満明、ストーカーに遭う

時任満明。
21歳男性、6月10日生まれ。
身長187センチ、体重72キロ。
好きなものは飲食物、嫌いなものは特になし。
現在○×大学医学部に在籍、成績は優秀な模様。
将来は実父の経営する小さな診療所を継ぐ予定。
家族は父一人、母は幼い頃に他界。それ以来彼が家事の一切を取り仕切っている。
ただの、真面目で普通な人間である。
特筆するところのない、医者を目指す青年である。
そんな彼に、かれこれもう10年続く悩みが一つあった。その悩みは時任家の郵便受けを覗けば、もしかしたら鈍いと自負しているかもしれないあなたでもすぐにわかることだろう。

[まだ、まだ、なまぬるい]

「うっわ」
郵便受けから新聞を取り出す、それが彼の朝の仕事のうちの一つだ。
なぜか、と問われれば、彼の父親は彼の作った朝食を新聞を読みながら咀嚼するから。新聞の文字を目で追いながらトーストをかじりコーヒーをすすりヨーグルトを掻き込んでサラダを胃に押し込むから。そうしないと父親の機嫌はすこぶる悪くなる。拗ねる、といってもおかしくないそれを直すのは重労働だ。そのことを今まで四半世紀に満たない人生で満明は学習している。そのため満明は朝の空気を吸うことも兼ねて家の前までわざわざサンダルを突っかけて出向く。
その仕事にまさか、いや、この仕事のせいとは言い難いが、こんな憂鬱な心持ちにさせられるとは。
ぱんぱんに紙の詰まった郵便受けを見て、満明は冒頭の通り小さく声を上げた。新聞の大半の部分が口からはみ出している。新聞を抜いて中をのぞいてみると、中身は色とりどりの封筒でぎっちりと詰まっていた。色は白だったり、クリーム色だったり、桜色だったり、はたまたよく目立つ黒色だったりとまちまちだ、その鮮やかさにめまいがする。それがいったい何通あるのだろう。数えるのも嫌だ、面倒くさいにもほどがある。
そんな満明の思考は表情から簡単に読めてしまった。だがこのままで放置するというわけにもいかないのだろう。新聞と封筒を抱えて家の中に戻る満明。
見る限り宛名もその筆跡はみな同じだ、全て満明宛のものだ。どうせ中身などどれも同じだろう、一通だけ開けてみればいい。
そう決めて、一通を残し他全てを自分の部屋に投げ入れる。あとで全て燃やしてやる、そんな決心がありありと見える荒っぽさだ。ダイニングの机の上に新聞を置くと、鋏で封筒を裂いていく。特にカッターの刃などが仕込まれている様子はない。中身は封筒と同じ桜色をした便せんだった。無理矢理押し込んだんだろう、少しいびつな形をして五枚ほど入っている。なんとなく紙が可哀想に思えるが、こう言ったものに同情するのも満明はもう飽きていた。うんざりした様子で紙を開き、隠れた文面に目を通す。
[拝啓 時任満明さま]
手紙はそんな宛名書きから始まっていた。今まで読んできたものの中では良心的なものだといえる。だが内容はとてもありきたりなものだった。「ずっと見ています」「運命的なものを感じました」そんな文言がひたすら並ぶ。うるせぇ知るかそんなん勝手に感じてろ、なんて、もし手紙の主と対面していたら満明はそう吐き捨てただろう。だが手紙で来られたらそうも言えない。一枚目で読む気もなくなったそれを机の上に投げ、満明は朝食の準備を始めた。といってもあとはトーストを焼くだけで、それもトースターの役割なのだけれど。
「おう、起きてるかい」
食パンを二枚機械に食わせたところで、のそりとリビングにもう一つ影が落ちる。無精ひげとよれたパジャマが似合うその男性は、どことなく満明に似ている。もちろん彼が満明の父親であった。
「ああ。もうちょい待てよ、出来るから」
「あいよ……ってなんだい、またお手紙か」
父親の指がそっと便箋をつまんだ。何かを警戒するように、読む前にじろじろと観察しているようだ。この親は知っているのだ、これがどういった意図をもって送られているものかを。
「ふっつーの手紙だ、気にすんなよ」
「ふっつーの手紙でも三ケタ超えりゃあ犯罪だぜ」
「まだ50超えたくらいだぜ、親父殿」
それでも大したものだろう。そう言ってくれる人間はこの空間には存在しなかった。父親が呆れた目で見てくるのをスルーしながら、満明はさっさとトーストを取り出して食卓に着いた。今日のメニューはいつも通り、トーストとヨーグルト、ハムエッグにサラダである。
