「これでいい」(加々見)

間違っていたのだろうか、俺のやり方は。
雑草の一本すら生えない、石やがらくたが点在する荒野の真ん中の端に一人。
千切れた髪紐が風に流され、ばさりと翡翠の色をした髪が散らばる。所々を黒く染めたその髪は時折不自然な束を作った。目元、口元にかかる邪魔なそれを払う様子すらなく、その人は一人、ただ二本の足で立っていた。
どちゃ、と手で掴んでいたものがすり抜けて地面に落ちる。その地面はなぜか濡れていたらしい。泥が軍服の裾についた気がする。
口角が上がる。口がゆっくりとだらしなく開いていく。
そのまま、空を見上げる。
青い空、なんてものは幻だったのだ。そこには灰色の、今にも落ちてきそうなどんよりとした空が広がる。
喉が震える。乾いた声が漏れだす。あはは、あはははは、耳障りな笑い声が耳の中いっぱいに広がってぎゅうぎゅうになって、
時折塩の味のする液体が口の中に入ってくる。
とにかく喉が渇いて、貪欲にそれすら飲み込んだ。
かくりと膝の力が抜けた。べしゃりと地に膝をつき、少し遠くなった空を見ながら、まだ声がする。
「たい、ちょう……」
笑い声とは違う声がした。それは知った声だった。
くるりと振り返ると、瑠璃色のよく似合った男がボロボロの姿で立っている。その傍らにいる男は、これも知っている男だが、うるんだ瞳をして隣にいる男の裾をつかんでいる。
「一ッ葉、緋乃斗」
立って、軽い足取りで二人のところへ行こうとした。そもそも、上手く立てなかった。立とうとしてもまず膝が持ち上がらない。足元にある岩に張り付いてしまったように、重い。ずりずりと這って移動するのが精いっぱいだ。
「無理をなさらないでください……!」
焦った風に近づいてきた一ッ葉の足にしがみつき、なんとか息をつく。拭った額は脂汗でじっとりと濡れていた。どうやら若干目がいかれているらしい、手のひらが真っ赤に見える。
だがそんなことを気にしてもいられない。
言いたいことがあるのだ、言わなければならないことがあるのだ。興奮からか息がはずみ、体温がぐっと上がる。とんとんと目の前にある足を叩きながら、もつれる舌を動かしながらやっとのことで言葉を紡ぐ。
「なにが、無理なことか。やった、おれは、やったんだ。緋乃斗、あいつはどこへいった?あいつだ、あの、そう、寿々波だ。あいつは?あいつにこそ一番に言ってやらにゃあいかん。どこへ?ひとつば?あいつはどこへいったか」
まぶしいくらいのオレンジ色が頭の中をちらつく。
「姿が見えないじゃ、ないか」
青い目がこちらに笑いかけてくる。
「あんなに、あんなに俺について回っていたじゃないか」
それらのすべてが赤く塗りつぶされて視界いっぱいに広がる。
「ああ、あ、あああ、あああああああああああああ」
再びの、音の洪水。
顔に何かがべったりと付くのも構わずに、俺は掌を顔に当ててガリガリと皮膚に爪を立てた。
肩をつかまれる、揺すられる、諭すような声が耳の中に入ってきては流れていく。
そんなものは知ったことか、行き場のない衝動をどうにかして飛ばしてしまわねば俺はどうなってしまうかわからない。
顔にあった大きな傷、あれに等しいものができることも覚悟の上。だらだらと顔を流れていくものが何なのか、自分のものかそれとも否か。俺を今止めているのは己の部下か、それとも見知らぬ誰かか。今獣と聞き分けも出来ないような声を漏らしているのは先ほど屠った敵兵か、それとも死んでいった味方の断末魔か。
わからないのだ、もう何も。
知りたくもないのだ、もう何も。
出来ることならこのまま、衝動と共に理性も心も命も流れていってしまえばいい。
そして俺でなくなった俺の亡骸を、誰か奴の隣に並べてくれ。
滑稽なことと思うだろうが、こうなってしまった今でも、こうして狂ってしまった今であっても、求める場所は前と全く変わらないのだ。
結局俺が居て一番心地が良かったのは、記憶の薄い母のぬくもりでも、頼もしかった父の背中よりも、慌ただしく時折冷や汗や憤りを感じさせられたあの男の隣だったのだ。
ただそれだけ、ちっぽけなささやかな場所が欲しかった。
一度は手に入れられたものだった。
それをこうして今、手放してしまったことがどうしても許せなかったのだ。
ただ隣にいたかった。
奴が望むだけ、自分が望むだけ、出来るだけ長い間、同じ空気に触れていたかった。
それだけだった。
それなのに、それだけだったというのに。
「ひとつば、ひとつば」
「!?は、はい」
近くにいるはずの部下を呼ぶ。
思った通り近くから返ってきた声はほんの少しだけ震えていて、それが笑いを誘った。
怖かろう、ああ怖かろうとも。
それが正しいのだろう、常にまっすぐなお前の事、きっと間違いではないのだろう。
「お前は間違えるなよ」
顔から手を外す。よくよく見たら何本かがおかしな方向に曲がっていた。
ちらりと目線を一ッ葉に移せば、どこか瞳の温度を下げた、絶望したような、というのが正しいような目でこちらを見ていた。
「狙撃と同じだ。距離を見計らえ、一撃で仕留めろ。外した後のことは考えなくていい、そんなことを考えているから大変なことになる」
この言葉の意味を目の前の彼は理解しているだろうか。一言一言言葉を吐くたび、ふるふると泣きそうな顔を振っては俺の体を押さえる。
瑠璃の髪がどんどんと黒々と染まっていっている。
ほら、ちゃんと聞いておけよ。俺もだんだん話しづらくなってきたんだから。
「もう、もうやめてください。御体に障ります。やめて、お願いですから」
そんな制止を聞くたびケラケラと俺は笑ってやるのだ。止めてなんかやらない、ひたすら口の中で舌を回し続ける。
「緋乃斗」
もう一人いたはずの部下は、少し遠くの方から俺と一ッ葉を眺めていた。
怖がりだものな、お前は。これもこれで正しい反応だ。
だが俺はそれをあえて呼びつけるように手招きをする。
「おいで、緋乃斗。そんなところじゃあ俺みたいになっちまう」
びくりとひとつ大きく震えて、ついに緋乃斗は泣き出した。
もうこの状況、何が何だかわからない。
わからなくていいのだ。わからないこの状況が、さらにドロドロと俺の頭の中を溶かしていく。この現実から俺を逃がしてくれる。
これでいいのだ。
これでいいのだとも。

