優しい悪魔

鍵のかけられた部屋。身体を乗せたベッド。小さなサイドテーブル。その上に乗せられたおまけのような花瓶。それ以外は窓さえもないような空間。
その中で僕は体を丸めて待っていた。
カチャカチャと鍵を弄る金属の音、ぎぎと重い扉を引きずる擦れた音、靴が床を叩く音。

「灯室」

あの人が僕の名前を呼ぶその声。
ぼんやりとそちらに目を向けると、そこには人型の生き物が一体。茶色の髪、少し鋭い目、顎の無精ひげ、すらりとした首、成熟して硬そうな体。今の僕とは少し違うもの。
ぺたぺたとその人は僕の頭に触れ、ほっとしたように小さく息を吐いた。

「……時任?」

小さく彼の名前を呼ぶ。彼は何か唇の動きでだけ言葉を作ったけど、読み取ろうとはしない。
手が離れていったと思えば、丸まった僕の身体を伸ばして、横になっていたベットから起こす。

「横になるときは人型になれ。蝋が解けて少し寄ってるぞ」

人型、そう、人型ね。
その言い方に違和感を持たなくなってからもうしばらくが経つ。
ぽい、と寄越された手鏡で自分の顔を見た。こんな姿、普通の「人」には絶対に見せられないだろう。
鏡に映ったのは、人の身体に蝋燭の頭。
僕はいわゆる、悪魔、と呼ばれるものだ。人ではない。
本来の顔の中心、頭の上。その二つでぼんやりと灯る小さな火。それを包むミルク色の滑らかな肌触りをした円筒形の壁。壁の頂上は火の熱のせいかいくらか溶けて、向かって右側には溶けた壁が面白おかしい形を再構築していた。
これは、この頭は、僕の頭は、間違いなく蝋燭で出来ていた。
もう驚きもしない、すっかりこの頭にも慣れてしまった。こうなってから何年が経つだろう、もう人の時間で数百年の付き合いだ。それでもこうして僕は、生きているとは言い難いが、活動を続けている。

「…………」

頭の上に出来た歪な壁は僕の力でも簡単に折れた。ぽきり、なんて軽い音を立てて手の中に納まったそれを、また今度は顔の中心の火にくべる。壁が解けていくその様子を、鏡でじっと見ていた。こうなってから今までもう何回も見てきたその光景には、今回も特に変わった様子はない。それなのに、目を離すことはしなかった。

「どうかしたか」

時任が尋ねてくる。彼は僕の事によく気付く。温かい親のようにか、くすぐったい兄のようにか、また支配者という冷たい地位を守るようにかもしれない。気にするほどでもないことにまで目を光らせた。今回もそうだろう。
僕は首を振ってから手に持った鏡をベッドの上に捨てる。どこでもない、部屋の真ん中の空気に視線を合わせていれば、時任は何も言わなかった。それが僕の常だから、何もしないことが僕の役割だから。

「なんでもない、よ」

「だろうな」

僕には何かあってはいけないのだ。だから僕はここにいる。

「飯、採ってきた」

時任が小さな袋を開く。掌に収まってしまうほど、それは小さい。そこから取り出したのは袋と同じく小さな石だった。

「純度は高いはずだ。小さくてわりぃけど」

その石は無色透明で、少し歪、玉というより粒と言った形だった。小さな水晶を想像すると分かりやすいかもしれない。それがころんと掌に載せられる。

「ほら、食え」

促されるまま、それを頭の火にくべた。


[ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ]


途端に頭の中に流れ込んでくる声。悲しいような、涙を孕んだような怒声。それを聞くと頭がカッと熱くなって何も考えられなくなってしまう。
頭がしっかりしてくる頃には声は収まって、熱が段々下に降りてくるように感じた。お腹のあたりで降下は止まって、それからはじりじりと僕の中身を燃やしている。
とにかく、それは熱かった。
上質な魔力結晶。人の魂。
それが今、僕が食べたもの。
食べ物なんかじゃ足りない。僕が、僕たちが生きていくために必要な唯一の物。

「美味いか?」

「うん」

嘘をつく。
美味いなんてこれっぽっちも感じていない。それでも食べなくちゃいけないから、また採ってきてもらわないといけないから、ご機嫌をとる。
美味しくなんてない、ただ熱だけを与えていった食物に、形だけの賛辞を。

「今日は子供を採ってきた。この前好きだって言ったろう」

子供、人の子供。ああ、あれは子供の声か。
先ほどまで頭の中いっぱいに響いていた声を思い出して納得する。確かに以前好きなものの話をした記憶もかすかだが残っていた。だがそれは「女の子」だったからだ。

「事故で片足が千切れたらしい。ピーピー泣いててつけこみやすかったんだ」

きっと今日は「男の子」だったんだろう。
人の魂にも味がある。
女は甘く、男は辛い。人生の経験によってまた多少の誤差があるが、大体はそうだ。そして子供、まだ経験もなくまっさらな彼らに味はない。ただ生命力に満ち溢れた彼らは喉を焼く、そして胃を焦がす。ひりひりとしたその痛みが癖になるのだと、子供ばかりを狩る同族も少なくないらしい。だが僕は違う。痛いのは苦手だ、苦しくなる。どちらかと言えば僕は、女性になりかけの少女の淡く甘い味を好んだ。それを彼は勘違いしたのだろう。
でも彼の言葉に肯定を示す。
それは彼が僕の命綱だから。彼に見放されたら僕は死んでしまうから。そうじゃなくてもそのうち死ぬけれど。どうあがいても死ぬけれど。

「…………あとちょっと、かな」

その呟きはどうやら彼の耳にはかろうじて届かなかったようだ。僕がちゃんと水晶を食べたから、きっと安心してるんだろう。花瓶の花を変え、シーツを整える彼は優しい。
悪魔だなんて、到底信じたくないくらいに。

「本当に、人間ってのは」

何百年も生きているのに、僕は人間というものを見たことがない。
生まれた時から僕は生きるか死ぬかの瀬戸際で、要するに弱くて、人間と大して変わらなくて、すぐに時任の所に預けられた。
それからずっとこの部屋にいる。外の世界を歩いたことも、数えられるくらいしかない。
だからよくわからない。
時任が、あの優しい人が、あんなに怖い顔をするくらい人間は怖いものなのか。
僕はそのとき、生まれてはじめて、外に出たいと自分から思った。

[ 3/14 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -