寡欲な君へ贈る

※来神時代 ※静雄誕


「え?平和島って今日誕生日なのか?」

教室内に響いたのは驚いたような門田の声で、それを耳にした臨也の視線は自然と動いていた。自席から身を乗り出している門田が向かい合う先には二人の生徒がいる。眼鏡をかけた男子生徒―――岸谷新羅は静かに頷き、金髪の男子生徒―――平和島静雄は恥ずかしそうに視線を逸らす。

「まぁ、な」
「へえ、おめでとさん!……あぁこれ、まだ開けてないからやるよ」

門田が差し出したのは、箱から取り出された未開封のチョコレート菓子だった。静雄は少し戸惑った様子だったが、断るのも申し訳ないと思い直したらしい。小さな声でサンキュと言いながら大事そうに受け取った。それを見て門田は嬉しげに笑う。

「平和島、よく甘いもん食ってるだろ?好きなのかと思ってな」
「あ、あぁ……好きだ」
「そういや岸谷はいつ生まれなんだ?」
「僕?僕は4月生まれだよ。でも静雄みたく甘いものが特別好きってわけじゃないし菓子類は遠慮したいところだね。あと、他の人からプレゼントを貰ったなんて知ったら僕の想い人が怒ってしまうかもしれないから」
「まぁ、岸谷の誕生日にも何かやるなんて言ってないけどな」
「えーっ!」

大仰に驚いている新羅に門田と静雄が笑みを零す。周囲にいたクラスメイト達はその様子を見守っていたが、会話が終わったのを見計らって口々に祝いの言葉を言い出した。静雄は虚を突かれたのか瞳を瞬かせ、困惑を滲ませながらもぎこちなく微笑む。

「えっと……ありがとな。嬉しい」

僅かに頬を赤く染めて静雄が言うと、数人の女子生徒は呆けた表情で固まる。それからヒソヒソと囁き合う声が臨也の耳へ届いた。

「えっ、やだ!平和島くんてちょっとかっこよくない?」
「うん、ちょっと意外……あんな風に笑えるんだね。無表情か怒った顔しか見たことなかったからびっくり」
「あたし……狙っちゃおうかなぁ」
「えっ、それはやめときなよ!」
「じょ、冗談だってー!」

臨也は能面のような無表情でそれを眺めていたが、やがて机の脚をガンッと蹴り飛ばした。賑やかな喧騒に包まれていた教室内に一瞬で静寂が訪れ、クラスメイト達は表情を引き攣らせる。臨也はにっこりと人好きのする笑顔を浮かべて立ち上がり、周囲の視線を集めたまま歩き出した。新羅は不思議そうに首を傾げ、門田は困惑したような視線を向ける。静雄は眉間に深い皺を寄せ、鳶色の瞳に剣呑な色を滲ませた。

「へぇ、シズちゃんお誕生日なんだ?」
「……臨也」
「祝ってもらって随分と有頂天になってるみたいだねぇ」
「うるせえ。俺が誕生日祝われてると手前に不都合でもあんのかよ」

静雄の言い分は間違っていない。静雄はただ自分の誕生日を祝われているだけであって、臨也が突っかかってくる理由を臨也以外の人間は理解できない。和やかな雰囲気をぶち壊した臨也に対し、クラスメイトの半数が非難の目を向けていた。数人の女子生徒は戦々恐々とした表情を浮かべている。臨也は周囲の雰囲気を気にすることなく静雄の席に近付くと、立ったままで静雄を見下ろした。細い顎を僅かに持ち上げ、赤い瞳で静雄を蔑むように睨む。

「いいや?ただ―――そうやって浮かれて、まるで周囲に認められたような錯覚に陥ってる君が……可哀想だと思っただけさ。君みたいな化け物が、人間みたいに祝われていいわけがない」
「ッ……、臨也ァッ!!」

静雄が椅子を倒して立ち上がった瞬間、クラスメイト達は怯えながら悲鳴を上げる。先刻まで祝いの言葉をかけてくれたクラスメイト達の表情が恐怖を帯びていった。それを目にした瞬間、静雄の中には臨也に対する怒りと同じほど強い落胆が浮き彫りになる。その瞬間、始業を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。静雄はチャイムを無視して臨也につかみかかろうとしたが、当の臨也は興を削がれたのか踵を返す。静雄は周囲の怯えた視線を振り払うことも出来ず、怒りを持て余したまま着席することになった。数メートル離れた前の席に座る臨也の細い背中はいつもと何ら変わった様子がなく、それが余計に腹立たしい。静雄は苛立ちと不快感の嵐に苛まれたが、今日は自らの誕生日という特別な日だ。こんな日を臨也の口車に乗って台無しにする必要はない。そう思い直し、必死に怒りを押し殺した。少し耐えれば臨也も飽きて寄ってこなくなるだろう。それまでの辛抱だと拳を強く握り直し、静雄は教室に入ってきた担任教師へ視線を向けた。


×


結論から言えば、午前中が終わっても臨也が飽きることはなかった。昼休みになり、新羅に昼食に誘われた静雄は中庭へ向かうため廊下に出る。その途端、静雄の背中を追うように臨也の声が飛んできた。

「ねぇシズちゃん。君、昨日もガードレールを凹ませたんだってね」

笑みを含んだ爽やかな声には明確に蔑みの色が滲んでいた。静雄は反射的に振り返って怒声を上げ、臨也を睨みつける。新羅は自らの身の危険を感じ、弁当箱を手にしたまま一歩後退った。

「うるせえ!手前が俺に他校生をけしかけてこなけりゃガードレールが凹むこともなかったんだよ!」
「おやおや、俺のせいだって言いたいの?俺はただ彼らに教えてあげただけだよ。この近辺で威張り散らしている奴は誰だ…って聞かれたから」
「俺は威張り散らしてなんかいねぇ!」

静雄は握った拳を震わせながら叫ぶが、臨也は少しも怖気づく様子はない。廊下にいた生徒達は露骨に静雄を避けていき、新羅は困ったように肩を竦める。まぁまぁと二人の間に割って入ろうとするものの、邪魔するなと静雄に一喝されてすぐに諦めた。

「じゃあ僕は一人で昼食を摂るとするね。二人とも、五限目にはちゃんと出るんだよ?」

にこにこと笑いながら手を振り、新羅は去っていく。臨也はそれを横目で見遣って唇を吊り上げた。歪な笑みを浮かべながら、短ランの袖から仕込んであるらしい銀色の刃を覗かせる。

「ねぇシズちゃん、特別な日を迎えた君にプレゼントを贈ろうか」
「はぁ?」
「……本当はさ、今日ぐらいは何もせずにいようと思っていたんだよ」

不意に臨也の声のトーンが落ち、言葉が僅かに聞き取りにくくなる。普段は明瞭な声がくぐもって聞こえ、静雄は眉根を寄せた。

「おい、はっきり喋れよ」
「―――でもさぁ、朝から君が周囲から祝われているのを見たら気が変わったよ」
「あ?」
「……君は随分な思い違いをしているみたいだ。誕生日だからって祝われていいのは人間だけだよ。勘違いをしている哀れな化け物の目は、俺が覚まさせてあげないとねぇ?」

臨也は形の良い唇を歪めて微笑み、袖に仕込んでいたナイフを勢いよく投擲した。静雄の顔面めがけて真っ直ぐに飛んできたそれは頑強な拳によって叩き潰され、刃が繊細な硝子細工のように粉々に砕けて廊下へ落ちる。柄の部分だけが形を保って残り、それを目にした生徒はぎょっとした表情で走り去っていった。いつの間にか二人の周囲には誰一人いなくなっており、各教室の扉は固く閉ざされている。静雄は自らの手で砕いたナイフの破片を上履きで踏み締め、臨也に鋭い視線を向けた。獣のようにぎらついた光を帯びた鳶色の瞳には、激しい怒りの感情だけが浮かんでいる。

「臨也くんよぉ……手前こそ随分と偉そうじゃねぇか。人間代表にでもなったつもりかよ!」
「いいや?俺は大好きな人間を愛するために君という化け物を排除したいだけさ」
「俺は化け物じゃねえ!」
「理性を失くして暴れるしか能のない君を化け物を呼ばずに何と言うのさ?」

