「逆らう」
「さよなら、灯室」
「さよなら」
「また、きっといつか」
「ばいばい」
「ばいばい、ひーちゃん」
「……また」
囲むみんながそう言う。
遠く、近く、そんな微妙な距離感で、硝子を一枚挟んだような音の聞こえ方で、それでも確かにみんながそう言った。
ならば、そうしなければならない。
頭の中の怠惰がそう言った。
俺はきょろきょろと周りを見回して、行くべき道を探す。それは意外とすぐに見つかってしまった。
真後ろに一つ、すらりと一筋伸びた道がどこかへつながっている。
そうか、これで本当にさよならなのか。
特に考えはなかった。行こうか行かないか、どうしたいかなんてわからなかった。
だから行こうと考えた。みんながさよならだというならば、きっとそうしなければならないのだろう。あんなに優しかった人たちが言うのだもの、きっと間違いはない。
くるり。振り返って、その道を目指した。
強欲と傲慢が道を開けた。憤怒が泣きそうな顔をしていた。でも止めてはくれなかった。
「さよなら」
一歩歩くたびに、体が軽くなっていくのを感じた。心が、なんてものではなく、実際に体が欠けていくのを他人事のように見ていた。
さよなら、僕たちにとっての、そう、これしかない。
死ぬんだ
涙すら出ないなんて思わなかった。
前の時は、もっと喚いた気がする。いや、こんなものだったかな。思い出すのも面倒くさい。
とにかく、俺は足を動かし続けてさえいればいい。さよならが出来ればそれでいい。少し寂しいけれど、みんな幸せ。
いつの間にか肩から先はなくなっていた。
残った足はペタペタ動く。じんわり光るその道に、ぺたぺた汚い足跡をつける。
そういえば裸足だった。靴はどこへやったんだろう。
靴、あの人がくれた靴。靴だけじゃない、身に付けているものが全て認識できなくて、裸なのに裸じゃない、不思議な感覚がする。あの人が選んでくれた服、あの人が繕ってくれた服。あれ。
あの人って誰だっけ。
立ち止まった。
身体は胴体が少し抉れていた。
振り返っても、答えを返してくれそうな人は一人だっていなかった。
誰だっけ。一つだけ残った疑問が、頭の中でぎゅうぎゅう詰になっていた。開けられるところを全て開けても、答えは見つからなかった。
戻るわけにはいかない。ここで一人、答えを探しているしかなかった。考えていると頭が痛くなって、やめてしまえと自分が言った。
「歩かなきゃ」
そしてまた歩き出した。
今度は頭がどんどん重くなっていく。からっぽだった頭の中は、今ではもう何も入らないくらいだ。
痛みだってまだ続いている。でも立ち止まったらもっと痛いから、歩き続けるしかなかった。
痛い、痛い、ずっと痛い。
一言小さく呟いただけで、あの人は過ぎるくらい心配してくれた。周りのみんなはちょっと苦い笑いをしたけど、僕は別に気にしなかった。それどころか、嬉しいとも思った。
大事にしてくれていた、そんな記憶が薄らとある。
なのに、何で思い出せないの?
また立ち止まった。
頭が割れるくらいに痛くなって、涙が出てきた。すごく久しぶりに泣いた気がする。いや、どうだっただろうか。思い出すのも億劫だ。
歩いたらきっと楽になる。またペタペタと歩き出した。
さっきまで付いていた足跡はいつの間にか消えていて、もう後ろには何もついていなかった。
帰り道も、わからなくなってしまった。
この道はどこまで続くのだろう。欠けていくこの体が消えるまでに、どこかへたどり着くことは出来るのだろうか。
もう、首と膝から下しか残ってなかった。
自分が自分だと力強く言えることすら、もう難しいのではないかと思う。どうせこの頭もいずれ消えていくのだろうから。
くるりと前に向き直る。
さあ、また歩き出そう。頭が痛い。
そう思っていた。だが、もう歩く必要はなかった。
「…………なにこれ」
ついこぼれた質問に自答するなら、大きな扉だった。
その質問が出たのは驚いてしまったからに他ならない。何に驚いたのかと重ねて問うならば、それはその扉の大きさにだ。横も縦も、その果てが見えない。
ここが終着?
また新しい疑問が浮かぶ。その質問には答えが出せなかった。
もう立ち止まっても頭は痛くならなかった。
あの痛みはなんだったんだろう、もうどうでもいいことだったけれどそう思った。
とにかく、今は疲れた。
扉に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。
ひやりと床は冷たい、でも背中はぼんやりと温かかった。その温度差が心地よかった。
しばらく、ここにいよう。
瞳を閉じた。
真っ暗になった。
頭の中には、まだ手もお腹も残っていて、ぺたり、と蝋の垂れた頭に触れた。
もう疲れてしまった。
ふふ、と小さく笑ってから、顔の中に手を突っ込む。
手が燃える。当然だ、わかっていたことだ。
どうしてそんなことをするのだろうか。きっと、消えてしまいたいんだと思う。
なんでかはわからないけれど。
馬鹿、やめろ!!
きっとそう言ってもらいたいだけだけれど。
何でそう言ってもらいたいのかわからないけれど。
ほら、手を見せてみろ
そう、優しく触れてほしいだけだけれど。
どうしてそうしてほしいのかもわからないけれど。
「灯室」
目の前の人に名前を呼んでほしかっただけだけれど。
目の前の人が誰なのかも、もうわからないけれど。
反射で目を開けたその先には、綺麗な人がいた。
白い髪が眩しかった、薄らと入った緑色が優しかった。荒れた吐息と滴る汗が男らしくて、伸ばしかけた指は細くて折れてしまいそうだった。
その手はどこへ行けばいいかわからないようだった。よく考えれば当然だ、この身体にはもう足と首しかない。
目の前にいる誰かさんは泣きそうな顔をして、俺の前に座り込んだ。
「灯室」
また僕の名前を呼ぶ。
ねえ誰かさん、貴方もこの先に行きたいの?
この先がなんなのか、貴方は知っている?
ああ、もう声も出ないや。
ただ僕はにっこりと笑って、拍子抜けするほどあっさりと足だけで立ち上がった。
じゃあね、誰かさん。
僕が先に行ってあげるよ。
そうしたらきっと怖くないでしょう。
大丈夫、僕はどうなってもいいからね。
扉は開いていた。なのに、隙間からひょっこり先を覗いても、その先には何も見えない。
やっぱり行くしかないのか。足を動かし、その先に行こうと動いてみる。
「行くな」
誰かさんがそう言った。誰かさんの泣きそうな顔は変わっていなかった。
でもね、誰かさん。
僕はいかないといけないの。
俺はさよならしないといけないの。
誰とさよならしないといけないのか、それすら今は分からないけれど。
「行っちゃだめだ」
それでもあなたはそう言うの。
行かなきゃいけないって言ってるのに。
だからみんなに言われるんだよ、だからみんなに笑われるの。
ばいばいなんて言ったら、あなたはきっと寂しくて死んじゃうね。
「またね、アルバ」
だから、みんなに謝らなきゃいけないことをしよう。
さよならじゃなくて。また会えるようにまたねをしよう。
もしかしたらそれも出来ないかもしれないけれど、今あなたが笑ってくれるなら。
「逆らう」
生まれるより死んでいたいと思った。
藤憑・伊達様宅よりアルバ氏をちょろっとお借りしています。
藤憑・伊達様のサイト「〜穹〜」へはlinkから行けます。
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