魔法の料理

※ホワイトデー2022ホームボイス


掌に落とされた小瓶を受け取って、晶はぱちぱちと目を瞬かせた。色からはとても想像できないが、焼き肉のたれの味がするソース。以前舐めさせてもらったことのあるミスラ特製の一品だ。どんな料理でもこれをかければ美味しくなると得意げに語っていたのは、ずいぶん前の出来事だったように思える。晶は記憶を反芻しながら小瓶をじっと見下ろした。ミスラは小首を傾げて晶の顔を覗き込む。

「……お気に召しませんでしたか」
「あっ、いえ…!少し驚いちゃって……ありがとうございます、嬉しいです!」

ぶんぶんと両手を振って否定した晶は笑顔で、ミスラは安堵したように息を吐く。嬉しそうに小瓶の中身を覗き込む晶は、朝食前ということもあって腹を減らしているようだった。どこかそわそわした様子で笑いながら口を開く。

「朝から焼き肉は……ちょっと無理がありますよね」
「ネロに言って作らせればいいでしょう」
「あはは。でも、もう料理始めちゃってると思いますよ。昨日はキッチンが大賑わいでしたからネロも疲れてるかもしれませんし、無理は言えません」

晶の言葉にミスラは視線をキッチンへ向けた。カナリアとともにキッチンで朝食の準備に勤しんでいるネロは、確かに少し疲れているように見える。

「ああ……昨日は南や中央の魔法使いたちがキッチンに集っていましたね。俺もおこぼれに預かりましたよ」
「え?そうだったんですか?」
「はい。でも、ミチルが失敗したと言うので、その消し炭を食べたら泣かれてしまって……あれには困りました。なぜ泣いたんでしょう」

晶は思わず苦笑し、幼い魔法使いに同情した。ミチルはきっとミスラにもお返しを作っていたのだろう。上手く出来たものを渡したいと思っていたのに、失敗したものを見られた挙句に食べられればショックなのは想像に難くない。

「ネロ、人に教えるのはあまり得意じゃないからって少し困ってました。でも、みんな楽しそうでしたね」

昨日の光景を思い出したのか、晶は嬉しそうに表情を綻ばせた。ミスラは視線を彼の手の中の小瓶に移し、ぽつりと呟く。

「……賢者様。焼き肉は昼にしましょうか」
「え?」
「今日の予定はどうなっていますか」

ミスラの問いに促され、晶は必死に頭を巡らせる。ホワイトデーということもあってか、任務や討伐の依頼も入っていないはずだ。久しぶりにゆっくり過ごせると思っていたので、突然のミスラの提案に驚かされる。しかし、もちろん嫌などではない。晶の中にじわじわと喜びが込み上げてくる。気を抜けば緩んでしまいそうな頬を堪えながら、晶は平静を装って言葉を紡いだ。

「今日は特に……報告書が残ってるだけで、それもすぐに終わると思います」
「そうですか。では、昼までに終わらせてください」

そう言うなり、ミスラはソファーから立ち上がって行ってしまった。彼と入れ違いになるように中央の魔法使いたちが現れ、手に持った色とりどりの包みを晶に渡しはじめる。晶は笑顔でそれを受け取り、会話を交わしては礼の言葉を述べた。

「あれ、賢者様……この小瓶はなんですか?」

澄んだ翠の瞳を丸くしてリケが尋ねてきた。晶は傍らに置いていた小瓶をそっと手に取り、はにかむ。今日だけは、この喜びを胸のうちに秘めておきたかった。

「秘密です」
「えっ……」
「はは、賢者様にも秘密にしておきたいことぐらいあるさ。リケ、諦めよう」

少しショックを受けた様子のリケの頭を撫で、カインは微笑んだ。嫌がるリケを適当にあしらいながら、互い違いの瞳は優しい色をしている。その横で静かに小瓶を見つめていたアーサーは、穏やかな微笑を浮かべて晶を見た。

「……私たちよりも先客がいたようですね」

一言も喋ることなく腕組みをしていたオズがアーサーの言葉に頷く。世界最強の魔法使いであれば、誰が作ったかなどお見通しだろう。じわじわと頬が熱を持っていく。今から昼食を楽しみにしているなんて知られたら笑われてしまう。どきどきと高鳴ってしまう胸の鼓動は、どうやっても抑えきれなかった。


×


「≪アルシム≫」

静寂を打ち破って響いた声に驚き、晶は慌てて振り返った。

「あの、何度も言っていると思いますが、部屋に来る時は廊下から……」
「……忘れていました」

ミスラは悪びれもせず、空間の扉を維持したまま部屋に降り立った。座っている晶に歩み寄り、卓上に広げられている書類を一瞥する。どこか胡乱な眼差しを向けられていることに気付いた晶は、ミスラに気付かれないよう忍び笑った。声には出されずとも、仕事は終わったのかと言いたげな雰囲気が伝わってくる。晶はミスラに向き合って微笑み、差し出されたミスラの手を取る。

「迎えに来てくれたんですよね。仕事は終わったので、行きましょうか」

そう言いながらミスラの手の冷たさに気が付く。異様な冷気を感じて扉の先を覗き込めば、ブリザードが吹き荒ぶ一面の銀世界だった。

「えっ、北の国…!?」

ミスラは驚いている晶に構うことなく扉の先へ踏み出す。晶は咄嗟に強く目蓋を閉じて襲い来る吹雪に備えるが、予想していた衝撃はいつになっても訪れない。恐る恐る目蓋を持ち上げると、晶とミスラの周りに薄い膜のようなものが生まれていた。澄んだ空気の冷たさは感じるものの、身体もぽかぽかと温かい。強引に手を引かれて雪原を歩き出しながら、晶はミスラを見上げた。

「あなた、寒いとすぐ死にかけるでしょう」

言葉自体は素っ気ないが、声色はあくまでも優しい。目を丸くしていた晶は微笑み、そうですねと頷いた。そのまま歩き続けていれば、やがて結氷した死の湖の淵が見えてくる。古い家屋に辿り着くと、ミスラは晶を先に入らせて扉を閉めた。暗い家の中はすっかり冷え切っていたが、ミスラが呪文をひとつ唱えればたちまち明るく、暖かくなる。ほとんど使われていなさそうな暖炉に炎が灯り、薪がぱちぱちと小気味よい音を立てた。晶が手持ち無沙汰に立っていると、ミスラは部屋の隅から何かを引き摺ってくる。

「……ミスラ?なにを持っ、て……それ、何ですか…?」
「何って、肉ですけど」
「肉……」
「焼き肉をするんでしょう。新鮮な肉の方が美味いので、仕留めてきました」

ずるずると床を引き摺られながら全貌を見せたそれは、魔獣と思しき生き物だった。既に息絶えているが、死してなお尋常ではない迫力がある。ミスラは死体を乱雑に床に置くと、使い込まれた鉈を手に取り―――ふと晶に視線を向けた。

「賢者様、解体を見たことは」
「えっと、マグロぐらいなら……魚以外の解体を見るのは初めてですね……」
「……では、後ろを向いていてください。すぐに終わりますから」

戸惑いながら答えると、ミスラは壁の方を指差して鉈を握り直した。晶は少なからず驚きながらも背を向ける。その途端、肉を骨ごと断ち切る鈍い音が室内に鳴り響いた。思わず身を震わせてしまうが、自分のために解体してくれているのだと思い直す。それから何度も鉈が振り下ろされ、室内には血液の匂いが充満していく。独特な匂いと切断音で気分が悪くなりかけた時、呪文を唱える声が聞こえた。恐々と振り返ると、スプラッタさながらに返り血を浴びたミスラが顔を上げる。血に塗れた壮絶な笑みを目にして、晶の喉の奥からは情けない悲鳴が漏れそうになった。しかし視線を動かせば毛皮を剥がされ、綺麗に解体された肉塊がまな板の上に鎮座している。魔獣とは思えぬほど綺麗な肉に晶は目を奪われた。ようやく返り血に気付いたミスラは魔法で身を清め、得意げに鼻を鳴らしてみせる。

「美味そうでしょう。市場ではなかなか手に入りませんよ」

ミスラは誇らしげな笑みを浮かべたまま、大振りのナイフで肉を切り分けていく。フライパンでそれらを焼きながら、ミスラは晶の方へ手を差し出した。晶は慌ててポケットから取り出した小瓶の蓋を外す。ミスラは受け取った小瓶を傾け、フライパンへ直接ソースを注いだ。肉と一緒にソースが焼ける香ばしい匂いが晶の鼻孔を擽る。ミスラは火から降ろしたフライパンをそのまま晶へ差し出してきた。

「どうぞ」

フライパンから直接焼き肉を食べるなんて初めてだ。晶はフォークを手に取り、じゅうじゅうと音を立てる肉を突き刺す。魔法のソースが絡まった分厚い肉は光り輝いていた。ふうふうと息を吹きかけ、晶は注意しながら肉を口へ運ぶ。

「美味しい……」

魔獣とは思えぬほど柔らかい肉は、臭みも感じられず癖もない。脂身はじゅわりと溶けながらも甘さを残し、芳醇な魔法のソースが絡み合うことで肉自体の旨味が引き立てられている。ミスラは満足げに翡翠の瞳を細めた。その瞳の奥に灯った、獰猛な光に晶はごくりと喉を鳴らす。伸ばされた指が晶の口元についたソースを拭った。冷たかったはずの指は火傷しそうなほど熱を孕んでいる。

「晶、俺の腹も満たしてくれますか?」

熱っぽい眼差しを向けられ、晶は自分が食べられる側だということを自覚した。


end.




ホーム / 目次 / ページトップ



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -