あかくてあまい



うつくしい白磁のカップの中で深紅色の液体が揺れる。花のような甘い香りは優しく鼻孔を擽り、その心地よい芳香は自然と心を落ち着かせてくれる。晶はうっとりと目を細め、しばしその香りを堪能した。テーブルの上に並べられた焼き菓子はどれも美しく、なんとも優美なアフタヌーンティーに心が躍る。晶はクロエに勧められて一枚のクッキーを摘み上げた。中心に柑橘系のジャムが乗った花の形をしたそれは、口の中でほろりと解けていく。紅茶を口に含めば、そのマリアージュに頬が緩んだ。ふっと柔らかな音色が鼓膜を揺らしたと思えば、聞き慣れたチェンバロの旋律が談話室に流れている。視線を向けた先ではラスティカが温和な笑みを浮かべて音楽を奏でていた。その音色にクロエの表情は花が咲くように明るくなり、空気はふんわりと和らいでいく。そんな空間の中で、ただ一人だけむっすりと黙り込んでいた青年が薄い唇を開いた。

「……ねぇ、退屈なんだけど」

不機嫌を隠すことのない声色に穏やかな空気が壊されたというのに、クロエもラスティカも少しも気分を害した様子はない。細い指先がテーブルを叩き、コツコツと硬質な音を立てる。ラスティカはその音に合わせるように旋律を変え、クロエは楽しげな声を上げた。

「ちょっと……僕は演奏に参加したつもりはないよ」
「おや、そうだったのかい?素敵な拍子を刻んでいるように思えたのだけど」
「うん、とっても素敵だったよ!オーエンって歌も上手だよね。もしかして楽器の才能もあるんじゃないのかな?」

身を乗り出しそうな様子で口にしたクロエを一瞥して、オーエンはつまらなさそうに目を眇める。オッドアイに冷たく睨まれても、クロエに少しも怯む様子はない。その反応が面白くないのか、オーエンは視線を賢者へと滑らせる。二枚目のクッキーを口にしていた晶は、危うく喉に詰まらせそうになって目を瞬かせた。

「な……なんでしょうか、オーエン」
「お菓子があるって聞いて来てやったのに、甘いミルクでびしゃびしゃにしたスポンジみたいなやつも、どろどろの甘ったるいクリームもない」
「え、えっと、クッキーならありますよ…!」
「そんなのじゃ全然足りない。どうしてネロはいないの」
「東の国の魔法使いは任務に出ていて…」
「ごめんねオーエン、もっと甘いものを買って来ればよかった。でも、紅茶の市場だったからあまりお菓子は売ってなかったんだ」
「クロエが落ち込むことないですよ。……でも、すみませんオーエン。俺から誘ったのに。今はお菓子の材料もないみたいで、俺が作ることも出来ないんです」

申し訳なさそうに眉を下げた晶をじっとりと睨んで、オーエンは深い溜め息を吐く。持て余していた退屈に苛立ちが加わってこの上なく不快そうだった。クロエはなるべく甘そうなものを選んで焼き菓子を勧めるが、オーエンはそれらに目もくれない。今のオーエンは焼き菓子などではなく、柔らかいケーキや甘ったるいクリームが食べたいのだろう。

「じゃあ紅茶はどうかな?そのままじゃ甘くないけど、シュガーや蜂蜜を入れれば甘くなると思うよ。この紅茶ね、希少なローズの紅茶なんだ。西の国にしか咲かない珍しいローズで、すっごく甘い香りがするんだよ」

クロエはそう言って陶器のポットを持ち上げた。傾けられたポットの注ぎ口から、澄んだ鮮紅色の液体がカップに注がれていく。晶のカップに注がれているものとは違う種類の紅茶らしく、一段と甘い香りが広がっていった。オーエンはぱちぱちと瞬きを繰り返してその薫香に表情を緩める。ピンと張っていた空気が僅かに和らいでいくのを感じ取って、晶は誰にも気付かれないよう忍び笑った。

「甘い……」
「うん。とってもいい香りでしょ?俺が選んでみたんだけど、味もすごく良かったんだ。オーエンも気に入ってくれたら嬉しいな」

オーエンはクロエに勧められるままにカップを持ち上げた。精巧な人形のように整った横顔が香りをふっと堪能するさまは作りものめいていて美しい。薄紅色の唇が白磁に押し当てられるのを見て、晶とクロエはほぼ同時にオーエンがシュガーも蜂蜜も入れていないことに気が付いた。あっと声を上げるよりも早くオーエンは紅茶を口に含んでいて、穏やかになりかけていた面差しはたちまち苦虫を噛み潰したように変化していく。

「甘くない…!!」

眦を吊り上げて怒り出したオーエンに晶とクロエは顔を見合わせる。どうしよう、と困った様子のクロエを見て晶は助け舟を出すべく口を開いた。

「オーエン、クロエはそのままじゃ甘くないって言ってましたよ。シュガーや蜂蜜を入れたらいいと思いますけど……」

オーエンはギッと音がしそうな勢いで首を回して晶を睨みつける。晶が思わず情けない声を漏らしてしまうと、オーエンはすぐに視線を逸らしてカップの上に掌を翳した。掌から温かな光が広がったと思えば、大量のシュガーがカップの中に投入されていく。量にすればティースプーン3杯分はあるだろう。果たして溶けきるのか心配になるほどのシュガーを入れて、オーエンは満足げに魔法で紅茶を混ぜ合わせた。真白いテーブルクロスには飛び散った紅茶の染みが広がっていたが、オーエンはそれを無視して再びカップを持ち上げる。

「……甘くなった」
「良かったね。ねぇオーエン、味はどう?」
「味?……別に、普通じゃない?まぁ……美味しいんじゃないの」

ぶっきらぼうな言葉は途中で切られそうになったが、クロエが子犬のように眉根を下げたのを目にしたオーエンはぎこちない口調で言葉を続けた。晶はほっとした気持ちでそれを見守って、ふと何かの気配を感じて振り返る。長身の男が茫と立っているのを目にして反射的に声が出そうになるが、顔を見てなんとかそれを堪える。オーエンが視線を向けたのと晶が名を呼んだのはほぼ同時だった。

「ミスラ」

ぼんやりとした瞳が晶を捉え、それからオーエンへ向けられる。赤い髪はぼさぼさに乱れていて、よく見れば落ち葉や草が絡まっているようだった。晶は椅子から立ち上がってミスラに駆け寄り、手を伸ばす。

「どこかで寝ていたんですか?髪、すごいことになってますよ」

晶は手を伸ばして落ち葉を払おうとしたが、ミスラが無言で歩き出したのでそれは叶わない。他にも席はあるというのに、ミスラはなぜかオーエンの隣である晶の席に腰かけた。椅子を奪われた晶は困惑したが、溜め息を吐いてミスラの髪から落ち葉を取り去りはじめる。香水らしき甘い香りとともに湿った土の匂いもして、魔法舎近辺を徘徊していたのだろうと想像がついた。

「何をしているんです」
「アフタヌーンティーだよ」
「へえ。眠れる紅茶とかないんですか」
「そんなものないよ。ここにあるのは普通の紅茶と焼き菓子だけ。そもそも、そういうものは大抵試してどれも効かなかったでしょう。諦めが悪いね」

オーエンの言葉にミスラの眉根がぴくりと震える。空気が凍りかけたのを感じ取って、クロエは魔法でポットと新しいカップを宙に浮かせた。

「あのねミスラ、普通の紅茶だけどとっても美味しいんだよ。ほら、あちこち歩き回ってお昼寝して、お腹が空いてるんじゃないかな?」
「はあ、確かに。言われてみれば空腹な気がします」
「焼き菓子もいっぱいあるし、ミスラも一緒にお茶しよう!ね?」
「……まあ、いいですよ。付き合ってやります」

ミスラはなぜかクロエではなくオーエンの顔をじっと見つめて、呟くように返事をした。当のオーエンはおかわりした紅茶に再びシュガーを大量に投入しながら、どこか不思議そうに首を傾げていた。ミスラの髪から落ち葉を取り終わった晶は、どうしたのかとオーエンに声をかけてみる。

「……なんか、変。甘い匂いで、色も赤いのに……甘くないなんて」

晶は目を瞬かせて、先程のオーエンの行動を思い返した。話を聞いていなかったことはともかく、オーエンは甘い匂いと赤い色で甘い味だと判断したらしい。確かに、苺やベリーも甘い匂いがして赤くて甘い味をしている。少し不思議な判断基準だなと思いつつも晶が同意しようとすると、それを遮るようにミスラが笑った。柔らかく解けるような笑い方は珍しく、しかも向けられる相手がオーエンということに晶は驚く。驚いているのはオーエンも同じようで、面食らったように目を瞠った。ミスラは二人の反応など気にも留めず、クロエがカップに注いでくれた紅茶を煽る。どこか納得したようにああ、と呟きながらオーエンの顎を持ち上げた。二人の顔が近付いて、唇同士が触れ合うのを晶たちは目撃する。オーエンの視界は鮮やかな赤に染まり、甘い香水の香りが鼻先を擽った。

「……っ…!?」

オーエンの両目が大きく見開かれる。その唇から罵詈雑言が飛び出すことをその場の誰もが予想したが、オーエンの反応は真逆だった。何かを思い出したように硬直してミスラを見つめ―――頬が赤らんだと思えば煙のように姿を消す。晶とクロエは様々な混乱で声を失い、ラスティカさえも瞠目した。ミスラはそれを一瞥して得意げに微笑み、残されたオーエンのカップを持ち上げて紅茶を飲み干した。まるで彼そのもののような、甘ったるい液体を。



end.




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