good bye gift willkommen gift (リシア&ユーディア)

その彼女は唐突に私の店へとやってきた。
すっかりと日が落ちて、愉快な笑い声を響かせる月が世界を綺麗な青緑色に染める夜。黒色の外套でその色彩を保ちながら、彼女は私の店の扉を叩き、そして私が応える間もなく開く。

「私が開くのがマナーでは?せっかちはいけませんよ、レディ」

「失礼は承知の上ですわ、ジェントル。今だけお許しくださいな」

扉を閉め、指先一振りで錠を下ろす。店主に許可を求めずにそれもどうなのか、とも思ったが、それには目を瞑ることにした。こうなればマナー違反の一つや二つ等大差ない事であったし、そうしたところで此方が何か不利益を被ることもない。下ろした錠で有象無象に等しい客の数人を逃すことよりも、彼女との商談に水を差されることの方がよっぽど大事であった。
彼女の名前はターニャ・カトパレスタ。メンダシウムに存在するオークションの中で一等大きなものをその細腕に抱え込むオークショニアである。私もセラーとしてバイヤーとして時折世話になる身。親しくしていて損がない、寧ろ益すら生む相手。幾らかの優遇はして当然というものだろう。

「こちらへ……紅茶を淹れましょう。外は寒かったでしょうから」

応接用のソファーへと案内し、今度は私の方が指先を一振り。テーブルの上に現れたティーセットは既に準備万端整えた状態で、私たちがその身に唇を触れさせるのを今か今かと待っている。自ら手間暇をかけて淹れる紅茶も悪くない、寧ろ時間が許してくれるなら私はそうすることを好んだ。しかし急を要したその時に便利なそれを使わないというのもまたどうなのかという話だ。その都度空気を読みながら、適材適所の使い分け。それが出来てこそのいい暮らしだ。

「お気遣い嬉しいわ。ねずみの通る様な裏道は日が差さないものだから……如何にも凍えてしまいそうでしたのよ」

その言葉とは裏腹に、彼女はその身を包んでいた外套をするりと脱いで何処かへと仕舞いこんでしまった。何処へ、などときりの無いことは考えるまい。何処かと言えば何処かだ。今は目の前の彼女に集中する。
青みがかった艶めく黒の髪。深い海にも似た青色の瞳。日を浴びたことがあるのかと疑いたくなるような白い肌。豊満でありながらも引き締まったその肢体には品のいい青のドレスがひたりとはりついて、その煽る様な体型をここぞとばかりに強調する。胸元に巡らせたコルセットピアスだってそうだ。濃い色をしたリボンはその肌の上ではこれでもかと映えて、いかにも見てくれと言っている様だ。非の打ち所の無い容姿に勘違いを促す服装。それに経営の手腕も合わされば正しく完璧な女。それだけならば私も仕事用の外面で一分の隙なく対応できたものなのだが。

「でも構いませんわ、貴方様が温めてくださるのなら。……どんな方にもこんなに甲斐甲斐しくなさるの?」

「いいえ、貴女だけですよ……などと言わないことは既にお判りでしょう。その戯れはいい加減おやめなさいと再三申し上げておりますが?カトパレスタ卿」

「ターニャ、とお呼びくださいな。私も同じように申し上げておりますわ、アール卿。それに戯れなどと……酷い御方。レディの並々ならぬ想いをそのように一言で切り捨ててしまうなんて、それこそこの上ない失礼に当たるのではなくて?紳士な貴方」

「戯れと置いておくことこそ貴女への最大の心遣いである、と気付いていただきたいものです。えぇ、そうですとも。私以上の紳士など貴女の周りにはおりますまい」

小気味のいいテンポで交わされる言葉が私の頭に鈍い痛みをもたらした。彼女とは初めて会った時から、会うたびにこの調子だ。どの様な思惑からかは知らないが、戯れが過ぎるとはこのことだろう。

「さて、このような茶番を演じるためにここにいらしたのであれば……私は貴女の掛けた

錠前を溶かしてこようと思うのですが如何です?」
今顔を合わせているこの応接スペースからは入口の扉の様子を辛うじて確認することが出来た。普段は唯そこにあるだけの扉であるが、目を凝らしてみると床からドアノブの上の部分まで、びっしりと光る何かで覆われていることがわかる。きらきらと光るそれは氷、否、もっと硬質な何かの結晶であるようだった。結晶の魔女、そう異名を冠した彼女の魔力の塊。
さて、どういたしましょう。
そんな言葉を視線に載せて彼女へ向ければ、形のいい唇から艶やかさを含んだ吐息が漏れた。頬に手を当て、伏せた瞳に憂いを帯びさせて……ポーズとしては最高だ、絵になりすぎて描くことなどできないほどに。

「いつもと同じ、冷たいお方……いいでしょう、構いませんわ。まだそれを溶かす狐も現れていないようですし」

紅茶を一口、それを区切りとして漸く本題へと入れるようなので、私も彼女の対面に腰を下ろす。まるでパチンとスイッチを切り替えたように、今までの柔らかい雰囲気はどこへやら、硬質で色も温度も無くした空気が辺りを包む。

「時にアール卿?貴方は妖精という生物について如何お考えかしら」

「妖精、ですか」

妖精。このメンダシウムに存在する魔法力を持った生物種のうちの一つ。知能が高く、ある程度の個体数が集まって村の様な集落を形成することが知られている。大きさは成体でヒトの子供ほどで、構造もヒトに近いと言われている。しかし妖精の中でも細かい種族の差があり、羽の有無、耳の形などの差異があるらしい。長命であるが繁殖が難しく、また歴史の上では魔法力の高さが故に乱獲の被害にあったという記述もありその個体数は少ない。魔女、魔法使いの間でも保護の推奨、またどんな理由であっても捕獲が制限されているほどだ。
そんな生物に対して、どう考えているか、とは。

「特に何も思うことはありません。珍しいだけあって、未だまともに見た経験も乏しいですし……遠い、というのが正しいのでしょう。手の届かない者についていくら考えようと、私がすり減るだけで益はない」

当たり障りのない意見だと思う、正直に言ってしまえばつまらない、しかしこれもこれで正直な気持ちなのだから仕方がない。あまり見た事の無い稀少な生物、私にとって妖精とはそれだけだ。だからこそ、僅かに期待をする。
私の言葉を聞き終えると、彼女は口元に手を当てて、しかし目元はあからさまに歪めて、くすくすと笑った。慎まやかでいて、露骨で下品。気持ちのいいものかと聞かれれば首を傾げる代物だが、彼女のそれは何だかよく似合っていて綺麗だった。

「成程、貴方に聞くとそうお答えになるのね。結構ですわ、ならば聞き方を変えればいいだけですもの。えぇ、そうですわ。アール卿、『創造の名を冠した』貴方。妖精という素材に興味はおありかしら?」

「勿論」

即答する、そこに思案も何も合ったものではない。そんなものは無粋だ。ほぼ反射、脊髄からの言葉が声帯を震わせた。人々を狩りの衝動で染めあげる程に上質な素材。個体数の少ないそれは、裏ルートで出回ることが稀にある。オークションの舞台に上がればバイヤーたちは熱狂し、面白い程に入札額の桁が増えていく。恐ろしい程に需要が高く、供給が少ない。その理由としては、まずその魔法力。量が多いだけでなく質もいいそれは、組み込むだけで魔具のランクを、どんなガラクタであっても2〜3は引き上げると言われている。魔女魔法使いは持っている魔具がステータス、特に魔具職人にとっては制作した魔具のランクがステータスになる。簡単にステータスが上がる魔法の素材があるのならそれに縋りたいと思うのは当然のことだろう。だがしかしその高すぎる需要とはうってかわって、妖精を素材とした魔具の流通量は思うよりもずっと少ない。それは個体数の少なさ、供給の少なさを考えても納得のいくものではなかった。それが需要高騰の第二の理由、加工の難易度の高さである。妖精という存在はまだまだ謎に満ちており、全てが解明されているというわけではない。残された謎の中で一番大きな謎とされているのが残存魔力問題である。
生物は基本的に身体に自然から吸い上げた魔法力を保有している。その魔法力を身体に循環させることで心身のバランスを整え、またコントロールし集中、変質させることでヒトは魔法を行使する。もしその生物が死亡した場合、その魔法力はゆっくりと空気中に漏れ出していくわけだが、その速度は実に緩やかだ。魔具職人が生物を素材とする場合、魔法でその魔法力の流失を抑えながらその死骸を加工し、魔法力を閉じ込めた状態でさらに新たな術式を付与、魔具として使える状態にする。
しかし、妖精の場合はこの手順を使うことが出来なかった。妖精は死亡と同時に体内に存在する魔法力の全てが消失する。魔法力がなければその死骸に術式と留めておくことが出来ず、魔具としては到底使えない、魔具と呼ぶことすらおこがましいような品物しか出来ない。そのため、妖精を魔具として加工するのならばその素材を「生体」として保ったまま全ての加工を終える必要があった。そしてその必要を満たすためにはそれなりの、それなりと一言で伏せるにはどうにも意識が遠くなるような技術が必要だった。また、その技術を培おうにも練習のために無駄にできる妖精の個体も存在しない。
よって、妖精素材の魔具はどんな出来であれ、魔具として成立していさえすれば奇跡とされ、素体と同じく驚くほどの高値で取引される。
そんな、とんでもなく貴重でどうしようもなく扱いの難しい、素材。
興味があるかと聞かれればあるに決まっている。好き勝手いじくりまわしたい素材の上位に名を連ねるほどだ。
ああ、期待が高まる。

