掌から伝わる

※ミスラ誕2022


静謐な部屋の中で穏やかな寝息だけが聞こえていた。眠りの淵から緩やかに引き起こされたミスラは重い瞼を持ち上げ、ぼんやりと霞む視界の中に賢者の姿を捉える。少し視線をずらせば、彼の顔の横には繋がれた手があった。ミスラは回らない頭でぼうっと晶の顔を見つめる。特に端正というわけでもなく、決して華やかな部類でもない。かといって凡庸というわけでもない。こうして眠っている時は分からないが、めまぐるしく変わる豊かな表情や、黒曜に似た瞳の色は見ていて飽きない。彼が眠りの中にいる今は、それを見ることが出来なくて少し残念だと思う。だからといって晶を叩き起こすような気にはなれず、ミスラは複雑な気持ちを持て余した。やがて逸らした視線を一点に留めたミスラは、低い声で呪文を呟く。

「≪アルシム≫」

拳ほどの幅を残して開いていたカーテンが光の粒子を纏い、音もなく静かに閉じられる。月の光が差し込まなくなった室内は暗闇で塗り潰された。しかし、ミスラの意識は今や完全に覚醒してしまっている。深い溜め息を吐いて視線をベッドに戻す。次第に目が暗闇に慣れてきた。相変わらず夢の中を旅しているらしい賢者の薄い胸は、規則的に上下を繰り返している。

「あなたが羨ましいです」

ぼそりと呟き、ミスラは温かな手を握り直した。ほんの一瞬だけ晶の呼吸が乱れ、形の良い眉がぴくりと動く。しかし覚醒には程遠く、再び規則的な呼吸を繰り返しはじめた。ミスラはそれをただ眺め、ずり下がっていた上掛けを引っ張る。繋いでいた掌は温かいが、彼の腕から肩までは空気に晒されて冷えていた。柔らかな上掛けに首元まで覆われた晶は、まるで布団に着られているようだった。晶は寒さにめっぽう弱い。暑さも得意なわけではないが、寒さはいくら服を着込んでも耐えられない。そう口にしていたのは何時のことだったか。だというのに、極寒である北の国に意地でもついてこようとする。魔法使いだけでも事足りるような任務にも―――そして、任務の外にすら。

ミスラは記憶の糸を手繰り寄せる。


×


先週の出来事だ。
すっかり陽が落ちた頃、中央の国での任務から戻ってきた晶はひどく疲れていた。討伐対象のモンスターは随分と骨が折れる相手だったらしい。カインやアーサー、オズに守られながらも、精神的に疲弊したようだった。その日、オーエンと殺し合いの喧嘩をしていたミスラはかなり苛立っていた。早朝から晶が不在なことに加え、双子も留守にしていたので喧嘩を仲裁するような者は存在しない。際限のない殺し合いはミスラの体力を悪戯に消耗させ、何度殺しても復活するオーエンの顔を見ることに辟易していた。

「あっ、ミスラ」

談話室の前を通りすがったミスラに気付き、晶は声を上げた。ネロに淹れてもらったらしい紅茶のカップを両手に持ち、ソファーにリケと並んで腰かけている。ミスラはぴたりと足を止め、晶へ視線を向けた。リケは警戒するように眉根を寄せたが、ミスラは構うことなく歩み寄る。

「賢者様、やっと戻ったんですか。遅いですよ」
「え?遅い、って……すみませんミスラ、俺に何か用がありましたか?」
「いえ。用というほどではありませんが」
「あれ?ミスラ、なんだか服が汚れていませんか?ちょっと屈んでくださ……頭に葉っぱついてますよ!?また庭で昼寝したんですか…?」

落ち葉を摘み上げながら晶は目を丸くする。隣に座るリケは心底嫌そうに顔を顰めた。ミスラは晶が葉を取っている途中にも拘らず頭を上げ、不機嫌そうに唇を引き結ぶ。

「オーエンが立っていたので木ごと爆発させようとしたんです」
「えっ!?」
「流石に一本まるごとは止めましたよ。ただ、枝を吹き飛ばした時に爆風で飛んできて……どうも火加減は苦手です。ネロ、あなたすごいんですね。俺に料理の才能は無さそうだ」
「……そりゃどうも」

苦い顔でミスラを一瞥し、紅茶のお代わりを持ってきたネロは礼を言う。ネロは晶のカップに紅茶を注ぎ、動けずにいたリケの手を引いた。リケを連れて去っていったネロは、同情するような眼差しを晶へ残していく。

「中庭の木の枝を……ミスラ、あれほど物を壊しちゃ駄目って言ったじゃないですか」
「でも喧嘩を売ってきたのはオーエンの方ですよ」

悪びれないミスラに困り果てた晶は、ふとダイニングテーブルへ視線を移した。此処から一番遠い端の席にオーエンが座っている。彼の目の前には、ネロに焼いてもらったらしい生クリームとジャムたっぷりのパンケーキがあった。晶と視線が合うと、露骨に嫌そうに舌を出してみせる。賢者様にはあげないよ、と威嚇されているようで晶は思わず苦笑した。

「なに笑ってるんですか」
「あ、いえ、オーエンがパンケーキを食べていたので……ふふ、幸せそうな顔してますね。あんな顔してたら怒るに怒れな…」
「どこへ逃げたかと思えば……賢者様はオーエンに甘すぎですね。俺、ちょっと殺してきます」
「ま、待ってください!」

晶はミスラの腕を掴んで必死に引き留めた。当然ミスラに力で敵うわけはなく、ずりずりと絨毯の上を引き摺られていく。

「うるさいですね。あなたも双子もいないからこうなったんですよ。俺の苛立ちをあなたが鎮めてくれるなら話は別ですけど」
「お、俺が…?」

晶は困惑した表情を浮かべて黙り込む。ミスラはちらりと晶の方を振り返るが、返事を待っていられないとばかりに手を振り払って歩き出した。晶は懸命に策を考えながら走り寄り、ミスラの腕―――ではなく手を強く掴んだ。指同士をしっかりと絡ませて、思いきり引き寄せる。

「ミスラ!」
「なんですか」
「俺を、死の湖に連れていってください」
「……どうしてです」

ミスラは晶の言葉に動きを止め、首だけで振り返った。しっかりと視線が合わさったことに安堵し、晶は小さく息を吐く。それから繋いだ手に力を込めて、にこりと微笑んでみせた。

「ミスラのお手伝いするためです」
「……俺の手伝い?」
「今日、もしかして眠れそうだったんじゃないですか?それで俺がいなかったから眠れなかった―――だから怒ってるのかな、って」
「怒っては、いないですけど」

ミスラは静かな声で否定する。周囲の魔法使いたちは二人の会話を固唾を飲んで見守っていた。時折見られるやり取りではあったが、不機嫌なミスラに立ち向かう晶を見ているとハラハラしてしまうのはどうしようもない。リケはネロの後ろから不安そうに顔を覗かせ、ヒースクリフとクロエは互いに顔を見合わせていた。当のオーエンはといえば、呑気に生クリームを掬って口に運んでいる。

「すみません。……でも、もしそうなら今からでもお手伝いをしたいです。今は眠くなくても、ミスラのマナエリアである死の湖なら、ゆっくり過ごせるでしょう?そうすれば、ミスラのイライラも収まるかなって」
「……はあ」

ミスラは晶の顔をじっと見つめて黙り込んでいたが、不意に繋がれている手をぐっと引き寄せて歩き出した。たたらを踏んだ晶が目を丸くすると、ミスラは形の良い唇を吊り上げる。どうやら笑ったようだった。

「まあ、あなたがそこまで言うなら構いませんよ。――― ≪アルシム≫」

進行方向にぼうっと淡い燐光が見えたと思えば、次の瞬間には扉が出現していた。ミスラは躊躇いなくその向こう側へと踏み出す。晶は魔法使いたちに手を振り、導かれるまま扉の向こうへ飛び込んだ。残された魔法使いたちは安堵するやら心配するやら様々な反応を見せる。しかし、二人の後を追おうとする者は誰もいない。談話室は再び、元の喧騒を取り戻していた。


×


扉を抜けた先はすっかり見慣れた古い小屋の中だった。身を包み込んだ刺すような冷気に晶は驚くが、再び呪文が聞こえてふわりと空気が暖かくなる。晶が目を瞬かせると、ミスラは無表情のまま燭台に手を翳していた。橙色の炎がゆらりと揺らめいている。

「また死にかけられたら、俺が眠れなくて困りますから」
「あはは。ありがとうございます、ミスラ」

ぶっきらぼうに言い放ったミスラに晶は笑った。彼の言葉が事実であっても、身を案じてくれたことに変わりはない。胸が温かくなるのを感じながら、晶は部屋の中を見渡す。ここは死の湖の湖畔にある小屋だ。ミスラは晶の手を引いてベッドへ向かう。ミスラはピアスやネックレスの装飾品を外すと、服はそのままでベッドに潜り込んだ。晶はジャケットを脱ぎ、手近にあった椅子にそれを引っ掛ける。

「賢者様」

呼ばれて晶が視線を戻せば、ベッドに横たわったミスラが手を差し出してきていた。表情には疲労が強く滲んでいて、目の下の隈も普段より色濃く見える。それに伴って醸し出される色香も強く感じられ、その手を取ることを思わず躊躇ってしまう。

「う、」
「……なんですか、その顔」
「な、なんでもないです。俺、どんな顔してました…?」
「鳩が撃ち落されたみたいな顔です」
「豆鉄砲じゃなく…?」
「いいから、早くこっちへ来てください」

晶が躊躇しながら手を取ると、ミスラは焦れたように引っ張った。脱ぎかけだった靴があらぬ方向に飛んでいってしまったが、直そうと伸ばした手はミスラによって阻まれてしまう。身体を反転させられ、翠の瞳にじっと覗き込まれた。心拍数が急上昇していくのを感じながら、晶はごくりと唾を嚥下する。落ち着かない気分でいると、ミスラが薄い唇を開いた。

「靴なんかよりも俺を優先してください。……手を握って」

晶は言われるがままに手を差し出す。一回り大きく骨ばったミスラの手が、しっかりと絡められた。晶の世界ではいわゆる "恋人繋ぎ" と呼ばれる繋ぎ方である。最初の頃は握手のような形で繋いでいたが、ミスラのベッドで一緒に寝るようになってからはすっかりこの繋ぎ方ばかりだった。戸惑った晶はこの繋ぎ方は普通なのかと訊いたことがあったが、ミスラは "解けにくいようにしているだけ" だと素っ気なく答えるだけだった。しかし、街中でカップルらしい男女を見ても "恋人繋ぎ" をしていたことはない。晶は何も、ミスラの言葉に嘘があるとは勿論思っていない。だから、恥ずかしいと思ってしまうのは晶の気持ちの問題だった。

「……緊張する……」

ドキドキと忙しなく心臓が脈打つ。晶は胸元をぎゅっと抑えつけて、ミスラに聞こえないほど小さな声で囁いた。訝しげに眉を顰めたミスラは、晶の意識が逸れていることを不服に思ったらしい。ぎゅうと強い力で手を握り締め、驚いて声を上げた晶を視線で射抜いた。

「晶、心が乱れてますよ。何を考えてるんですか」
「え……?」
「魔法使いは心で魔法を使うと言うでしょう。あなたは魔法使いではありませんが、魔力を有しています。だから賢者の力を使う時は魔法使いと同じで、心が平静でないと効力を発揮しないんです」
「そ、そうなんですね」
「はい。だから、ちゃんと俺に集中してください」

ミスラはそう言い放って晶の頬に手を添えた。繋いでいない方の手は氷のように冷たい。晶はその冷たさに思わず肩を震わせ、慌ててその手を包むように握った。

「ミスラ、すごく冷えてるじゃないですか!」
「そうですか?俺は別に寒くないですけど」
「ミスラは本当に寒さに強いですね……」
「あなたが弱すぎるだけでは―――ああ、やっと落ち着きました?」
「え?」
「心が乱れなくなった。俺に集中している証拠ですね」

柔らかな微笑を向けられて、落ち着いていた晶の心拍は再び上昇しはじめる。頬を真っ赤に染めた晶を見て、ミスラは不思議そうに目を瞠った。

「顔が赤いですよ。暑くなったんですか?寒がったり暑がったり……忙しい人だな」
「ち、違います!気にしないでください」

ミスラは必死に弁解する晶を疑わしげに眺め、晶に包まれている自らの手に視線を移す。温かな体温がじわりと移ってくるのと同時に、繋いでいる方の手からゆっくりと魔力が流れ込んでくる。睡魔は未だ訪れないが、このままの状態が続けば眠れるかもしれない。ようやく顔色が元に戻った晶に視線を戻す。濃い闇色の瞳は、薄明かりの下では更に深い色に見えた。頬に添えていた手を滑らせ、晶のこめかみの辺りに触れる。

「ミスラ?」

闇色がゆらりと揺れる。瞳の中に自分だけが映り込んでいることを確認し、ミスラは口角を引き上げた。そのまま手を頭の方に滑らせ、滑らかな髪を弄ぶように梳く。

「なにか話してくださいよ」
「こ、こんなに触られていたら無理です…っ!」
「なぜですか?」
「う、……」

再び鳩が撃ち落されたような顔になった晶にミスラは閉口した。仕方なく手を引っ込め、代わりに繋いでいる手を握り直す。晶は大袈裟なほど深呼吸をして、柔和な笑みを浮かべた。

「えぇと……ミスラは今日、ずっとオーエンを追いかけていたんですか?」
「いえ。朝は部屋で呪術を試したりしていました。ただ、途中で薬草が足りないことに気付いて……面倒だったので取りに行くのはやめたんですけど」
「薬草……あっ、前に病の沼へ行った時に貴重だって言ってた、あれですか?」
「はい。珍しいので見つけるのが大変なんですが」
「じゃあまた行きましょう。俺も、あそこの果物は好きなので」

以前食べた珍しい果実の味を思い出したのか、晶は蕩けそうな笑みを浮かべた。病の沼は泳げるような場所ではないが、珍しい薬草が多く採取できるのでミスラは気に入っている。湿度と気温の高さは苦手だが、晶が果実を食べていた時の嬉しそうな顔を思い出して頷く。あの表情がまた見れて、薬草まで採れるなら共に行くことを断る理由はない。

「それで?」
「……その後、ふらっと談話室に行ったんです。昼頃だったかな。呪術を試すのには飽きていましたし、少し眠くなったので人が居ない場所を探して昼寝でもしようと思って。そうしたら、オーエンがネロにパンケーキを強請っていました」
「あぁ……ネロは朝からずっと絡まれていたんですね」
「ネロは材料がないからと断っていたみたいですが、オーエンは引き下がらなくて。見ていたらイライラしたので、オーエンが食べていたチョコレートマフィンを食べてやりました」
「えっ」
「食べかけでしたけど、俺も腹が減っていたので。そしたら急に怒り出したんですよ」
「いや……それ、ミスラから吹っ掛けたんじゃ……」
「は?違いますけど」

晶は引き攣った表情で突っ込んだが、ミスラは気にも留めない。イライラさせられたのはこっちだからオーエンが悪い、と言いたげだ。オーエンが少し不憫に思えてしまった晶は、魔法舎に戻ったら菓子を作ってあげようと決意する。

「そこからしばらく殺し合いをして……オーエンが見つからなくなって、少し眠気があったので中庭で寝ようとしたんです。でも、全然眠れなくて」
「……そうですか」
「そのうち中庭にオーエンがやって来たので、木ごと爆発させようとしました」
「な、なるほど。その後に俺たちが帰ってきたってことですね」
「はい」

頷いたミスラの顔を見つめ、晶は軽く目を伏せる。オーエンとの喧嘩は日常茶飯事で、晶に介入できる余地はない。しかし、傍にいてあげられなかったことが申し訳なかった。ミスラとは違い、精神的な疲れに起因するものだが晶にも不眠の経験はある。眠気はあっても寝つけない、もしくは眠気すらも訪れずに疲労とストレスが溜まっていく―――その辛さは痛いほど理解できた。

