「言ってやらない」

※泣き虫うさぎと帽子のフロル


「≪アルシム≫」

低い呪文とともに生まれた空間の扉が開いていく。見慣れた風景の中に踏み出した一行は、魔法舎に降り立つと表情を緩ませた。楽しげな魔法使いたちを横目に、ミスラは賢者を含めた全員が通ったことを確認して空間の扉を消す。

「ミスラ、ありがとうございます」
「別に、礼を言われるようなことではありません」

晶は素っ気ないミスラに苦笑して、改めて周囲を見渡す。衣装を着替えることもなく戻ってきたこともあり、見慣れた魔法舎の中に着飾った格好の魔法使いたちがいるのは不思議な光景だ。まるでコスプレパーティの中に放り込まれたような気持ちになり、以前テレビのニュースで見た渋谷のハロウィンを思い出す。

「スノウ。衣装を脱がないんですか?」
「あぁ、すっかり忘れておったな」
「しかし折角の特別な衣装じゃ。今日はこのまま着ていても良いのではないか?」

スノウは晶の問いに頷くが、ホワイトはどこか名残惜しげだ。スノウは少し考え込む様子を見せていたが、何かを思いついたように笑ってみせる。

「ふむ。確かにのう。それに、クロエが見たら喜びそうじゃ」
「あーっ!か、かわいい…!」
「ほれ、噂をすればじゃな」

笑みを含んだスノウの声に振り返れば、腕に荷物を抱えたクロエがこちらに熱視線を送っていた。柔らかそうな頬は桃色に染まっていて、瞳は感動に潤んでいる。慌てて駆け寄ってくるなり荷物を床に置き、晶の両手をぎゅうと握り締めた。

「賢者様、みんなもおかえりなさい!これは一体……みんなすっごく可愛い…!この衣装ってもしかして、双子先生たちが?」
「ただいま、クロエ。そうです。スノウとホワイトが用意してくれたんですよ」

晶は興奮気味のクロエに笑いかける。魔法使いたちの衣装を忙しなく何度も見回して、クロエは大喜びだった。晶の手を離すと魔法使い一人一人に断りながら衣装を丁寧に観察し、興味深そうな声を上げる。後ろからついてきたラスティカがクロエの荷物を拾い上げ、微笑ましそうに眼を細めていた。

「それにしても、本当に素敵な衣装だ。先ほど聞こえたのですが、今日はこのまま過ごされるのですか?素敵な提案ですね」
「そうなのじゃ。それに、賢者の世界には『泣き虫うさぎと踊る帽子の出会いを祝う日』に似た『イースター』なるイベントがあると聞いてな。それをこれから魔法舎で行うのはどうじゃ?」
「えっ!イースターを魔法舎で…?」

思いがけないホワイトの提案に晶は瞳を瞬かせた。嫌だったかの?と聞かれてぶんぶんと激しく首を横に振る。日本では海外ほどイースターの文化は浸透していなかった。しかし『泣き虫うさぎと踊る帽子の出会いを祝う日』をともに過ごせなかった魔法使いたちとも楽しめると思えばワクワクした。ぜひやりましょう!と意気込みながら晶は答え、改めて魔法使いたちにイースターの説明を始める。それを眺めながら退屈そうに欠伸をしたミスラは、衣装の上着を引っ張って深い溜め息を吐いた。

「俺、もう着替えたいんですけど」
「駄目じゃよ、ミスラちゃん。そなたも聞いておったじゃろう。これから『イースター』を開催するのじゃ」
「はあ……嫌ですよ。面倒臭い」

スノウに窘められてもミスラは不機嫌そうに眼を眇める。疲労に加え、賢者に手を握られても満足な睡眠を得られなかったこともあり、機嫌は下降の一途を辿りはじめていた。そんなミスラに横から顔を覗かせたルチルが声をかけてくる。

「ミスラさん、すごく素敵ですよ。すぐに脱いじゃうのは勿体ないです」
「衣装は脱がないでくださいね、ミスラ。とても似合っていますから」

イースターの説明を終わらせたのか、晶までもが一緒になって褒めてくる。褒められれば悪い気はしなくて、ミスラはふふんと鼻を鳴らした。

「当然です。俺に似合わない服なんてありませんよ」
「うんうん。じゃあミスラ、そのまま着ていてくださいね」

晶はにっこり笑ってミスラに背を向ける。首を傾げて彼を引き留めようとしたが、それを阻んだのは双子だ。晶と同じ笑顔のはずなのに、心底邪悪に見える。何故かそのまま過ごす流れになってミスラは戸惑った。しかし、アーサーに誘われてオズまで『イースター』とやらに乗り気だ。この状況で勝手に衣装を脱げば痛い目に遭わされるだろう。衣装を脱ぐなとは言われたが、それ以外は何も言われていない。そう判断したミスラは喧騒から逃げるように抜け出した。


×


賑やかな魔法舎から離れれば静かで穏やかな空気に包まれる。いくつかの場所を転々と歩き回り、訪れた中庭に他の魔法使いの姿はない。ミスラは日陰になっている場所に腰を下ろし、柔らかな芝生に横たわる。太陽の陽を浴びて温まった地面は心地よかった。眠気は未だ訪れないが、このままなら少しは眠れるかもしれない。そう思って静かに目蓋を下ろした瞬間だった。

「やぁミスラ。帰ってたんだ」
「……オーエン」

薄く開いた視界いっぱいに飛び込んできたのは機嫌のよさそうな笑顔だった。オーエンはにっこりと微笑んで、ミスラの顔を覗き込んでいる。無視して再び目を閉じようとするが、頬を引っ張られて思わず声が出る。

「いひゃいです」
「人が話しかけてるのに寝ようとする方が悪い。僕に失礼だと思わないの」
「……思いません。俺は疲れてるので寝たいんですよ」
「本当に失礼な奴。急に魔法舎が騒がしくなったと思ったら、浮かれた格好の奴らが騒いでるんだもの。嫌になって飛び出したのに、ミスラまでここにいて最悪。しかも何?おまえまで間抜けな格好しちゃって」

揶揄されたことでミスラは己の格好を思い出す。視線を下げれば、普段着ないようなパステルカラーが目に飛び込んできた。ミスラは重い溜め息を吐き、仕方なく身体を起こす。尻尾を模した飾りが邪魔で、妙に尻の座りが悪い。

「双子に脅されたんですよ。『イースター』とやらをやるから着ていろと」
「それって賢者様の世界のお祭りでしょう?さっきキッチンを覗いたらネロがお菓子を作ってたよ。これは『イースター』の卵を模したチョコエッグだって」

オーエンは色とりどりの模様が描かれた卵形のチョコレートを取り出す。ファンシーな見た目のそれはオーエンに似合っていた。ミスラはついと手を伸ばすが、オーエンは手の届かない位置に移動させてしまう。

「またネロを脅したんですか。オーエン」
「ミスラに言われたくない。僕はちゃんとお願いしたよ?ちょうだいって言ったらネロがくれたんだ」

笑顔で訂正したオーエンはチョコエッグにかぶりついた。甘ったるい香りが鼻先を掠め、ミスラは空腹を覚える。少し前にサンドイッチなどを食べたばかりだったが、あくまでも軽食だったので物足りなかった。何度か手を伸ばしてみるが一つも分けてくれないオーエンに苛立つ。

「ちょっと、俺にもくださいよ」
「嫌だよ。……あ、そうだ。これなら分けてやってもいいよ」
「なんですか、これ。変な色をしていますね」

手渡された包みを開けてみれば、淡い橙色のケーキが顔を覗かせた。匂いに覚えがある気がして鼻を鳴らすと、オーエンがにんじんだよと呟いた。数時間前にうさぎと奪い合いをしたばかりではあったが、ミスラは構わず口に放り込む。優しい甘さと一緒に仄かなにんじんの味が口の中に広がっていき、特に悪い味ではないと思った。オーエンはまだ隠し持っていたらしい分のケーキをミスラに投げ渡し、退屈そうに目を細める。

「その格好だと野菜を食べるのがお似合いだね」
「はあ。でも俺は肉の方が好きです」
「あっそう」

うさぎの耳を模した帽子やふわふわの尻尾を付けた状態で言っても、どうにも間抜けだ。オーエンは呆れたように笑って、ミスラの隣に腰を下ろす。チョコエッグをぱりぱりと食べながら、ミスラの横顔をじっと見つめた。

「……まぁ、間抜けな格好だけど似合ってはいるかな」
「当たり前でしょう。俺を誰だと思っているんです」
「でもミスラの場合、可愛さとは縁遠いよね。全然かわいくないもん。髪が赤いからその服の色が合ってるだけじゃない?」
「はあ?」

ミスラは大きな声を上げて憤慨した。オーエンは退屈そうな表情のまま横目でミスラを見る。暖かい空気に眠気を誘われたのか、オーエンは小さく欠伸をした。当のミスラは眠気など程遠くて、それも癇に障る。むかむかとした怒りが込み上げてきて、ミスラは衝動のままにオーエンの腕を掴んだ。

「ちょっと、痛いんだけど」
「かわいくないってどういうことですか」
「は……」
「俺が一番かわいいに決まってるでしょう」

ミスラの言葉にオーエンはぱちぱちと瞳を瞬かせた。それから箍が外れたように笑い出し、互い違いの瞳にうっすら涙まで浮かべてミスラを見つめる。

「あはは!なに、おまえ、かわいいって言ってほしいの」
「" 一番かわいい "です。俺が一番似合っていてかわいいに決まってます。あなたの目は節穴ですか」

怒って詰め寄ってくるミスラにオーエンは上機嫌で微笑んだ。好きでたまらない男の顔をじっくり眺め回して、悪戯っぽく目を伏せる。

「そう言われると言いたくなくなる」
「オーエン。俺の顔が好きなんでしょう」
「それとこれとは別」

取りつく島もない態度のオーエンにミスラは焦れる。翡翠の瞳に不機嫌な色が滲みはじめたのを見て、オーエンはぞわりとした殺気をつぶさに感じた。ミスラをからかって遊ぶのは楽しいが、殺されるのは痛いし楽しくない。オーエンが続く言葉を考えていると、不意にぽつりとミスラは呟いた。

「……あなた、黒いうさぎにはかわいいと言ったんでしょう」
「黒いうさぎ?」

何のことを言っているのだろうとオーエンは目を瞠った。北の国にもうさぎはいるし、気まぐれに可愛がっていたこともある。しかし黒いうさぎは滅多に見かけなかったし、他の国でも数えるほどしか目にしたことはなかった。首を傾げていると、不機嫌な瞳がオーエンを睨みつける。

「賢者の世界から来た生き物ですよ」
「あぁ……黒いうさぎって、クロミのこと?」
「そうです。確か、そんな名前の」

唇を尖らせて肯定するミスラに思わず笑った。クロミがうさぎなのかオーエンは知らない。しかし、ピューロランドなる場所からやってきた4匹は人から愛されるために生まれてきたような姿かたちをしていた。賢者の世界ではスターだったということだが、例に漏れず魔法使いたちも絆されていたことは記憶に新しい。オーエン自身に絆された覚えはないが、クロミを見た時にその容姿と生意気な態度を見てかわいいと思ったのは事実だ。同時に、人を翻弄して利用できるとも。

「クロミと張り合おうっていうの?無理に決まってるよ」
「どうしてですか」
「だってあの子とおまえじゃ全然違うんだもの。丸みを帯びた形姿とか、怖がりなくせに生意気な態度とか、そんなものミスラには無いでしょう」

オーエンがばっさり切り捨てると、ミスラは呆気に取られたように目を丸くした。それから憤懣やるかたない表情になり、腕を掴む力を強めていく。骨が嫌な音を立てて軋むのを感じたオーエンは悲鳴を上げる。

「痛い!ほら、おまえなんか全然かわいくない…っ!」

突然ぱっと腕を離されてオーエンは目を白黒させる。ミスラは苛立ちを隠さない顔でオーエンをじっとり睨めつけ、残っていたキャロットケーキにがぶりと食らいついた。口の周りを汚しながら食べる粗暴さはうさぎの可愛さとはかけ離れている。オーエンは呆れながら目を細め、じっとミスラを観察する。直接攻撃してこないのは幸いだが、少々気味悪くもあった。やけ食いをしているとまるで拗ねた子どものようで、そう歳の変わらない相手であるのに妙な感慨のようなものが生まれそうになる。奇妙な感覚にオーエンは胸の辺りをそっと抑えた。

「……まぁ、ちょっとはかわいい……かも」

ぽそりと呟かれた言葉にミスラは即座に反応した。勢いよく顔を上げてオーエンの顔を凝視すると、じわりと赤く染まる頬に唇を吊り上げる。

「それじゃ足りません。" 一番かわいい "です。ほら、言ってみてください」
「言うわけない。調子に乗らないで」

オーエンはしつこく言い寄ってくるのをあしらおうとするのに、なぜか急に機嫌を良くなったミスラは止めようとしない。柔らかい芝生の上に押し倒され、食べかけのエッグチョコを奪われた。当然オーエンは怒り狂ったが、ミスラは満足げな笑みを絶やさない。唇を奪われて舌を噛みちぎろうとするが、侵入してきた舌が纏ったチョコの甘さに力が抜けてしまう。間抜けだと思っていた衣装がだんだん可愛く見えてきたのは気のせいだと思いたかった。それなのに、視界を埋めつくす男の顔はこれ以上ないほどに美しく、可愛くてたまらない。

「オーエン、言って」

甘えてくる声を嘲笑おうとして、失敗する。自分に媚びて強請ってくるミスラなんて一生笑いものにできるぐらい面白いはずなのに、試されているのは自分の方みたいだ。オーエンは唇をぎゅっと引き結んで、ミスラを睨み上げた。



end.




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