温かく神聖な驚異3

「灯室様、灯室様」
話を終えると、主はゆっくりと体を後ろに倒して体重を蝋燭頭に預けた。その体には響くはずの心音がない。そして頭の蝋燭にすべて吸い取られているかのように、服越しに伝わるはずのぬくもりもない。かろうじて触れられているとわかる掌が、髪の上を往復する。
ゆらゆらと揺れている炎を見ると時々小さな火花を散らして、主にもわからない表情を見せた。これはどういったものだろうか、周りの大人たちはみんな揃って首を傾げたり目をぱちぱちとさせたが、問うことが出来たのは主ただ一人だった。
「灯室様、どうかしたんですか」
「んー、いや、ちょっと、ちょっとだけね」
歯切れ悪く蝋燭頭は見えない口をもごもごとさせているようだった。このようなことはやっぱりあまりない。自分の話が彼を不快にさせてしまっただろうか。主の顔がみるみると真っ青に変わっていく。それを目に留めると、慌てて蝋燭頭は首を振った。
「主のせいじゃないよ、その……えっと、」
そうして蝋燭頭は人型へと変わった。そうした方が表情が読み取りやすいと考えたのだろう。実際その判断は正しかった。
オレンジ色の髪と目に白い肌。それが彼の特徴であったはずなのに、今となってはその特徴は失われていた。オレンジ色の髪と目、それと真っ赤になった顔。この状態なら感情も読み取りやすい。
照れているのだ。
その場にいる全員がそう察した。
「照れてらっしゃいます?」
「こ、これってそういうものなんだ……知らなかった」
この化け物は、感情というものに酷く疎かった。
笑うということ、泣くということ、怒るということ、今回のように照れるということ。それに直面するたび酷くうろたえ、周りに落ち着くように諭される。今回は随分と落ち着いている。そこまで羞恥に心を乱されるタイプではないのだろう。出た異常と言えばその顔の赤さと、ひたすら主の頭を撫で続けているその手くらいだ。
「あ、あの、灯室様……」
「あ、あああああああご、ごめんね」
それも気づかせてしまえばすぐ止まる。時々熱いというように顔に手を当てるくらいで、あとは正常だ。
そんな様子を微笑ましく見守られながら夜は更けていき、そして朝が近づいて行った。
朝日の眩しい光がじりじりと近づくほどに、彼らの表情は暗さを増していく。
朝が来る。また自分たちを日陰へと追いやり縮こませるあの光がやってくる。
そう思うと彼らは落ち込まずにいられないのだ。そしてその表情を、オレンジ色の目が見つめている。
これが人間というものなのだ、そう学習している。観察をしている。
その学習はいったい誰のためか、彼のためか、彼以外の誰かのためか。もし後者の場合だったらそれは誰か。
主の中に多くの疑問が生まれていく。
もっと彼に近づきたいと思った。もっと彼のことを知りたいと思った。
彼が感情というものについてわからなかったように、主も今自身が感じているこの欲について上手く説明できる自信がなかった。
よくわからなかった。それを教えてくれる人はきっとどこにもいない。主にそれを曝け出せるような人がいないから。もしいるとするならば、それは今抱いているこの欲の対象であるから。
「そろそろ、僕はもう行かなきゃ」
もうすぐ、あと一時間もしないうちにきっと夜が明ける。うっすらと白く変わりだした空がそれを教えてくれた。
早く帰ってベッドに戻らないと、黙認してくれているとはいえ神父様に叱られる。
そのことが頭をよぎって、一瞬今まで考えていた欲というものについての考察が主の頭の中から消え去った。
それが主にとって幸運であったのか不運であったのか、それは未来の彼が判断することだろう。
だがこの一時においてのみ判断するのならば、その思考の遮断をもたらした彼の一言は落胆のみを生み出すものであっただろう。
「灯室様……」
離れたくない。その一審だけを伝えるように、主の頭が彼の胸元にすり寄った。その仕草に暖かな視線を向けると、彼は何度もそうしてきたように主の頭を撫でる。
だがしかしもうだめだ、今日はここまで、もうおしまい。
彼は抱き上げるようにして主を立たせると、向かい合うように自分も腰を上げる。
周りを取り囲む群衆の中に来た時に挨拶をした老人の姿を認めると、その老人に向かいほんの少しだけ声を張る。
「また来るよ、きっと近いうちに。その時までまだ君たちはここにいるのかな」
「ああ、きっといるだろうよ。だからまた来ておくれ」
彼はもう既にこの群衆の一員として認められていた。ちゃんとした体裁を整えている組織であったなら、きっと名誉会員と呼ばれる存在だったかもしれない。
誰もが彼を慕い、彼を待っていた。その中でもきっと一番は主だったろうけど。
「絶対に来てください。絶対、絶対ですよ……!」
「ああ、約束してあげる」
そうして蝋燭頭の彼は明るくなりかけた夜の空気に溶けていくように消えた。
群衆たちはほんの少しの間だけ彼のことを忘れる。
だってそうしないとつらいから。いつ、どこで、何をしようとも、あの温かい蝋燭の光を求め続けてしまうから。そんなの、傀儡にも等しい存在だとわかっているから。

*  *  *

「今帰りました」
灯室は朝日をたっぷりその背中に浴びながらそのふすまを引いた。
その奥からは香の匂いがして、敷かれた畳の井草の匂いと混じって心地よく感じさせた。明かりのついていない暗い室内には、鞠や折り紙の鶴、お手玉など少し古めかしい玩具たちが転がって、中央には布団が一枚敷かれている。
その布団の中心にできたふくらみに声をかけると、そのふくらみはもぞりとうごめいた。
「灯室が帰りました。もう起きてもいいですよ、御主人」
ゆっくりと布団の中から人影が現れる。
それは細く、とても小さな存在であった。

[ 8/14 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -