深縹のアメジスト・ラブ<10>

※海賊カラ松×人魚一松


【 Episode 09 】

暗く細いパイプの中を泳ぎながら、一松はどうしようもない不安感に苛まれていた。チョロ松は気丈に微笑んでいたが、彼の戦闘能力を知らないとはいえ心配だった。それに、約束した場所におそ松とカラ松が無事に辿り着いているかも分からない。2人とも腕の立つ剣豪だとチョロ松に聞いてはいたが、それ以上にイヤミが卑怯な手を使う人間だとよく知っていた。正攻法だけでは勝てない可能性は大きくあるだろう。

「でも……おれが信じなきゃだめだよね……」

下降しそうになった気持ちをぐっと堪え、一松は向かう先を睨み上げた。進行方法からは邪気を感じるが、同時に弟の気配も僅かに感じ取れた。この海水が繋がる場所に必ずいる。それを確信して、乱れがちな精神を集中させる。この先で何が待ち受けていようと、十四松を護り抜かなくてはならない。カラ松がくれたネックレスのアメジストをそっと握り締め、一松は僅かに差し込む光に向かって泳ぎ続ける。そうして泳ぎ続けるうちに水面が近くなり、一松は岩壁に身を寄せた。急に水面に顔を出せば、看守に見つかってしまう可能性がある。一松は海中から慎重に内部の様子を伺う。最下層にあるらしい牢の中は通常の牢よりも明らかに広く、その半分以上を海水が繋がる水場が占めていた。一松がいる場所とは反対側の水面には淡黄色の鱗に覆われた下半身と尾びれが見える。僅かに疲弊している様子ではあるが、十四松は確かにそこに居て安堵する。どうやら牢の中には十四松しかいないようだが、牢の外までは確認できないため下手なことは出来ない。今すぐにでも強引に連れ出したいと歯噛みしていると、一松の耳に2人分の跫音が聴こえてきた。同時に剣が打ち付けられる激しい金属音が響き渡り、一松は思わず身を硬くする。

「観念しろ、イヤミ!早くその人魚を解放しろ!」

洞窟内に響き合った勇ましい声は海中にも鳴り響く。一松はばっと顔を上げ、岩陰から必死に目を凝らした。

「チッ……うるさい若造ザンスね!ミーの崇高な理念が理解できないなんて、愚の骨頂ザンス!」

カラ松と相対する痩身の男は、憎々しげに低めた声で罵倒を吐き棄てる。カラ松はそんな言葉も意に介した様子もなく、ふっと笑みを浮かべたようだった。

「なんとでも言うがいいさ。殺しを美徳とするお前の歪んだ理念は、俺も親父も一生理解出来ない」
「……本当に、馬鹿な若造ザンス!」
「ッ、!?」

カラ松が息を呑んだ瞬間、イヤミがその長身を唐突に屈めた。低い体勢になったイヤミが剣を突き出し、カラ松はよろめきながらそれを避けた。しかし、その瞬間にイヤミの脚が地面の土を蹴り上げる。土埃に視界を奪われたカラ松が反射的に目を瞑った瞬間、イヤミの剣がカラ松の右腕を斬りつけた。

「ぐ、ぁっ…!」

激痛に呻きながらカラ松の身体が頽れる。海中で目を見開いた一松には、それがスローモーションのように映った。斬られた利き腕を庇いながら倒れ込むカラ松。土の地面に撒き散らされる夥しい量の血液。そして剣を大きく振り上げるイヤミ―――

「やめろぉおおおおおお!!」

気付けば一松は海中から身を乗り出し、水辺に倒れていたカラ松を庇うように手を伸ばしていた。思わぬ侵入者にイヤミが虚を突かれた一瞬の隙に、階段を駆け下りてきたおそ松が剣を振るう。悲鳴を上げて後退ったイヤミは脇腹を斬られたらしく、傷口を抑えてその場に倒れ込む。息をせき切って飛び込んできたおそ松はカラ松の状態を見て舌打ちをすると、イヤミの胸倉を掴み上げた。おそ松の剣幕にイヤミは剣を取り落とし、恐怖で情けない悲鳴を漏らす。

「イヤミ、てめぇっ!」
「ひ、ひぃっ……や、やめてチョーよ、ミーは正当防衛をしただけで…!」
「普通に戦ってお前にカラ松が負けるわけねぇ!お前が卑怯な手を使ったんだろッ!」

おそ松は怒鳴りつけながらイヤミの身体を岩壁に押し付け、頬を思いきり殴りつけた。言葉にならない声を出してイヤミは崩れ落ち、おそ松は怒りに肩を震わせる。一松は必死にカラ松の肩を掴み、海中から身体が出てしまうのも構わずに揺さぶった。何度も何度もカラ松の名前を繰り返し呼び、声が掠れるのも構わずに叫び続ける。

「やだ……やだよ、しっかりして!カラ松!カラ松ってば…!」
「―――……いち、まつ…?」
「カラ松っ!!」

薄く目を見開いたカラ松の手を強く握り締め、一松は顔を寄せる。荒い呼吸を繰り返すカラ松はひどく苦しげで、肌にはびっしりと脂汗が滲んでいた。おそ松は昏倒しているイヤミを縛り上げる。上質なコートが血液で汚れるのも構わずに脱ぎ捨てると、短剣でその布地を切り裂いた。患部を強く締め付けて止血すると、カラ松を担ぎ上げようとする。それを制止したのは一松の手だった。カラ松の高い体温に当てられて真っ赤になった手で、おそ松の服を強く引っ張る。

「待って」
「一松、早く医者に診せないとこいつは……」
「分かってる。お願いだから、ちょっと待って」

有無を言わせない一松の態度に虚を突かれ、おそ松は逡巡ののちにカラ松の身体を再び地面へ横たえる。一松は痛みに呻くカラ松の顔を覗き込むと、涙の溜まった瞳をゆっくりと瞬かせた。重力に従って透明な雫がカラ松の頬を濡らしたと思えば、まばゆい光が一瞬にして弾け消える。一松の涙が落ちた場所から淡い光がカラ松の肌を包んでいき、カラ松の表情から苦痛の色が消えていった。

「い、今のは……?」

おそ松が呆然と呟いていると、カラ松がゆっくりと目を開ける。一松は泣き濡れた顔でカラ松に微笑みかけた。

「カラ松……」
「い、ち……まつ……一体、何を……?」
「おれの治癒能力で痛みを取っただけだよ。聞いたことあるでしょ?人魚の涙には特別な効能があるって」
「あぁ……確かに、聞いたことがある……。ありがとう…」
「礼なんていいよ。お前が無事なら、それだけで」

掠れた声で呟き、一松はカラ松の左腕にしがみつく。肩に顔を埋め、カラ松は一松の髪をそっと梳いた。一松の白い肌が痛々しくも赤く染まっていることに気が付き、カラ松はおそ松を見上げる。おそ松は困ったように苦笑し、やがてカラ松の頭を軽く叩いた。

「ほら、いつまでそこに転がってるつもりだよ」
「あぁ……そうだな。一松、すまないが離れてくれるか?」
「……うん」

名残惜しげにカラ松から手を離し、一松は海中に身体を沈める。そこでふと視線を感じて振り返ると、困惑した様子の十四松が一松を凝視していた。突然のことに飛び出してしまったが、一番驚いたのは十四松だろう。おそ松がカラ松の止血を確認しているのを一瞥し、ゆっくりと一松は十四松に近寄る。

「一松、兄さんなの…?本当に…?」

大きく目を見開き、尾びれを不安そうに揺らす弟を見てずきりと胸が痛む。数日もこの場所に囚われていたのだろう。手錠を掛けられ、岩壁の杭に繋がれている十四松の手首は摩擦で血が滲んでしまっている。

「……あぁ、おれだよ十四松。お前を助けに来たんだ」
「で、でも、イヤミもこの人たちも同じ海賊なんでしょ…?」

十四松を抱き締めようと手を伸ばしかけた一松は、十四松の瞳の中に浮かぶ怯えにその手を止めた。非道な仕打ちをされていたせいか、状況が掴めないと十四松の不安は解消されないだろう。どう説明するべきか考えあぐねていると、カラ松の止血処置を終えたおそ松が短剣を片手に歩み寄ってきた。鈍い煌めきを目にして十四松は反射的に身を竦めるが、おそ松は杭が突き刺さる岩壁に躊躇なく短剣を突き刺す。剣が欠けてしまうのも構わずに岩壁を抉ると、深く突き刺さっていた杭を引き抜いた。目を白黒させる十四松に微笑みかけ、鍵束を取り出して手錠を外してやる。

「ほーらよ。これでお前は自由の身だ」
「あ、あり、がとう」
「……おそ松……」
「ここで説明してる暇はないぜ、一松。俺はカラ松を連れてチョロ松と逃げるから、お前も弟連れて脱出しろ。いいな?」

十四松はまだ混乱している様子だったが、今はおそ松に従うのが賢明だろう。一松が深く頷くと、おそ松はにっかりと笑い返す。一松が十四松の手を握ろうとした、その瞬間だった。外界から続くポンプの中から凄まじい水圧を感じて一松と十四松は固まった。牢全体を微細な振動が襲い、おそ松も顔色を変える。

「何だ…?」
「わ、分からない。でも、ポンプの中から……何かが……」
「一松兄さん、来るよっ!」

十四松が叫ぶと同時にポンプの中から"何か"が姿を現した。水面にその身を躍らせ、薄桃色の鱗が松明の火を浴びて輝く。それを目にした一松は、大きく目を見開いた。


×


「トド松……?」

呆然と呟いた一松を見て、トド松は今にも泣き出しそうに表情を歪める。それから十四松に視線を移し、心底安堵したように微笑む。

「よかった……兄さんたち、無事だったんだね」
「あ、あぁ。でもトド松、お前どうしてここが…?」

困惑しながらもそう尋ね、一松はトド松の首に見慣れぬ首飾りがあることに気が付いた。半透明の水晶体は淡い輝きを放っている。その宝珠に秘められた魔力を感じ取り、一松は胸がざわつくのを感じた。トド松のものではない強い魔力、それも通常の魔力とは異なる特殊な―――

「トド松、その首飾りどうしたんだ?」
「…………え?」

嫌な予感に背筋が冷たくなった。一松が恐る恐る問いかけると、トド松の表情から途端に色が消え失せた。大きく目を見開いているだけなのに、その瞳はどこか空虚に映る。

「だ、だから、その宝珠はお前の物じゃ」
「ボクのだよ」
「……え?」
「ボクの首飾りだよ、兄さん」

一松の言葉を遮ってトド松は微笑んだ。隣にいる十四松も緊張しているのか、口を噤んだまま弟を凝視している。トド松は兄たちから向けられる視線に耐えられなくなったのか、大仰に溜息を吐いた。いつもと変わらない口調でどうしたの?と尋ねながら小首を傾げてみせる。

「やだなぁ兄さんたち、何を警戒してるの?ボクが助けに来たんだよ」
「……とどま」
「へー、キミが一松の末の弟なんだぁ?」

頭上から気の抜けた声が落ちてきて、一松はハッと後ろを振り返った。おそ松がカラ松を抱いたままトド松を興味深そうに眺めている。面白がるような表情を浮かべていたが、その瞳には僅かな緊張を孕んでいた。トド松はゆっくりとおそ松を見つめ、それからカラ松に視線を移す。感情の抜け落ちた表情で2人を見つめていたトド松は、俯いて薄い唇を開く。ぼそぼそと一松にも聞こえない低い声で何事かを呟くと、のそりと顔を上げた。昏い瞳はおそ松とカラ松を見据え―――形の良い唇が吊り上がった。肌が粟立つような悪い予感に襲われ、一松の身体が反射的に動く。トド松が2人を目がけてその身体を宙に躍らせる。十四松が引き留める声も無視して、一松はトド松と2人の間に身体を捻じ込ませた。

「トド松、やめろッ!!」

必死に手を伸ばすが一松の手は2人に届かない。トド松の魔力を纏った爪先が一松の腕に触れかけた、その瞬間。一松のネックレスから眩い光が溢れ出す。真っ白は光は周囲を包み込み、やがてバチンッ!と激しい破裂音が鳴り響く。トド松はその光に弾き飛ばされ、華奢な体はその勢いで海中に沈んでいった。

「トッ……」
「トド松!?」

突然のことに呆然とする一松よりも早く動いたのは十四松だった。数日間囚われていたとは思えない動きで海中に潜ると、トド松の身体を抱え上げて急浮上する。十四松の腕に抱えられて浮上したトド松は衝撃のせいか気を失っており、首飾りから感じていた魔力も不思議と消え去っていた。

「と、トド松……トド松っ…!?」
「大丈夫だよ、一松兄さん。トド松は気を失ってるだけ」
「……トド松……」
「どうしちゃったんだろうね。まるでトド松じゃないみたいだった……ねぇ、兄さん。そのネックレスは…?」
「え……?あぁ、これ」

十四松におずおずと尋ねられ、一松はネックレスのアメジストに触れた。先ほどまでまばゆい光を放っていた宝石は大人しく在るべき場所に収まっている。元から魔力を感じることは無かったし、先ほども魔力が弾けるような感覚は感じられなかった。

「恐らく一松の魔力に共鳴したのでしょうね」

コツコツというブーツの靴音が聴こえたと思うと、洞窟からチョロ松が顔を覗かせた。コートやシャツの破けと頬の切り傷が痛々しい。

「チョロ松!」
「洞窟の方に結構な数の手下が潜んでいまして、少々手こずってしまいました。……あぁ、カラ松の方が重症ですね」

チョロ松は一松を安堵させるように微笑みかけると、おそ松とカラ松に視線を移して眉根を下げた。その場に屈み込んでカラ松の傷を確認する。

「見た目より傷は浅いかもしれません。出血も抑えられていますから平気でしょう」
「う、ぅ……チョロ、松……」
「おや、起こしてしまいましたか。今は休まれた方が…」
「いや、話を……聞かせて、ほしいんだ。さっき……言いかけた、だろう」

掠れ声で続きを急かされ、チョロ松は苦笑した。眉根を下げて周囲を見回すと、気を失っているトド松を見つめながら薄い唇を開く。

「一松がしているネックレスはカラ松が想いを込めて作った物でしょう。愛するものを護りたいという強い気持ちが込められたアクセサリーは身につけたものを脅威から護ってくれるという言い伝えがあります。カラ松の潜在的な魔力が、本人の気付かない間に込められていて一松の魔力と共鳴した……私はそう推測していますよ」
「オレに、魔力があると……?」

呆然と呟いたカラ松はチョロ松の言葉を俄かに信じられないといった様子だった。信じられないのも無理もないですね。そう呟いてチョロ松はカラ松の肩に手を置く。

「えぇ。カラ松、貴方のお母上は強い魔力を持つ魔女でした。貴方は覚えていないかもしれませんが、貴方がお父上と航海していた幼い頃に大きな嵐に見舞われたことがありました。その時に嵐の中で海賊船が無事で済んだのは、お母上が貴方とお父上に贈ったネックレスに強い魔力が秘められていたからです」
「チョロ松、どうしてオレの母のことを…?それに、父とも、面識があるのか?」

不思議そうに疑問を口にし、カラ松は首を傾げる。チョロ松は遠い記憶を懐かしむように目を細め、微笑んだ。

「私は貴方とお父上が航海に出た後に貴方の故郷の村に越してきたのです。流行り病に苦しんでいた貴方のお母上に薬を届けていたのは私でした」
「……もしかして、母からの手紙にあった薬屋の小さな子どもというのは……」
「えぇ、私ですよ。私の父は腕利きの薬屋でしたから」
「―――そうか。お前が、オレの母を看取ってくれたんだな」
「最期まで気丈で気高く、美しい女性でした」

チョロ松はトド松を抱えている十四松に手招きをすると、立ち上がって岸辺に屈み込んだ。おずおずと泳いできた十四松は不安そうにチョロ松を見上げる。悪い人間ではないと認識はしているが、本能的に完全に警戒を解くことが出来ないのだ。チョロ松は困ったように眉根を下げ、一言断ってからトド松に手を伸ばす。トド松の首飾りにある半透明の水晶体は、チョロ松の指先が触れそうになった瞬間バチンッという大きな音を立てた。

「チョロ松!?」
「……平気ですよ、おそ松。やはりこの宝珠は通常とは比べ物にならない魔力を秘めていますね。およそ人間が持つ魔力ではない―――人魚……いえ、もしかするとそれ以上の存在の何者かが、彼にこの宝珠を貸し与えたのでしょう」
「いったい誰が、そんなことを……」
「……ぅ、ん…?」

誰しもが大きな疑問に首を傾げていると、十四松の腕の中でトド松が呻き声を上げた。おそ松は反射的にカラ松の身体を抱き寄せ、チョロ松も一歩下がって腰のホルスターに手を這わせた。十四松はそれを見て岸から離れ、心配そうにトド松を覗き込んだ。一松も自らのネックレスに触れたまま末弟の顔を覗き込み、そっと声を掛ける。

「……トド松」
「ん……、いち、まつ、にいさ…?じゅうしまつ、兄さん、も……どう、したの?」
「トド松っ…!」
「わっ、く、苦しいよ、十四松兄さん……っ」
「トド松、無事で……よかった」

トド松は一つ上の兄に抱き締められて困惑しながら、不思議そうに一松を見上げる。その瞳は先ほどまでの昏い色の光を帯びてはいない。一松が手を伸ばすと、トド松は大人しく目を閉じた。優しく頭を撫でられ、嬉しそうに目を細める。その様子に取り憑かれたような様子は微塵も感じられない。おそ松はその様子を見ながら小声でチョロ松に問う。

「チョロ松、あの人魚は……?」
「おそらく一時の激しい感情にあの宝珠の魔力が共鳴し、暴走していたのでしょう。人が変わったように攻撃的になったのもそのせいかと思いますが……なにしろ人智を乞えた魔力です。油断は出来ませんね」
「……そうか」
「それより……イヤミは倒しましたが、ここで失血死されても困ります。まだ聞かなきゃならないことが山ほどありますからね」
「あぁ、そうだな。カラ松の傷も心配だし、一旦退却するか」

チョロ松の言葉に首肯し、おそ松はカラ松を抱えて立ち上がろうとした。それを引き留めたのは、カラ松の声だった。

「……ちょっと待て……おそ松」
「無理に喋るな、カラ松。痛みが緩和されてるだけなんだから、また血が…」
「お願いだ、待ってくれ。……一松」

静かに名を呼ばれ、一松は弾かれたように振り返った。まだカラ松たちのことを敵だと認識しているらしいトド松が何事かを叫んだが、一松はそれを静かに制止した。十四松は困惑したまま兄とカラ松を見比べていたが、やがてトド松の肩を抱いたままゆっくり頷いた。

「一松兄さん、行きなよ」
「で、でも……」
「ぼくはあの人たちのこと、よく知らない。でも……あの人が兄さんのことを大事に想ってるのは、よく分かるよ」

十四松は優しい声色で囁き、一松のネックレスを指差す。淡い色の光が緩やかに放たれ、一松を包み込むように光り続けていた。一松はネックレスに視線を落とし、それからカラ松に視線を向ける。急かすことなく、凪いだ海のように穏やかな瞳がただ一松を見つめていた。一松は十四松に頷き返し、まだ混乱している様子のトド松へ小声で謝る。

「ごめんね、トド松。ちゃんと……あとで説明するから」

そう告げて一松は背を向けた。導かれていくように水面を泳ぎ、カラ松がいる岸辺の方へ泳いでいく。その細い背中を呆然と見つめていたトド松は、今にも消え入りそうな声を吐き出した。大きな瞳は滲んだ涙によって潤んでいる。

「なんで……?か、海賊でしょ……あの人たちは海賊なんだよ!?」
「トド松」

十四松が諫めるように名を呼ぶが、トド松は納得がいかないと一松の背に手を伸ばす。十四松はそれを必死に制止するが、末弟の力は思っていたよりも強い。しかし兄を止めることは出来ないとトド松の腕を強く引き、半ば抱き締めるように抑えつけた。

「トド松、駄目だ。じっとしてて」
「やだっ!十四松兄さんも、どうして止めないの!?海賊のせいで捕まったんでしょ!?それなのに…!」
「一松兄さんが決めたことだよ。それを止める権利は、ぼくたちには無い」
「そ、んな……じゃあボクは、今までなんのために……?」

トド松の華奢な肩から力が抜けていく。支えを失ってしまったように項垂れる弟を優しく抱き締め、細い背中を撫でる。十四松は兄の背中を眺めながらトド松の手をそっと引いた。

「トド松がしてくれたことは無駄じゃなかったよ」
「でもっ」
「今は一松兄さんの言葉を信じようよ。きっと、いつか兄さんから直接話してくれるはずだ」
「十四松、兄さん……」
「もう一人にはしないから。一緒に帰ろう、トド松」

零れ落ちる涙は海中に溶け消えていく。トド松は何度もしゃくり上げながら、微笑む十四松の顔を見上げた。安心させるように微笑み、兄の手が細い肩をそっと抱き寄せる。一瞬だけ一松の方を振り返り―――トド松はゆっくりと頷いた。弟たちの姿がパイプの奥に消えていくのを見送り、一松は深く息を吐き出す。自分の我が儘で弟たちを振り回してしまったことを悔やんでいないわけではない。それでも、一度決めてしまったことを違えることはできなかった。岸辺に泳ぎ着き、そっと身を乗り出す。おそ松がカラ松を抱えたまま近付いてきてくれて、一松は彼の顔を覗き込んだ。

「……おれを呼んだ?カラ松」

カラ松は微かに笑みを浮かべ、ゆっくりと震える手を伸ばす。指先で一松のネックレスに触れ、零れ出す光を受けながらゆったりと目を細めた。

「答えを……聞かせて、くれないか」

掠れ気味の声でカラ松が問う。一松は大きく目を見開いた後―――呆れたように破顔した。馬鹿だね、カラ松。そう囁きながら両手を伸ばす。皮膚が赤く染まっていくのも厭わずにカラ松の頬を挟み込み、顔を寄せた。柔らかな感触の訪れにカラ松は動きを止め、ようやく顔を上げた一松を見上げて呆然と呟く。

「いち、まつ」
「おれの心はとうに決まってる。おれは……お前と一緒に行くよ」
「……オレを選んでくれて―――ありがとう、一松」

冷たい皮膚の感触を感じながら、カラ松はふわりと微笑む。一松を抱き寄せようとして迷い手を止めた瞬間、2人の頭上から咳払いが聞こえた。

「お2人さん、俺たちの存在忘れてない?」
「…………おそ松……」
「ち、チョロ松……」

カラ松と一松がぎこちなく顔を上げると、おそ松とチョロ松は顔を見合わせて苦笑した。おそ松はカラ松の肩を乱暴に叩く。カラ松が痛みに呻いてもお構いなしだ。

「見せつけてくれるねぇ。人間と人魚の禁断の恋なのに隠す気ゼロって開き直りすぎだろ」
「今更お前たちに隠してもどうしようもないだろう」
「そりゃそうだけどさぁ……。これから堂々とイチャつきますって言うんなら俺はお前との仕事を考え直さなきゃいけないかもなー」

嘯いたおそ松にカラ松は苦い表情になり、無遠慮に肩を叩かれて顔を背けた。そんな2人を眺めながら、チョロ松は肩を竦めて一松を見下ろす。薄い硝子越しの瞳は柔和に微笑んでいた。

「私も、一松のことは少々気に入っていたのでちょっと残念ですね」
「えっ……?」
「なんてね、冗談です。一松がカラ松を選ぶのは分かっていました」
「そ、そうなの?」
「貴方たちを見ていれば分かります。……私は貴方たちを応援しますよ」
「チョロ松……うん、ありがとう」

優しい言葉を受けて一松はふわりと微笑んだ。チョロ松は一松の髪をそっと撫で、立ち上がる。その腰におそ松が纏わりついていたが、チョロ松は少しも気にした様子はない。

「チョロちゃん、今のどういう意味……?」
「さて、そろそろここから出ましょう。警察には連絡していますから、そろそろ到着する頃合いでしょう。イヤミと手下共はすぐに引き渡します。カラ松、貴方はすぐに病院ですよ」
「あ、あぁ」
「チョロちゃあん……」

縋りついてくるおそ松を無視し、チョロ松は顎に指を当てて思案を巡らせる。視線を床に転がっているイヤミに向けると、忌々しげに瞳を眇めた。

「キャプテンと私は事情聴取になるでしょうね。私たちの証言がどこまで通るかは分かりませんが……どうにかイヤミを裁判にかけなくては」
「あの、チョロ松……おれは?」
「一松は―――一旦帰った方がいいでしょう。暫くは私たちも身動きが取れません。カラ松も傷が完治するまで時間がかかります。あなたの力をこれ以上使わせるのも忍びないですから」
「え……?でも、おれ…」
「貴方の気持ちは理解していますよ。けれど―――貴方も弟たちとの約束があるのではないですか?」

困惑していた一松は、チョロ松の言葉にはっと目を見開いた。ふとカラ松を見ると、優しく微笑まれて言葉に詰まる。大きな手の平が頭に乗せられ、宥めるように撫でられた。

「オレは居なくなったりしないさ、一松。もう大丈夫だから……お前も一度じっくり休んだ方がいい」
「カラ、松」
「そんな顔をするな。必ずまた会おう。約束するから……一松」

真剣な声色で真摯に言われてしまえば、首を横に振ることはできなかった。一松は静かに頷き、カラ松たちに背を向け―――振り返ろうとしてやめた。ばしゃんと水音を立てて海中深くに潜ると、パイプの奥へとその姿を消す。その背中を見送り、カラ松は深く溜息を吐き出した。チョロ松はおそ松の頭を強く押し返しながら、困ったように瞳を細める。

「貴方がそんな顔をしてどうするんです」
「……そうは言っても、別れはつらいものだ」
「しかしカラ松、貴方が言ったのですよ。必ずまた会おうと。その約束を違えるようなら、私が許しません」
「違えたりしないさ……絶対に」

チョロ松の鋭い声にカラ松は重々しく頷いた。胸元のネックレスをそっと握り締める。そんなカラ松の手の甲にぼんやりと紋様が浮かび上がっているのを目にし、チョロ松は床に落ちていた青銅の鍵を拾い上げた。鍵に刻まれた独特なデザインが施された花のような紋章は、カラ松の手の甲のそれと完全に一致している。

「―――それなら良いのです。さぁ、早くここから出ましょう」

チョロ松は鍵を手にしたまま、カラ松に肩を貸して立ち上がる。そんなチョロ松を引き留めたのはおそ松だった。今にも泣き出しそうな表情で縋りつき、大声で喚き立てる。キャプテンの面目も何もない無様な姿にカラ松とチョロ松は同時に顔を顰めた。

「チョロちゃんチョロちゃん、ほんとにいちまっちゃんのこと好きなの……?ねぇ、嘘だって言ってよぉ…」
「あぁもう、貴方はしつこいですね!冗談だと言ったでしょう!」
「えっほんとぉー!?よかったあ!!」
「……そんなに元気があるならカラ松を連れて出てください」

チョロ松はピシャリと冷たく言い捨て、チョロ松は倒れているイヤミの横に屈み込んだ。おそ松がカラ松を連れて出て行くのを横目に、イヤミのバンダナにつけられた装飾品を吟味する。ジャラジャラとついている装飾品の中に、一枚のメダルを見つける。青銅で作られているそれは、刻まれた紋様のせいで古さを感じさせない。独特なデザインの花に似た紋章―――青銅の鍵を掲げて確認すると、やはり一致した。このメダルや鍵がイヤミのものだとは考えにくく、おそらく略奪したものだと考えられる。この町は今でこそ人魚を忌み嫌う人間ばかりが住んでいるが、昔は人魚が訪れる町として有名だった。人魚が災厄を呼ぶ者として忌み嫌われるまでは―――。

「………………」

チョロ松イヤミのバンダナを取ると、鍵とともに自らのポケットへ仕舞い込んだ。まだ調査をする必要がある。薄暗い地下牢から抜け出しながらチョロ松は深呼吸をした。


continue...




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