静雄の叫びも無視して臨也は呆れ笑いを浮かべ、二本目のナイフを手中で弄ぶ。まるで曲芸師のように危なげなくナイフを何度か宙に投げ、受け止めたそれを静雄に向けて再び投げ―――臨也は走り出した。ナイフに気を取られていた静雄は飛んできたナイフを叩き落し、床を蹴って走り出す。遠ざかっていく臨也は迷いのない足取りで廊下を走り抜け、カーブでも速度を落とすことなく、階段すらも軽やかに上っていく。静雄も引き離されないよう必死に臨也を追いかけるが、生徒とすれ違う際にはぶつからないように気を遣って速度が落ちてしまう。階段の手前でもスピードの加減が出来ず、多少の遅れが出る。気がつけば、静雄は臨也を追って屋上へ続く階段を上り続けていた。臨也は屋上へ続く扉の前に置かれていた机や椅子の山を軽々と飛び越えていく。数ヶ月前に静雄が暴れたことで地面が陥没し、立ち入り禁止になっていたはずだ。しかし臨也は何故か所持していた鍵で扉を開錠して屋上へ飛び出していく。静雄は一瞬だけ躊躇したが、手が届く距離にいる臨也をみすみす逃すような気持ちにはなれなかった。加減しながらドアノブを捻って、閉まりかけた扉を押し開ける。眩しい日差しに照らされた静雄は目を眇めた。雲の切れ間からちょうど覗いていた太陽に照らされたらしい。静雄は手を翳して日差しを遮りながら、注意深く屋上を見渡した。しかし、視界に入る範囲のどこにも臨也の姿は見当たらない。

「臨也ァ!……ックソ、どこ行きやがった!?」

苛立ちにコンクリートの床を蹴りながら静雄は歩き出す。重い鉄扉がガチャン!と大きな音を立てた。階下に屋上へ侵入したことがバレるかもしれないが、この状況に乗り込んでくるような生徒は居ないだろう。教師に告げ口されないことだけを祈りながら、静雄はドスドスと屋上を闊歩した。どうやら臨也は給水タンク付近へ上っているらしい。静雄は鉄の梯子を歪まないように注意しながら掴み、勢いよく駆け上がる。そこには予想通り臨也が居て、退屈そうに地面に寝転がっていた。

「よぉ臨也クン……随分と余裕そうじゃねえか」

乱暴に地面を踏み鳴らしながら静雄は臨也に歩み寄る。しかし臨也は迷惑そうに眉を顰めただけで、立ち上がろうとすらしない。

「ようやく俺に殺される覚悟が出来たか?あ?」
「そんなわけないでしょ。飽きちゃった、それだけだよ」

昼休みまで飽きもせずに静雄をからかい続けた男はそう嘯き、気怠そうに上体を起こした。乱れた髪を手櫛で整え、胡乱げに静雄を見上げる。冬の冷たい風に吹かれて、細い身体が頼りなく揺れた。トレードマークの短ランの下にはセーターなどを着込んでいるようだが、臨也が寒さに弱いことは静雄もよく知っている。喧嘩をしている時は寒さなど気にならないだろうが、動いていない状態であれば寒いのが当たり前だ。だというのにわざわざ屋上まで来て何がしたいのか。そう思いながら静雄は臨也の目の前に屈み込んだ。誕生日を台無しにされたことに対する怒りは勿論あるが、臨也のやる気のなさに気を削がれつつある。

「いい加減にしろよ……俺を怒らせといて飽きちゃったはねえだろ」
「君が勝手に怒っただけだろ。俺は事実を言っただけだ」
「手前……人様の誕生日を台無しにしておいてよくそんなことが言えるなァ…?」

嘲りを含んだ声で吐き棄てられ、静雄の中の落ち着きかけた怒りが再びふつふつと沸き上がっていく。臨也は少しも臨戦態勢に戻る様子はないが、黙って愚弄され続けるような趣味はない。本来は無抵抗の相手を殴ることに抵抗があるが、臨也ならば何発か殴っても許されるだろう。そんな理由を付けて静雄は臨也の胸倉を掴み上げた。軽い身体は簡単に地面から浮き上がり、臨也は苦しそうに顔を顰める。

「ちょっと、やめてよ」
「うるせえ!手前に文句言う権利なんざねえよ」
「誕生日に俺を殺せば、まさに血塗られた誕生日になるだろうね。シズちゃんにお似合いじゃないか。俺を殺した手でケーキを食べるのかい?君も存外いい趣味をしているね」
「…………」

嫌な想像をしてしまったのか、静雄は臨也の胸倉を掴んだまま黙り込んだ。その隙を突き、臨也は身体を捩って静雄の胸板を強く押す。静雄の身体がゆらりと揺らいだのを見逃さず、いつの間にか取り出されていたナイフが静雄の眼前で煌めいた。

「…!」
「でも生憎、俺は君なんかに殺されたくはない。だから逃げさせてもらうけど」

鋭利な刃が空気を切り裂く音に静雄は反射的に手を離してしまい、臨也は地面に着地すると素早くナイフを仕舞って走り出す。あと一歩で梯子に辿り着く―――その寸前で、伸ばされた静雄の手が臨也の襟首を掴んだ。思いきり首が締まった臨也は呻き声を上げ、その場から動けなくなる。静雄はそのまま臨也の身体を強引に引き寄せると、ざらついたモルタルの壁へ押し付けた。

「待てよ」
「…、ッ……!」

強い力で壁に押し付けられ、腕の骨が軋む感覚があった。そんな臨也の耳元に威圧感のある低い声が落とされる。身体を動かそうとしても指先や足先が僅かに動くのみで、到底逃げられるような状況ではなかった。臨也は痛みを堪えながら視線だけを動かす。爛々と輝く獣の瞳がこちらを見下ろしていた。

「逃げんじゃねえ」

静雄の冷たい視線を浴びてもなお、臨也は態度を改めようとしない。静雄の力が少し弛んだ途端に首を動かし、嘲るような微笑を口元に浮かべた。静雄はそんな臨也の様子を見て深い溜め息を吐く。怒りもあるが、この状況でも強気な臨也に少し気圧されているようだ。

「……痛い目見ないと分からねえのかよ」
「そうやってすぐ暴力に訴えるから君は嫌いなんだ」
「先にナイフ投げてきたのは手前だろうが!」
「そうだっけ?」

すっとぼけて肩を竦めた臨也を見下ろし、静雄は静かに硬く握った拳を振り上げる。静雄が本気で殴れば容易に骨は砕け、筋肉にも多大な損傷が生まれるだろう。そう理解しているのかいないのか、臨也は顔色一つ変えずに静雄を見上げた。緋色の瞳が僅かに揺らぐ。静雄は、その虹彩の中に怯えとは異なる感情を感じ取ってしまう。拳を振り下ろすことを躊躇った静雄に、臨也はゆるりと微笑みながら首を傾げた。

「……殴らないの?」
「手前」
「なに―――」
「俺に言いてえことがあるんじゃねえのか」

疑問形ではなく断定形で紡がれた言葉に臨也の瞳が俄かに見開かれる。それから数秒間、静雄を呆然と見つめ―――視線はやがて地面へと落とされた。薄汚れたアスファルトの地面を爪先で蹴りながら、臨也は黙り込む。静雄は焦れたように臨也の身体を抑えつけていた手を離し、細い手首を掴んだ。ぐっと身体を寄せられ、逃げ場のない臨也は壁に背中を押し付けざるを得ない。

「やめてよ」
「都合が悪くなるとだんまりかよ。往生際が悪ィな?臨也くんよぉ」
「うるさい……君に命令される筋合いはない」
「いい加減にしろ!」

怒鳴りつけられたことで臨也の肩が僅かに跳ね上がる。地面に落ちていた視線が少しだけ持ち上がり、静雄の胸元辺りを所在なく彷徨った。居心地が悪そうな表情はあまり見られるものではなく、静雄は思わずその表情を食い入るように見つめてしまう。しかし見られていることにすぐ気付いたのか、臨也は心底嫌そうに眉根を寄せた。ルビーのような瞳に剣呑な色を滲ませ、静雄を睨み上げる。

「君が悪いんだろ…ッ!」

吐き棄てるように絞り出された声は微かに掠れていた。静雄は理解できないとばかりに眉を上げた。はぁ?と静雄が首を捻ると、臨也は自らの発言を悔いるようにぎゅっと強く瞳を閉じる。静雄が顔を寄せてオイ、と凄めば臨也はゆっくりと目蓋を持ち上げた。

「……きみが、わるいんだ」
「だんまりの次は責任転嫁かよ。俺が言い訳聞いてやろうとしてんのにそりゃねぇだろ」
「だ、って…!きみが、俺以外に―――」
「俺以外に、何?」

静雄は途切れた言葉の先を静かな声で促した。臨也はぐっと下唇を噛み、戸惑った様子で視線を泳がせる。いつもは饒舌なはずの臨也が言葉に詰まっているのを眺め、静雄は僅かに溜飲が下がるのを感じた。顔を寄せて覗き込むようにしながら名を呼べば、薄い耳朶がじわりと朱に染まっていく。

「俺以外の人間に、祝われて……嬉しそうにするから……」

消え入りそうな声で紡がれた言葉に自然と唇の端が緩んだ。にやけてしまう表情を気付かれないように誤魔化しながら、静雄は唇を強く引き結ぶ。気のない素振りを装ってへえ、と呟けば臨也の視線がゆっくり持ち上がる。羞恥と苛立ちが入り混じった表情は複雑を極めていて、臨也の頭の中で様々な感情が渦巻いているのは想像に難くない。

「それで?」
「ッ、」
「わざわざ俺をこんなところまで連れてきて、手前は何をしたいんだ」

静雄は意識して低めた声で静かに尋ねた。臨也は何度も視線を彷徨わせ、それからゆっくり拳を握り締める。静雄はその様子を見かねて髪を掻き乱す。少し意地悪をしすぎただろうか。それにしても、ここまで言い淀んだり迷ったりする様子はかなり珍しい。もう少し見ていたいと思ってしまうが、これ以上下手なことをすればへそを曲げてしまう可能性も否めないだろう。握っていた手首をそっと離す。僅かに赤くなった白い皮膚を眺めながら、静雄は唇を開いた。

「臨也くんよぉ、俺に何か言うことがあるよなぁ?」
「…………」
「……俺は今日、俺なりに我慢してやったつもりだぜ。言い訳だって聞いてやるし、話も聞いてやるって言ってんだ。今更そんなに意地張ることないだろ」

呆れ混じりに呟いても臨也は口を開こうとしなかった。静雄は臨也の顎に触れ、細いラインを辿るように触れた。隆起した喉仏が僅かに上下する。緋色の瞳が戸惑うように揺れて、頬に赤みが差した。表情に拒絶の色が窺えないことを確認して、静雄は薄紅色の唇に自らの唇を重ねる。ひやりと冷えていた唇は、重なり合うことで緩やかに温度を上昇させた。柔らかく何度も触れ合わせるだけで、臨也の頬が真っ赤に染まっていく。静雄はゆっくり唇を離して臨也の顔を覗き込む。ほんの僅かに涙の膜が張った瞳がゆらりと揺れ―――濡れた唇が開かれた。

「むかつく」
「あ?」
「ほんと馬鹿じゃないの。なに勝手に俺以外の人間に祝われちゃってんの?嬉しそうにへらへら笑ったりしちゃってさぁ、愛想振り撒いてる君は本当に気持ち悪い。あーあ、心底気分が悪いね」
「……手前なぁ……」
「女の子からもキャキャー言われて、気分は良かった?普段は女の子なんて一人も近寄ってこないもんね。ははっ、今日だけでもモテるような錯覚に陥れてよかったじゃないか。でも多分、あの子たちは君の顔にしか興味はないよ。目の前で標識でも引っこ抜いてご覧よ。すぐに悲鳴を上げて怯えた顔で君を見てくるに決まってるさ」
「臨也」
「なに」
「今日ぐらい素直におめでとうって言えねえの?」

それまで大袈裟なジェスチャーを繰り返していた臨也の手の動きがぴたりと止まる。静雄は困ったように苦笑し、臨也の細い腰に手を回した。痩躯を抱き寄せて肩に顎を乗せ、そのまま名前を囁き呼ぶ。

「臨也」
「……おめ、でとう」

ぽつり、零された声はくぐもっていたが静雄の耳にはしっかりと届いた。静雄の胸に顔を押し付けられている小さな頭が、居心地悪そうに何度か揺れる。静雄は腰に回していた右手を持ち上げてその頭に触れた。髪を梳くように撫でれば、絹糸に似た滑らかな感触が心地よかった。冬風に晒されて冷えた身体を暖めるように腕の力を強める。ぎゅっと抱き寄せれば、臨也の腕がゆっくり静雄の背に回された。ブレザーが引っ張られる感覚があって、爪を立てられているのだと分かる。静雄は思わず苦笑しながら身体を揺らした。

「本当に素直じゃねえな」
「うるさい」
「そんなに他の奴に先を越されたくないなら真っ先に言いに来いよ」
「……そんなの、もう無理じゃん」
「今年は無理でも、来年があるだろうが」
「なにそれ…。来年も君の誕生日を祝えって言ってるの?」
「当たり前だろ」

臨也の頭がもぞもぞと動き、静雄の腕の中で顔を上げた。少し乱れてしまった髪もそのままに、臨也は困惑した表情を浮かべている。当然と言いたげな顔をしている静雄の言葉が理解できない様子だった。

「横暴すぎ……来年も祝ってやるなんて保証、あるわけないだろ」
「はぁ?なんでだよ。来年も俺を祝え」

あまりにも自分勝手な物言いに臨也はしばらく目を瞠っていたが、やがて表情を緩ませる。赤い瞳がキャンディのように甘く蕩け、唇からは柔和な笑い声が零れ落ちた。

「横暴な上に横柄…―――シズちゃんってほんと最悪」
「言ってろ」
「でも、まぁ……どうしても君が来年も祝ってほしいって言うなら、考えてあげなくもないよ」

あくまでも上から目線な言葉に呆れ笑い、静雄は臨也の頭に手を伸ばす。指の間を滑り落ちていく感触を楽しみながら、睨んでくる臨也をじっと見下ろした。

「誕生日だっつーのに、俺を悩ませてる自覚が手前には足りてねえ」
「は?」
「もうちょっと自覚しろって言ってんだよ。俺は大事な誕生日の半分をずっと手前のこと考えながら過ごす羽目になったんだ。人の思考を独占しておいて、他の奴らに妬いたなんて笑い話にもならねえ。……手前が嫉妬する必要なんかどこにもないだろ。ちゃんとそれを理解しやがれ」

静雄はそう囁いて口づけを落とす。一瞬触れるだけのキスはちゅっと可愛らしい音を立て、臨也は呆然と瞳を瞬かせた。その間の抜けた表情がどうにもおかしくて、静雄は堪えきれずに噴き出す。臨也はたちまち眦を吊り上げ、静雄の胸を強く押し返した。しかし静雄の屈強な身体はびくともせず、臨也は囲われた腕の中から逃れられない。暴れようとした矢先に耳元で名を呼ばれ、臨也は力なく項垂れる。数秒間の沈黙が続き、焦れるほどゆっくり視線が持ち上がった。苦々しく口元を歪めた臨也は、悔いるように潜めた声を吐き出す。

「……プレゼントなんて用意してないよ」
「そんなもん、俺が欲しいって一度でも言ったことあったかよ」
「でも、」
「俺は手前に祝ってもらえりゃそれでいい」

臨也は観念したように深く息を吐き、静雄の両頬を手の平で挟み込んだ。静雄が屈み込めば二人の距離は縮まる。校舎の壁に落ちる影が重なり合い、熱い吐息だけが屋上に零れ落ちた。唇が離れかければ、臨也はそれを惜しむように静雄の頬に添えていた手を首へと滑らせる。細い腕が絡みついてくるのに吐息だけで微笑み、静雄は痩躯を抱き寄せた。臨也の踵が浮き上がり、つま先立ちになる。啄むような口づけを繰り返していれば、次第に互いの呼吸が乱れていく。ようやく唇が離れると、臨也は静雄の瞳を真っ直ぐに見上げた。

「ハッピーバースデー、シズちゃん」

澄んだ声が冷たい空気を揺らして静雄の耳へと届いた。静雄の胸を充足感が満たしていく。頬が緩み、はにかむように微笑みながら臨也の身体を抱き寄せる。苦しいよ、とくぐもった声が聞こえても腕の力を緩めてやる気にはなれなかった。細い指が静雄の髪に差し込まれ、癖っ毛を何度も撫でる。

「俺は優しいからね。君の誕生日をを祝ってあげるし、存分に甘やかしてあげるよ」
「手前は一言多いんだ」
「なぁに、嬉しくないの?」
「嬉しい。……嬉しいに決まってんだろ」

ありがとな。耳元で落とされた言葉に臨也は忍び笑う。慈しむように繰り返し静雄の髪を撫でながら、広い肩越しに晴れ渡った青空を見上げた。遠くの空には重たい雪雲が見える。今朝の天気予報では午後から雪が降るはずだ。こんな日には、午後の授業をサボタージュするのも悪くない。お節介な親友の忠告を忘れたふりをして、臨也は静雄の名を呼んだ。


end.




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