A.天使こそ落ちる街

この街は酷く騒がしく、そして変化がない。
周囲から絶え間なくあふれてくる音を踏みつけながら、私は一人、陽の光も碌にささない薄暗い道を歩く。その暗さもあってなのか、その道は他よりもいっそう寒いような気がした。身に着けたコートの襟を正して、降ろすついでにポケットに手を突っ込む。自然と視線を下ろしていたその地面は冷たいコンクリートに覆われて、投げ捨てられた生ごみが散らばるのにまぎれて時折オイルで汚れた金属片がわずかに光っていた。踏みしめれば靴底に擦れて高い音がする。
コツコツ、チリリ。
表現するとするならばこんな感じだろうか。規則的にそんな音を立てながら、重い体を引きずって暗い路地裏を歩く。深く深く、奥へ奥へ、果てがないのではとも思えるビルの森を縫っていく。
歩けば歩くほど、その道は暗く寒く、聞こえていた音は小さくなっていく。感覚が少しずつ削られていく。そうすると、人は思わぬものに気付くものだ。
「…………」
人が落ちている。
ぼろぼろと、まるで先ほど視界に入れたごみと同じように、頓着なく。人がごみのようだ、なんて言うと一昔前に流行したアニメ映画のように思われてしまうだろうが、そういったことではない。路地裏の闇の中で隠れるように息をして、薄汚れた布で身を包み、何をするでもなく途方に暮れている。そんな様子を思い浮かべてほしい、他に表現のしようがないということがわかってもらえるだろう。
先ほどのまだ表通りから近い地域ではあまり見られなかったが、ここまで来るとまた勝手が違うらしい。随分深くまで来たものだと思った。気にすることなく進めていた足を、今度はその捨てられた人々を踏まないように気を付けながら、進めていく。一足一足、地面に座り込む少年少女、男や女、少年……やつれ手はいるが若い見た目をした人影を、注意しながら跨いで越えていく。元々が路地裏、細い道であるがゆえに面倒だと思わないことはないのだが、今更大通りに戻るという選択肢はなかった。
もう一度言うがこの街は酷く騒がしい。
少なくとも私のこの耳は耳栓なしでは大通りなど歩けはしなかったし、遠くなったと先ほど言ったこの路地裏であっても頭痛がしてくるほどだ。
わざわざ地獄に落ちようとする者はいないだろう。それと同じだと思った。
「!?」
ガシャンッ
金属の擦れあう音に驚き振り返る。時間と共にやってくるのはじんわりとした痛み。考え事をしているうちに何かを蹴ってしまったようだ。足の痛みが自らの不注意を責めたててくる。
やれやれ、と自分に呆れながら、蹴ってしまったものを確認しようと足元を見る。するとそこには、おびただしい量の金属片が散らばっていた。
歯車、コイル、ピン、シャフト、リンゲージ、バルブやモーター……細かすぎて視認できないものもあるが、大体はそんなもの。いくつかの大きな金属板……フレームが、それがいったい何の部品なのかを教えてくれた。
それは脚だ。
大きさや太さからして未成年用に作られた義足だろう。その規模は比較的大きく、左足が付け根から丸々金属パーツによって作りこまれている。まだなんとか形を保っている部分を見るとそこにはみっしりとパーツが詰まっており、精巧さが見て取れるというものだった。もう動かない、と思うと残念に思うほど。
「…………」
その脚の持ち主である少年は、私に何も言わなかった。
ただ蹴られて壊れた足をじっと見つめ、壊した私に怒りをぶつけるでもなく、壊れた脚の脆さを嘆くでもなく、ただ淡々と、無表情で散らばったそのパーツを集め出す。
私がここにいることすらもわかっていないのかもしれない。
この街に住む人は、今や人を見ることすらしなくなったのか。
「おい」
たとえ声をかけたとしても、それは同じことである。自分が人に声をかけることがないように、自分が人から声を掛けられることもないと思っているのだろう。少年は……いや、これからは彼と呼ぶことにしよう。彼は、散らばった自分の欠片に夢中であった。
その目は見えているのだろうか、その耳は聞こえているのだろうか。
覗き見た眼には数十年前に流行った義眼型JDS(宇宙基地で管理する衛星システム)中継式カメラ特有の人工色の輝き。耳はオリジナルそっくりに作りこまれてはいたが回路基板が所々むき出しになっていた。ちゃんと機能しているのかは両方ともわからないまま。
「聞こえていないのか」
もう一度、今度は少し声を大きくしてみても、少年の様子に何も変化はなかった。
ここでもし私がここを去ろうと、誰も責めるものはいないだろう。それが当然のことで、こんなことは街にごまんと、まさに掃いて捨てるほどに溢れている。ごみと同じだ。ごみは捨てなくてはならない。
なるほど、それならば私にも考えはある。
するりと、私は着ていた革製のコートを脱ぎ去った。
春先の空気は寒いとまではいかずともまだ涼しく、陽の光の入らないこの場所ではコート抜きでは些か厳しいものがあった。しかしこの彼のように身体に機械が埋め込まれているなら大した問題ではなかった。私で例を取れば、左肩のアーマーや右腕のガントレットの機関を始動させればその排気熱でどうとでもなる。動いたせいで垂れてきたすっかり長い前髪を一度掻きあげて、そのついでに掛けていたサングラスの位置を調整する。肺の中の空気を吸って吐いて入れ替えると、脱いだばかりのコートを両手に広げた。
「小僧」
最後の通告とばかりに呼びかける。
だがしかし彼の目線は地面に釘づけて、一向に動く気配は見えない。今彼の指は細い隙間に入り込んだパーツを掻きだそうと必死なようだ。ここまで無視を重ねられたとなればもう御相子としてもいいだろう、もう遠慮の必要はない。いくらこちらが始まりであり、一方的に非があるのもこちらの方で、これからすることがあまり褒められた様なことではないにしても。私は遠慮しない。
「え」
話すことが出来ないのかもしれない、ほんの一瞬そう疑った彼の声はその青年になりかけの体躯からすれば意外にも高く、遠く昔を思い出させるほどに綺麗であった。ああ、綺麗だ。だがそう思ったとしても手を止める理由にはならない。コートを彼にかぶせてしまうと袖の長さを上手く使って器用にその体を縛り付ける。コートというものの性質上そこまできつく縛れはしないが、ほんの少しでも動きを鈍らせることが出来れば御の字だ。体格ではこちらのほうが上回っているし、その足で俊敏に逃げられるとも思えない。ならばわざわざ縛らなくてもよかったのでは?とも思うだろうが、暴れられればそれはそれで厄介であるし、あとはちょっとした憂さ晴らしというやつだ。
私は縛り上げた彼の身体を肩に担ぎあげると、そのままスタスタと軽い足取りで歩き出した。彼の重量は私の思った以上に軽かったらしく、肉の薄い私でも軽々と運ぶことが出来た。使わなくてはならないかと思っていたアーマーも必要はない。もっとも、その軽々の理由として彼が予想に反してピクリともしない程大人しいということも含まれていたのだが、その理由について問いただすことを私は早々に諦めてしまった。先ほどは不意打ちであったがゆえに聞くことが叶ったが、正攻法でいったとして彼の声を聞くことが出来るとは到底思えなかった。私の中で彼に無視されたという事実は随分と根深く残っているらしい。それに、先ほどまでいたような路地裏……俗にスラムと呼ばれるような場所に住まう人間とは、総じて警戒心が強いものだ。警戒心というか人間不信と言っても過言ではないのだろう。さらに言ってしまえば彼からしたら私は彼を誘拐している犯罪者だ。口を利いてもらえるだけの信頼など得られるはずもなし。暴れられて二、三傷をつけられても文句は言えないのだ。
そんな、どんぞこまで彼からの印象を落としこんでまでも、私は彼を放っておくことが出来なかった。他にも多く、それこそ山のように積みあがるまで似たような存在がいたとしても、彼だけが私を繋ぎ止めた。全ては私のうっかりが招いたことである、だがしかし、そのうっかりがもしかしたら神からの啓示だったのかもしれない。特に信心深くあるわけでもないくせに、その時の私はそう思った。今は、特に何か理由があったわけでもなくそうしてしまったこの行為に、何かしらの理由が欲しかった。結局はその一点に尽きる。
「ばっかじゃないのかい!!」
なんてったって、理由がないと目の前のこの女はまったくやかましくてかなわない。
「あのねぇ、犬猫じゃないんだよ!?こんなの拾ってきて、いったいどうするつもりだい、これから養うってのか!?そんなことから教えないといけないなんて、あんた今年でいくつだい!」
「五十三」
