選ばれたオフィーリア

「最近あちらに入り浸っているようじゃないか。どういう風の吹き回しだい?」
まっさらな空気をした朝のひと時。薔薇に似た花が視界いっぱいに咲き誇る美しい庭の真ん中。私の隣に立つ長い付き合いをした友人は、呆れたように言った。
彼女は細い指はティーカップの滑らかな肌を撫でる。時折少しいら立っているように爪でかつかつと音を鳴らす。
私はその音を聞きながら、誤魔化すように自分のティーカップから一口紅茶を含んだ。味も香りも一級品、行儀悪く口の端を僅かに舐める。あぁ、美味しい。
「入り浸っている、というのは些か言いすぎでしょう。制作の息抜き、程度のものですよ」
「ふん、どうだか」
目の前にいる私の美しい友人は、どうやら返答に納得はしてくれていないようだった。
ティーカップの音は未だ止まず、止んだかと思えば眉根を寄せて茶請けにと用意されたクッキーを一つ齧った。
「想像力とは豊かなものだよ。貴殿があちらから花の香りをさせて戻った時にはやれ「奇怪な趣味を持っている」だの「創造の君もまだまだお若い」だの、噂が絶えないものだから」
「成程、ここ数日の視線の謎が解けました」
私も一つ、クッキーを摘んだ。丸い形、中心に彩られた真っ赤なジャム。固形物の見当たらない胃の腑にすとん、と落ちる。
「貴殿に自覚があるかどうかは知らないが、もう大分貴方も踏み込んだ位置にいる。あまり浮いた行動は慎まれよ」
「おや……そんな大それたものではないでしょう、私は」
「惚けるのがお上手なことだな」
「いやいや」
クッキーに取られた水分を補うように紅茶を飲めば、カップの中はすっかり干上がってしまった。朝から昼へと移り変わろうという狭間の時間、もう動き出すにはいい頃合いだろう。
カップをソーサーに戻すと、私は席を立った。
「親愛なるクリシス・クリアノット卿。御忠告は有難く頂戴することにしましょう。ただ、私がその御言葉に見合った言動が出来るかどうかには些か自信がありませんが」
「あぁ、そうだろうとも。親愛なるアール卿、創造の君。君はそういう男だとも。私にはそれが残念でならない」
「申し訳ない、それが私の性分なものですから」
「わかっているつもりだとも……それを込みにしても、私は貴殿を気に入っている」
「それはそれは、至極光栄なことです」
椅子を仕舞い、一礼し、此方を見上げる彼女の顔を覗き込む。
「次の時は、何か手土産をお持ちしましょう。貴方の薔薇と共に立てるような、カサブランカを」


*  *  *


この世界では闇が深まれば深まるほど息がしやすくなる。夜が深まるほどに、闇が濃くなるほどに、我々に寄り添うように空気が淀んでいく。下劣で、醜悪で、淫猥で、怠惰で、愚かで、憐れで、片端から瓶に詰めては観賞したくなるような澱。
その最深から僅かに浮くようにして、私はその中心を闊歩する。視線を集めることは承知の上、好奇、値踏み、嫌悪、それらをひとまとめにし、そこから見知ったもののみを選び取っては、その先へ微笑んだ。
派手な下着の商売女。
「こんばんは、アール」
「御機嫌よう、アストランチア」
ボロボロの服を着た酒場の女主人。
「いい夜ね、アール」
「こんばんは、クロッカス」
引く手数多の高級娼婦。
「寄っておいきよ、アール」
「すまないね、ナルキッソス。また今度」
売り時を逃した未亡人。
「アール、お元気かしら」
「やぁ、マリーゴールド。君こそ、息災かね?」
少女から逃れられない女。
「ねぇ、アール。聞いて頂戴!」
「ダリア、ちょっと待っておいで」
狂って見向きもされなくなった歌姫。
「アール……」
「ハイドランジア、もうお水を頂くといい」
どれもこれも何と美しい事。温もり満ちる穏やかな小道の脇では見向きもされない、冷たい月光の差す過酷な夜でこそ輝く女性。
どの女の胸元にも、呼び名にちなんだ花が差してあった。私が目にとめたという証、私が迎えに行くための目印。
だが今日ではない。今日は別の女がいる。
「はぁい、アール」
「こんばんは、ダチュラ」
立ち止まったのは一軒の花屋だった。花屋といっても建物を構えているわけではない。薄汚れたバケツをいくらか集めてきて、乱雑に花を入れてあるだけ。
「今日もお花を買っていってくれるの?」
「そうすると君は喜ぶ」
「それはそうだわ。麗しの人がお金を落としていってくれるんですもの」
泥で汚れた、血の色の薄い手のひら。その手のひらに金貨を三枚ほど握らせて、私は店の先からまたふらりと移動した。
片手に花束を抱えて、まるでこれから何かのパーティーにでも出向くような足取りで。
あながち間違ってはいないのだ。
そのパーティーは墓場で開催されるし、出席者は私と主催の二人だけだけれども。いや、私が主催だったかな?そんなことはどうだっていい事だ。
「君と、私。これだけあればいい。こんばんは、デルフィニウム」
その少女は、並んだ墓石の一つに縋りついて泣いていた。黒い服、黒いヴェール、精一杯のおめかしをして、しくしくしくしく、全てを台無しにしてしまう。
挨拶をした私に一瞥もくれないで、嗚咽を漏らしながら歪な形をした石にしがみついている。
この光景もいじらしくて見ごたえがあってとてもいいのだが、このままではどうにも進まない。少し申し訳なく思うが、彼女には席についてもらうことにした。
ぱちんと指を一つ慣らせば、テーブルにイスにティーセット。クロスは彼女の唇によく似た淡い青紫。
音もなくそこに座らされた彼女は漸く私を視界に入れて、ひゅ、と一つ息をのんだ。
「久しぶりだね……そうだ、契約を交わしてから1025日と23時間56分43秒。随分久しぶりだとも」
ぱきん、と指を鳴らせば空中に取り出した懐中時計。彼女との時間だけを刻んだ特注品。8本の針が縦横無尽に時を刻む。
注いだ紅茶を彼女の前に置いてから、ほぅ、と一つ息を吐く。
私たちと違い、ただの人間は時の流れによく振り回される。たった二年と少し……いや、ほぼ三年で彼女は随分と変った様だ。変わったうえで、またここへと帰ってきた。
「彼とはどうだったのかね。私が君に渡した彼だよ」
今はそこで眠っている様だけれど。
彼女が縋りついていた石の下を指さすと、彼女はびくりと身体を震わせて顔を俯けた。
冷や汗をかき、鼓動を急がせて、顔色をすっかり悪くして……それだけで結果は解りきったようなものだが、まだまだ。
「君は私と約束したはずだ。次に私が現れるときまでに、彼の一番大事なものを手に入れると。その約束のもと私は君に彼を渡したはずだ」
「あ、アール……」
「なんだね?私の可愛いレディ」
彼女がゆっくりと口を開く。震える声をどうにか押さえこんで、顔をゆっくりと持ち上げて涙の幕を張った瞳で私を見る。
「貴方は知っているの?彼の一番大事なものを」
「……どうぞ、続けて?」
「私は三年彼と暮らしたけれど、わからずじまい……貴女は知っていて?その答えを。そして彼は亡くなっているわ。その答えが正解であると、誰が証明してくれるというの?」
ああ、彼女は怯えながらも強くなった、強くなってしまった。怯えていた瞳は、まだ涙を蓄えてはいるのものの一直線に私を射抜き、そのまま一思いに殺してしまおうとしている。確かにその意思を持っている。
なるほど、これが彼女の三年。私から逃れるために彼女が苦し紛れに作り上げた論理。
「あぁ、なんと浅はかなことだろう」
ゲラゲラと笑いが止まらない、大げさに身体を震わせて、机が僅かに振動する。
なんて浅はかだ、愚かだ、幼く、稚拙で、その滑稽さがむしろ愛らしい。
ただ、それ以上に私が侮られていることが不快だ。
「成立しない可能性があるゲームを持ちかけると思われているならとても心外なことだ。勿論私は答えをこの手に握っているし、それを確かめる術もある。デルフィニウム、君の持つ物差しで全てが図れると思ってはいけないよ。私も君も決して全知全能の神というわけではない。私にも君にも、その理解を超えるものが確かに存在する。そして私は偶然にも君の理解の範囲外にいた。それだけのことだ。わかったらその空っぽな頭をさっさとアップデートして煩わしい口を閉じるがいい」
ああ、面白かった。そして心底失望した。
既にゲームの結果は出ている。ならばもうここにいる意味などないのだ。
「では、行こうか。憐れな君。君は何にしてあげようか」
ぱちん、と指を鳴らすのもこれで三度目。
残されたのは一輪の花。僅かに萎れ、最早長くは無いだろう命を一思いにぐしゃりと潰す。はらはらと散った花びらの潔さ、べとりと手のひらに残る花粉の悍ましさ。
ああ、どうしようもないくらい気持ちがいい。
ぞわぞわと這い上がる感覚を飲み下し、譫言の様に呟いた。
「いやはや、どうしましょう、どうしましょう」
ほどほどに、と言われたのに、これではもう中毒の様だ。溺れるなんてとんでもない。私は、この悲劇の連鎖で息をするのだろう。息もつかせぬこの愉悦こそ、私の酸素も同義なのだろう。

「選ばれたオフィーリア」

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