そのままでいい

※レノックス誕2022ホームボイス


「しない」と言ったのにこいつの耳には聞こえていなかったらしい。唐突に談話室の絨毯の上に仰向けで寝っ転がったと思えば、膝を90度に曲げて両足を揃える。寝転んだままの状態で、眼鏡越しのぼんやりとした瞳が僕を捉えた。

「オーエン」
「なに。僕はしないって言って…」
「俺が手本を見せるから、足を抑えててくれ」
「はぁ?手本?」

そもそもしないと言っているのに僕がやること前提で動いているのは何なんだ。それに、僕相手に手本を見せるなんて偉そうにも程がある。それでも見上げてくる視線に居心地の悪さを感じて、立ち去ることもままならない。他の魔法使いに役目を押し付けようと周囲を見渡すが、他の面々はお誕生日様のレノックスを放置してキッチンに集っているようだった。

「動かないように足を抑えてくれるだけでいい」
「……はぁ、さっさと終わらせてよ」
「しっかり抑えててくれ」

どうして僕がこんなことを、と思いながらも屈み込んでレノックスの足の甲を抑える。腹が立って強めに抑え込んでみるが、涼しい表情が崩れることはない。仰向けになっていた身体が不意に持ち上がったと思えば、前に引っ張られる感覚に襲われる。ごん、という衝撃とともに頭頂部が痛んで僕は思わず声を上げた。

「痛い!何するんだよ!」
「……俺も顎が痛い。オーエン、しっかり抑えててくれと言っただろう」
「うるさい!僕に命令するな」

睨み上げてその距離の近さに息を呑む。こんなに近い距離でレノックスの顔を見たのは初めてで、思わずじっと見つめてしまう。思ったより整った顔をしているのだとぼんやり考えていると、レノックスの視線が僕の背後へと移動する。ぞわりと禍々しい魔力を感じて振り返ると、そこには空間の扉が出現していた。

「ミスラ?」

不思議そうなレノックスの呟きが終わらないうちに扉が大きく開け放たれ、翡翠が睥睨するように僕たちを見下ろした。そこに不穏な色を感じ取った瞬間、長い脚が一歩で扉を踏み越えて床に降り立ってくる。僕は慌ててレノックスから離れようとしたが、ミスラの手が僕の腕を掴む方がずっと早かった。呆然とした様子のレノックスには目もくれず、僕を睨みつけながら苛立ちを剥き出しにしている。

「オーエン……俺の部屋に来るように言っていたでしょう」
「誰が素直におまえの部屋なんかに行くと思う?」
「……相変わらず生意気だな……」
「生意気なのはそっちだろ!」

おまえには言われたくないとじたばた暴れてみるが、ミスラは僕を冷たく見下すだけで一向に解放してくれる気配はない。今の状態で姿を消したところで、すぐに見つかって痛い目を見るのが明白だ。陰鬱な気分になりかけていると、ミスラがようやく視線をレノックスへ向ける。その瞳の奥が怒りを孕んで燻っていることに気付いて、僕もレノックスも思わず息を呑む。どうやら、今夜のミスラは相当に苛立っているようだった。

「レノックス。この人は貰っていきます」
「……あぁ、分かった。でも、俺の名誉のためにも言わせてくれ」
「なんです」
「俺はただ、オーエンに腹筋の手本を見せようとしていただけだ」
「……腹筋?」

ミスラの瞳が僅かに見開かれる。驚いた表情でレノックスの顔をまじまじと見つめ返して、それから僕の方を振り返った。その視線が僕の腹へ移ったと思えば、揶揄するように薄く微笑む。

「この人には無理でしょう。教えたって出来ないのが関の山ですよ」
「は…!?ちょっと待てよ、おまえ…っ!」

その乱暴な物言いに僕の怒りは爆発し、体温が急上昇していく。なのにミスラは反論しようとする僕の腕を強引に引っ張って、開いたままの空間の扉へと押し込もうとしてきた。戸惑った様子のレノックスに視線を向けるが、なぜか曖昧な笑みを返されてしまう。その時になってキッチンから南の兄弟たちが戻ってきて、揉み合っている僕とミスラを見て困惑した表情を浮かべた。兄弟たちの手にはそれぞれ切り分けられたケーキが乗った皿があり、それを目にした僕はあっと叫びかける。まだ食べてないのに!そう口にする前に、僕の身体は空間の扉の向こう側へと落とされていた。


×


訪れるであろう衝撃に身構えていたが、予想していた痛みはやって来なかった。柔らかい感触に背中が包まれたと思えば、鼻先を覚えのあるハーブの香りが擽った。衝撃とともにミスラも落ちてきて、その勢いでベッドが大きく軋んだ。そろそろ壊れるのではないかと溜め息を吐くと、ミスラはなぜか機嫌よく微笑む。

「あなた、身体を鍛えたいとか思うんですね」

「勘違いするなよ。レノックスが勝手に言い出して手本を見せてきただけだ。僕は身体を鍛える必要なんて感じてないし、無駄なことだとしか思ってない」
「なんだ。でも、俺はたまにレノックスと鍛錬していますよ」

ミスラの言葉に僕は瞬きを繰り返す。不本意だが驚いてしまって、身体を押し退けようとした腕が動きを止めてしまった。ミスラはその間にも距離を詰めてきて、勝手に僕の髪を指先で弄びはじめる。

「おまえが、あいつと?」
「別に示し合わせているわけではないですし、たまたま会った時だけですが。……そんなに驚くことですか?」
「いや、だって意外で…」
「レノックスほどではありませんが、俺の身体だって引き締まってます。それはあなたが一番知っているんじゃないですか?」

ミスラはそう言って僕の手を自らの腹へと誘導した。黒いシャツ越しにもわかる腹筋の凹凸を指先に感じて、じわりと熱が呼び起こされそうになる。僕は薄く笑って、ミスラの腹をわざと勿体つけた動きで撫でてやった。ぼんやりとしていたミスラの表情に微かな色が滲みはじめたのを確認してから手を引く。

「そうかもね。でも僕は鍛錬に興味なんてない」
「……まあ、あなたは薄っぺらい身体がお似合いですよね。俺より弱いし、体力もないし。ああ、知っていますか?賢者様の世界では、そういう人のことをもやしっ子と呼ぶそうですよ。オーエンはもやしっ子ということですね」
「はぁ!?誰が…」
「そうじゃないと言うなら、やってみてくださいよ」
「何を」
「腹筋です。1セット10回ですよ。俺はいつも5セットやるけど、オーエンは3セットが限界かな……でも、もやしっ子じゃないと言うなら出来ますよね?」


×


売り言葉に買い言葉。出来るに決まってるだろと豪語した僕は、ミスラに足を抑えられた状態で腹筋に勤しんでいた。べたべたと身体を触られて正しいフォームを教えられ、繰り返し身体を起こす。しかし、初めての慣れない行為に僕の身体はすぐに悲鳴を上げはじめる。腹筋が引き攣れるような痛みに襲われて顔を顰めると、身体を起こした先の至近距離でミスラがにっこりと微笑んだ。終わるまで解放してくれないのは明らかで、ペースに乗せられるのも気に食わない。悔しさに歯噛みしながら再び身体を起こすと、ミスラの手が僕の腹に触れる。何をするつもりなのかと思えば、指先が僕の腹を撫でるような動きでなぞりはじめた。

「ほら、オーエン。まだ2セット終わっただけですよ」
「……、ッ…!」
「悔しいですか?なら、もっと頑張ってください」

ミスラは僕の動揺などお見通しといった様子で微笑み、容赦なく僕の腹を撫で回した。僕の身体はその度にびくびくと跳ね上がってしまう。その反応を楽しむように、ミスラは何度も同じ場所を往復して指先を這わせてくる。耐えきれずに声が漏れると、ミスラは満足げな笑みを浮かべて強く腹を圧迫してきた。

「っ、あ……!?」

圧迫感と痛みで息が詰まって酸素が取り込めない。息苦しさに力が抜けて、僕は起き上がりかけた体勢から後ろへと思いきり倒れ込んでしまった。ベッドのスプリングが大きく軋んで、身体がバウンドする。頭上にゆらりと黒い影が落ちてきたと思えば、ミスラが僕を見下ろしていた。僕を見下ろす顔には愉悦が滲んでいて、それが無性に腹立たしい。呼吸もままならぬ状態で睨み上げると、ミスラは呆れたように目を眇めた。

「やっぱり無理でしたね。3セットも出来ないとは思いませんでしたが」
「おまえが邪魔するからだろ!」
「あの程度、邪魔のうちに入りませんよ。……まあ、結局あなたはもやしっ子ということが分かりました。残念でしたね」

横柄なミスラの言葉に言い返そうと口を開くと、それを遮るように唇を塞がれた。組み敷くようにして覆い被さられ、散々酷使された腹筋が圧迫される。僕が痛みに悲鳴を上げると、ミスラはくぐもった笑みを零した。

「諦めた方が賢明だと思いますよ」
「自分から鍛えたいと思ったわけじゃないって言っただろ…!」
「すぐムキになるあなたも悪いですよね。……まあいいや、こっちに来てください。この枕は俺のです。羊毛で出来ているんですよ。あなたも触ってみます?もこもこしていて柔らかいでしょう。最近、気に入ってるんですよね」
「おい、この手を離せ!僕は帰る」
「あなたも一緒に寝るんですよ。そのために呼んだんですから」

ミスラは僕の返事も聞かずに抱き寄せてくる。首筋に鼻先を寄せてきて、安堵したように深く息を吐いた。温かな呼気を胸元に感じて、抵抗していたはずの手から力が抜けてしまう。ミスラは僕を見つめ、薄い唇をそっと開いた。

「あなたは今のままでいいと思いますけどね。筋肉は似合いそうにありません」
「馬鹿にしてるの?」
「いえ、どちらかといえば褒めてるつもりなんですが……難しいですね。あなたが筋肉をつけたら、こうやって抱き締めたり持ち上げたりもしにくいですし。細い身体の方がオーエンらしいと思います」
「……おまえが好きなようにしやすいってだけでしょ。腹が立つ」

ぼそりと呟くと、宥めるように頬に掌を添わされる。ミスラはそのまま僕を見つめていたが、不意に笑みを零した。僕の唇を撫でて、囁くように名前を呼ぶ。

「オーエン。あなた、自覚ありました?腹筋している時、顔が近づくたびに物欲しそうな目をしていましたよ。あんな目で見られたら悪戯したくもなります」
「は……っ!?」
「レノックスもあの距離であなたを見たと思ったら、腹が立ちましたが……誕生日なので見逃してやります。ほらオーエン、キスしたいんでしょう?」

骨ばった指が誘うように唇をなぞる。翡翠の瞳が僕だけを映して揺れた。オーエン、ともう一度名前を呼ばれる。腹の底がむかむかして、腹筋は痛んで仕方ないのに、僕は誘われるがままに顔を寄せてしまっていた。音もなく唇が重なって、触れ合うだけの口づけはすぐに終わる。ミスラは静かに瞳を細めて、柔らかな笑みを浮かべた。そっちがからかってきたくせに、嬉しそうに笑わないでほしい。無いはずの心臓が脈打つような感覚を覚えて、僕はミスラに背を向けた。後ろから抱き締めてきたミスラの掌が薄い腹を撫でる。その愛おしむような手つきには気付かないふりをして、僕はそっと目蓋を閉じた。



end.




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