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天使と間違うほどのその青年は、目に鮮やかな赤色の着物を身に纏っていた。
赤い着物、黒い帯、くすんだ桃色の羽織。黒と白と灰色で構成されたこの空間において、彼の装いはひとつふわりと浮いているように見える。
それに赤茶色の柔らかそうな髪、赤の目、赤縁の眼鏡、締めにははだけた胸元からのぞく白い肌……整いすぎた容姿であるならば尚更、現実感というものが欠如していた。
彼はなんとなく、男も女も超えたような中性的な雰囲気を持っていて、きっと男も女も万人が彼に見とれるのだろう。私はそう思った、私本人が彼に見とれてしまっていたからである。
だがしかし見とれたといってもその衝動のまま彼に近づこうとは到底思えなかった。綺麗な花にはとげがある、と人は言う。彼にもそのとげ が含まれているような予感がしたのである。
「旦那様?」
訝しげな声で彼が私に呼びかける。どうやら沈黙が過ぎてしまったようだ。こほん、とひとつ咳払いをすると、私は繕うように切り出した。
「失敬、どうやら道に迷ってしまったようでね……道をお尋ねしたいのだが」
「はい……?」
キョトン、文字を当てるならまるでそんな顔であった。彼は切れ長の目をまん丸にして、じいっと私のことを見ている。私がその視線に思わず目をそらすと、からころと下駄を鳴らして気配が近くへ寄ってくる。
恐る恐る顔を戻すと彼の視線はさらに露骨になっていた。じろじろ、じろじろ、まるでそんな音がするよう。珍しい何かを見る目だ。
今度は私のほうが訝しげな声を上げなければならないのだろうか。
そう思ったまさにそのとき、彼の体が私から距離をとるのを感じた。着物から香る香の匂いがどうにも離れがたく引き止めたくなる気持ちにさせたが、引き止めることはできない。これではまるで遊女にいい様にもてあそばれているようではないか。
「いやいや、失礼をいたしました。お迎えも差し上げず……お疲れでございましょう」
すい、と彼の手がいともたやすく私の手を捉える。
そっと皮膚を撫でる黒い手袋。たとえ布越しであってもわかるほどその手、指は細い。
触れられて感じたその瞬間、私はこの黒い皮を剥いてしまいたいと思った。中の果肉を食んで見たいと思った。
「こちらでお休みください、その間に当館の説明をいたします」
彼が引くと、先ほどまでの階段で限界を迎えていた私の足は簡単につられて動いた。
彼はゆっくりと、赤子を先導するような柔らかさで私を誘う。箱に囲まれた一筋の道を伝って奥へ。奥の暗がり、秘められた扉をくぐってさらに奥へ。
まぶしさに思わず手で影を作ったその先は、洋館の談話室に似た風景が広がっていた。
赤いカーペット、そろえられた大理石の床にソファ。明り取りのための窓は大きく、上質で重厚なカーテンが脇に溜まって控えている。天井には控えめだが上品なデザインをしたシャンデリアがたれており、そのほかには花や鏡、キャビネットといった家具が空間を飾っている。
辿ってきた今までの空間からいきなりがらりと変わった空気に、私はあっけにとられ立ち尽くすしかなかった。
彼は私のそんな様子を悟ったのか、くすり、とひとつ笑って私をソファに座らせる。身が沈む感触を上の空で感じながら、私はじっと、子供のように彼を見つめていた。
ここは、なんだ?
目は口ほどに、時にそれ以上にものを言う。私の目にはそんな単純で純粋な疑問が込められていたことだろう。私の心の中はその疑問で満ちていた。
「ご説明しましょう。ですがその前にお茶でもいかがです?」
喉よりもこの頭にもたらされた混乱の方をどうにかしてもらいたかった。だがしかし気遣ってくれた彼を無碍にすることが私にはどうしても出来ず、ついついこくりと首を縦に動かしてしまう。
その様子を見た彼は満足げに微笑んで、私の頬を一本の指で撫でた。それから、今くぐったばかりの扉に向かって声を上げる。
「露藤、露藤。旦那様に御茶を」
そして彼は私の向かい側のソファに腰掛ける。
脚を組み、肘置きを使い、唇に指を這わせながらじいっと私を見つめている。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ、と思ったがそこまで悪い気分ではないことに少々驚いた。
おかしい、私にそんな性質はなかったはずなのに。
そんな思考を誤魔化すように、私もわざとゆっくりとした動作で足を組む。
また、彼が笑った。
「失礼いたします」
新しい声がした。ノックと共に、その声は部屋の中へと飛び込んでくる。キィ、と扉の高い鳴き声がして、暗闇から人影がゆっくりと生まれ出でてくる。
その人影が光に晒された時、私は息をのんだ。その青年の容姿といったら、目の前の彼にも負けず劣らずの麗しさだったのである。
まず目を引くのはその目。まるで宝石、アメジストとサファイア。深い色をした紫と青が左右に一つずつ埋め込まれている。長い前髪が僅かにそれらを隠しているが、そんなものでその輝きはくすんだりしない。むしろ隠されることでさらに際立っていた。
そして次は腰の細さ、プロポーションの良さ。紺を基調として、白いレースやフリル、リボンのあしらわれたコルセットに絞められたそこは、女性の持つなだらかなラインを作り出している。思わず指でなぞりたくなる歪みのない一本の線、背徳的な欲望すら湧き上がってきそうな恐ろしさ。
大胆にカットされたシャツから見える方も白く滑らかで、正面を向く今は見ることが出来ないが、おそらく背面もそうであろうことは簡単に予想がついた。またそれを眺めるのが楽しみになって来る。
またコルセットと同じデザインのアームカバーがまた雰囲気を引き締めるいいアクセントになっていた。下肢を覆うスラックスは青年の細い脚にぴったりと張り付く細身のデザインで、全体的に絞まった、どこか無機質な魅力を感じさせる着こなしである。
ああ、どれだけ言葉を尽くそうが足りない。自分の脳内の辞書の薄っぺらさを痛感し、最早怒りすらを感じる。
とにかく私は伝えたかったのだ、誰よりも私自身にこの感動を伝え残したかった。
その青年も彼と同じように、どこか人を狂わせるような色香を放っていた。

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