「少しは反省でもしな!」
窓辺に置かれた気に入りの揺り椅子に腰掛けながら、煙草の煙が窓の外にまで流れてゆくのをじっと見送った。
煙はいい、風の向くままふわりふわりと、消えていくのを待てばいいだけだ。
ちらりと女の方へ目線を戻せばまだ怒りは収まっていない様子で、その容姿には似合わない不格好な革の手袋をこれでもかときつく手に嵌めている。ぎちぎちという恐ろしい音まで響いてきそうだ。
彼女の容姿について少しばかり説明をしておく。その服装は茶色、というと怒られそうだ、チョコレート色に揃えられたテイルコートにショートパンツ。黒のブーツにはそのコートと同じく金色のボタンがあしらわれていて、二の腕、腰、腿の部分にはベルトが巻かれたユニセックスよりの恰好である。彼女の場合はそれに襟元のフリルを追加して女性らしさをプラスしていて、頭にすましたように乗せた小さいハットがアクセントになっている。細く長い金色の髪は三つ編みにしたうえ後頭部で団子状に一つにまとめられ、活発さを表しているようだ。女性らしさと活発さの共存、現代の女性の理想をそのまま体現したようなファッションだ。そしてそれを身に着けている彼女自身も細く小さく、そして目は適度に大きく唇はふっくら、まだ幼さを残しつつ背伸びしたように大人びたその顔は老若男女問わずすれ違えば振り返るだろう。まさに完璧な容姿、それを見事に台無しにしてくれる。
可哀想なものだ、その剣幕に私の連れてきた彼は部屋の隅で縮こまって震えているではないか。
「トート」
これは助け舟を出さずにいられない。女……トートと言い換えることにしよう、彼女の名前を呼びながら彼を指さす。トートと彼を見る限り、その外見においては大した年の差は見られない。おそらくは彼女もある程度警戒されているだろうが、少なくとも私よりはスムーズに話を進めることが出来るだろう。そしてその考えはトートにも伝わっているはずだ。彼女はため息を吐き、どうにか見かけだけでも機嫌を直そうと試みる。そうして試みを始めてから少したって、ようやく彼の元へ歩み寄る。
「安心しな、アタシは医者だ。あんたの足を直してやろう」
何度見たとしても彼女の手は魔法によるものではないかと疑ってしまう。彼の目の前にかざされたトートの手。その指先が、ぱちぱちとほんの一瞬、瞬きをする度に数々の工具に姿を変えていく。ドライバー、プライヤー、レンチ、錐、スクレーパー、スパナ……数えるのも追いつかなくなるほど。彼女はそれらを使って人を「直す」。更に正しく言うならば、人に埋め込まれた機械部分を直すのだ。一昔前ならば彼女は本来「エンジニア」と呼ばれるべき存在であった。だが今の世であるならば、彼女はれっきとした「医者」である。
現在西暦2600年。機械は最早我々人間の一部として、欠けてはならないものであると認識されつつあった。2000年前後から取り沙汰されてきた環境汚染や異常気象は改善されることのないまま着々とこの惑星を蝕み、それらが相互に作用しあった結果、この世界は人間に急速に進化することを強いた。しかしそんな夢のようなことが出来るわけもなし、その時間稼ぎとして提唱されたのが機械との融合である。そしてその提案に対し拒否するなどという選択肢は人間に残されてはいなかった。勿論昔、人権団体やカルト教団などがしつこいほどに反対運動を繰り返していた時代は存在したが、現在はそれも見られない。おそらくその団体は滅亡してしまったのだろう。人間は機械を当然として受け入れた。その変化に社会が適応していくのもまた当然のことだろう。機械が世の中にあふれ出るほどに、それを製造、またメンテナンスするためのエンジニアの需要は高まった。人が生きようとすればするほど、身体の中における機械部分の割合を増やせば増やすほど、うなぎ上りに高くなった。医者という元々社会的地位の高かった職業は廃れ、その名前を、地位を、エンジニアは乗っ取った。
そして生きたいとする人間の欲望に従って、技術は果て無く進化を始める。その結果、機械は人間に何をもたらしたか。
人は死を、そして老いを克服したのである。
医療技術と機械技術、急速に進んだ二つの技術は、合わさることで神の域に達した。死なない、そして老いることもない。
それについて私は、
「何と悲しいことだ」
そう思った。



「幸生」
勿論それはただの気のせいなのだが、随分と久しぶりに名前を呼ばれたような気がした。
いつのまにか寝てしまっていたようで、ぱちりと目を開けたその時には外はすっかり暗くなり、室内であるというのに冷えた空気が痛い位にシャツの上から肌を刺していた。刺された穴だらけの肌を引き締めるように、ぶるりと一つ身震いをする。そんなもので誤魔化せるなら、ここは天国のようなものだろう。しばらくそのまま、呆然とただ暗いだけの星の見えない空を見てから、ようやく室内へと視線をやった。
ランプが数個だけ、たいした明かりのないこの部屋はぼんやりとしていて何が何だかよく見えない。見えるのは精々自分の座るこの揺り椅子と、トートの私物の入った木箱、それに光源であるランプの乗った机や棚、その程度だ。殺風景な部屋。その鈍い景色にとらわれながら、むしろ囚われているからこそ、他の感覚は鮮やかに映えた。吸いこみすぎると咽てしまいそうな、煙の混じった空気。その空気を塗りつぶすように香る鉄錆とオイル。人が、この都市そのものが、たった一つ指を動かすだけで鳴り響くやかましい駆動音。その鮮やかさは私の微睡みを容易く奪い去り、そして代わりに酷でしかない現実を私に突き付ける。
この街は酷く騒がしい。
私はどうしてもこの街を好むことが出来なかった。もうこの街に住んで長いことになるが、この考えが破れたことはない。むしろ好むどころか嫌悪が日ごとに積み重なっているのが手に取るように分かった。
そしてそれは彼女も、トートもきっと同じことだろう。
「窓を閉めろ、体に障るぞ」
不愛想にも短くそう言った彼女に従い、大人しく外の空気とおさらばする。そこまで徹底する必要はないとわかっているのに、カーテンまできっちりと閉めていた。そうすることで一層暗くなった室内で、ぼんやりとした光に照らされた彼女が浮かぶ。
「小僧はどうした」
空気が溜まって、重くなった肺をなんとか動かして小さく尋ねた。彼女は目を合わせることもなく、その闇の中で感情だけを主張するように舌打ちをした。笑みがこぼれる。彼女とも長い付き合いになるが、これ以上なくわかりやすい。その長い付き合いを全て無にして、幼子を相手にしている気分になる。
「直したよ、まだ麻酔で寝てるがね」
「すまないな、私が壊したものだから」
「お前の「すまない」は聞き飽きたよ」
また舌打ちが聞こえる。
「アタシの使い方は覚えたかい?」
「使い方を覚えたいわけじゃない」
椅子に近づく足音がする。木製の揺り椅子は軋みやすい。きし、と一つ鳴き声をあげると、それはしんと静かになった。細い指が、古木に絡む。
「じゃあ、何がしたいんだい」
苛立ちがそれこそ手に取るように分かる。腸が煮えくり返って、その熱をどこかにぶつけたい。だが、それを私に強いることも出来ない。もどかしさばかりがそこに上乗せされていく。蓋をされて、熱は腹の中にたまったまま。
「トート」
私はそこに油を注ぐ。そのまま、体の中から燃え尽きてしまうことを望んでいるように、惜しむこともなくだばだばと。可哀想なトート。私の唯一無二の友人よ。私の中の最上の女よ。私の憎たらしき母よ。
「私はただ「今」のままでいたいだけだ」
そうして彼女は一人になり、私は二人のままでいた。揺り椅子がか細く泣いている。
私と彼、私と少年。ふたりぽつんと闇の中にいる。
不思議と彼の事ははっきりと思いだすことが出来た。無垢と叫ぶ黒い瞳、同情を呼んだ白い髪。手探りで掬い上げた手は折れそうなほどに細く、所々瘡蓋で覆われているせいかひどく手触りが悪い。規則的に上下運動を繰り返す薄い胸と、それに合わせて擦れた音を出す痩せた喉。それらを一通り鈍い目で追い、指でなぞり、最後は胸に立ち返って、そこに手のひらを乗せる。とくん、と伝わってくる衝撃。それが天然のものかそれとも人工物であるのか、医者でもない私には区別なんぞつきっこない。
「kyrie……」
二人は私の手の中で一つになって、彼女はそれを天使だと言った。
おかしいものだと、声に出して笑ってしまいたかった。
ここは、この街は、間違いなく地獄であるというのに。

[ 1/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -