温かく神聖な驚異2

少年は語り出す。自分の心の中で秘め続けていたことを。許されないだろうと思っていたことを。墓まで持っていこうと幼いながらに決めていたことを。この安らぎの膝の上でゆらりと揺さぶられながら、ゆっくりと、だが止まることなく。
少年の名前は主、といった。あるじという字を書いてつかさと読む。それは自分でも書けるほど簡単な字であったが、初対面の人には読めないと言われることが多かった。その名前が主は物心ついたときから嫌いだった。神からの、主からの祝福があるように「主」。大人はその名前に感謝しろと押し付けてくる。こんな名前、出来るものなら焼いてしまいたいと思っていた。無駄に仰々しいだけ、祝福なんて一ミリたりとも貰ったとは思えない。もし祝福があったなら、自分には優しい両親と温かい家庭があったし、もっと子供らしく無邪気で愚かな思考があっただろうにと他人事のように思ってしまう。そんなことを考えながら、主は毎日自分と他、数人の子供たちに宛がわれた孤児院の部屋の隅で膨れていた。すぐそばにある窓からは子供たちの明るい笑い声と、時折盛大な喚き声が小さく届く。それがどこか羨ましくて、羨ましく思ってしまう自分が嫌で、主はいつも薄い毛布にくるまって耳を塞いでいた。

神様なんていないんだ。
もしいたら、今すぐ僕をきっと消してくれる。
この虚しいだけの日々を、魔法のように終わらせてくれる。

ずっとそう思っていた。
消えてしまいたい。それが主の中に残っていた願い事だった。いつからかもわからないくらいに、ずっと主に寄り添い続けたものだった。祝福のかけらもないこの人生にさっさと別れを告げ、次の世界へ行ってしまいたい。
だから主は祈らない。形だけの祈りは生きていくうえでいくらだって行うが、心まで捧げたりなんてしない。
ずっと待っているのだ、自分が心から慕える神様を。主という存在を消してくれる者、または主の中にあるこの汚泥のような感情を消してくれる者を。ずっとずっと、待ち焦がれている。そしてその小さな足を持って探している。ふらふらと夜中、街をさまよっているのもそのためだ。教会にいる神父もシスターも、それに関しては知っている。幼い子供の逃亡に気づかぬほど彼らは愚かではない。だが止めることは出来なかった。止めてしまえば、主の中にある心の支えを折ってしまうことになりかねない。だから彼らは主を見逃し、何も知らないふりをして優しく彼に微笑むのだ。その彼らの感情すら主は知っていた。知っていて、また彼は奥歯を強くかみしめた。

「いずれ、君の前に君だけの神が現れることだろう」

ただ、神父の言うこの一言だけは信じている。信じなければ、いけないと思った。自分の行動を肯定する言葉を。
そして主は今夜も夜を歩く。巡回の警察官に声をかけられようが、ガラの悪いずっと年上の男に絡まれようが。逃げて逃げて逃げた、そうしなければ神様は遠のいてどこかに消えてしまう。いないといくら言っていようと、子供とは希望を持ってしまう生き物だ。まだ見えぬ彼の神は、彼の望みをほんの少しだけ叶えてくれた。ほんの少しだけ、彼を子供に戻してくれた。

ありがとう、ありがとうございます。だから、早く僕の前に出てきてください。

走って走って、時折転んで血を流し、それでも主は走った。そして彼は夜にも場所を手に入れた。

「坊主、こんな夜中に一人じゃさびしかろうて」

それはとある公園にいる浮浪者たちの集まりだった。コミュニティ、なんて高尚なものではない。ただ夜に誰ともなく集まり、日が昇れば散っていく。そんな集合体。その中に主は紛れ込んだ。そこは孤児院よりずっとずっと居心地がよかった。静かで、ぼそぼそとした低い声が耳に心地いい。時折暖を、と抱きしめられることはあれど、彼らの体温は低く、いつも強いられる子供たちの不快な生温さはない。時折撫でてくる手は神父と似ていて嫌いだったけれど、その程度ならば我慢しようと思えた。そのくらい、彼らのことは好きだった。歩き疲れ、眠気が押し寄せ、どうにも動く気力がなくなったとき、主の足はよろよろと公園へ向かう。誰かが彼の体をふわりと抱き寄せ、休むベッドの代わりになってくれることを望んだ。
もし天国があるならこんな場所がいい。聖書に描かれているようなあんなきらきらとした場所はきっと目に痛い。
そんなことを考えては、主は名も知らぬ浮浪者の腕の中でくふくふと小さくむずがるように笑った。それだけで、彼の周りは少し明るくなったような気がした。
そしてそれは「気がした」だけではなかったのだけれど。

「やぁ、貴方たちは何をしている人だい」

現れたそれはそこにいた全員に聞こえるよく通る声で言った。だがそれを発したのは決して口からではない。当然目からでも、耳からでも、鼻からでも、額からでもない。そもそも、それにそういった顔のパーツは一つだってなかった。

「ろうそく」

誰かがポツリとつぶやいた。そう、ろうそく、蝋燭だ。人の体、その首には薄桃色をした大きな蝋燭が頭の代わりに乗せられている。蝋燭の中心にはぽっかりと穴が開き、頭頂部だけではなくその穴の中でもオレンジ色の炎が揺らめいていた。
到底、それは人ではなかった。

「こんばんわ、化け物だよ」

そういって蝋燭頭は彼らに会釈をする。
主はその自称化け物から目が離せないでいた。ぽつんと、一つの単語が彼の頭の中に浮かぶ。それはいくつにも数を増やしてその小さな頭の中を埋め尽くした。
世間が言う神様からは遠のいたその容姿はすっかり彼を虜にした。化け物という割に丁寧な言葉、そして少年のような声色は今まで聞いてきたどんな声より優しかった。

その時、少年は初めて彼の神様に祈ったのだ。

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