indulge in sugar



「ねぇミスラ、シュガーをちょうだい」

落とされた声にゆっくりと目蓋を持ち上げる。人気のない談話室でソファーを占領して横になっていたミスラは、翡翠の瞳を胡乱げに動かして声の主を探す。上から覗き込む形でこちらを見下ろしていた相手は、呆れたように肩を竦めた。

「眠れもしないのに昼寝の真似事?」
「……うるさいですね。急になんです、オーエン」
「だから、今さっき言ったじゃない。聞いてなかったの?」

ミスラは重い溜め息を吐いて身体を起こした。ソファーが軋んで音を立てる。オーエンはじっとミスラを見下ろしていたが、やがてソファーの背凭れ部分に身を乗り出した。左右で色の異なる瞳でミスラの顔を真横からじっと見つめる。

「シュガー。出して」

今度は圧を込めた笑顔を向けられた。ミスラは再び溜め息を吐く。ちらと視線を投げると、オーエンは少しも待ちきれないといった表情を浮かべていた。面倒になって返事もせずに立ち上がろうとすると、思いのほか強い力で腕を掴まれる。振り払うことは容易だが、あまり頭が回っていないせいかそれすらもひどく億劫だ。

「しつこいですよ」
「僕を無視しようとするなんていい度胸だね」
「じゃあ返事をすればいいんですか?嫌です。……それじゃ」
「待てよ」

ミスラの腕を掴んでいるオーエンの手に力が籠められる。細い蔦のように絡みついてくるそれは痛みを伴うほどで、ミスラは辟易しながらそれを思いきり振り払った。ソファーに身を乗り出していたオーエンはその体勢も相俟ってバランスを崩す。するりと手が離れてしまい、チッと鋭い舌打ちが零れた。

「生意気だね。別に減るもんじゃないだろ」
「俺の魔力が減ります」
「おまえの魔力はシュガーを出す程度で減ったりしない」
「……まあ、確かに」

断言されてミスラは思わず肯定する。普段から殺し合いをするだけあって、オーエンがミスラの魔力の莫大さを知るのは当たり前だ。しかし、強請られるままに従うのは面倒であり気分でもない。

「それはそうとして嫌です。第一、シュガーなら自分で出せばいいでしょう。どうして俺に出してもらいたがるんです」
「……理由なんてどうでもいいだろ」
「はあ?納得できる理由もないのに、俺があなたのためにシュガーを出す道理はありませんよ」

妙に強情なオーエンに呆れたミスラは背を向けた。ここ最近、何度も繰り返しシュガーを強請られ続けている。何が目的かは知らないが、そのしつこさにいい加減嫌気が差していた。引き留めるオーエンの声を無視して談話室を抜け、高い靴音を鳴らしながら廊下を闊歩する。すれ違ったミチルとリケがどこか怯えたような視線を向けてきたので、不機嫌なオーラが出てしまっていたのかもしれなかった。しかしそれを気にするようなミスラではないので、構うことなく通り過ぎる。

たまに強請られるぐらいなら気分がよかった。どこかあまえるように見上げてくるオーエンを見ていると溜飲も下がるというものだ。たくさん欲しいと言われ、両手いっぱいにシュガーを落としてやれば喜色を浮かべる。常にニコニコしている印象があるものの、分かりやすく嬉しそうな表情はまた違って見えた。ミスラのシュガーを食べる瞬間―――真っ赤な舌が覗き、そこに刻まれた紋章が唾液を纏って輝いて見える。オーエンのあかい口腔内に薄紫のシュガーが落ちる、あの光景は好きだ。ミスラは記憶を想起しながら知らず知らずの内に頬を緩める。シュガーを口にしたオーエンは、幸せそうに目蓋を閉じる。シュガーを噛み砕き、またはゆっくりと味わいながら口の中で溶かしていく。それから瞳を開けて、ゆったりと微笑むのだ。

『あまくて美味しい』

その蕩けるような笑顔は、思わず目を奪われるほど美しい。その表情を見ることはやぶさかではなく、強請られれば素直に差し出すこともあった。しかし、それにしても最近の頻度は異常だ。オーエンは数日に一回、しかも多量にシュガーを求めてくるようになっている。" あまいものは依存性が高い " そんな言葉をミスラは思い出す。オーエンがあまいものばかり好むのは、その依存性が高まっているからではないか。そう言っていたのは、フィガロだったか賢者だったか―――今となっては思い出せない。だが、通常の食べ物と異なるとはいえシュガーもあまいものに分類される。精神安定や疲労回復の効果があるのは魔力が込められているからだが、多量に摂取するとどうなるのか。一度も考えたことのないことに思い至り、ミスラは自室の扉を閉じて立ち止まる。魔法でしっかりと扉を閉ざし、ベッドに身を投げ出した。

「シュガーの多量摂取……」

低い声で呟き、ミスラは思考を巡らせる。魔力を用いて生み出されるシュガーだが、実際にシュガーの中に含有されている魔力は微々たるものにすぎない。もし強い魔力が宿っているのであれば、魔力を持たない人間が口にすれば副作用が起きる可能性がある。魔法使いが口にする場合もそれは同じだ。他者の魔力を強く取り込めば、副作用が起きてもおかしくない。だが、そんな微々たる魔力しか含まないシュガーでも多量に摂取すれば何かが起きるかもしれない。その何かがシュガーに対する依存性の高まりだとしたら―――そんな仮説を立ててみたものの、どうにもしっくりこない。ミスラは寝返りを打ち、目蓋を閉じる。まだ明るい時間ということもあり、眠りまでは随分と遠い気がした。賢者は任務で不在なので、あの温かな手を頼ることはできない。それでも起きているよりはマシだろう。胸中にモヤモヤとした蟠りを感じながらも、ミスラは眠りを求めるため旅立っていった。


×


ふっと意識が浮上する。短い間に何度も繰り返されたことだったが、僅かな違和感を覚えたミスラは室内に視線を彷徨わせた。ぼやける視界の中で人影がゆらりと蠢いている。ミスラの視線を感じたのか、人影は一瞬だけ動きを止めた。しかし再び動き出すと、ふらふらと覚束ない足取りでベッドの方へ近付いてくる。膝で乗り上げたらしく、軋んだベッドが音を立てた。その瞬間―――ミスラの鼻先を覚えのある香りが掠める。

「オーエン?」

菓子に似たあまい香りと細いシルエットは間違えようがない。すっと手を伸ばして引き寄せると、何の抵抗もなく痩躯は腕の中に収まる。しかし、指に感じた妙な感触にミスラは眉を顰めた。小さく呪文を唱えると、棚の蝋燭に火が灯る。照らし出されたオーエンの身体は、胸から腹にかけてざっくりと切り裂かれていた。視線を動かせば、ミスラの手にはべったりと鮮血が付着している。そこで初めて生臭い血の匂いが鼻孔を刺激したが、ミスラはその点にも違和感を感じた。獣じみていると言われるだけあって、ミスラの鼻は常人より敏感な方だ。そのミスラが嗅ぎ慣れた血の匂いに気付かないことなどありえない。出血していないことから応急処置として傷口は塞いであるようだ。しかし、真白い衣服をぐっしょりと濡らしている血の量は決して少なくはない。

「……ミスラ」

頭上から落ちてきた声にミスラは顔を上げる。出血のせいか、元より白い肌はすっかり青白くなっていた。アッシュグレイの髪は乱れ、中央の騎士から奪った方の瞳は影になって見えない。静かに見下ろしてくる彼自身の赤い瞳は疲労が濃く滲み、どこか虚ろだ。

「オズにやられたんですか」
「……うん」
「もう夜でしょう。あの男はもう動けない時間では?」
「まだ夕方だったんだよ。もう頃合いかなと思ったら、ギリギリ動けたみたいで……」
「何をやったんです」
「べつに、何も。ただ、シュガーをちょうだいって言った」

オーエンの言葉にミスラは自分の機嫌が下降していくのを感じた。引き寄せていたオーエンの腰を離し、乱暴に突き飛ばす。オーエンは一瞬倒れそうになったものの、ぐっと堪えてベッドに乗り上げてきた。

「ちょっと…!今の僕は怪我人だよ。乱暴しないで」
「人の眠りを一度ならず二度も妨害しておいて、随分と大きな口を叩きますね」

非難するような眼差しを向けてきたオーエンを睨み、ミスラは溜め息を吐く。闖入者であるというのに尊大なオーエンの態度が腹立たしい。

「扉には魔法もかけていたはずです。その魔法を破って入ってきてまで、あなたは他人のシュガーが欲しいんですか?物好きにも程がありますよ」
「うるさい。ねぇミスラ、シュガーを……」
「それが人に物を頼む態度ですか?」
「ミスラには言われたくないよ。いいから、早く出してってば…!」

まるで子どものように駄々を捏ねるオーエンに苛立ちが募る。ミスラは怒りに任せて手を伸ばし、細い顎を片手で鷲掴みにした。喉までも圧迫され、オーエンは呪文どころか言葉を紡ぐこともできない。ゆがんだ唇から声にならない声と呼気が漏れ出る。その様子があまりにも滑稽で、酷薄な笑みが零れ落ちた。

「……オズでもいいんでしょう。他の魔法使いにも節操なく媚びているんですか?それなら、フィガロでも双子でもブラッドリーでも……好きな奴の所へ行けばいい。俺があなたにシュガーを出してやる道理はないと言ったはずですよね?」

冷徹な声でミスラは吐き棄てる。顎を掴まれたままのオーエンは赤い瞳を軽く見開いて瞬かせた。まるで驚いているようなその表情にさえも苛立ち、ミスラは手に込める力を強めていく。ミシ、という嫌な音が耳に届いた。骨が砕けるまであと数秒もかからないだろう。オーエンの無抵抗さにつまらなさを感じていると、手の甲に力の入らない指が触れた。氷のように冷たく細い指先は、ミスラの皮膚を力なく撫でるように引っ掻く。仔猫がじゃれつくようなそれは不思議と不快には感じられず、ミスラはゆっくりと手の力を緩めていった。ようやく満足に酸素が取り込めるようになったオーエンは激しく咳き込み、ミスラの胸に頭を押し付ける。眼下で大きく肩を上下させるオーエンを見下ろし、ミスラは嘆息した。

「なんですか、何かまだ言い訳でも?」
「……言い訳、なんか……な、いッ……」
「じゃあ大人しく殺されてくださいよ。どうせ死に損ないなんですから、一回死んだ方があなただって楽でしょう」

呼吸が整ったばかりのオーエンへ再び手を伸ばす。銀糸のような髪を掻き分けて細い顎に指を這わせ、その輪郭をなぞった。小さく震えたそこは、軽く力を込めるだけで上向く。ミスラはオーエンのルビーのような瞳を静かに覗き込んだ。惑うように虹彩が揺らぐさまは珍しく、オーエンは何か言いたげに唇を動かしかける。

「言いたいことがあるなら言ってくださいよ。俺があなたを殺す前に」

苛立ちが再度ぶり返しそうになり、ミスラは溜め息交じりに呟く。オーエンは何度か視線を泳がせ、それから唇を小さく動かした。

「……駄目だったんだ」
「は?」
「他の魔法使いのシュガーじゃ、足りない。試したけど駄目だった」
「足りないって、量がですか?それならたくさん出してもらえばいいでしょう」
「違う。量じゃなくて……味が全然違う」

紡がれた言葉の意味が理解できず、ミスラは首を捻る。千年以上生きてきたが今までシュガーの味など意識したことはなかった。馬鹿舌と周囲に揶揄されるミスラだが、味の違いがまったく分からないというわけではない。

「……味?シュガーに味の違いなんてあるんですか?」
「あるよ。おまえには分かんないんだろうけど。ネロとかに聞いてみなよ。料理人のあいつなんかにはちゃんと解るんじゃない?」
「へえ……」

嘲るような眼差しを向けられ、オーエンにようやくいつもの調子が戻ってきたことが分かる。オーエンはミスラの手を払い退けて起き上がり、小さく呪文を呟いた。光の粒子を纏った指先で衣服をそっとなぞると、破れた部分が修繕されて血液も消えていった。体力と魔力が回復してきたのか、その瞳にも次第に光が戻ってくる。オーエンは翳した掌を胸から腹へゆっくり動かした。ぼんやりとした燐光が上がって、傷の回復力を高めているらしいことが分かる。身体に無理を言わせて回復力を引き上げているため、それなりの痛みが伴う。オーエンは苦しげに顔を歪め、食い縛った歯の隙間から呻き声を上げた。ミスラはその様子を見下ろしながら片眉を上げる。

「痛いのは嫌いなんでしょう」
「き、らい、だよっ……」
「せっかく殺してあげようと思ったのに、わざわざ痛い方を選ぶなんてマゾなんですか?」
「別に、死ぬほどの怪我じゃなかったし……。おまえの、ベッドの上で殺されるなんて……絶対やだ」

減らず口を叩けるほど元気なら殺す必要もないだろうと判断し、ミスラはオーエンから視線を逸らした。オーエンは呼吸を整えるために何度か深呼吸を繰り返し、やがてミスラの腕をぐいと掴んだ。緩慢に視線を向けると、オーエンは甘えるようにこちらを見上げている。

「ねぇ、ミスラ」
「殺されかけてもまだシュガーが欲しいなんて……あなた、本当に中毒になってるんじゃないですか」
「中毒……はは、そうかもね」
「はあ、仕方ないですね」

否定することなく笑うオーエンは、どこか自嘲気味に映る。ミスラは呆れながらも掌に何個かシュガーを生み出す。少しの欠けもない美しい形の薄紫のシュガーを目にし、オーエンは心底嬉しそうに微笑んだ。細い指先で一粒を摘み上げて口の中に落とす。口腔内で溶けていくのを楽しんでいるらしく、オーエンはうっとりと目を細めた。オッドアイがキャンディーのように蕩けるのを見て、ミスラは気持ちが凪いでいくのを感じる。

「俺のシュガーはそんなに美味いですか」
「言い方……まぁ、不本意だけど美味しいよ。とびっきり甘くて、口の中でどろどろに溶けちゃう」
「へえ」

オーエンの言葉を聞いて、ミスラは自分のシュガーを食べることは滅多にないと思い至る。掌にあったシュガーを一粒摘もうとすると、オーエンに手を叩き落された。

「は?何するんですか」
「それはこっちの台詞だよ。なに勝手に食べようとしてるの。これは全部僕のだよ」
「俺はシュガーを出しただけで、あなたに全部やるなんて言ってませんが」
「はぁ?僕のものに決まってるでしょ」

腕に爪を立ててくるオーエンにやり返す気にもなれず、ミスラは手を引っ込める。オーエンはフンと鼻を鳴らし、また一粒シュガーを摘み上げた。紋章が刻まれた舌の上にシュガーが乗り、飲み込まれていく。その光景を見ていたミスラの中にむらむらとした情動が湧き上がってきた。それを我慢することなど知らぬ男は、オーエンの肩を強引に引き寄せる。

「―――オーエン」
「ん……、ッ、ちょ、っと、何…!」

三粒目のシュガーを堪能していたオーエンは、かぱりと開いていた口を塞がれて目を白黒させた。シュガーを取られると思い、必死に唇を閉じようとする。しかしその程度の抵抗などミスラの前には役立たず、あっさりと舌で唇を割られてしまった。ぬるりと滑り込んできた舌に溶けかけのシュガーを奪われ、オーエンは引っ込みかけた舌を必死に伸ばす。

「ぅん、ン……っ、ふ、うっ……」

ミスラはそんなオーエンを嘲笑うようにシュガーを口腔内で転がした。オーエンの舌が届きそうになると、舌先で器用に引き寄せる。そして、小さくなったシュガーをごくりと嚥下してみせた。

「あっ!ミスラ、いま飲み込ん―――ッん、や、ぁ……っ、ふ」

オーエンは唇を離して非難の声を上げたが、ぐいと後頭部を強い力で引き寄せられてしまう。言葉は続くことなく、悲鳴じみた嬌声が零れ落ちるだけだ。何度も角度を変えて貪られ、息継ぎもままならない。徐々に酩酊しはじめたする頭では思考することも難しく、オーエンはただ与えられる刺激に翻弄されていた。とろりとした唾液が流し込まれて目を瞠ると、その甘さに気付かされる。そっと目を開けると、ミスラはオーエンを試すような微笑を湛えていた。オーエンがあまい唾液を嚥下すると、全身にじんわりと魔力が広がっていった。シュガーに含まれるミスラの微量な魔力を唾液が増幅しているらしい。初めて味わう感覚に夢中になり、オーエンは自然とミスラの背中に手を回した。もっとと強請るように舌を伸ばすと、息継ぎのために一瞬離れた隙にシュガーが口腔内に転がり込んでくる。今度は奪われないように舌で絡め取るが、ミスラの舌技によって再び奪われてしまう。奥歯で噛み砕かれたらしいシュガーの残滓を啜っていれば、ざらりと舌先が触れ合った。

「ん、っふ……、は……ぁ、っ」

ミスラの肉厚な舌はオーエンの上顎を擦り上げる。誰にも触られたことのない箇所を舐められ、オーエンの背筋はぞくぞくと震えた。ミスラは口づけたまま喉の奥で低く笑う。オーエンは頬を上気させたまま睨みつけたが、再び口腔内を蹂躙されてしまいそれどころではない。それから散々シュガーと唾液を与えられ、口の中を舐め尽くされる。ようやく解放された時には、オーエンの身体からは完全に力が抜けてしまっていた。ミスラの腕に支えられていなければ、容易く崩れ落ちてしまっているだろう。オーエンの両目にはいつの間にか生理的な涙が浮かんでおり、その視界は滲んでいた。ぼんやりと視線を上げると、口元に伝うどちらともつかない唾液を長い指で拭われる。ミスラはそれを自らの口へ運び、オーエンに見せつけるようにべろりと舐め上げた。

「……ああ本当だ、すごくあまいですね」
「は……?」
「俺のシュガー、こんなにあまいなんて思いませんでした。胸焼けがしそうだ……あなたが好むのも当然ですね」

さらりと告げられた言葉に、ようやく整ってきた呼吸と熱が乱れそうになる。ミスラは指先で何個もシュガーを生み出しては、戯れのように己の掌に落としていく。こちらの反応など見てもいない態度にも腹が立ち、オーエンはぐっと拳を握り締めた。

「別に、好きなわけじゃ…!」
「でも、俺のシュガーじゃなきゃ駄目だったんでしょう?」
「…………」
「あなたは俺のシュガー以外で満足できない。そういうことですよね」

確認するように告げながら、ミスラはなぜか嬉しそうに笑った。畏怖の対象である北の魔法使いとは思えぬほど優しい表情に、オーエンは暫し言葉を失う。そのうちミスラはシュガーを生み出すことに飽きたのか、掌を返してシュガーをばら撒いた。オーエンが真白いシーツの上に散らばったシュガーに目を奪われていると、ミスラは再び口を開く。

「オーエン。あなた、結局オズからシュガーを貰ったんですか?」
「え?……ううん、貰ってないけど……」
「……そうですか」

なぜそんな質問をされたのか分からないとばかりにオーエンは首を捻る。ミスラは無表情で頷いたが、翡翠の瞳だけは笑っているように見えた。オーエンは相手の意図が理解できぬまま、落ちたシュガーを摘みながら言葉を紡ぐ。

「オズのシュガーなんて、食べたことのある奴の方が少ないんじゃない?それこそ、中央の王子様や賢者様ぐらいしか……なんで急にそんなこと聞くの」
「いえ。ただ確認しておきたかっただけです」
「確認?」
「はい」

要領を得ない問答に焦れて、オーエンはミスラの顔を覗き込む。ふっと視線を合わせてきたミスラの双眸は、吸い込まれてしまいそうなほど美しい翡翠だ。その瞳がふっと和らいで、今度は触れるだけの口づけをオーエンに落とす。ぱちぱちと瞬きを繰り返したオーエンに艶然と微笑んで、ミスラは唇を舐めた。

「あなたの一番が俺であるということの、確認です」

時が止まったのではないかという錯覚に襲われ、オーエンは手にしていたシュガーを取り落とした。ぽとりと落ちたシュガーはシーツの上で僅かにバウンドしてやがて動かなくなる。それと同じように硬直したオーエンを見て、ミスラは不思議そうな表情を浮かべた。

「なんです。あなたの方から訊いたんでしょう。ああ、それから……オズには絶対にシュガーを与えないよう言っておきます。もしあなたがあの男のシュガーの方を気に入るようなことがあれば腹が立ちますから」

オーエンは今度こそ絶句した。呆然とミスラの顔を見上げたまま、言われた言葉を何度も反芻した。頭をぐらりと揺さぶられるような衝撃で、ミスラが怪訝そうに名を呼んできても反応できない。

「オーエン……オーエン?ちょっと、なんなんですか。死にかけて頭がおかしくなりました?」
「お、かしいのは、おまえだろ……」
「はあ?」

やっとのことで声を絞り出すと、ミスラは不服そうに唇を歪めた。オーエンはじわじわと熱くなっていく頬の熱を誤魔化すように掌を押し当てながら、シーツの上に転がるシュガーを見つめる。あれほど欲しいと思っていたはずなのに、噎せ返るほどの甘さを得た今はもう食べたいと思えなかった。

「おまえ、自分がなに言ってるか解ってる?」
「はい。別におかしなことは言ってないと思いますけど……オーエン、熱でもあるんですか。顔が真っ赤ですよ」

骨ばった指先で耳朶を撫でられ、オーエンはびくりと身を引いた。反射的に顔を上げてしまい、至近距離で覗き込まれてまた動けなくなる。躊躇いなく顔を寄せてきたミスラは、オーエンの顔をじっと見つめて微笑んだ。