「晶?」

繋いでいた手を不意に握り返され、ミスラは首を捻る。晶はミスラをまっすぐ見つめて微笑んだ。気持ちに寄り添おうとする表情は、ひどく優しい。

「ミスラが眠りたい時に傍に居られなくて、すみません。でも、今日はミスラが満足するまでお手伝いしますから」
「……俺が満足するまで?」
「え、えっと、いちおう常識の範囲内でお願いしますね。でも、埋め合わせってことで……ちゃんとお手伝いさせてもらうので……わ、っ!」

不意に肩を抱き寄せられた晶は言葉に詰まる。鼻先が触れ合うほどの至近距離に、心臓が止まりそうになった。バクバクと破裂しそうなほど鼓動を刻む心臓の音が、うるさい。茹ったぬめりタコのように真っ赤になった晶を見て、ミスラは幸せそうな笑みを浮かべた。

「だからあなた、ここに来たいなんて言い出したんですか。俺を満足させたいと思って?寒さに弱いくせに」

揶揄するような口調なのに、その声色は噎せ返るほど甘ったるい。晶は心臓の音がミスラに聞こえてしまうのではないかと危惧しながら、必死に頷いた。ミスラは繋いだ手の親指の腹で、晶の手の甲を撫でる。骨の感触を確かめるようになぞる動きに、身体の奥から熱を呼び起こされそうだった。晶は必死に手から意識を逸らし、緊張で震える唇を開く。

「でも、ミスラと一緒なら……寒くても嫌じゃないんですよ。こうやって、手を握ってくれるから―――温かいです」

睡眠を得るために繋いでいる手を持ち上げられ、ミスラは軽く目を瞠る。決して晶を温めようとして握ったわけではない。ミスラの体温は低すぎて、晶がミスラを温めることの方が多いだろう。しかし、晶はミスラと手を繋いでいるから寒さにも耐えられるという。なぜか嬉しそうに微笑む晶を見つめ、ミスラは首を傾げる。聞かずともミスラの疑問が理解できたのか、晶は笑みを浮かべたまま翠の虹彩を覗き込んだ。

「ミスラにとっては眠りに就くためでも、俺にとっては温もりを分けてもらうためなんです。ミスラと手を繋いでいると、俺の心は温かくなりますから」

そう言った晶の顔を、ミスラはただ静かに見つめ返した。素っ気ない返事をした覚えはあるが、どこかむずがゆい感覚になったのを覚えている。


×


記憶の反芻をやめたミスラは、上掛けの上から晶の腕の辺りをそっと撫でた。北の国出身ということに加え、規格外の強靭な身体を持つミスラには人間である晶の身体は脆弱に感じられる。この世界にやってきた頃に比べればマシだが、細い身体を抱く度に折れてしまいそうだと思う。そんな身体で無茶をする晶を理解できない時こそあれ、庇護したいと思うのは "真木晶が賢者だから" ではない。

「……晶」

すっかり呼び慣れた名をそっと囁く。眠りから覚める気配のない晶は、穏やかな笑みを浮かべて寝返りを打った。表情がよく見えるようになり、ミスラは思わず頬を緩める。最初の頃は、 "真木晶が賢者だから" 傷つけてはならないのだと思っていた。だが、晶が交流と称して話しかけてきたり、手料理を振る舞ってきたり、土産物を渡されたり贈り物をされるうちに、ミスラの心は絆されていった。眠りたいからと理由を付けて連れ去ったり、寝つくためだと言い訳をしては話を強請っているのがいい証拠だろう。ミスラは晶の前髪を掻き上げ、露わになった額に口づけを落とす。

「寝ぼすけはどっちですか、賢者様」

目覚めることのない晶の髪を整えながら苦笑する。再び眠りに落ちることは難しいだろう。しかし、繋いだ手を離してしまうことはどうにも惜しい。温もりを分かつことが晶のためになるなら、今はそれで構わないとミスラは思った。


end.




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