「お前もよく耐えられるもんだよなぁ」
折角満明が取ってきた新聞に触れもせず、満明の顔を見ながら父親は食事を開始した。トーストにかじりつき、唇のわきにイチゴジャムをつける。何が、と満明が呟けば咀嚼の音が止んだ。
「これで何人目のストーカーだ?しかも大半が男だろ」
もうこれを読んでいる方はとっくの昔にお気づきの事だろう。そう、時任満明の抱える唯一の悩み、それは度重なるストーカー被害である。
「大半どころか100%男からだぜ」
それも、男からの。
額を押さえている父親をよそに、満明はゆっくりとした所作でコーヒーを一口すすった。量重視で味にこだわらない満明が唯一凝っているのがこのコーヒーであるが、今日もいい味だったらしい。口元をゆるめてカップをテーブルに戻す。黒々とした液体が自分自身を映していることに気付くと、その表情は再び締まった。
「普通ならノイローゼものなんじゃねぇのかい」
「いつのまにか臨床心理の検体リストに入ってたことはある」
「洒落にならねぇじゃねぇか」
ここで満明が今まで受けてきたストーカー被害について話しておこう。
彼が最初にそういった犯罪行為に触れたのは小学生の時である。満明少年は体の発育がよく、小学五年生の時分にはすでに中学生に時々間違えられる程度の体躯を持っていた。そして顔も中々に整っていて肌も白い。すこし癖を持った髪の毛は彼の鋭い印象を柔らかくして親しみやすさを持たせた。要するに彼は誰もが認める美少年であった。だが彼の周囲に集まりはやし立てる取り巻きたちとは違い、その満明少年は、孤立というほどではないが友人といることをあまり好まない性格であった。その日もさっさと帰って遊びに行こうという友人たちと別れ、一人で図書室にいたのである。その帰り道、彼は家の鍵を首からぶら下げながらゆっくりと歩いていた。その手には本が開かれていて、すれ違う大人たちは危ないよ、と時折注意するものの温かい目で彼のことを見守った。一つ、その目に別の温度を持った男がいたのだけれど。
「……?」
満明少年は何かと聡い子供であった。何か気配を感じ、くるりと後ろを振り返る。そこには、中年だろうか、でもスタイルは悪くない、むしろ紳士という言葉が似合いそうだ、そんな男性が一人いるだけだ。きっと行く道が自分と同じ方向なのだろう。本を読みながら歩く自分が珍しいのだろう。何もおかしいことはない。満明少年は目線を本に戻しまた歩き出す。そしてまた気配を感じ、振り返る。それを何回か繰り返すうち、おかしいことに気付いたのだ。
後ろを歩く男性と距離が全く変わらない。
青年と小学生だ、すぐ追い抜かされてしまってもおかしくないというのに……。
満明少年は覚悟を決めてもう一度振り返った。そしてそのまま、足をぴたりと止める。その行動が予想外だったのだろう、本来ならば諦めて通り過ぎるのがセオリーであろうに、男はほぼ同時に立ち止まってしまった。
「何してんの、おじさん」
繕う気はなかった。率直に問うてくる満明少年に戸惑っていたその男性は、やがて諦めたように口を開く。
「君を見ていたんだ、満明君」
男の声は男の容姿とよく似合って、低く心地の良いものだった。男は満明少年の直ぐ側まで寄って、それから膝を折る。見上げてくる男の目をのぞき込みながら、満明少年はどこか懐かしいような感覚を覚えていた。なぜかは知らない。だが彼はこの目を知っていたのだ。
「おじさん、俺と会ったことある?」
素直に疑問を口に乗せた満明少年に、男は顔を輝かせた。ずっと恋いこがれていた少年が自分のことを覚えてくれていた。少女なら覚えがあるような片思いの感覚を、男は今ひどく歪んだ形で覚えていた。
「残念ながら私は君を見ていただけだよ。嬉しいな、少しでも君の中に残れているなんて。ああそうだ、会えたらずっと言おうと思っていたんだ。こんな時間に一人で歩くのは感心しないよ、しかも本を読みながらなんて危ないじゃないか。ここいらはまだ治安もいい方だけど絶対に安全というわけではないんだよ?私が見ていたからいいものの、誘拐に遭っていたかもしれない。君みたいな可愛い子が誘拐に遭ったらきっと帰してもらえないよ。どこかに売り飛ばされるか……犯人に好き放題されてしまうかもしれないね?いやだろう?」