「あなた、そんな顔もできたんですね。可愛いじゃないですか。もっとよく見せて……ふふ、シュガーを食べている時と同じ顔をしていますよ。俺の好きな表情です」
「、っ……」
「シュガーはもういいんですか?ほら、たくさんありますよ。あなたが好きな、俺の―――」
「もう、いいから…!」
「おっと」

どんっと拳で胸を叩かれ、そのままオーエンの頭が擦り付けられる。ミスラは一瞬呆気に取られたが、オーエンに攻撃の意思がないらしいことを感じ取った。耳朶に触れていた手を頭へ滑らせ、その滑らかな髪を梳く。指の間を通り抜けていく感触が心地よく、随分と長く離れていた眠気がやって来るような気配がした。オーエンが顔を見せてくれないことを少し残念に思うが、無理強いする気にもなれない。ミスラは呪文を唱えて小瓶を出現させ、その中に散らばっていたシュガーを詰め入れる。それをおざなりに枕元へ転がすと、オーエンの身体を抱き寄せた。すっかり力の抜けた身体を抱いたまま横たわり、少し乱れた銀髪を撫でつける。オーエンは相変わらず押し黙っていたが、ミスラに撫でられているうちに肩から力が抜けていった。本人は無意識だろうが、小さな頭は僅かに揺れている。ミスラは自分の口元が緩んでいることにも気付かないまま、オーエンの身体を抱き締めた。互いの体温が馴染んでいけば不思議と心が落ち着く。変な気分だ、と思いながらミスラはオーエンの頭に顎を乗せた。息が詰まるほどのあまい香りが鼻孔を擽り、それによってミスラは忘れかけていたことを思い出す。

「オーエン。あなた、やっぱり俺のシュガーを摂取しすぎですね」
「……は?」
「気付いてないんですか?あなた、出血していても血の匂いがしないぐらいあまい香りがするんですよ。この距離だとクラクラするぐらいあまい……ほら」

顔を上げたオーエンの首筋に鼻を寄せ、ミスラは深く息を吸い込んだ。オーエンは予期できない行動にびくりと首元を竦ませ、瞳を見開いた。ミスラはその反応に気を良くして相好を崩す。

「あはは。噛まれるとでも思ったんですか?残念ですが、そんな気分ではありませんよ」
「、っ……別に、そんなんじゃ……勝手に嗅いだりするなよ!まるで犬みたい」

オーエンは首筋を手で押さえてミスラを睨む。当のミスラは少しも懲りた様子なく、笑いながらオーエンを見つめた。不満そうに膨れたオーエンの頬を指先であやすように撫でる。

「この俺を犬扱いですか?……まあいいです。それよりも本当に自覚ないんですね、オーエン。血の匂いがしないなんて、よっぽどですよ」
「……それが、おまえのシュガーを摂取しすぎてるからだって言うの」
「あくまで仮説ですけどね。でも、あなた最近は外食もしていないでしょう。変な魔法にかかっている感じもしないですし」
「…………」

オーエンは口を閉ざして目を伏せた。続く言葉を探しているのか、長い睫毛が微かに震える。ミスラは静かにそれを見つめていたが、オーエンが言葉を紡ぐより先に口を開く。

「まあ、あなたが構わないなら俺も構わないですよ。しつこく強請られるのは面倒ですが、俺のシュガーを食べるあなたを見るのは―――なんというか、少し愉快なので」
「は?愉快…?」
「はい。……愉快、というのは違うかな。まあいいか。要するに、退屈しないってことです」

ミスラはそう言ってオーエンを抱き寄せた。強引な動きのせいで顔を押し付ける形になり、オーエンは言葉を継げなくなってしまう。ふわりと暖かくなる気配に包まれ、ミスラが上掛けを被ったことが分かった。夕飯も食べていないくせに、すっかり寝る気になっているらしい。眠りを求めて旅立っても上手く行く可能性は低いだろう。ミスラが今抱いているのは、厄災の傷を癒す力を持つ賢者ではない。オーエンはミスラの胸に顔を埋め、小さく溜め息を吐いた。

「はぁ……」

触れ合っている腕や腹が温かくて心地よかった。たとえシュガーがもらえなくても、この体温は離れがたい。手放すにはどうにも惜しくて、だからオーエンは目蓋を閉じる。迂遠な旅へともに連れ立つのも、そう悪くはない気がして。


continue...




ホーム / 目次 / ページトップ



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -