなことを思
いながら席に着くと、一足遅れて坊ちゃんが
姿を現しお嬢さんの隣に腰を下ろした。彼は
家族の中で一番朝に弱く、下手をすれば私が
起こしに向かうまでずっと布団から出られず
にいることもあるほどだ。
「それでは、全員揃ったね?」
下男下女を抜いた、先生一家と私、合計五人。
卓袱台をぐるりと囲んだうえ、それぞれがそ
れぞれ顔を見合わせる。
先生が一声かけると、いつもの習慣に倣って
全員が一斉に白く細い指をした手を合わせた。
「いただきます」
「「いただきます」」
揃って、食事を始める。
暫くは食器を扱う高い音だけが響いた。カチ
ャカチャと、箸が陶器に当たって響く音。消
えていく、皿と器に盛られた朝食たち。時折
交差する互いの視線。
この家の朝食の風景は静かであった。私の実
家も朝食はこれに近い雰囲気であったから、
まだ故郷を懐かしんでいた頃は似た雰囲気に
ほっとしていたことを覚えている。もう数年
前、遠く感じる頃である。
「そうだ、向陽。今日の用事なのだがね」
先生は家族の中でも特に食が進むのが早い。
ほぼ空になった器を持ち直しながら、先生は
口を開いた。





朝食を食べながら一日の予定確認
いつもなら先生の仕事の手伝い
今日は娘さんの買い物の付き添い
洋服店、反物屋などをめぐる
いくつか和服、洋服を仕立てる。
その際向陽にも反物があてられる
辞退する向陽、素敵な柄ですが自分にハイカ
ラなものは似合いません
その夜先生から呼び出し
君もこの手のものを一着は持っていた方がい
いだろう
スーツを一着、シックなデザインのもの
着方は?わかります。じゃあ着てみてくれな
いか
着て見せて、それから帰る
不機嫌そうなアン
早く脱いで頂戴、貴方らしくないわ
そう思う
脱いで衣文賭けにかけて、寝間着になる
横になったところで乗ってくるアンジェリカ
貴方に似合うものを一番知っているのは私よ、
其れだけ覚えておくといいわ


◆幕間
「今」の向陽とアンジェリカ
書いている向陽とそれを後ろで見ているアン
ジェリカ
まだかしら、まだかしら
待っていてくれるといったのはお前だろうに
慰めに既に書きあがっているものを眺めるア
ンジェリカ
振り返ってこら、とたしなめる向陽
あら、あらあらあら。目を丸くするアン
わたし、貴方にはもっと嫌われていたものと
思っていたわ。
こんなに好いていてくれたのね
必死に悟られないようにしていたのね
ああ、なんて可愛い貴方、可愛い貴方。
押し倒してキスの嵐
甘んじて受けつつ目をとろかせる向陽
でもやっぱり、我慢するあなたよりこうやっ
て素直な貴方の方が素敵だわ
つやつやとした唇を舐めとるアン
ほんの少し休んだらまたお書きなさいな、時
間はたっぷりあるんだもの

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◆五話
向陽落ち込み↓浮上
何もないのに落ち込む向陽(情緒不安定)
夜になるとやってくる魔物
ひたひたと背筋を這ってやってくる
心臓を掴んで締め付ける
灰の中に入り込んで酸素の入る隙間をなくす
不安がやってくる
誰かの大丈夫を待っている。
無神経な励ましを、救いを待っている。
そんなものといつも戦ってきた
今夜も其れがやってくる
やってきた不安(描写引用可)
「大丈夫よ」
アンジェリカ
「あなたは、大丈夫よ」
無神経な励ましも救いも、与えられないもの
と思っていた
それは唯の甘えでしかない
自分が子供の儘でいる証でしかない。
諦めと引き換えに捨てなければいけないもの
のはずだ。
然しこの少女は、この女は
「お眠りなさい、あなたはそれでいいのだか
ら」
彼は子供の様に泣いた、そして眠る。
「もう少しだわ」
そういう彼女の呟きは、聞かなかったことに
した。
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◆六話
アンの消失、向陽荒み
向陽がまた落ち込んで、慰めてもらった。
その夜が明けて朝になる。
いつも通りに朝の支度をし、アンを起こそう
とする
隣にアンがいない、鞄も無い
庭に出てみても小さい少女はいない
お嬢さんが迎えに来て朝餉に向かう
うわの空で飯の味も分からない
どこにいったのか皆目見当がつかない
向陽の知るアンジェリカは、向陽が連れ出す
以外はあの部屋の中にいた。
休みをもらって連れ出した場所を回ってみる。
どこにもいない
家に帰ってきてやってくる不安
如何したらいいのかもわからず呆然とする
どうして?愛想をつかされた?
どんなところが悪かった?
悪い所しか見つからない、いい所が見つから
ない、離れられて当然の存在。
葉山向陽は、一人でいるのがふさわしい。
外から戸が叩かれる。
お嬢さんの声、外に出て応対を……
力が抜けて、立てない。
病は気から、とはよく言ったものである。
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◆七話
アンの帰還
離れがたい存在となってしまった自覚

食欲も無く寝込んでいる向陽
あれから何日経っただろう。
奥様やお嬢さんが来てくれる日もあったが、
最近は断っている
アンが帰ってこないか、淡い期待をしている。
どうしようもないと言いながら、僅かな期待
にすがっている
だからどうしようもないというのに。
こうなってからどこもかしこも弱くなった
涙腺が弱くなって、涙があふれる。
自分はこんなに弱い人間だっただろうか
そうだったに違いない
虚勢で硬く強かった皮膚は、すっかり柔らか
くなってしまった。
帰ってきてほしい
それが叶うなら、私は何だってしよう
「何だって……」
「あら、それは本当かしら」
「本当かしら、私の可愛い子」
「本当だとも、お前が帰ってきてくれるなら
私はなんだってするとも」
幻でもいい、問答を繰り返す。
幻は何度も同じ問いを変わった口で問いかけ
る。
「本当?」「何でもしてくれる?」「貴方が?」
「私のために?」
私は何度も同じ言葉を繰り返す。
「本当だとも、お前が帰ってきてくれるなら
私はなんだってするとも」
「なら、一緒に行きましょう」
彼女が笑った。

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◆エピローグ
彼女は言いました。
自分は魔女であると、この世為らざる存在で
あると。
自分はこの世界とは違う時間軸で生きている
と。
彼女は先生方の言う化け物と呼ばれる存在で
ありました。
彼女を先生はお許しにならないでしょう。
また私も、彼女を衆目にさらす事等許さない
でしょう。
よって私は彼女についていくことにしました。
彼女と同じ化け物になることにしました。
人間としての葉山向陽はここで殺して逝くこ
とにします。
以上が葉山向陽の遺書となります
先生への手紙パート2

旅立ち
書き終わり、目頭を押さえながら万年筆を置
く向陽
「あら、書き終わったの?」
喜々として寄ってくるアンジェリカ
「手紙は後で届けさせるわ、貴方が行くわけ
にはいかないもの」
「ああ、そうだな」
どこからか黒い手が手紙を持っていく
「さぁさ、参りましょ」
「ああ、行こうか」
指を鳴らすと衣装チェンジ
黒いドレスと黒いスーツ
緑のブローチと赤のタイ
二つの鞄をそれぞれ持って彼らは行く
「もう二度と離れたりしないわ」



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