男の息づかいが段々と荒くなっていくのがよくわかった。満明の細い肩を掴んだ男の手もひどく熱い。少し涼しくなってきた夕暮れ時だからか、その熱さがじっとりと小さい身体に浸食していく。
「満明君、おうちに帰ってもお父さんは居ないんだろう?病院は大変そうだしね。いくら家だからって安心してはいけないよ?今は鍵なんて簡単にピッキングが出来る時代だ、やっぱり誰かと一緒にいるのが安全だ」
チャリ、と満明少年の胸で金属のすれる音がする。いつのまにか男は鍵を取り上げて自分の掌にしまい込んだ。
「おじさんのうちでお父さんが帰ってくるまで待っていたらいい。なんだったらご飯も一緒に食べようか。大丈夫、お父さんが帰ってきたらすぐわかるようになってるから、ほんの少しだけだよ」
満明少年は動けなかった。じっと目の前にいる男のうつろな目と紅潮した頬を見つめていた。その目はどこか焦点があってはおらず、男のその後ろ、影のようなものを見ているようにも見えた。それに男は気づいているのかいないのか。その細い肩をグイと引き、自分の行きたい方向へと進ませようとする。
「俺、行くって言ってない」
するりとその手をすり抜けると、にこにこと満明少年は笑って男を手招いた。その表情はいつもの大人びた彼に比べて幾分か幼く、沈みかけた夕焼けにきらきらと輝いていた。ありきたりな表現であるが白魚のような指先が、ゆらりと泳ぐように揺れる。
「まだ俺遊びたい。鬼ごっこしよう、おじさん鬼」
無邪気だ。
男はふらりと足を進めた。満明少年の歩幅は男のそれよりもずっと小さい。だから、満明少年がいくら早歩きで行こうが男は歩いていれば離れずについていけた。満明少年は時折振り返ると、男の存在を確かめるように笑う。その笑顔が見られるたび、男の胸の内は満たされるようだった。今まで遠目から見ているだけだった天使のような少年が、今こうして自分を相手に戯れている。それだけでこの世が天国のように思えたのだ。今進んでいる細い路地がまるで広がる花畑のように。右、右、突き当たるまでまっすぐ進んだら今度は左。誘われるままに足を動かした。
そして追いかけていたはずの天使は一つの建物の中に潜り込んで一言吐き捨てたのだ。
「すいません、変質者に追いかけられていて」
これが、満明少年が経験した初めてのストーカー騒ぎである。
それ以来、彼は年に一、二度、多くて三度のストーカー騒ぎを起こされた。父親の仕事の都合上引っ越すわけにもいかず自衛を余儀なくされた満明は、仕事を継ぐための頭と共に体まで鍛え、そしてそれにより更なる被害を呼びつつ、こうして平穏と何とか呼べる日々を送っているのである。
「ま、今までも何とかやってきたんだ。今回も大丈夫だろうよ。心配すんな、親父」
そうして満明は父親との話題を切った。それ以降は父親も新聞に目を向けて、お互い無言で朝食を終えると流しに食器を置いて荷物を持つ。
学生の本文は勉強だ、おろそかにするわけにはいかない。本日は平日であり、世間一般の学生の例に漏れず満明もしっかりと講義の予定が入っていた。
「今日早帰りだけど、なんか食いたいもんあるか?」
「いーよ、有り合わせでいいからおとなしく家に居やがれ」
「過保護過ぎんだろ」
「お前がさせてんだよバァカ」
学校帰りの買い物位でそんな警戒することもないだろうに。
小さく笑ってから満明は家を出た。
郵便受けにはまた一通、便箋が放り込まれている。
もしかしたらまだここらへんにいるかもしれない。会いたいような会いたくないような、そんな人物をきょろきょろと探しながら、彼は今日もいつも通り学校へと急ぐ。



*  *  *


「ただいま」
朝父親にした宣言に違いなく、満明はいつもよりずっと早い時間に玄関の扉を開けた。
有り合わせでいい、そう言われたがその手には近くの商店街で買った野菜やらがエコバッグに入って抱えられており、今日は夏にもかかわらずあえてのキムチ鍋の予定である。
夏バテも怖いし、なんだかんだで自分も父親も大食漢だ、きっと一日で食い尽くすだろう。そう考えてのセレクトである。
夏の昼間、すっかり閉めきっていた室内はむっとして汗をかかせてくる。
シャツを脱ぎ去って中に着ていたタンクトップ一枚になると、窓を開けるより先に買ってきたものを冷蔵庫に詰め込む。
漏れ出てくる冷気が気持ちよく、ついつい満明は目を細めた。だがこのまま開けておくわけにもいかず、少々ためらったもののおとなしくその扉を閉める。
まだ時刻は三時の半分を過ぎた頃だ。今から鍋の準備をするにはまだ早い。部屋で軽く今日の復習でもして時間をつぶしてから、それから準備に取り掛かろう。
そう思い至った満明はリビングや廊下の窓を一つ一つ開けながら自分の部屋を目指す。生ぬるい風が室内に入ってくるのを感じながら目的の部屋の扉を開けた。
「おかえりなさい」
とたん聞こえてきた言葉には流石の満明も驚いた。
室内はクーラーのおかげかひんやりと涼しく、行く前に床に投げていった手紙の束は綺麗に机の上に束ねて置かれていた。起きた時のまま皺だらけになっていたはずのシーツはぴんと張りなおされていて、そこには一つの影がちょこんと座っている。カーテンが閉め切られているせいでよくは見えないが、自分と同じ、またはそれより年下の男性のように見える。少なくても女ではない、やはり割合は100%から変化はなかった。
「おい、誰だ」
「聞かなくてもわかるでしょう?意地が悪い」
わかんねぇから聞いてんだよ。なんていう言葉は呆れて吐いた溜息と一緒に流れていってしまった。頭痛がする。手持ちの頭痛薬を口の中に放り込みながら、満明はじっと暗闇の中にいる男をなんとか確認しようと足掻いた。やはりその男に見覚えはなく、心の中でそっと満明は首をかしげる。面には出さない、出せば逆効果だ、経験でそんなことはわかりきっている。
「手紙、読んでくれたんでしょう?返事はなかったけど、来ちゃった」
手紙とは今日回収したあれの事だろう。一ページ目で、というか数行で諦めてしまったがきっとそのあとに彼の言うような旨が書いてあったに違いない。満明は少しだけ後悔した、だがすぐに思い直した。この手のやつはなんとか拒否のサインを送ってもこうして侵入を果たす。無駄な労を担いたくはない。
「鍵、閉まってたろ。どうしたんだ」
「ふふ、手先は器用なんだ」
ピッキング、と暗に言いたいのだろう。ここでも満明の過失が発覚した。鍵穴を注視しておけばなんとか予測がついたかもしれない。
「で、用件を聞こうか」
この件に関して満明は経験則からか見通しが大分立っていた。目の前の男がどういった反応をとるのかはまだわからないが、どういった話題を切り出してくるのかは予測がつく。
ここで満明のスペックを確認しておくが純日本人の身長187センチ、体重72キロ。体格はいい方だ。そしてこの男は変態をことごとく引き寄せる。
「俺の彼女になってください。幸せにしてあげるから」
これだ。
彼女はやめろ、せめて恋人って言え。
そんなずれた突っ込みをしたくなるほどに、満明はこの手の言葉を聞いていた。そのずれた突っ込み通り恋人と言ってくるやつはいい。まだ正常だ、まだ男扱いしてもらえている気がする。だが幼少時代ならまだしも、こんな体格のいい男を女扱いしたい、養いたい、そんな願望を持つなんて歪んでいる。憤りと羞恥に身を任せて殴り倒したい。そんな願望を満明は虚ろな目の奥に抱えていた。
予想通りの切り出しに、先ほどの物よりずっと重い溜息をつく。
よろりと椅子に座り込むと、男は満明の足元にしゃがみ込んだ。
膝の上で手を重ね、やっと見えた大きな目を上目使いして満明に媚を売る。
「君の事をずっと見てきたんだよ。君の事ならなんだって知ってる。身長体重好きなもの嫌いなもの今何をしているのか将来どうなりたいのか家族構成今まで身の回りで起きていたこと全部。今まで変な人に付きまとわれてきたんでしょう?大変だったよね、これからは俺が守ってあげる。一杯勉強したんだ。盗聴器とか監視カメラの見つけ方とか、ちょっと参考にしたりとかもしたけど、これからはそれもいらないね」
「ってことはこの部屋についてんだな監視カメラと盗聴器。またあら探しかよめんどくせぇ」
満明は視界に垂れ下がった前髪を掻きあげながらうんざりとした口調で言った。
そう、初めてではないのだ。慣れきっている彼についても若干の恐ろしさを感じるが今はそれどころではない。
男はいまだ満明の足元でにこにこと彼のことを見つめている。彼からの答えを待っているのだ。きっとイエスという色よい返事が返ってくるのだと疑わず、自分のものだというように満明の膝をゆっくりと撫でながら。
だが残念ながら、そして当然ながら、現実というのはそんな都合よくいかないものである。
「残念ながら今恋人は募集してないんでな。帰ってくれ。盗聴器云々はあとで自分で探して捨てる」
じゃ、そういうことで。
そして満明はスマホを取り出すと慣れた手つきである場所へメッセージを送った。この送り先はいずれわかることなのであえてここでは言わないことにする。
そして足元の男を邪魔だとばかりに軽く足で小突くと、立ち上がって扉を開ける。
「出来れば手紙は回収していってくれると助かるが、まぁそこまで言わん。大人しく帰ってくれるのが一番だな」
男は座り込んだままだった。どこか茫然としているようで、じっと満明の方を見つめている。満明は吐きたかったため息を一度じっとこらえた。ここで動いたら、どんな感情でも少量でも見せたらいけない。そこに付け込もうとしてまだ足掻こうとする。そんな例も少なからず見てきたのだ、満明は。
「どうして?」
男はぽつりと誰に対してでもないように言った。
「だって、俺が一番君のことを理解してる、知ってる、わかってあげてる。きっと、きっと他の誰よりも君を楽にしてあげられる。自信がある、そんな未来が見えるんだ、それなのに」
ぶつぶつとわけのわからないことを言い出した男に、満明はいつも通り呆れを通り越して憐れみを抱いた。
とんだ勘違い野郎だ。図々しくて、見苦しくて、そして可哀想だ。
なんで俺に寄って来るやつはこんなのばっかりなんだろう。
そしてなんで俺はこういうやつを見ていると、
「別にお前みたいなやつが嫌いなわけじゃない」
安心するんだろう。
「でもな、なんかものたりねぇんだ」
「監視カメラとか仕掛けられても、手紙山ほど送られても」
「どっか、なんか抜けてる感じがする」
「お前らも変態だなって思うけど、俺もどっこいじゃねぇかなとか思ったりな」
「まぁ、なんだ、上手く言えねぇんだけど」
満明はいつものきっぱりとした口調から離れて、どこかたどたどしく言葉を選ぶように語りだした。
頬は紅潮して、懐かしさを帯びた瞳をして、初恋を語る少女のような表情で、ぶつ切りの言葉をかろうじてつなぎ合わせた。
だが目の前にいる男からしたらその言葉もかわいらしいと言ってもいい表情も死刑宣告に近く、彼は小さく問うたのだ。
「じゃ、じゃあ……どうしたら、僕は君を満たしてあげられるの?」
まだ少し飾ったような口調ではあったが、大分彼の心は崩れ始めていた。目はゆらゆらと湖畔に滲み、腕は小刻みに震える。
その様子を満明はまるで子供を見るような優しい瞳で見つめていた。
そして彼に近づいてしゃがみ込み、肩を軽く叩くと、耳元で流し込むように言った。
「俺の遺伝子配列把握してから出直してきな」
玄関の扉が開く音がした、騒がしい足音もとたんに複数聞こえてくる。
足音はまっすぐ今満明たちのいる部屋に近づいてきて、部屋の中を覗く。
見えたのは紺色の制服で、本来ならばテレビか交番くらいでしか見ないであろう制服警官の姿がそこにはあった。
「お疲れ様っす」
「もう勘弁してくださいよ……どうせなら署まで連れてきてください」
「無茶言われちゃ困りますよ。俺はこのまま夕飯の支度です」
慣れたように会話をする満明。それはそうだもう何年も被害者という立場で御厄介になっていれば警察関係者に知り合いも多い。アドレスを交換している人間も多くいて、先ほど送ったメッセージもその中の一人に向けてのものだった。
ずるずると引きずられていく男を見送りながら、満明は考える。
そういえばここまで自分の中身を吐露してやった奴は初めてかもしれない。
最近のストーカーが電話程度の軽い存在ばかりだったからかもしれないが、それでもやっぱり自分にしてはおかしいことだ。
冷静に自己分析をしながら、満明は玄関まで厄介なものを回収してくれた警官を送っていった。
最後まで男は満明に視線を送っている。もうその目に期待はないが、せめて何か、と縋るような、そんな目だ。
そんな目を見つめ返しながら、満明は無慈悲にも言ってやるのだ。
「チェンジ」
軽く手を振ると扉は閉まった。
外から聞こえてきた嗚咽なんて、きっと気のせいだったのだろう。

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