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それは手品か何かを見ている時のように唐突であり、その瞬間に私の日常と言うものが種も仕掛けもなくどこかに消えていってしまった。
残された私は呆然としたまま、目の前に広がるまったく見覚えのない風景を視界に捉え、そっと目をこする。その場所を何か言葉で言い表そうとするならば、そこはどこか、女子が好んで読む童話か小説にでも出てきそうな場所であった。
石造りの、すこし古ぼけた塔。その内側は薄暗く、壁に取り付けられた数個の燭台が目を助けてくれるのみ。ぐるりと見渡してぱっと目に付くのは同じく石造りの階段で、この建物の円筒形に沿うようにぐるりと螺旋を描き、そのまま上へ上へと上っていく。視線を階段に伝わせて上を見てみたものの、そこに果てはなさそうだ。遠く遠く、 そこにはただぼうっとした闇が広がっていた。
ぽつん、なんて効果音が今に私にはよく似合うことだろう。しかしそれも今ならば仕方がない。なんと言っても今の私には情報が少なすぎる。
私は上を見上げたままふう、とひとつため息をついた。
そこまで悲観するまでもない、と自分に言い聞かせる。幸いにもこんな状況下でありながらパニックは起こしていないし、体に重大な怪我を負ったわけでもない。動けるのだ、私は。解決のために出口を探すことができるのだ。まだまだ、諦めるには早すぎる。
私はまず壁伝いにぐるりと歩いてみることにした。何か見落としている隠された仕掛けがあるかもしれない。
床の円形の面積はそこそこに広いようだ。部屋の中心にいた私が壁にたどり着くまでに、10歩かそこらの歩みを要した。壁に手をつくと、そのまま伝って部屋を回ろうとする。途中階段が邪魔をしたが、それでも歩く。
壁は石の感触を多少残しざらりとしていたが、皮膚を削るほど粗いものではなかった。きっとそれなりに上質できっちりと手入れのされたものなのだろう。その感触を楽しんでいるうちに階段と二度目の対面。どうやら壁には何の仕掛けもないようだ。出口になりそうなものもまた同じ。だとするならば私に残された選択肢はあと一つ。この目の間にある階段を上るしかないと言うことだ。上に行ったとして何があるか、何がいるかはわからないわけだが、どうせこのままここにいても出られないし餓死が待つだけだ。どうせ同じ絶望ならばやることをやってからすることにしよう。私は喜んで階段を上り始めた。
コツ、コツ。
その階段はしっかりとした造りであり、大きめに作られた寸法は私が歩くのにちょうどいいサイズであった。ゆっくり、皹など危険な存在がないかを確かめながら慎重に上っていく。
コツ、コツ。
この歩みは一定のリズムを刻んで止まることはない。
下を覗き込んでみればそこには天井と同じくぼうっとした闇が広がって見えなくなっていた。こんなところから落ちたらすぐに死んでしまうことだろう。
天井もいまだ見えないまま、上も闇、下も闇。この建物はいったいどんな構造になっているのだろうか。
そんな今考えてもどうしようもない疑問をぎゅっと抱えて気持ちを紛らわし、それでもまだまだ上る。
ここはいったいどこなのだろう、私はどうしてこんなところにいるのだろう、私はいったい何をしていたのだろう。
ひとつ浮かべば二つ三つと次々と。今まで抑えられてきたもっともな質問たちが意識に顔を出す。さえたこの頭が律儀にも質問たちに返した答えはわからない、わからない、わからない。さえているにしては随分と役立たずな回答であったが私にとってはこれが精一杯だ。
それでも私の足は階段を上る。
上って、上って、上って、上って……、やがてどれだけ上ったのかすらも分からなくなってきた頃。この塔の中にやってきたときと同じように、唐突に、視界が開けていくのを感じた。
そこは言葉で表すなら今までと同様に薄暗い。しかしそれは照明が燭台という心もとないものであるからではなく、影を落とす物量の多さゆえであった。
見渡す限りその空間にあるのは箱、箱、箱。大きさは様々、形状も様々、とにかく所狭しと詰め込まれ積み上げられたその箱たちが、空間に驚くべき量、面積の影を落としこんでいる。見上げた天井はついにその果てを見せ、そこには綺麗に磨かれ輝くシャンデリアは誇らしく胸を張る。
私は何度目かのため息をついた。
少なくとも、照明に手入れをする人間がいることだけは分かったのだ。それだけでも十分な成果といえるだろう。
私は箱の海を掻き分けて進みだした。小さな箱をまたぎ、中くらいの箱はどかし、大きな箱は避け、なんとか人一人通れる程度の道をそこに形成する。箱は大小にかかわらず軽く、動かすのにそこまでの労力はかからなかった。ひとつ手に取り、また次を手に取り、気づいたことがひとつ。
箱にはどういった意味なのかは分からないが、必ずひとつずつ名前が書かれていた。Cassandra、Isabel、Martha、それは女性の名前から、Berny、Gawain、Leroy、男性の名前、西洋の名前から東洋の名前まで、多岐にわたって書かれていた。このおびただしい箱の数を見ると、メジャーな名前ならば網羅してしまっているのではとさえ思う。
今まで何とか冷静でいられた私だが、ここまで来るとどうも気味が悪くなってきた。わけの分からな い空間にいきなり放り込まれ閉じ込められ、自分の名前の箱を見つけてしまったらホラー映画ですら生ぬるい光景が生まれそうだ。
「誰か!誰かいないのか!」
たまらなくなって私はついにのどを張り上げて叫んだ。
ついに、というか大分遅いのかもしれないが、とにかく叫びながら改めて奥へ進む。奥に進むことも少し躊躇ったものだが、戻っても仕方ないことが分かっている以上こうするしかない。とにかく奥へ。箱の奥の奥の、さらにその奥。
「おや。ようこそいらっしゃいました」
その言葉が聞こえてきたときの私の安堵と言ったら、きっと古今東西どんな言葉を使ったとしても言い表しきれなかったろう。大の男が全く情けないことだが、私はそこに現れた得体の知れない青年が、まるで天使か何かのように見えたのである。

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