「素直でとてもよろしいことですわ。いいお話がありますの」

口を湿らせるためか、彼女は徐に一口紅茶を含む。ゆるりと足を組めば暗い色のドレスのスリットから肌の色が覗くのだが、そうした挑発も今は無意味だ。視線をもって、私は話の続きを促した。
彼女は至極楽しそうに笑って、話を続けた。

「先日、私の城に妖精の個体を持ち込んだセラーがおりました。生体で完全体、出品されれば買い手が群がること間違いなしの良質個体……値段も私の様な若輩者では読めないような、過ぎるほどに素晴らしい品でありました。ですが、今回はオークショニアの権限を持って保護しましたの……なぜか、お分かりになって?」

「…………保護した、というのが肝なのでしょう」

「えぇ、そう。そのセラー、クリアノット卿に首を落とされましたの」

クリアノット卿。メンダシウムに存在する唯一にして最大の法の番人にして、欠席不可のパーティーホールのホスト。無法にすら見えるこの世界で彼女に断罪されるなど、何をやらかしたのやら……もう知る術などないのだが。

「そうなってしまえばもう品物は曰くつき、そのまま競売にかけたとしても此方が目を付けられましょう?それはこちらも避けたい所、しかし折角の個体ですもの、それならば……」

「元から、なかったことに

「あぁ、素敵だわ。こんなにスマートに通じ合うやりとりが余所にありまして?」

彼女の指先が音を鳴らす。パキン、という高い音が響くとともに現れたのは大きな魔力結晶。光を反射し時折眩しいその中心には、小さなヒトの形をした何かの影が二つ、閉じ込められていた。目を閉じて、眠るように……死んでしまっているのではと思われてもおかしくないその様。まぁ、彼女がその様な失態を犯すわけもないのだが。

「溶かせば目も覚めましょう。素体は二体、これからする依頼の材料として提供いたします」

この言葉に口元が歪むのが止められなかった。咄嗟に口元に手を当てて隠すが、そんなことをしても無駄だ。仕草で全て悟ったのか、彼女が小さく、隠さなくてもよろしいのに、というのを聞いた。そう言われたとしても、素を見せれば危ない世界であり、商人としても未熟としか言いようがない。隠して当然の恥だろう。

「これを使って、あるものを作っていただきたいのです。貴方にとっても話少ない条件だと思いますわ。説明させていただいてもよろしくて?」

ああいいでしょうとも、そうしましょうとも。否を唱えることなく微笑みながら話の続きを促す。
私の笑みを見て彼女が取り出したのは一枚の羊皮紙だった。契約書、と題打たれたそれは書式から何から大分古風であったが風情があった。インクの香り、紙の独特の色と風合い、触れたときの感触。そうした部分から感じるほんの少しのノスタルジーは私の好むところで、そこに彼女の商人としての確かさを感じた。
どこからこんなに私の好むものをリサーチしてきたことか。最初の一手で既に陥落間近、どんな条件だろうと承諾してしまいそうなのに、追い打ちをかけてくるのはどうか止めていただきたい。

「こちらが、私が現時点考えている契約の条項ですわ」


契約書
創造の魔法使いアール卿(以下、創造の君)と結晶の魔女ターニャ・カトパレスタ卿(以下、結晶の君)は以下の条件のもと契約を結ぶこととする。
一、創造の君は使い魔を製造し、結晶の君へ契約権を譲渡すること。
二、結晶の君は創造の君が使い魔を製造するために使用する材料、費用を負担すること。
三、結晶の君は契約締結の証として、二体の妖精を製造する使い魔の素体として創造の君に譲渡すること。
四、創造の君は与えられた素体、材料をもって使い魔の製造に成功した際、その成功個体数を基準として結晶の君より報酬を得ること。
五、創造の君は使い魔製造の際全ての素体において望まれた成果が出せなかった場合、その製造にかかった費用(材料調達のためのそれも含むこと)の半分を負担すること。


「……私にとって好条件が過ぎる気がするのですが、本当にこの内容でいいんですか?」

「あら、そんなことを仰るなんて……お人よしと嗤われたって仕方ありませんわ。そちらこそよろしいの?」

まったくもって彼女の言う通りである。本来ならばこんな忠告をしてやることなんてないし、なんなら実際嗤って早々にサインをすることだってある。隙を見せた方が悪いのだ、慈悲なんてものは皆親の腹に置いてくる……どころかその親さえ持ち合わせない世界だ。
身包み剥がれてのたれ死んだ憐れな私が彼女の瞳の奥に透けて見えるようである。だがしかし、この場ではこれが私なりの最適解だ。

「この際なので腹を割りますが……貴女はビジネスパートナーとしてはとても魅力的だ。是非この先もお付き合いしたいと思えるほどに。その様な方をわざわざ唆されたからと言って鴨のように扱いはしません。ヒトへの扱いは自分に跳ね返ります。商売人の貴方ならお判りでしょう、対等な相手こそ一番信用に足りる事が」

「ええ、ええ、いいでしょう。とても素敵なお考えだわ。……でも条件はこのままで。私は貴方の技術にここまで出してもいい、それに後悔はありませんわ。これでやっと、対等ですの。過小評価は改めなさい、創造の貴方」

過大も過小もしているつもりは毛頭ないのだが……彼女の中にある私への評価の高さは一体何なのだろうか。嫌ではないのだがどうも少し不可解で、呆気に取られていたその隙に彼女は流れるような手つきをもってサインを終えた。もう一度確認するが過ぎるほどの好条件、私が断る理由はなくなってしまった。

「貴女は不思議な女性だ。こんな契約、破格が過ぎますよ」

「そんなことはありませんわ。この商談だって、私にとっては益の一つですもの」

*  *  *

材料を閉じ込めた結晶、妖精に関する古書の山、そして自分。
作業場と決めて作り込んだ工房の中にあるのは、現時点その三つだけだった。今はそれ以外必要がない、寧ろ邪魔になる可能性すらある。いつもならば目に見える、手を伸ばせばすぐに届く場所に整然と並べられている工具たちには一旦退場してもらった。集中したかった。
材料が限られた製造において大事なのは作業手順を丁寧に思考し、整えてやることだ。普段の自分のように好奇心に全て委ねて弄ぶように手を加える手法の方が好ましく思う所なのだが、今回ばかりはその手法はとれない。
限られた貴重な素材、次にお目にかかるのはいつかもわからないほど、それも初めて触れるもの。衝動に任せて突き進むのでは芸がないし無作法というものだ。出来うる限り丁寧に、出来うる限り慎重に、出来うる限り好みにしみ込ませるように、尚且つほんの少しだけ大胆に。一体目が特に大事だ。上手く行こうが失敗しようが経験が積める、それを基にすれば二体目は少しくらいは遊べるだろう。愉しむための下準備は重要だ、焦らされた分だけ昂りも大きくなる。
まずは以前から収集していた妖精に関する書物を引っ張り出して目を通した。勿論全て既に一度読んでいるものだったが念には念を。頭の中に残っている知識が勝手に変わってやしないか確かめた。確かめたら、そこからどう完成品までアプローチするかを思案する。妖精の加工は数こそ少ないものの例がないわけではない。寧ろ数が少ないからこそ、この奇跡を自慢しようと成功者たちはその軌跡を書にして残した。あれやこれや、加工の手順は様々出てきた。そこから共通するものを必須手順候補として抜粋し、要素として並べ、一つの流れとしてまとめていく。ここまでには何の苦もない、私でなくてもいい程に楽な作業。出来上がった流れをそこそこの魔法使いが数回実験すれば、何れは先人たちが作ったような物が出来上がることだろう。それだけであったなら、素材の稀少性と天秤にかけたとしたって受ける事は無かっただろう。私が承諾の理由とした問題が一つ。それは出来上がった魔具の仕上がりの問題であった。書には大概完成品のスケッチ、若しくは写真が添付されているのだが、そのどれもが悪趣味を体現したような代物だった。具体的に言うならば、どんな形状のものを作ったとしても、その何処かに素体となった妖精のパーツが生えているのである。手や足ならまだマシというもので、頭であったならもう目も当てられない。すっかり淀んで輝きも何も無くなった眼球、開いたままの口からは下の肉がだらりと垂れる、涙腺からはどんな作用かはわからないが魔法力を多大に含んだ血が涙の代わりに溢れる、意味のないただの音となり果てた声もまた一種の呪いとして聞く者に牙をむいた。今回は魔具ではなく使い魔だが、そんなグロテスクで見苦しいものを成果として渡すなどという無様な事は出来ない。相手が彼女であるならば尚更だし、望まれていないことだってわかりきっている。それならば、今目の前にまとまったこのアプローチを使う事は出来なかった。これにあるのは反面教師の具体例、というほんのわずかな価値だけだ。出来上がった反面教師をデスクに貼り付け、もう用済みとなった古書の山は片付けて、さらに殺風景になった部屋で改めて考える。
妖精の加工は難しい、何故難しい、根本から考える、何故難しい、生体を保つ必要がある、何故生体を保つ、死骸では魔力が消えてしまう、何故消える、わからない、わからない、わからない、思考を戻す、何故生体である必要がある、生体でないと魔力がない、なら生体とは何だ、生体とは、生体と死骸の違いとは、違い、他の魔法生物の構造と妖精の構造の差とは、妖精はヒトと近い、ならばヒトの構造とは、ヒトと他の生物との違いとは、ならば、ならば、ならば…………
考え事をしていると時間の経過を忘れる。どれほど時間をかけたかわからない思考の結果を適当な紙に書きつけて、一旦工房の外へと出た。いくらでも続けられそうだと思いかけた思案の時間だったが、ヒトの根本的な欲求にはどうやら変わらなかったようだ。空っぽの胃袋は音を鳴らして主張を始め、脳内は飢えで満ちていた。その欲求に引っ張られるように足は自然と厨房へと向いている。一人暮らしゆえに大した設備はないものの、こういう事態のために手軽に食べられる食材は切らさないようにしていた。あとはそこから気分に合わせて物を掴み取るのみ。貯蔵庫を開けた今日の私の目についたのはパンと、瓶詰された苺のジャムであった。丁度いい。手に取ったパンを適度な大きさに割り、そこにジャムを瓶から直接ボトリと落とす。行儀が悪いことは重々承知しているが、今は緊急事態、そして見ている者もいない。赤くきらきら光る粘度のある液体、僅かに黒ずんだ苺の果肉。甘くて酸っぱい匂いがいい。かぶりと一口、大口開けて噛みつけばどろりとして口の中に絡む。味は匂いのまま、期待通り。もぐ、もぐ、と食べ進めながら来た道を帰る。食べ歩き、これもまた行儀が悪い。彼女にマナーなどと言えた口ではないな。古い友人はこんな私を見ていうことだろう。「貴殿は大人なのにこどものようだ」と。想像するだけで笑えてくる。
工房まで帰ってきたら漸くお待ちかねの作業の準備をする。仕舞いこんでいた道具を取り出し、デスクに姿を変えていた作業台を元に戻す。作業台の中央には彼女から預かった結晶を置いた、今回の主役なのだから当然の扱いだ。透明感のある藍色の結晶。背丈は地面から私の胸の位置まで、彼女の収集している結晶の中ではきっと小さい部類に入るのだろう。目を凝らすようにしてその中を覗けば小さなヒトのような影が二つ。身を寄せ合い、丸まるように、安らかな顔をして目を閉じている。さてこちらも好奇心が限界だ、気の毒だがそろそろ起きてもらわなければならない。もう十分眠る事は出来ただろう。パンの最後の一欠けらを口に放り込んで、結晶に手を当てる。譲ってくれた彼女か、譲られた私か。どちらかの魔力が流されれば融ける仕組みであったらしいこの塊は、30秒も堪えられずにさらりと溶けてしまった。作業台の上に残されたのは、ちっぽけな妖精が二匹だけ。

「初めまして」

私が声を掛ければ二対の目が揃って私を映した。どちらも綺麗な色をしている。出来る事ならそのままの色を残せればいいと思うが……どうなることやら。

「これから貴方たちをあちこち弄ります。手荒なこともしますが、どうか大人しくしていてください。加減を誤ってうっかり壊してしまった……なんて笑えもしないので」

こちらの言葉を理解できる知能があるかはわからなかった、これも一種の実験だ。が、言葉の節々に怯えに似た反応を見せる所を見ると、どうやら知能はそれなりにあるらしい。言語も通じるようだ。新しい発見はいつだって嬉しい、これからの工程に一切使えないだろうことはさておいて。
話しているうちに口の端が甘くべたついているのを感じて、手を出すのも面倒になって舐めてしまった。

「ご安心を。死にたくなるほど痛いでしょうが、死にませんので。死んでも生きていてもらいますので」

それが涙をポロリと流した。涙の膜の内側に引っ込んだ赤い瞳が先程のジャムの様で、少しお腹が空いた。それ以上に、これからの期待で胸が満たされていた。

*  *  *

依頼は当初の予定よりもほんの少し早く進んでいた。理由としては好奇心。本来ならこの依頼に並行して息抜きがてら他の依頼を少しは受けようと思っていたのだが、思いのほかその余裕がなかった。魅力的過ぎる内容につい没頭してしまっていたのである。最低限の食事、就寝を除いて私は常に工房にいた。おかげで工房以外の部屋にはすっかり埃が溜まってしまっていて、成果報告のため依頼人を招こうにもまず掃除からしなくてはならない始末。なんて笑える事態だこと。
そんな波乱万丈を乗り越えた上で、私と彼女、マイスターと依頼人二人、またこうして揃って顔を突き合わせている。
二人の中央には私のここ最近の時間を全て奪ってくれたものを詰めた箱。あの人すっかり変わらない応接用ソファーに座って。

「お早い完成ですこと……御手紙を頂戴した時は驚きましたわ」

「私も驚きました。つい子供のように没頭してしまいまして」

「一瞬疑いもしましたのよ、もしかしたら早々に失敗してしまったのではないかと」

「その心配も当然でしょう。何分知らない素材、どんなイレギュラーが起こってもおかしくありません」

「しかしこうして呼んでいただけたんですもの……期待してもよろしくて?」

「焦らずに。結果などすぐにわかることですよ」

私が求めたものと、彼女が期待するもの。それが果たして一緒の像を結んでいるのかはわからない。裏切られるかもしれない、落胆を強いられるかもしれない。しかし依頼人である彼女が答え合わせを求めているというならば私がそれに唯々諾々と従わない通りはなかった。
手元に羊皮紙を二束顕現し、一つを彼女へ、一つを私へ。彼女は一瞬驚いたように目を丸くしたが、次の瞬間には全て納得したように笑んだ。スマートに進むやりとりの何と心地いいことか。

「披露の前に説明を。まず材料ですが、適宜確認していただいたためご存知かと思います。素体として妖精の完全生体を二体。そして其の二体にそれぞれ一つずつ、二種類の鉱石を用意しました」

使い魔の定義とは酷くシンプルなものであった。魔法使い、もしくは魔女と従属契約を結んだ魔法生物のことである。それ以外の条件はなく、契約の方法にも決まりはなく、解釈が広すぎるおかげで様々な手法が時々の流行りに合わせて横行する。定義をそのまま嵌めるのであれば、今回私の行った工程はなにも必要ではなかった。使い魔にしたい素体に対し、一番手っ取り早くなるなら主人のDNAでも取り込ませればすぐに終わる。ではなぜ私の様な者が間に挟まりわざわざ手を加えるのかと言えば、その契約に更なる欲を上塗りするからだ。そこにオリジナリティを求めるからだ。自分という存在を誇示しようとするからだ。見栄を張るためだ。自分のものだと見る者全てに知らしめるためだ。あからさまで恥ずかしくて浅ましくてありふれて、至極当然の欲望が存在するからだ。他に何か思惑があったとしても、彼女も少なからずその当然の欲をもって私に自分仕様を望んだ。唯一にして絶対、自分だけの至高の使い魔を望んだ。素体の件といい、随分と注文の難易度が高いと思ったが、その分自分の中にある熱が高まるのを感じていた。この使い魔は彼女の所有物であり私の作品だ。私も勿論ヒトであるがゆえに、いくら理性で蓋をして覆い隠そうと欲望はある。あぁ、やってみせるとも。応えてみせようとも。そう思ってしまった。そのため、彼女に応えるために選び取った追加素材というのが、二種類の拳サイズの鉱石であった。
リチア電気石にユーディアライト。場所さえ知っていれば入手は難しくない鉱石。どこにでもあるような普遍の品。そのまま使えば二流三流ガラクタ同然。これをどう下準備するのか、というお話。
自然物はそれぞれある程度魔力に対する許容量が決まっているものだ。例えば今回選んだ石なら私が全力で30分ほど魔力を注いでも耐えるだろう。普通は許容量を超えれば中側からの圧力に耐えきれずに外側が爆発四散、漏れた魔力が変質していればあわや災害。そんなレベルの被害を生む。しかし極稀に許容量を超える魔力を一気に注がれると限界を超える前に変質し器が回路化するものがある。今回用いたのはその極稀の産物であった。勿論そんなものがそこら辺の市場で手に入るわけもなく、そこも手作りである。原石に魔力を注ぐ、という作業を何日こなしたか、今はもう考えたくない。しかしこの作業のおかげでそこらへんに転がっているありふれた鉱石が一種の魔具だ。魔具入りの使い魔なんて贅沢だ。

「私の手法ではこの功績の中に素体を丸々組み入れます。勿論体積が合いませんから、その際は素体を死なないギリギリまでエネルギー圧縮します。肉体というものは残らず、そうですね……私の掌に乗るくらいの球体になります。なりますというか、します」

「死なないギリギリ」

「死んだら恐らくエネルギー体自体が消えますので、ギリギリです」

三大欲求の全てを投げ出して私が到達した考えがこれであった。死ねば魔力が消えるヒトや妖精、死んでも死骸に魔力が残存する他の生物。解剖でもしない限り確かなことは言えないが、恐らく妖精やヒトはほぼ等しい身体の構造をしている。
脳、脊髄、心臓、肺、胃、腸、そして魔力炉。自然魔力を取り込んでいるのではなく、自ら魔力を生産し補うシステム。システムが止まれば魔力の生成が止まり、流失の流れに任せて魔力が無くなるのは道理。そして魔力炉、そしてそれを循環する回路があるのなら妖精も我々と同じく学びさえすれば魔法の行使が可能。そこまでの仮説が立ったときは興奮で頭がどうにかなりそうであった。鉱石をわざわざ魔具化してから核にしたのも、その鉱石を使うことで身一つで魔法を使える利便、優位性を考えてのことである。
仮説が間違っていたとしても今後の観察対象としての価値は十分すぎる。

「圧縮した素体を、核にする鉱石の中に無理矢理入れます。すると入れなかった分のエネルギーが溢れますので、外側からヒトの形を取るようにサポートしながら捏ねあげます。この時全体を隙間なく、突き破られない程度の量の魔力で包まないとすぐエネルギーに押し負けてヒト型とは到底言えないものになりますので注意を」

「それを知っているという事はそうなったということ?」

「なりかけた、ということです。勿論リハーサルは行いましたし、私の特化魔法はこういうことのためにありますので」

ポンポン、と腰のポーチを叩けば工具たちが硬い音を立てる。その響きの何と頼もしいこと。この会合が終わったら磨いてやらなくては。

「そんなに丁寧に説明してくださるけど……私が聞いてしまっていいものなのかしら?」

「私の特化魔法が便利だった、というだけで、他の魔具師が挑戦すれば十中十一は失敗する様な事をやっています。練習用の素体なんて簡単に手に入らないでしょうし、恐らくですがしばらくは私だけの技術でしょうね」

何も問題はない。この情報は貴女にとってそれほど旨味のあるものではない。吹聴して私との関係を崩してまで得たいほどの益はないでしょう。言外にそう言えば彼女は成程、と頷いた。そうでしょうとも、かしこい貴女。ビジネスにおいてこれほどまでに理想的な相手はいない。恵まれたものだ。

「長々と説明しましたが結局のところ百聞は一見に如かずと申します。そろそろ実物をご覧いただきたいのですがいかがでしょう?」

そう切り出せば彼女が否というわけもなく、それならばと私は準備のために場を整えた。
テーブルの天板を指先で叩けば机が消え、掌を合わせれば床が盛り上がり我々の間に空間が出来る。空間の中央には例の箱。呪文を一つ唱えれば内側から封じられていた魔力が溢れ出し、指を鳴らせば閉じ込める壁すら消え失せた。

「あら……あらあら、まぁまぁ!」

向かい側の彼女は品物に感嘆の声をあげる。品物は閉じ込められていたため久方ぶりに浴びる光が煩わしいのか、目を細めたり手で日よけを作ったりしていた。まるでヒトのような仕草である。

「此方がご依頼の品です。妖精素体、ヒト型の使い魔。貴女に似合いの極上品」

それらは少女の姿をしていた。
黒曜の髪、柘榴石の目、乳白の肌。
大地と蜂蜜の髪、梅紫の目、白百合の肌。
それぞれに美を宿らせておきながら重なり濁ることもなく、調和とはまさしくこれのことを言うのだと宣言するように。
処女作としては上出来だ。自分に褒美をくれてやってもいいとすら思う。彼女がここを後にしたらどうしようか、そんな思考に耽るほどに私の自信は確固としてそこにあった。

「私の仕事はここで仕舞いです。あとはそちらにお任せしても?」

「えぇ、創造の君。貴方は私の期待に過分に応えてくださいました。私は貴方の仕事に対し、何を支払えばよろしいでしょう」

「律儀な依頼人は好ましい限りです、結晶の君。貴女は良い依頼人だ。そうおっしゃるならば、この様な形では如何でしょう」

*  *  *

いい仕事をした日は、とにかくいいものに囲まれよう。
極上の酒、それに似合いの料理、舞台は整えた寝台で、服は着心地のいいものを、香は気に入りのフレグランスをほんの少しだけ薄めて、耳には馴染みのいいジャズを延々とループさせる。誰にも邪魔をされないよう鍵を掛ければ一時的な天国の完成。地獄で吸った息を吐ききって、身体の中から全てで浸る。
頭の中にも天国を作っていたかった。考えるのは終えたばかりの仕事のこと。あの妖精たちのこと。あれは素晴らしかった。どう良かったかと聞かかれれば、語彙も浮かばずに童のような拙すぎて愛らしさすら覚えそうな感想しか出てこないほど。あれはよかった、最高だ。どれだけ暴こうが覗こうがそこが知れず、どこまでも興味と好奇心を満たしてくれる。どこまでの愉しいが持続する。ずっと触れていたい、また触れたい。欲望を湧かせ掻き立てるのが何処までもお上手だ。
未知の存在であるというのがよかった。理想までのアプローチが確立されていないのもよかった。素材に限りがあるのもよかった。背水の陣ともいえるその状況で脳は油をさされ馴染んだ直後のように回転したし、その回転は快楽物質をこれでもかと絞り出した。時間の感覚を奪われ、愉悦をしこたま注がれて、ああでもないこうでもないと吐き出されたものをひたすら紙にぶつけては潰しまたぶつけた。
貴重な体験をした。あれを超える体験は恐らくこの先数年は無いだろう。こんなものが頻繁に起きるようでは私の身が持たない。あれは何にも優る。天国と称したこの空間が与えてくれる安らぎでは足元にも及ばない。だからこそクールダウン代わりの褒美には最適だ。

「しばらくは、いい……ですが、また、あんな機会を頂きたいものです……」

アルコールを頂きながら先の算段をうっすらぼんやりと立てている。
二回目、はあるだろうか。二回目があったとして、今回の様な絶頂をまた得ることが出来るだろうか。
そこまで思案してから、恐らくは、ないだろう、そう断ずる。ここまでなったのは初めてだったからこそ、なのだ。初めてというのは貴重なものだ。未知への興味、恐怖、不安、期待、プラスとマイナス、清濁、全てが混じって混沌として、それが抗いがたい甘露となる。あれはもう二度とない。あれはもう幻だ。あの鮮烈な衝撃は既に手になく、失われた分は私に補完されて最早別物だ。追うだけ野暮というもの。だからこそこうして耽り停滞して、自慰するように代替物を侍らせる。

「愉しかったなぁ……」

次の種は既に蒔いてあった。カトパレスタ卿からは報酬として、妖精を含む珍しい素材が入荷したらまずは自分に一報送るようにと契約を結んでいる。その種が一体いつ芽吹くかはわからない。わからないから、いいのだ。

*  *  *

最後に見たヒトのオスは言った。死にたくなるほど痛い、しかし死なない、安心しろ、と。その言葉を聞いて安心できるものがいるだろうか、いたとしてもそれは恐ろしく稀有な存在なのだろう。起こされて、言を聞き、そこから私の意識は再び塗り潰された。否、意識自体は存在するのだ、そこに自由がないだけの話であって。
ただ苦しいだけだった。
私には手もなく足もなく、今まで親しんで大事にしてきたはずの「私」という肉体が存在しなかった。目もない、耳もない、鼻もない。それなのに何故か私が私であるということだけがわかる、気持ちの悪さ。その上で何かに縛られていると思わせる軋みが伝わってくる。ぎちり、ぎちり、縄で縛られているような、何か。それが形のないはずの私を何かの形に縛ろうとしている。余された所など無く、私の全てが苦しい。私が苦しい。どうして、こんなことに。考えたとして答えがないからどうしようもない、しかし考える事しか出来ない。もがこうとしてももがくための手段も標的もない。私もなければ、縛る何かもない。どうしようもない。苦しい、苦しい、そう思う事だけが許された。この思考の自由もいつ奪われるのかわからなくて、怖い。受け取りたくないものばかりだったが、これが無くなった時私はどう私を知ったらいいのかがわからなくて、それがまた怖くて、嫌々ながらも受け取った。拒否する自由もなかった。
新しい刺激は唐突にやってきた。縛られたまま、何か、ぬるいような、何か、としか言いようのないものに包まれる。それは奇妙なもので、実体のないはずの私の形を掴んで、そして、ずるり、と入り込んだ。束縛の苦痛と同じ。それは拒否などできる訳もなく、ずるり、ずるりと圧迫感と、吐き気と、音もない嗚咽を私に与えた。縛られて形の変わりようのない私は、内側から与えられると同時に失っていく。私はいつも一定だ。与えられたら、失わなくては。何かが入った分だけ、私を捨てなくては。こうして私は失われていくのだ。あぁ、死とはこういうものなのか。道理で皆死というものを恐れる筈だ。だってこんなにも、むごい。
されるがまま、満たされながらも虚ろな感覚を咀嚼しながら、不意に気付く。
苦しくない、縛られるような感覚がない。
私の形は自由だった。自由であるならば、こんな虚など埋めてしまえばいい。
私の形を取り戻す。私、とはなんだったか。私について思考する。思考することで私を形作る。
私は……私は……私が、私は。

*  *  *

結晶体の中心で、結晶を覆う自己を確立しようとして、懸命にそれはもがいていた。

「魂が先か、肉体が先か。一つの答えがこれなのでしょうね」

ヒトのオスがほくそ笑んだ。

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