  *  *  *

「綺麗に壊れてくれたかえ?あの子は」
「完膚なきまで一切合切、跡形残さず跡を汚さず。完璧に仕上がってございますとも。流石に優秀な軍人様でございました。強くて弱いお人、硬いが脆い。突けば破れるとまでは申しませんが、折ろうとするのならば簡単に」
月明かりのみをその身に浴びて、二人の人間はそこにいた。
煙管の甘い香りがそこいら一帯に満ち満ちて、男女の逢瀬のような雰囲気を醸す。
だが二人の話の内容はそんな甘いものではない。
知る者が聞けばひどく危うい、そんな内容。そんな内容を彼らは、誰が通りかかるかもわからない城壁の上という場所で話していた。
それも軽く、まるで世間話でもするかのような声色で。
「ああ楽しみだ事、わっちの可愛い手負いの雲雀。早うこの手で癒してやらねば」
片方の男は菫の浴衣を身にまとい、その首元や肩を色気と共にさらしながら恍惚の表情で呟いた。
片割れの男はまとった服の首元を上まできっちりと締め、顔こそ穏やかであるものの利き手の手袋をぎちりときつく引いた。この行動が何を示すものかはわかりかねるが、どうやらなにやら、面白いものではないらしい。
「今は当然のこと、中将閣下のもとに身を置いていらっしゃるご様子。貴方様でもそこから連れ出すことは難しゅうございましょうに」
「なぁに、心配など必要なかろうて。雲雀の相手をするのは雲雀と決まっておるものを」
煙がまた一つ吐かれた。
彼らの言葉はその煙のように空気に溶け、あるはずの形を亡くしてしまう。
それを今更知ることなどできないし、誰もそんな事をしようとも思わない。
可愛い雲雀、そう称されたかの物は、今柔らかなベッドで眠っている。一番欲しいものを永遠に失くしてしまったこの世界で、牢獄のようなこの場所で、息苦しくなるような寵愛を欲しながら。



藤憑・伊達さん宅寿々波くんとのうちよそ作品です。殺してごめんなさい……

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