sugar addiction spreads

※R18


「それにしても、こんなに長引くとは思わなかったよねぇ」

どこか他人行儀な響きの間延びした声に、晶は顔を上げて苦笑する。ぱちぱちと弾ける焚き火が夕闇に慣れた目には眩しい。三日を予定していた任務は四日目の夜を迎えていた。今夜でケリが着くだろうと言っていた張本人であるフィガロは、薪を追加しながら穏やかに瞳を細める。晶が相槌を打てば、フィガロは微笑んで隣に座る魔法使いへ視線を移した。晶はそっと息を吐いて、傍らに座る魔法使いへ視線を向ける。焚き木の炎に照らされ、燃えるような赤だった髪色は橙へと変化していた。ミスラ、と声を掛ければ眠そうな瞳がゆっくり動いて晶を捉えた。

「……なんでしょう」
「疲れてるように見えたので…。ミスラ、平気ですか?」
「眠れさえすれば楽になるでしょうね。それが出来ないから疲れているんです」

素っ気ない言葉は普段に比べ随分と粗暴だ。美しかった翡翠は翳り、その瞳の下にはどんよりと深いクマが刻まれている。疲労を隠しもしない様子に胸が痛んで、晶はミスラの手を握ろうとする。しかしミスラは即座に手を引っ込め、晶に背を向けて寝転がってしまった。簡易寝具も敷かず、ゴツゴツとした樹木の根元ということも厭わない様子に思わず言葉を失う。それを見かねたのか、フィガロは静かに晶を手招いた。

「……フィガロ」
「大丈夫。賢者様のことを嫌いになったとか、そういうわけじゃないさ」
「でも、ミスラ……すごく疲れているみたいで。余計なことを言ってしまいました」

しゅんと音がしてしまいそうなほど落ち込んだ晶を見て、フィガロは眉根を下げた。彼の隣に座るルチルは、眠ってしまった弟を支えたままミスラに視線を移す。寝転がってはいるが、彼が眠りとは遠い場所にいるのは明白だ。

「ミスラさん……」
「賢者様やルチルが気を落とすことはないさ。今回は集落から離れた場所で夜を明かさなければいけない。それは事前に言っていたことだ。……もちろん、戻ろうと思えば空間移動魔法で村に戻ることは出来る。でも、今回は討伐任務だ。討伐対象から長く目を離していては任務が長引くだけだよ」

フィガロはそう言って目を伏せた。危険な原生植物が多い湿地帯の密林は、南の魔法使いだけでは手に余る。フィガロはルチルとミチルの安全を守る名目でミスラに同行を依頼した。しかし、ミスラが同行する理由は他にもあった。密林は南の国でも最南端にあり、非常に奥まった場所に存在している。賢者を連れて魔法舎から箒で飛び続けるには無理があり、討伐前に体力を消耗してしまうことは避けたかった。ミスラの空間移動魔法を用いれば、移動にかかる時間は大幅に短縮できる。さらにミスラは特殊な生物や植物に関する知識も持ち合わせている。討伐対象の魔獣は五百年以上密林に棲息している長命種族だ。大いなる厄災の影響で狂暴化し、近隣の村が襲うようになったため討伐依頼が魔法舎へと舞い込んだ。守護結界を張って村を守りつつ、魔獣を鎮静化させる―――それが今回、賢者とその魔法使いたちに課せられた任務である。

「……そうですね」
「ミスラも、それを理解しているからここに居るんだ。……少し拗ねているだけさ」

最後の言葉だけ声を潜めて、フィガロは晶を勇気づけるように囁いた。晶は掛けられた言葉を飲み込むようにゆっくり頷いたが、苦々しく眉を寄せてしまう。レノックスが心配そうに見つめてきて、笑い返すものの上手く笑えた自信はなかった。手を握ることすら許されなかった虚しさに、ぎゅっと拳を握り込む。

「でも、ミスラがつらいのは事実です。俺がいるのに、力になれないなんて」
「そんな風に気を病まないで。環境が整っている魔法舎でも眠るまで数時間を要すると聞いたよ。魔獣の動向を警戒しなくてはいけないし、この状況で眠りにくいのは誰だって同じだ。賢者様のせいじゃない。……それに」

フィガロは一度言葉を切り、ちらとミスラの後頭部に視線を移した。後ろ姿は先ほどから微動だにしないが、彼が話を聞いている可能性は大いにある。晶を招き寄せると、フィガロはその鼓膜へ吹き込むように囁いた。

「彼が眠れないのは外的要因だけではないようだから」
「…?それ、って……」

不思議そうに見上げた晶に微笑みかけ、フィガロは身を離した。焚き火に薪を追加しながら、肩に引っ掛けていたブランケットを手繰り寄せる。微睡みはじめたルチルをテントに促すと、冷めていた晶のホットミルクを魔法で温め直してくれた。ついでのようにマグカップの中へシュガーが一粒落とされる。晶は音もなく溶けていくシュガーにいつの日か見た光景を想起する。それは温かな談話室であったり、任務終わりの帰路だったりした。猫のように擦り寄ったオーエンが、ミスラを見上げてオッドアイを眇める。僅かな甘えを含んだ視線が珍しくて見つめていると、見世物じゃないと鋭い声で叱られた。ミスラの平坦な声はいつもと変わらないのに、オーエンを見つめ返す瞳の色はどこか違うがした。それが何かと問われれば、晶には答えられないのだけれど。

「賢者様」
「あ、はい!」
「それを飲んだらルチルたちと一緒に休んで」
「でも……」
「俺たちなら平気だよ。身体が温まっているうちにテントに入るんだ」

優しく、しかし有無を言わせぬ声に晶は大人しく頷いた。ホットミルクを飲み干すと、僅かに溶け残ったシュガーのざらりとした感触が舌に残る。尾を引く優しい甘さを感じながら、晶はミスラがオーエンに与えていたシュガーを脳裏に思い浮かべた。薄紫色をした美しい形のあまい結晶。晶がそれを目にする時、決まってオーエンへ与えられていたように思う。レノックスに促され、テントに入る前に晶は一度だけ後ろを振り返った。僅かに動いた赤い頭が枕代わりの鞄に擦り付けられる。まるで、今ここにいない誰かに甘えているようだった。


×


「おかえりなさい!」
「リケ、お迎えありがとうございます」

明るく元気な声に迎えられ、思わず頬が緩む。晶はリケの手を取って周囲を見渡した。リケやネロをはじめ、東と中央の魔法使いがほとんど談話室に集っているらしい。オズや北の魔法使いたちは不在だ。ミスラは全員が通り抜けたことを確認し、空間の扉を消し去った。細やかな光の粒子がふわりと残る。ルチルとミチルはカインと会話しながら、土産の菓子をテーブルに広げはじめる。菓子につられたのか、リケは晶の手を離してふらりと歩き出す。フィガロは隠しきれぬ疲労を浮かべたままファウストに話しかけていた。読書中だったファウストはフィガロに絡まれて胡乱げな顔になるが、一応相手はするらしい。

「予定より随分と遅かったな」
「心配していたんです。でも、無事に戻られてよかった」

シノの横からヒースクリフが顔を覗かせる。晶はリケの手を離して、曖昧な笑顔を浮かべる。

「あはは……そうですね。思ったより面倒な相手で」
「そんなに強い魔獣だったのか?ミスラやフィガロがいても苦戦したんだろう。一体どうやって倒したんだ?」
「こ、こら、シノ。賢者様もお疲れなんだから……」

ヒースクリフに咎められるが、シノは逸る好奇心を抑えられないらしい。晶は苦笑しつつ話をすべく口を開きかける。その時、晶は視界の端にミスラの姿を捉えた。ふらりと歩き出したミスラは、賑やかな談話室の喧騒から逃れるように廊下へと向かっていく。自室で寝るのであれば自分が手を握った方が良いだろう。二人に断って談話室を出た晶は、ミスラの腕を掴んで引っ張った。

「ミスラ!」

振り返ったミスラの翡翠の瞳が静かに晶を見下ろした。疲労と睡眠不足のせいか、淀んだ瞳には覇気が感じられない。仄暗い迫力を感じて一瞬怯みかけるが、晶はぐっと堪えて再び口を開きかける。その時だった。

「―――あなた……」

ミスラの視線が晶の背後へと滑らされる。ミスラの瞳が映しているのはオーエンだった。談話室には居なかったので、自室からわざわざ下りてきたのだろう。今のミスラは睡眠不足が祟ってひどく不機嫌だ。オーエンやオズと顔を合わせるようなことがあれば、血で血を洗うような争いは避けられないと感じていた。晶は掴んだままのミスラの腕をもう一度引き、睡眠の手伝いを申し出ようとする。しかし、それは歌うような声に遮られてしまった。

「ミスラ、眠るなら俺が手伝いを…「随分と遅かったね」

薄い唇が吊り上がって笑みを形作った。互い違いの瞳をすっと眇めて、嘲るようにオーエンは微笑んでみせる。ミスラは無表情だったが、オーエンを見つめる瞳孔が軽く開いていた。オーエンを凝視する瞳孔に獣じみたぎらついた色を感じ取り、晶は本能的な恐怖に身を竦ませる。

「予定は三日じゃなかったっけ?ただの魔獣討伐に五日もかかるなんて……本当に北のミスラ?」
「お、オーエン…!」

明確な煽りの言葉にハラハラして、晶はミスラの腕を掴む手に力を込めた。困惑しながら視線を何度も二人の間で行き来させる。オーエンは晶に目もくれず、ミスラを睨むように鋭く見つめていた。

「フィガロや賢者様がついていながらこの体たらくなんて笑わせる。あぁ……それとも、南の兄弟がお荷物だったのかな?南の魔法使いは弱い癖に粋がるから質が悪い。あんな奴らのお守りをしなきゃいけないなんて、僕なら絶対に御免。" ミスラおじさん "は大変だね」

オーエンはコツコツと靴音を高く響かせながら歩み寄ってくる。明らかに意図して他者を侮蔑する言葉を並べているのが伝わってきて、晶は思わず眉根を寄せた。ミスラの機嫌が悪いのは明白だというのに、なぜわざわざ煽るような物言いをするのか。これ以上はまずいと思いながらも、晶にオーエンを止める手立てはない。ミスラに申し訳なさを感じながら、晶は掴んでいた手をそっと離した。逃げるように壁際に移動すると、ミスラがちらと視線を向けてくる。

「賢者様、俺に何か用があったのでは?」
「え……っと、オーエンの方が急ぎのようなので…俺はまた後で……」
「はあ、そうですか」

ミスラは何も分かっていない様子で首の縫合痕を掻き、気怠げにオーエンを見遣る。オーエンは舌打ちでもしそうに晶を睨めつけていたが、ミスラの視線に気付いてにっこり微笑んだ。背筋が凍るような不気味な笑顔に、晶はごくりと唾を嚥下する。オーエンは晶の存在などもう目に入らないような態度でミスラに擦り寄り、その鎖骨の辺りにひたりと掌を当てた。呪文でも唱えるのかと晶は思わず後退ったが、ミスラもオーエンも互いに沈黙を貫く。不自然な静寂に満ちた廊下で、晶だけが落ち着かなく視線を彷徨わせた。やがてミスラがゆっくりと唇を開く。

「俺の部屋へ来ますか」

落とされた言葉に驚いたのは晶だった。オーエンの頭を吹き飛ばすぐらいのことを予想していただけに、言葉の柔らかさにも怒りの感じられない声にも驚かされる。オーエンは黙ってミスラを見上げていたが、やがて呆れたように息を吐いて頷いた。奇妙なまでに素直なオーエンの態度にも晶は驚きを隠せない。呆然と立ち尽くす晶を置いて、ミスラはオーエンを連れて自室へ消えていった。

「……オーエン、大丈夫かな……」

連れ立った二人の背中を見送り、晶は不安そうな声で呟いた。


×


白衣やベスト、靴を脱ぎ捨ててベッドに寝転がったミスラをオーエンは静かに見下ろした。纏う雰囲気には強い倦怠感を滲ませている。美しい顔に似合わぬクマはその色を更に濃くしていた。

「……眠れてないんだ」

確認するようにオーエンが呟くと、ベッドに横たわったままのミスラが視線を上げる。じっと見つめてくる視線の強さに居心地が悪くなり、オーエンは絨毯を軽く蹴った。捲れ上がった絨毯を爪先で更に蹴り続けていると、不意にミスラの長い腕が伸ばされる。

「オーエン」

ただ名を呼ばれただけだ。それなのにぞわりとした震えが一瞬にして背筋を駆け抜ける。オーエンは落ち着かない気持ちのままミスラを見つめ返し、ゆっくりベッドへと歩み寄った。ミスラの手がオーエンの手首の辺りに絡みつく。南の国から帰ってきた男の手は、しかしひんやりとして冷たかった。

「僕の手を握ったっておまえは眠れないよ」
「そんなことは分かっています」
「じゃあ離して」

オーエンの素っ気ない言葉にミスラは片眉を持ち上げる。何を言っているのだと言いたげな表情でオーエンを見上げると、軽く首を傾げてみせた。

「俺の部屋に来ると言ったのはあなたでしょう」
「はぁ?おまえが僕を誘ったんだろ」

苛立った様子で言い捨てたオーエンは掴まれている手を振り払いかけるが、ミスラはそれを許さない。するりと抜けそうになった手首を掴み直し、そのまま指と指を深く絡めた。一本一本の指が深く触れ合い、体温が混ざり合っていく。逃げ出すことに失敗したオーエンが苦々しく眉を顰めるのを見て、ミスラは緩慢な動作で上体を起こした。繋いだ手を軽く引き寄せ、薄く笑う。

「……あなたが来たそうな顔をしていたので。それに、本気で嫌なら断るはずでしょう」

オーエンは無言を貫いていたが、元より返答を求めていないミスラはぐいと手を引っ張った。薄い身体はろくな抵抗もなくベッドに倒れ込んでくる。衝撃で僅かな痛みを腹の辺りに感じたが、ミスラは特に気にすることもない。燭台の炎に照らされて光り輝くアッシュグレイの髪を梳いた。引っかかることなく指の間を流れていく滑らかな感触に、ミスラの口からは自然と吐息が漏れ出る。オーエンはされるがままにミスラを見下ろしていたが、やがて溜息を吐いてミスラの鼻を軽く摘んだ。不服そうな色を浮かべた翡翠を覗き込み、オーエンの溜飲は僅かに下がったらしい。楽しげに微笑んで、繋がれたままの手をぎゅうと握り込む。真白い外套をばさりと脱ぎ捨て、ミスラの胸板に右手を這わした。

「僕が来たがる理由なんて一つしかないでしょ」
「ああ、シュガーですか」
「当たり前。分かってるなら出してよ」
「……面倒だな……」
「は?」

ニコニコと笑っていたオーエンの表情はミスラの言葉によって曇る。面倒だと言いたげに目を伏せたミスラは、不遜な態度で鼻を鳴らした。オーエンの顔色が変わったことに気付いていないのか、虚空を見つめたまま低い声でボソボソと一方的に喋り出す。

「俺、すごく疲れてるんですよね。全然眠れてないですし。シュガーを出してやるのも面倒です」
「……僕を誘ったのは、おまえの方だろ…!」
「でも、来たがっていたのはあなたです。違いますか?」
「、ッ…!」

ギリ、と嫌な音がしてオーエンが歯を食い縛ったのが分かる。ミスラはオーエンに視線を向けて、余裕を揺らがせぬ笑みを浮かべた。焦れた様子のオーエンを見つめ、翡翠の瞳が静かに細められる。ミスラは繋いでいた手を解いて、オーエンの小さな頭に手を伸ばした。一瞬だけ警戒するような表情を浮かべたオーエンの両頬を挟み込み、そっと引き寄せる。冷たく白い肌はさらりと滑らかだ。ミスラは掌に心地よさを感じながら、オーエンに囁きかける。

「……なので、俺をその気にさせてください。そうすれば、とびきりあまい俺のシュガーを差し上げます。あなたが望むだけ、腹いっぱいになるほど」

ぱちぱちと瞬きを繰り返し、オーエンは呼吸も忘れてミスラを見下ろした。鼓膜を震わせたミスラの声の余韻が消えなくて、大きな手が触れている部分がじわりと熱を持ちはじめる。オーエンは震える喉から息を吐き出した。熱気を孕んだ息の熱さに自分でも驚く。

「オーエン。俺を満足させられるでしょう?」

試すような物言いに腹が立って仕方ないはずなのに、オーエンは添えられた掌に自らの手を添えていた。ミスラの指骨を辿るように一本ずつ触れ、皮膚の薄い部分を確かめるようになぞる。身を屈めて血色の悪い唇に噛みつくと、低い笑い声が聴こえたような気がした。オーエンはわざと聴こえないふりをして、強引に舌を捻じ込む。自分から舌を入れたことなど初めてで、噛まれるのではないかと一瞬ひやりとした。しかしミスラは歯を立てることなく、素直にオーエンを受け入れる。普段のようにオーエンの舌を絡めることもなく、あくまでオーエンからの行動を待っているらしかった。慣れないことを求められたオーエンは僅かに動揺を覚える。しかしここで引くわけにもいかず、必死に頭を巡らせ続けた。キス自体の経験がオーエンは豊富ではない。自身の技巧など無いにも等しく、脳裏に思い浮かぶのはミスラからされたキスの記憶だけだ。考えているような時間はなく、オーエンは無意識のうちにミスラを真似て舌を動かしはじめる。

「ん、ッ……ふ…は、ぁ……」

肉厚な舌を自らの舌で絡め取り、キツく吸い上げる。敏感な舌先を擦り合せれば、ぞくぞくと性感が高まっていった。オーエンは溢れてくるどちらのものとも分からぬ唾液を飲み干し、ミスラの歯列をなぞる。尖った犬歯に触れれば舌が引っ込みそうになり、喉を鳴らしながらもオーエンは必死に舌を動かした。角度を変えながら、何度もミスラの舌を絡めて吸う。口づけの合間の呼吸が次第に乱れ、酸欠で瞳が潤んでいった。オーエンの片目だけが影になって、薄明かりの下で赤い瞳が揺らめく。涙の膜が張った赤は、西の国でしか採れないというルージュベリーをミスラに想起させた。本能的に美味そうだと思った瞬間、ミスラはオーエンの後頭部を掴んで引き寄せる。

「ん―――、ッ!?」

声にならない悲鳴ごと飲み込んで、ミスラは深く口づけた。オーエンのキスにはミスラのような獰猛さはなかった。技巧も拙く、快感を引き出すことにも長けていない。上手いとは言い難いはずなのに、オーエンが自分を煽るため苦心している様子はミスラの理性をいとも簡単に揺るがした。驚きに縮こまりそうになる舌を絡め取って引き出し、オーエンが触れることしかできなかった犬歯を食い込ませる。細い肩がびくりと跳ね、オーエンの腰は自然と揺れた。無意識だろうその行動に頬を緩め、ミスラは口の端から零れかけた唾液を舐め取る。あまい味には未だ慣れないが、揺らぎはじめた理性が瓦解させるには十分だった。口の端からは飲み込めなかった二人分の唾液が垂れ、シーツに染みを作る。オーエンが追いかけるように視線を逸らしたことが妙に腹立たしく思え、苦しげな声が上がるのも無視してミスラは口腔内を荒らした。

「は、ぁ……、んン…ッ……、ミス…ラぁ……」

酒に酔ったように意識が酩酊し、オーエンの脳がぐらぐらと揺れる。息苦しさが本格的になってきて、ミスラのベストを強く引っ張った。ミスラは名残惜しげではあったが唇を離し、離れ際にべろりとオーエンの唇を舐め上げた。思いもよらぬ行動にオーエンは大きく肩を揺らしたが、それよりも息苦しさの方が勝ったらしい。ぐったりとミスラの肩口に額を押し付け、大きく背中を上下させる。湿った熱い呼吸が首元や胸に落ちてきて思わずミスラは笑った。息も絶え絶えなオーエンが面白くて、そのまま細い首筋や肩を指先でなぞる。敏感な身体が跳ねるのをつぶさに観察していると、ようやく呼吸が整いはじめたオーエンが恨みがましい目を向けてきた。普通の人間や魔法使いであれば身震いするであろう凍え切った視線だが、ミスラは少しにも気にした様子がない。

「……ミスラ、おまえ……ふざけるなよ」
「はあ。ふざけてはいないですけど」
「僕を試しておきながら手を出すなんて、堪え性がなさすぎるよ。犬でも待てができるのに」

散々キスで翻弄されたにもかかわらずオーエンの口弁は淀まない。犬と比較されたミスラは一瞬不快そうな表情を浮かべたものの、変わらぬ手つきでオーエンの首筋を撫でた。

「俺は犬じゃありませんから」
「……だから、犬以下だって言ってるんだよ。そんな意味すら理解できなくなっちゃった?南の国に行って頭の中まで緩くなったんじゃないの?」

なぜ南の国を引き合いに出されるのか理解できぬまま、ミスラは首を捻る。オーエンはキスの主導権を奪われたこと以外にも腹を立てている様子だった。その理由が分からないミスラは静かにオーエンの瞳を覗き込む。

「……俺はただ、あなたの目が……」
「僕の目…?」

怒りを向けられているというのにマイペースなミスラに呆れたのか、オーエンは溜め息を吐きながら首を傾げた。ミスラは静かにオーエンを見つめたまま、薄い唇を再び開く。

「はい。こっちの目が、美味そうだなと思って」

ミスラは、自分から見て左側にあるオーエンの瞳―――その少し下の薄い皮膚を指の腹でそっと撫でた。覗き込んでみれば、澄んだ水晶体の中に自分だけが映り込んでいる。驚いたように見開かれるのが少し愉快だ。気分が向上していくのを感じながら、無防備な唇をそっと奪う。今度は邪魔するなと怒られることはなく、オーエンはうっすらと頬を赤らめて瞳を閉じた。美味そうだと思ったばかりの瞳が見えなくなって残念だが、大人しいオーエンは好きだと思う。零れそうになるあまったるい唾液を舐め取れば、合間に漏れる吐息さえもあまい気がしてくる。ようやく唇を離したころにはくったりと力が抜け落ちていて、オーエンは完全にミスラに身を預けてしまっていた。

「ほら、オーエン。俺を満足させられるんでしょう?」

窘めるように鼓膜に囁きを吹き込めば、びくりと細い肩が跳ねた。悔しそうに向けられる視線を見つめ返すと、オーエンはのろのろと身体を起こす。身体をずり下げてミスラの身体を衣服の上からまさぐり始める。冷たいベルトに細い指がかかり、カチャカチャと緩められる。

「……もう勃ってる?」

驚いているような、僅かに引いているような声にミスラは視線を落とす。スラックスを下げられ、下着越しに分かるほどミスラの性器は隆起していた。オーエンは戸惑ったような表情でそこに視線を釘づけにしていている。

「ああ……なんだか疲れていて、割と前からそんな感じです」
「どう、されたいの」
「そんなのあなたが考えてくださいよ。いちいち俺に聞かないでください」
「…………」

素っ気ないミスラの態度にオーエンは多少むっとした様子ではあったが、特に文句を言うことなく下着をずらした。むっくりと起き上がった性器を冷たい手が掴む。ひんやりとした感触に熱が下がりそうになるが、しげしげと観察するように視線を向けてくるオーエンの表情が面白い。催促するように腰を揺らしてみせると、オーエンはぎこちなく手を動かしはじめた。慣れない手つきで握られたそれは、まだ芯を持っていなかったため柔らかい。オーエンは何度か上下に擦ると、先端を親指で刺激しはじめた。くすぐったさに似たもどかしさにミスラは小さく息を漏らす。オーエンはそんなミスラを興味深そうにちらりと見上げ、僅かに頬を染めた。オーエンによって擦られ続けた性器は、しばらくすると手の中で少しずつ質量を増していく。やがて完全に硬く勃起すると、先端にじわりと透明な先走りが滲みはじめた。指先でそれを絡め取ったオーエンは、そのままゆっくりと根元の方へ手を移動させていく。ぬちゃぬちゃと湿った音が響き、オーエンの耳朶は赤らんでいった。ミスラは黙ってその様子を眺めていたが、おもむろに口を開く。

「オーエン」
「……なに……」
「その調子では日が暮れてしまいますよ」

咎めるようなミスラの言葉に、オーエンは怯んだように目を瞬かせた。手の中の性器をじっと見下ろして、互い違いの瞳がゆらゆらと揺れる。ぎゅっと一瞬だけ目蓋を閉じ、再び開いた時にはオーエンはミスラの性器に顔を寄せていた。薄紅色の唇がグロテスクな性器に柔らかく口づける。マシュマロにも似た柔らかさに迎えられ、ミスラは思わず息を詰めた。オーエンはそれに気付くことはなく、おずおずと真っ赤な舌を差し出す。拙い動きで、それでも懸命にオーエンはミスラの性器を口に含んだ。ざらりとした中に感じる滑らかな感触は紋章が刻まれている部分だろうか。キスをする時にも感じていたが、紋章の部分だけは感触が異なる上に性感も高いらしい。粘膜同士の接触により、性器が舌の上を滑るだけでオーエンは鼻にかかった吐息を零す。一般的とは言い難い大きさであるミスラの凶器を、小さな口で受け入れる様子は目に毒だ。オーエンの容姿も相俟って、淫らな行為に耽る光景の破壊力は凄まじい。あのオーエンが自分に奉仕していると改めて認識すると、ミスラの中で渦巻く熱の温度は上がっていく。

「ん、ッ……ふ、あぅ……」

口腔内で質量を増した性器に僅かに戸惑い、オーエンは目を見開いた。ミスラの手が下りてきて、オーエンの髪をそっと撫でる。指の間を通り抜ける感触が心地よく、ふっと息を吐いた。オーエンはミスラの反応を見て安堵したのか、ゆっくりと性器を口に含み直した。亀頭をぺろぺろと舐め、ぷちゅぷちゅと水音を立てながら奥へと飲み込んでいく。しかし、喉の奥の方にはまだ入り切らないようで、苦しげな呼吸が漏れ聞こえてくる。ミスラは宥めるようにオーエンの髪を軽く撫で、耳の後ろから首筋に指を這わせる。性感帯であるその場所を撫でられ、オーエンは首を竦めて小さく震えた。

「オーエン」

名を呼ばれただけでミスラが強請っていることを理解したオーエンは、頷くように瞳を瞬かせた。恐る恐るといった様子でゆっくりと頭を動かし始める。オーエンの口の端から唾液とも先走りともつかない液体が溢れ出していく。空気を含んだ淫猥な水音を響かせながら、オーエンは性器の先端まで吸い上げる。熱い粘膜にみっちりと包まれ、擦り上げられる感覚にミスラは低く息を漏らした。それに気をよくしたのか、オーエンは更に深く性器を飲み込む。

「ンン、ッ……ぅ、んむ…ッ、ん……ふ、ぅ…」

喉奥に当たりそうになる度にえづきそうになるのを堪え、オーエンは必死にミスラの性器をしゃぶった。最初の頃の不精巧な奉仕が嘘のように、ミスラの快感を引き摺り出すために激しく頭を動かしていく。ぐぽぐぽと聞くに堪えない水音を立てながら、顔を真っ赤に上気させて性器を丹念に愛撫する。オーエンの髪を掴んでいるミスラの手に力が入った。柔らかな粘膜がきゅうっと引き絞られて、腹の奥から熱が込み上げてくる。堪える間もなく、次の瞬間にはオーエンの口の中に精液が放たれていた。

「……、っ!」
「ぅ、ぶッ…!?ふ、ぅ……っン、ん……」

口腔内に広がる熱くて青臭い味に、オーエンは端正な顔を顰めた。あまりの不味さにえずきそうになるが、同時に精液に含まれたミスラの魔力に気付かされる。同じ体液ではあるものの、含まれている魔力は唾液よりも格段に上だ。今はシュガーを口に含んでいないが、もし精液と同時に与えられればどうなるだろう。想像しただけで恍惚とした気分になり、オーエンはうっとりと瞳を蕩けさせた。やがて引き抜かれた性器をぼんやりと見つめ、荒い息を繰り返す。ミスラは大きく息を吐き出すと、オーエンの顎を掴んで顔を上げさせた。オーエンは嫌がるように僅かに身動ぐが、ミスラの強い視線を浴びて動きを止める。薄く開かれた口の端から白濁液がたらりと零れ落ちた。ミスラは指先でそれを拭い、塗りつけるように唇をなぞる。

「オーエン、一滴も零さずに飲んでください。ちゃんと俺に見せて……分かりますね?」

ミスラは幼子に聞かせるようにオーエンへ囁いた。昏い熱情を灯した翡翠の瞳を見上げ、オーエンは静かに頷く。精液を零さないように顎を持ち上げたまま、かぱりと口が開かれる。こってりとした濃厚な白濁液は舌の上に刻まれた紋章をすっかり覆い隠していた。ミスラは満足そうに笑ってオーエンの頬を撫でる。それを合図と受け取り、オーエンはゆっくり喉仏を上下させた。粘つく液体は簡単に飲み干せるものではなく、喉に貼りついて噎せそうになる。こくりこくりとゆっくり嚥下されていくにつれ、口腔内に残る液量は次第に減っていった。途中で確認のために口を開かせれば、白濁液に塗れた真っ赤な舌の上にうっすらと紋章が浮かび上がっている。賢者の魔法使いである証を自分が汚したという充足感に、ミスラは笑みを深めた。

「いいですよ。残りも……全部飲んでください」

許しを得たオーエンは残りの精液をすべて飲み干し、苦しげに喉を鳴らす。腹の中にじんわりとミスラの魔力が広がっていき、自らの魔力と混ざり合う感覚にオーエンは震えた。ミスラは咳を繰り返すオーエンを抱き寄せ、その髪を優しく梳く。額に触れるだけの口づけを落とすと、蕩けるほどあまい笑顔を浮かべた。

「よくできましたね、オーエン」
「けほっ……ぅ、これ、で……満足、したわけ…?」
「はい。ほら、ご褒美をあげますよ」

口の中に残る後味が不快なのか、表情を歪ませるオーエンの唇にふに、と触れる。薄く開かれた口腔内にぽとり、と美しい形のシュガーが数粒落とされた。軽く歯を立てるだけでパキッと砕けたそれは、青臭い精液の味を一瞬にして塗り変えていく。待ち侘びたシュガーの甘味にオーエンは頬を緩ませ、もっとと強請るように口を開けた。ミスラはそれに応えてシュガーを与え続け、幸せそうなオーエンの表情をただ見つめ続ける。

「美味いですか」
「うん……どろどろにあまったるくて、最高。ねぇ、もっと」
「……そんなに、俺のシュガーが……」
「え?」
「―――いえ、なんでもありません」

そんなに俺のシュガーが好きなんですか。今更すぎる疑問をぐっと飲み込み、ミスラは指先からシュガーを生み出し続ける。オーエンがシュガー欲しさに強請ってきていることは、当たり前すぎる事実だ。まさかフェラチオまでやってくれるとは思わなかったが、それほどまでにシュガーが欲しかった証拠だろう。ずっと前から分かりきっていたことのはずなのに、ミスラの胸中に靄が渦巻いていく。ようやく満足したらしいオーエンの腕を掴むと、痩躯を抱き寄せた。

「……ミスラ?」

ずっと無言だったことを疑問に思ったのか、オーエンが不思議そうに首を傾げる。ミスラはそんなオーエンの顔を覗き込み、溜息を吐いた。顔を見て溜め息を吐かれたオーエンは機嫌を損ね、ミスラの頬をぐいと抓る。

「いひゃいでふ」
「嘘。大して痛くなんかないくせに」
「僕がフェラまでしてあげたっていうのに何が不満なの」

瞳を眇めてオーエンは不満そうに呟く。少し拗ねているかのような様子が殊勝に映り、ミスラは表情を緩めた。頬を抓っていた細い指が離れ、ミスラは再び口を開く。

「……それは不満ではありませんでしたよ。プライドの高いあなたがそこまでしてくれるとは思いませんでしたし、満足しています」
「当然だよ、じゃなきゃ殺してた。なんで溜め息なんて吐いたの」
「…………」
「ミスラ」
「……そこまでしてシュガーが欲しいのかと思っただけです」

ミスラの言葉にオーエンは手を離して目を瞠った。その反応に口にした言葉を後悔するが、時間が巻き戻るようなことはない。目を丸くしているオーエンから視線を逸らし、ミスラは嘆息した。オーエンはミスラの言葉をしばらく脳内で反芻していたが、結局ミスラの本意が理解できずに首を傾げる。

「そんなの、今更でしょ」

ぽつりと零されたオーエンの呟きにミスラは応えなかった。しかしオーエンは視線をシーツに落とすと、考え込むように視線を彷徨わせる。さっき落としてしまったらしい薄紫色の結晶を見つけて手に取り、そっと口の中に放り込んだ。優しい甘さがじんわりと広がっていて、強張りかけていた身体が和らいでいくような気がする。こくりと甘露を飲み干して、オーエンは浮かび上がった一つの疑問を口にする。

「僕にシュガーをやるのが、嫌になったとか?」
「はあ?」
「だって、さっきシュガーを出すのが面倒、って…」
「ああ……それは疲れていたからですよ。そう言ったじゃないですか。……別に嫌ではないです。あなたに強請られるのは、結構気分がいいものなので」

じゃあどうして、とオーエンはミスラを見上げた。ミスラは珍しく答えに窮した様子で沈黙を貫き、引き結んだままの唇を開こうとしない。オーエンは次第に焦れて、ミスラの頬を両手で挟み込んだ。先ほど抓った部分が少し赤くなっていて、いい気味だと忍び笑う。

「嫌じゃないなら、もっとちょうだい。それで勘弁してあげる」
「随分と偉そうですね、オーエン」
「この僕にあんなことをさせておいてよく言うね。もっと有り難がれよ」

不遜で鼻持ちならない態度は普段なら殺したいほど腹が立つだろう。しかし不思議と苛立つこともなく、ミスラは穏やかに微笑んだ。静かに顔を寄せてくるオーエンを抱き締め、あまい唇を貪る。肉厚な舌を侵入させると、オーエンの舌を絡めとって吸い上げた。散々シュガーを食べたオーエンの口腔内は噎せ返るほどあまったるい。じゅわりと溢れ出した甘味を吸い上げ、代わりに自らの唾液を流し込んだ。瞳をとろりと蕩けさせたオーエンは、夢中になってシュガーと混ざり合ったミスラの唾液を飲み干していく。細い喉がこくこくと動くのを視界の端に捉え、ミスラは知らず知らずの内に笑みを深めた。

「ん、ッ…も、っと……ミス、ラぁ……」

体温の低い指先があまえるようにミスラの背中を引っ掻く。これ以上ないほど密着しているのに、オーエンはまだ足りないと言いたげだ。後頭部を押さえつけるように引き寄せ、ミスラはオーエンをベッドに押し倒す。がっちりと両手首を縫い付けると、半ば食らいつくように唇を奪う。荒々しい獣のようなキスでも感じてしまうオーエンは、蕩けた表情でミスラに応え続けた。上顎や歯列の裏側など弱いところを執拗に舐めると、鼻にかかった声が漏れる。与えられるシュガーとミスラの唾液を享受することしかできず、オーエンはひたすら快楽に溺れていった。

「オーエン……」
「はっ、ぁ……ん、ぅ…ふ、……ぁ、ン……」

ミスラが名を囁くだけで奥底から湧き上がる熱量が増し、オーエンは身を震わせる。口づけに夢中になっているオーエンを見て、ミスラはほくそ笑んだ。薄紅色だった唇は繰り返されたキスでぽってり腫れ上がっている。時折覗く、紋章の刻まれた真っ赤な舌がミスラを誘うようにちらついた。酸欠で頭がぼうっとして、オーエンの両目にはじんわりと涙が滲みはじめる。苦しげな呼吸に気付いたミスラがようやく口を離すと、銀糸が二人の間を繋いだ。オーエンは激しく肩を上下させて呼吸を繰り返し、熱に浮かされた瞳でミスラを睨めつけた。

「相変わらずっ…、加減を……知らない、男だね……」
「はあ。俺の辞書にはない言葉なので」
「ほんと、おまえって横暴」

詰るような言葉を吐きながらもオーエンは満足そうに笑った。蠱惑的なその笑みに惹かれるように、ミスラは細い首筋に口づける。軽く吸い付くだけで雪のような肌に赤い痕跡が刻まれ、口元にはゆるりと笑みが浮かんだ。

「あっ、ばか。それ嫌だって言ってるだろ」
「なぜです?どうせ見える場所じゃないでしょう」
「そういう問題じゃ…」
「―――それとも、誰かに見せる予定でもあるんですか?」

ミスラの言葉にオーエンはぱちぱちと目を瞬かせた。ミスラは相変わらず仏頂面のままだったが、その瞳には不機嫌な色が浮かんでいる。オーエンはミスラの顔を静かに見上げて、ふっと柔らかく微笑んだ。

「あるわけないでしょ」

心臓をぎゅっと握り込まれた気分だった。バクバクと脈動を繰り返す心臓に手を当てて、ミスラはオーエンを見下ろす。オーエンは楽しげにくすくすと笑って、悪戯っぽい視線をミスラに向けた。太い首に腕を回して、上目遣いで媚びるように見つめてくる。ただ単純に数日ぶりに触れたから、ではない。上機嫌で素直なオーエンの態度は少しばかり奇妙だったが、今までと異なる感情が確実に自分の中に芽生えているのは明白だ。ミスラは自分の胸に押し当てていた手を伸ばし、オーエンの胸に押し当てる。心臓を隠す男の胸の内は伽藍洞で何も感じられない。ミスラの行動を訝しむように観察していたオーエンは、けらけらと楽しげに笑った。

「今日のおまえ、気でも狂ったみたい」
「…………」
「ミスラ?……なに、本当にどうしたの…」
「腹が立ちますね」
「は?」

一方的に怒りをぶつけられたオーエンは目を白黒させた。ミスラは相変わらず何を考えているのか分からなかったが、その表情はなぜか恨みがましく見える。言葉とは裏腹に優しい手つきで頭を撫でられて、不気味だと思うのに抗えない。心地よさに目蓋が重くなっていくのを感じていると、不意にミスラがあ!と大きな声を上げた。驚いて身を竦ませたオーエンは、自分の身体を抱き込むような格好で腰を引く。

「ちょっと。急に叫ばないでよ」
「忘れていたものを思い出して」
「忘れていたもの…?」
「これです」

ポンッと微妙に間抜けな音がしてミスラの掌に少し大きめの包みが現れた。綺麗に包装されたそれが贈り物の類であることは明白だが、この状況で取り出す意味が理解できない。オーエンは身体を起こして首を捻った。

「……任務先の人間からの貢ぎ物?」
「いえ、違います。宴は開催されそうになりましたが、断りましたし」
「じゃあ何。まさか、おまえが誰かに買った土産とか?」
「はい。そうですね」

ぼりぼりと頭を掻きながら答えたミスラに目を瞠る。オーエンは信じられない思いで目の前の男を見上げた。ミスラが任務先で土産を買うなど天変地異の前触れだろうか。くくりますとやらの際に賢者に何かを贈っていたと聞いた時も驚いたが、それと同じぐらいの驚愕をオーエンは覚えていた。

「……珍しいね。それで?賢者にあげるの?それとも南の兄弟?おまえのことだから、恐ろしい見た目の御守りでも選んだんでしょう。また怖がられるのがオチだろうね。渡すなら僕もついて行ってあげようか。反応が見てみた…」
「はあ。違いますけど」

ばっさりと否定されてオーエンは瞳を瞬かせる。他にミスラが土産を渡すような相手など思い浮かばない。首を捻ったまま見つめていると、ミスラはなぜか呆れたように溜め息を吐いた。前触れもなく顔を寄せ、オーエンの眼前に包みを突き出してくる。ふわふわとしたリボンが顎を擽ってきてオーエンは反射的に後退った。

「は?何してるの?」
「分かりませんか?これ、あなたに買ってきたんですけど」
「…………え?」

固まっているオーエンに構うことなくミスラは包みを胸に押し付けてくる。仄かに温かいそれは、ふわりとあまい香りを漂わせていた。呆然としたままではあるが、包みを受け取ったオーエンはゆっくりと視線を下に落としている。贈答用であろうメッセージカードが添えられたリボンは、開けてもらうのを今か今かと待ち侘びているようだ。

「まだ温かいですけど、冷めてしまう前に食べた方がいいと思いますよ」
「……食べ物なの?」
「はい。なんだったっけな……なんとかケーキっていう菓子です。あなたが好きそうな」
「へぇ……そう、なんだ」

聞きたいことは山のようにあるはずなのに、一つとして言葉になって出てこない。ぐるぐると脳内を渦巻くのは混乱のみで、冷静を装いながらもオーエンはひどく困惑していた。急かすような視線に促されるよう、綺麗に結ばれたリボンを解いていく。袋の中に手を突っ込み、緩衝材の中に鎮座していた白い箱を取り出す。ずしりとした重みを感じる箱は温かく、あまい香りが増していった。覚えのある香りに期待感が増し、尋ねることも忘れてオーエンは箱の蓋を持ち上げる。

「……カスタードケーキ……?」
「ああ、確かそんな名前でした。カスタードクリームでしたっけ。あなたが好きな、あまくてどろどろのやつ。それが中に入っているケーキらしいです」

姿を現したのは美しい正円を描いた黄金色のパウンドケーキだった。忌まわしい厄災に似てはいるが、香ばしくてあまい香りは似ても似つかない。食い入るようにケーキを見つめていると不意にミスラが口を開く。

「以前、クリームを駄目にしてしまったでしょう。それを思い出したので」
「え?」
「まあ、お詫びというか。そんな感じです」

オーエンはお詫びという言葉を口の中で反芻してみたが、どうにもしっくり来ない。今までのミスラならオーエンの物を壊したり、菓子を駄目にしたからといって詫びを入れたりしなかった。顔を上げるとばちりと視線が合わさる。翡翠の瞳はまっすぐにオーエンを見つめて、ふっと細められた。まるで不意打ちを食らったように頬が熱を持って、オーエンは咄嗟に視線をケーキに戻す。ミスラは一連の反応を観察するように見つめて首を傾げた。

「食べないんですか」
「……食べるけど」
「俺も腹が減ってきました。オーエン、俺にもくださいよ」
「嫌だよ。全部僕のものに決まってるでしょ」

取られると思ったのか、オーエンは箱を胸に抱いて後退る。ミスラが迫ってくるのでそのまま逃げていれば、ヘッドボードの方へ追い込まれてしまった。オーエンは背中を預けた状態で観念したように溜め息を吐く。ミスラの部屋にナイフやフォークがあるとは思えないので、諦めて手でケーキを掴んだ。中心から半分に割れば、中からとろりと黄色いクリームが零れ落ちてくる。箱や手についてしまうのが勿体ないと思っていれば、不意に手首を掴まれてべろりと舐め取られた。オーエンは反射的に思いきり頭を殴りつけたが、ミスラはといえば少しも懲りた様子はない。舐められた方の手で半分になったケーキをさらに半分に割り、ミスラに差し出す。本当は四分の一も分けたくはないが、手でこれ以上分けるのは難しい。ミスラはオーエンの手ごと食べそうな勢いでケーキにかぶりついた。鋭い歯が柔らかなスポンジ生地に突き立てられ、咀嚼を繰り返す。ベッドの上にボロボロと残滓が零れてもお構いなしだ。口に含んだまま何かを喋ろうとしてモゴモゴとなっているミスラの額を弾き、オーエンは舐められていない方の手で残りのケーキを掴み上げた。中から零れ落ちそうになるクリームをぺろりと舐め取る。バニラビーンズの芳醇な香りとあまさに思わず頬が緩んだ。オーエンは柔らかなスポンジにかぶりつく。スフレのような生地は優しくも素朴な味をしていて、あまいカスタードクリームとの相性は抜群だ。夢中になって食べ進めていると、先に食べ終わったミスラがこちらを見つめている。

「もうあげないよ」

オーエンは意思表示のつもりで睨みつけたが、ミスラは黙って顎を掬い上げた。口の端に温かいものが触れたと思えば、頬についたクリームを舐め取られている。文句を言おうと口を開きかければ、問答無用で唇までも奪われた。深く舌を入れられることはなかったが、ケーキを食べるのを邪魔されたことでオーエンの機嫌は急降下する。

「いい加減にしろよ!僕にくれたんだろ」
「……どうしてでしょう」
「は?」
「あなたほどあまいものが好きなわけではないはずなのに、あなたを見ていると無性に食べたくなります。あなたの唾液もあまったるくて胸焼けがしそうなのに、もっと味わっていたいとも。……オーエン、俺に魔法をかけました?それとも、俺もあなたの影響を受けてしまったんでしょうか」

呟くように言ったミスラは、まるで迷子の子どもだった。瞳の奥に戸惑いにも似た色を滲ませてて静かに見つめる。もうクリームは残っていないというのに、ミスラはオーエンの唇をどこか名残惜しそうに撫でた。オーエンは急激に喉の渇きを覚えて唾を嚥下する。ごくりという音がいやに大きく部屋に響いた気がして、気恥ずかしさで体温が上昇していく。血が通わないはずの指先までがじわりと熱くなった。

「魔法なんて、かけてないよ」
「……そうですか」
「―――おまえ、自分でも言ってただろ。任務で疲れてるんじゃないの」

精一杯絞り出した言葉の薄っぺらさに笑いそうになった。オーエンは必死に平静を装って、笑顔を貼りつける。表情はぎこちなく引き攣っているはずなのに、ミスラはそんなことには気付かず納得したように頷いた。

「ああ……そうかもしれません。任務中は全然眠れなくて、あなたのことを思い出してムカムカしてたんですよね。その反動が来たのかもしれないです」

なんでもないように零された言葉を聞き返しそうになるのを、オーエンはぐっと堪える。どんな言葉が返ってきても、上手く反応できる気がしなかった。ミスラから齎される言葉に、これ以上変な反応を示したくはない。残りのケーキを持ち上げて口に運ぶ。羨むような視線を無視して、オーエンは無心でカスタードケーキを貪る。どろりとしたあまったるさと一緒に、気付きかけている感情ごと全て飲み込んでしまいたかった。



continue...




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