drowning in the Milky Way

※星満ちる海に願いをわたして


煌めく星々の海の中でオーエンは周囲を泳ぐ空遊魚を眺めていた。揺らめく尾びれの動きは優雅で、まるで海月のようにも映る。遠くではしゃぐ年若い魔法使いたちを一瞥して音もなく箒を滑らせた。頬を切る風は昼間に比べて随分と涼しく感じられる。空遊魚に囲まれていると、不意に背後から声を投げ掛けられた。

「オーエン」

振り返れば眠そうな面差しでミスラがこちらを見つめていた。座っているのは箒ではなく、ラスティカが用意した魔法のソファーだ。一人掛けにしては大きすぎるそれにふんぞり返るように座りながら、ミスラは顎を持ち上げる。

「まだ連れてこられたことを拗ねているんですか」
「は?別に拗ねてなんか……」
「一人だけ離れたりして、機嫌が悪いんでしょう」

ミスラを乗せたソファーはふわりと浮き上がり、オーエンの目の前へと移動する。顔を覗き込むようにされたオーエンは、ふいと顔を背けて眉を顰めた。

「別に一人で居てもいいでしょ。僕の勝手だ」

ミスラは何か言いたげに唇を歪めたが、踊るように泳ぐ色鮮やかな空遊魚たちへ視線を向けた。ひらひらとしたその動きに表情を和らげてオーエンを見遣る。

「あなたは土砂降りになればいいと言っていましたが、本当にそうなっていればこの景色は見れなかったでしょうね」
「おまえ、そんなことを言うために来たの?」
「フィガロに連れてこられたのは不本意ですが、この景色は悪くありません」

皮肉っぽく表情を歪めていたオーエンだが、ミスラの視線の先で婉麗な旋回を見せた空遊魚に口を閉ざした。言いかけていた言葉をそっと飲み込んで僅かに俯く。

「……そうかも」

箒を滑らせて手を伸ばすと、空遊魚たちが寄ってくる。指先に触れたひれや鱗の手触りはどこか不思議で、触れているのに触れていないようだった。

「土砂降りになれば天の川が洪水になって、織姫と彦星が会えなくなると思ったんだ。年に一度しかない機会を潰されたら、さぞ落ち込むと思わない?」
「あなたらしい考えですね。でも、天の川は本物の川ではありませんよ」
「……うるさいな。ただの比喩だから」
「それに、たとえ本物の川だとしても洪水にはならないんじゃないですか?」
「は?」
「天の川は途方もなく大きいと賢者様は言っていました」
「でも、賢者様は雨が降ると織姫と彦星が会えなくなるって言ってたよ。台風?のせいで、七夕の時期にはよく雨が降ったり曇ったりするって」
「単に地上から見えないということでしょう。雨や雲なんて星々には無縁ですよ」

こともなげに呟いて、ミスラは音もなくソファーを浮遊させた。オーエンの隣へ移動すると、小さく呪文を唱えて窓ほどの大きさの扉を出現させる。

「何してるの」
「いや……腹が減ったなと思って」

再び呪文を唱えたミスラの右手にはカクテルの入った2つのグラス、左手にはカーケンメテオルの大皿があった。オーエンは呆れたように眉を下げ、差し出されたグラスを受け取る。互い違いの双眸をゆっくりと眇めながら口を開いた。

「僕が作ってやった時からずっと食べてただろ」
「あなた、これを作るのが上手いですからね。あの焼き加減は絶妙でしたよ」

ミスラに微笑まれたオーエンはぐっと押し黙る。彼が今手に持っているのは綺麗な焼き色のカーケンメテオルだが、ミスラが褒めているのはそれのことではない。その前に大量に生み出された―――真っ黒な消し炭のことだ。

『オーエン、カーケンメテオルを作りましょう』

そんな言葉で強引に呼び出された時のことを思い出す。作りましょう、などと言いながらミスラがオーエンを手伝うことはなかった。その上、"賢者が七夕にちなんだ料理を作りたがっていたから"という理由は、散々消し炭を生み出した後で聞かされた。単にミスラが食べたがっていると思ってパンのたねを燃やしていたオーエンは、後から知らされた理由に愕然としたものだ。大量の消し炭を手に賢者の元に戻ろうとするミスラを引き留め、なんとか火加減を工夫して出来たのがパーティの場に出ている綺麗なカーケンメテオルだった。消し炭とそれを見比べながら、本当にこっちは出さないんですか?と残念そうな顔をしていたミスラを思い出してしまったオーエンは、消し炭のように苦々しい気持ちになる。

「……あっそう。良かったね」

美しい焼き色のカーケンメテオルに食らいついているミスラを横目にオーエンは溜め息を吐いた。腹が減っているわけではなかったが、ミスラに大皿を差し出されて一つを手に取る。柔らかくもっちりとした食感と高級星屑糖の上品な甘さに、オーエンの頬は自然と緩んだ。複雑な味わいのカクテルも相性が良く、苦々しい記憶も少しずつ遠ざかっていく。ふと視線を落とせば空遊魚たちが至近距離をぐるぐると泳いでいて、オーエンは困惑に眉根を寄せた。

「ちょっと、何」
「甘い匂いがするんじゃないですか?」

オーエンは戸惑いながら箒を滑らせるが、ミスラの指摘は正しいようで空遊魚たちはずっと後ろをくっついてくる。ミスラはそんなオーエンをぼんやりと眺めていたが、やがて手に持っていた大皿とグラスを宙に浮かせた。腕を伸ばしてオーエンの身体を強引に引き寄せる。バランスを崩したオーエンは慌てて体勢を立て直そうとしたが、呆気なくミスラの腕の中に倒れ込んでしまった。耳元に触れる吐息の擽ったさに身を捩ると、頭上から低い笑い声が落ちてくる。オーエンは声を上げて暴れるが、ミスラは意に介した様子もなく顔を寄せてきた。

「ああ、やっぱり。あなた甘い匂いがします」
「ン、んむ……っ…」

唇を食まれたと思えば侵入してきた舌に歯列や上顎、頬の内側まで丁寧に舐められる。ミスラが満足するまで口腔内を蹂躙され、舌が痺れた頃になってようやく解放された。離れ際にぺろりと下唇を舐められたオーエンは頬を紅潮させる。

「何、するんだよっ」
「あまったるいな……。あんなに文句言ってたくせに、飴食べたんですね」

オーエンに纏わりついていた空遊魚たちが次第に遠くへ離れていくのを確認すると、ミスラはどこか満足げな笑みを浮かべた。眦を吊り上げているオーエンの滑らかな頬を宥めるように撫でて、うっそりと笑みを深める。

「ブラッドリーは天の川を飛び越えて攫うと言っていましたが、俺も似たようなことをするでしょうね。我慢するのも、奪われるのも嫌いなので」
「それって、どういう……」

ミスラの言葉の意味を咀砕しようと試みるオーエンだったが、再び重ねられた唇によってその思考は霧散してしまった。見つめた先の美しい翡翠の瞳は、空遊魚の鮮やかな色を受けて不思議な光を宿している。星々の瞬きに包まれながら、溺れるような感覚にオーエンはただその身を委ねた。


end.




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