まじないと云ふには拙く

※ネタバレを含みますのでご注意ください。
※作者はストーリークリア済みです。
※天冠の山麓(4つ目のメイン任務)クリア後のお話。
(任務中に登場する某キャラのネタバレを含みます)

※作者の導入部解釈により主人公は「コウキ」です。


その日、コウキに出会ったのは偶然だった。野暮用でコトブキムラを訪れていたオレは用事を済ませ、ギンガ団本部の外へ出た。いつもと何ら変わることのない穏やかな村の風景を目にし、自然と溜め息が零れる。落胆からではない、安堵の溜め息が出るようになったのは最近になってからだ。厳しい外の世界に比べ、ギンガ団の団長・デンボクさんが守るコトブキムラは安息の地である。しかし、少し前まではひどく閉鎖的な村であった。コンゴウ団の長として初めて訪れた時の、人々の畏怖と奇異が入り混じった視線をオレは今でも忘れない。ポケモンを捕獲する行為を受け入れられず、ポケモンを相棒と呼ぶオレを見て信じられないという顔をする人間が多くいた。しかしそれも今、大きく変わりはじめている。一つは月日の経過によって。そしてもう一つは―――

「コウキ!」

声をかけた少年が、トレードマークである襟巻きを揺らして振り返った。灰青色の虹彩にオレの姿を映し出す。柔和に微笑むさまは、草原に咲く素朴な花によく似ていると思う。変化を齎したもう一つの要因である少年は、薄い唇をゆっくり開いた。

「セキさん。いらしてたんですね」

そう口にしながら歩み寄ってくるコウキの傍らには、マグマラシが連れ添っている。この一帯では珍しいというヒノアラシの進化系を目にするのはオレも初めてだった。

「ラベン博士が言っていたが、本当に進化したんだなあ」
「はい!つい先週、進化したばかりで……。ずっと見守っていたんですが、すごくドキドキしました。何度見ても進化の瞬間はすごいなって思います」

オレはその場に屈み込み、マグマラシへ手を伸ばす。大きな瞳がオレの顔をじっと見上げ、差し出した手にゆっくりと顔を寄せてきた。オレ自身もリーフィアを相棒にしているとはいえ、ポケモンと触れ合う瞬間はどうしても緊張する。おやであるコウキが傍に居るのだから危惧することはないと頭では理解していても、マグマラシが匂いを嗅ぎ終わるまで気は抜けなかった。ふわり、と柔らかな被毛が手に触れる。オレが表情を緩めてマグマラシの頭を撫でると、いつの間にか屈み込んでいたコウキは嬉しそうに笑った。

「よかった。セキさんのこと、ちゃんと覚えていたみたいですね」
「忘れられていて噛みつかれたり燃やされたりでもしたらと、一瞬ヒヤリとしたぜ」
「あはは。この子はそんなことしませんよ」

穏やかな笑顔を浮かべるコウキは心の底からそう思っているようだった。マグマラシの頭を優しく撫でると、マグマラシも甘えるようにコウキの顔を見上げて鳴く。信頼という言葉がぴったりだ。そう思いながらオレは腰を上げ、村をゆっくり見渡す。

「村には慣れたか?ここに来てだいぶ経つだろう」
「はい。みなさんいい人ばかりです。最近は頼み事をされることも多くて。ポケモンに歩み寄ってくれることが嬉しくて……この村は本当に、優しくてあったかいです」

コウキの視線の先では、守衛であるスグルが足に纏わりつくケムッソに柔和な視線を向けている。それを微笑ましそうに眺めながら、コウキは穏やかな口調で話した。コウキはポケモンの気持ちを深く理解している。同じ世界からやって来たであろうノボリも卓越した知識を有しているが、コウキはポケモンへの接し方が異様なまでに長けていた。抱き上げたマグマラシに頬擦りしたコウキは幸せそうに微笑む。オレはラベン博士と違い、コウキが時空の裂け目から落ちてきた場面を目にしていない。ショウと違い、コウキがこの村を初めて訪れた際にどのような目を向けられていたかも知らない。どのような経緯があってギンガ団に入団するに至ったのかも、詳しくは聞き及んではいない。だが、明らかにこの世界の人間ではない異邦人に対する人々の反応は容易く想像がつく。オレがこの村に訪れた時を遥かに超える反応や言葉をその身に受けたはずだ。それでも彼は、何の屈託もない笑顔を見せる。

「……セキさん?」

不思議そうな声にはっと我に返れば、オレの手はコウキの頭の上に乗っていた。柔らかな調査帽の上に置かれた手は、彼の頭を撫でようとしている。オレが慌てて手を引っ込めようとすると、コウキはなぜか嬉しそうに微笑んだ。

「あの、今からお時間ありますか?少しセキさんとお話したいです」
「……あ、あぁ」
「よかった!あの、少し行った先にお茶屋さんがあるんです。そこのお団子が美味しいってショウが言ってて、行ってみたいんですけど…」

コウキは様子を窺うようにオレを見上げる。何度か顔を動かしたマグマラシも真似するように顔を見上げてきて、自然と笑みが零れた。オレは引っ込めかけた手で彼の頭を軽く叩く。甘味を食べるのは、随分と久しぶりだ。


×


「親父、ヨモギ団子を二本ずつ」
「あいよ!」

コウキが案内してくれた茶屋は村の奥にあった。ギンガ団本部からは離れた場所にあり、いつも所用だけを済ませて帰るオレは当然知らない。緋毛氈が敷かれた店先の縁台に二人並んで腰掛ける。コウキはどこか緊張した面持ちで、見かねたオレが代わりに注文をした。店主の親父は商売用の笑顔を此方に向けて去っていく。

「ありがとうございます」
「気にすんな。ずっと来てみたかったのか?」
「はい」

コウキが少し恥ずかしそうにはにかむと、雪色の肌にさっと赤みが差した。あどけなさの覗く表情を初めて目にして、オレは任務外で会話を交わすことが初めてだと気が付く。茶屋に行きたいという直前、どこか申し訳なさそうな顔をしていた理由に思い至ったオレは溜め息を吐いた。煎茶を静かに啜っていたコウキは、オレの反応に驚いたように目を瞠る。

「あの、セキさん?どうかしましたか」
「あんたに要らねえ気遣いをさせちまった」
「え?」
「コウキは、オレが茶屋になぞ行くわけがないと思っていただろう」

オレの指摘を受けてコウキは少し視線を下げ、素直に頷いた。相応しい言葉を探すように言い淀み、それから手に持っていた湯呑を持ち直す。

「セキさんは時間を大事にされているでしょう。だから、お誘いしてもご迷惑なんじゃないかと思って」
「……オレがせっかちだからって、あんたが気を遣うことねえんだぜ」

苦笑いしながら言うと、コウキは少し困ったように眉根を下げる。両手を温めようとするように湯呑を包み込み、手の平に力を込めた。

「すみません。こういうの、あんまり上手くなくて」
「上手い下手の問題じゃねえよ。ただ、あまり遠慮してほしくはねえな」

まだ距離感に迷いがあるのかもしれない。コウキはぎこちなく頷いたきり、俯いてしまった。話があると言ってくれたにも拘らず、無用な指摘をしてしまったことを悔いる。いくら時間を大切にしていても、行動一つで局面は変化してしまう。

「お待ちどうさん」

沈黙を裂いたのは店主の陽気な声だった。ふと顔を上げると、真白い皿の上には甘い匂いを漂わせるよもぎ団子が鎮座している。鮮やかな薄萌黄色の団子の上には、光沢のある小豆餡がたっぷりかかっていた。それを見たコウキはぱあっと明るい表情を浮かべる。

「おいしそう……」
「あぁ、美味そうだな。オレは1本でいいから、あんたは3本食べな」
「え?でも、」
「遠慮すんな、って言ったろ?ほら、この団子でさっきの話は終わりにしようや」

自分の串を一本手に取り、オレはコウキに笑いかける。彼の表情が再び曇ってしまわないか心配になったが、オレの予想を覆してコウキは静かに頷いた。ありがとうございます、と紡がれた声色は僅かに弾んでいる。茶屋に向かいがてら聞いたところによれば、今日は早起きをしたと言っていた。黄昏時の今まで食事を摂っていなかったとも。腹が減っていれば活力が欠如するのも当然だろう。

「…!すごく、おいしい……」
「はは、それは良かったなあ。たんと食えよ、コウキ」
「はいっ…!」

目を輝かせて夢中で団子にかぶりつくコウキは可愛らしかった。彼の姿を眺めながら、オレも団子を口へ運ぶ。甘ったるい小豆餡はあまり得意ではないが、柔らかな団子の味は気に入った。二人でヨモギ団子に舌鼓を打ち、少し落ち着いたのかコウキは口元を拭って微笑む。

「美味しかった……満足しました」
「三本で足りたのか?なんなら追加で頼んだって構わねえぞ」
「いえ!これ以上食べてしまうと夜が食べられなくなってしまうので…」
「夜はイモヅル亭でイモモチか。しかし、この村の人間が餅やら団子やらが好きだなあ」
「セキさんはお嫌いですか?」
「いんや。甘すぎるモンは苦手だが、嫌いって程じゃあねえ」
「僕も好きですよ。イモモチもお団子も」
「あんたはもっと食いな。多少は肉もつけた方がいい」

以前より少しはふっくらした頬を見つめて言うと、コウキは苦笑した。初めて会った時に彼の細い身体に驚いたことをオレは思い出す。貧困の痩せた子どもとは異なるが、そもそも身体の造りがヒスイの人間と違うようだった。

「ありがたいことに、いっぱい食べさせてもらってます。あの、セキさんそれで…」
「あぁ、本題か?腹も膨れたことだし、隔意なく話してくれ」
「……はい。少し前に、ノボリさんとお話したことを覚えていますか?」

コウキと唯一似通った境遇にある男。特徴的なノボリの顔立ちを脳裏に思い浮かべながら、オレは静かに頷いた。コウキにとってノボリとの出会いは衝撃も強かったことだろう。ノボリの出自を聞いた時の驚いたコウキの表情を思い出す。

「勿論。彼について何か知りたいことでも?」
「いえ、そうじゃないんです。……ただ、不思議なことがあって」

皿を下げに来た店主に会釈をし、コウキは神妙な表情を浮かべる。こういった面差しには任務中に幾度となく見覚えがあった。

「記憶を失っていたはずなんです。でもノボリさんの話を聞いていて、思い出したことがあって」
「……人間とポケモンの関係についてか」

あの時、コウキに問いかけたのは紛れもなくオレだ。そしてコウキは、何の迷いもなくオレの質問に答えた。記憶喪失のままであれば、言い淀んだり答えることは出来なかったはずだろう。

「この世界に来た時、何も覚えていませんでした。それなのに、ポケモンへの接し方やボールの扱いは身体が覚えていた。自分がどんな場所で生まれ育ったのか、どんな生活をしていたのか―――何一つ思い出せないのに。……おかしいですよね。それなのに、セキさんの質問には迷わず答えることが出来たんですから」

静かに、淡々と紡がれた言葉の中に温度は感じられない。ただ事実だけを並べるように口を開くコウキの姿は、自分語りをしているはずなのにどこか他人行儀だ。コウキは煎茶を啜り、ふっと溜息を吐く。どこか自嘲気味な笑みを浮かべ、灰青色の瞳がゆっくりと眇められた。

「何も覚えていないよりは、良かったと思います。それすら覚えていなければ、僕はポケモン捕獲の腕を買われることもなく野垂れ死にしていた。セキさんやカイさんに出会う事すらなかったんですから。……でも、」

湯呑を小さな手がぎゅっと湯呑を握り締めた。伏せられた瞳を覆う長い睫毛が僅かに震える。今にも泣きそうな様子に、オレは無意識の内に息を呑んだ。

「コウキよ」

気付けば手が伸びていて、コウキの手を包むように握っていた。骨ばった小さな手の感触を感じながら、ゆっくり力を込める。じわりと互いの体温が混じり合っていく。僅かに驚いた様子のコウキをじっと見つめ、オレは軽く息を吐いた。

「自分のことを信じられなくなっちまったか」
「……そう、かもしれないです」

力なく微笑む様子にどうしようもなく胸が痛んだ。オレはコウキが手にしている湯呑を取り上げて縁台の端に置くと、彼の顔を覗き込む。頼りなく揺らぐ灰青色の虹彩は、まるで道に迷う幼子のようだった。

「分からないことを気にしていても時間の無駄ですよね」
「いや、」
「……でも、こうやって悩んでいても何も始まらない」
「それはそうかもなあ。だが、無駄だと斬り捨ててしまうにはまだ早いだろう」
「……セキさん」
「出自よりも育ちよりも大切なものは、あんたが今まで歩いてきた道にある」

ふっと視線を上げたコウキは縋るようにオレを見上げてくる。困惑と期待が綯い交ぜになった複雑な表情で黙っていた。オレは苦笑しながらコウキの頭に手を乗せる。小さな頭を調査帽の上から優しく撫でて、再び口を開いた。

「解らないか?聡いあんたのことだから、すぐに解るかと思ったがなあ」
「どういう、意味ですか」
「コウキよ、この世界に来て歩いてきた道を振り返ってみな。その行動の中に、失ってしまった自分らしさってのが必ず存在するはずだ」
「自分らしさ……」
「それによう、人間とポケモンが共存する世界で、あんたは自分を信じられなかったと思うか?そんな主人を―――ポケモントレーナーって言うんだっけか。相棒のポケモンは、自分を信じられないトレーナーを信頼なんて出来ねえさ」

コウキの腰元にあるボールの一つをオレは指先で撫でる。呼応するように揺れたボールの中から、マグマラシの鳴き声が響いた。コウキは瞠っていた瞳をゆっくりと細め、穏やかに微笑む。導かれるようにボールを手にし、空中へと投擲した。眩い光に包まれて飛び出したマグマラシは、迷うことなくコウキの膝に乗り上げる。胸から肩に駆け上がり、大きな瞳がコウキの顔をじっと覗き込んだ。

「……マグマラシ……」

コウキの呼びかけに応えてマグマラシは再び鳴き声を上げる。まるでコウキの名を呼ぶように響いたそれに、コウキの瞳がじわりと涙で滲んでいく。マグマラシは滑らかな肌を伝っていく透明な雫を不思議そうに眺め、オレはそれを苦笑しながら拭ってやった。

「あんたが寄せていた信頼をこいつは返してくれてる。ポケモンが信じてくれた自分のことを信じてやらないのは、ちょいと可哀想ってもんだろう。……それに、オレだって同じだぜ」
「セキさんも…?」
「応よ。オレだってあんたを信頼してなきゃ危険な任務を頼んだりしねえ。こうやって同じ時を過ごして、一緒に団子を食べたりもな。―――オレは、自分を信じて突き進むコウキだから好いてるんだぜ」

コウキは驚きを隠せない様子で息を呑む。呼吸を忘れてたかのように呆然とオレを見上げ、それからじわりと顔を朱に染めた。オレは心配そうなマグマラシを宥めるように撫で、コウキを静かに見つめる。

「オレやこいつの信頼を無碍にしてくれるな。コウキよ、自分をもっと信じてやれ」
「……はい!ありがとうございます、セキさん」

赤らんだ頬のままでコウキは微笑む。花が綻ぶようなその笑顔を目にしたオレは、コウキの調査帽を取り去った。オレは不思議そうに首を傾げたコウキに構うことなく、露わになった額に口づける。額に訪れた感触の理由が分からずコウキはぱちぱちと目を瞬かせた。

「セキさん?今、何し……」
「まじないだ。コウキが自分を信じられるように、な」

オレの言葉にぴたりと固まったコウキの顔がたちまち真っ赤に茹る。オクタンのようなそれを見て、オレは堪えきれずに噴き出した。店主が迷惑そうに店内から顔を覗かせてきたが、謝るような余裕はない。混乱しながら怒るコウキを必死に宥めながら、オレは小さな頭を手の平で撫で回す。

「セキさん、こんなっ…セクハラですよ!?」
「せくはら?はは、異世界の言葉は難しくて適わねえなあ」
「……だ、誰にでもこんなことするんですか」
「いんや?コウキだけだけど」

絶句したコウキの表情が面白くて再び笑ってしまう。不満そうにじっとり睨み上げてくる様子も可愛らしく、乱れた髪を撫でつけてやりながらオレは微笑んだ。茶屋を出たら次はどこへ向かおうか。ラベン博士やショウが仕事を終えるまで、あと半刻以上はある。また遠慮してしまうだろうコウキの表情を想像しながら、オレは呼び出した店主に金を払った。


end.




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