うそつき、ふたり



「シズちゃん見てよ、人がゴミのようだ!新宿だけでこの数なんだ。本当に人間ってものはどこまでも愚かに繁殖し続ける生き物だよねぇ。つくづくそう思うよ」
「……手前は人間を愛してるんじゃねぇのかよ」
「あぁ、そうだよ?俺は人間なんてゴミ同然の生き物だと思ってる。醜くて汚くて愚かしい―――しかし、だからこそ愛おしい!」
「お前の言う『愛』は、わけが分からねぇ」
「それはシズちゃんに俺の崇高なる愛の理念が理解出来ないせいだろ?自分の理解力不足を俺のせいにしないで欲しいなぁ」
「自分で崇高とか言うな。お前のそれはエゴの押し付けだ。愛じゃねぇ」
「ひどいこと言うね。傷つくよ」
「嘘吐け。1ミリも傷ついてなんかいねぇだろ」
「あはは、俺だって人間なんだよ?傷つくのは当たり前じゃないか」
「俺はお前を真っ当な人間だとは認識してねぇ」
「……『真っ当な人間』?それって何?そもそも化け物のキミが言えること?」
「ッ、…!」

ギリ、と彼が歯を食い縛る厭な音が聴こえたと思えば、バキリと何かがへし折られる音が部屋中に響く。臨也は大勢の人間が下方を行き交う窓の外から視線を逸らし、重い息を吐いて背後を振り返った。

「ちょっとシズちゃん、今さっき玄関のドアノブを捻り潰したばかりだろ?どうして椅子まで壊してるかな?」
「うっせぇな、椅子ぐらい別にいいだろ」
「椅子ぐらいって言うけどそれ、幾らするか知ってんの?」
「知るかそんなの」
「……そうだろうね。大体さぁ、なんで家まで来たわけ?殺り合うなら外で…」

臨也の言葉を遮るように、静雄は椅子の背凭れ部分をバキバキと粉砕した。静雄の指の間から椅子だった物の細かい破片がパラパラと落ちていくのを見て、臨也は思わず顔を顰める。

「やめてよ、木屑がフローリングの隙間に入るじゃん」
「知るか」
「理不尽にも程がある……あーあ、これじゃ休み明けに波江に怒られるよ」

フローリングの惨状を眺めながら臨也はソファーに腰を下ろした。すると、臨也の言葉を聞いた静雄が不自然に動きを止める。

「……波江って、誰だよ」
「え?俺の助手。あ、秘書みたいなもんかな。君は会ったことないんだっけ」
「ねぇよ」
「そうだっけ。まぁあの人、美人で頭は回るんだけど小姑みたいに細かくてうるさいんだよね。ここは確かに彼女にとってはオフィスかもしれないけど、俺の家でもあるのにさぁ」

最近、波江に長々と説教をされたことを思い出して臨也は苦々しい気持ちになる。弟溺愛の波江は、普段はとことん冷徹で俺の話なんて聞きやしない。しかし妙なところで執拗に世話を焼きたがったり、細かく叱責を重ねてくるのだ。

「……面倒な女だよ、つくづく。まぁ観察対象としては面白くもあるんだけど」
「あ?」
「いや、シズちゃんには無関係な話だよ」

相変わらず不機嫌な静雄の声色に呆れつつ、臨也は散らかされた木屑を片付けようとソファーから立ち上がった。箒と塵取りがあるのは廊下だったはずだ。リビングの中央で仁王立ちする静雄を無視して通り過ぎようとした時だった。

「―――おい、」

抜け落ちるほどの強い力で手首を掴まれ、臨也の身体は引き寄せられた。油断していたわけではない。きちんと動けるようにしていたはずだった。不意打ちに驚き、臨也は静雄の顔を見上げる。鳶色の虹彩は今までに見たことがないほど怒りに満ちていた。文字通り射殺されそうな視線に晒され、臨也は反射的に身を引く。

「うるせぇんだよ。黙れ」

静雄の低い声が耳朶をなぞるように重く響いた。手首をつかむ力が弱まったと思えば、次の瞬間には強く腰を引き寄せられる。触れられた腰から背中に電流が走ったように痺れ、臨也は動くことができなかった。

「な、に……」
「それ以上喋るな。黙ってろよ」

反論しようと臨也が口を開きかけた瞬間、ぐっと静雄の顔が迫ってきた。硬い胸板を押し返そうとしてもびくともしない。完全に静雄の腕の中に囲われている、と認識した臨也は完全に硬直した。殴られるか、投げ飛ばされるか、叩き付けられるか―――襲い来るであろう衝撃に臨也は固く瞳を閉じた。しかし、数秒経過しても身体には何の衝撃も訪れない。ゆっくりと瞳を開くと、ピントが合わないほどの至近距離で静雄がこちらをじっと見つめていた。荒い呼吸が臨也の首筋にかかり、ぞわりと肌が粟立つ。肉食獣に品定めされているような状況下だったが、臨也はカラカラに渇いた喉から必死に声を絞り出した。

「……怒ってるの?シズちゃん」
「―――喋るなって言ったのが聞こえなかったのか?臨也くんよぉ」

臨也の耳に低い声が吹き込まれたかと思うと、次の瞬間には唇を塞がれていた。突然のことに反応できない臨也を弄ぶように静雄は固く引き結ばれていた臨也の唇を抉じ開け、舌をねじ込む。まるで生き物のように蠢く舌に歯列をなぞられ、臨也は肩を震わせた。臨也の舌はあっという間に静雄に捕らえられ、逃げようとすれば逆にきつく絡め取られて蹂躙される。混ざり合った2人分の唾液は飲み込みきれずに唇の端を伝い、床へと零れ落ちた。

「っは、……ッ」

どれぐらいそうしていただろうか。ようやく解放された頃には臨也の舌はすっかり痺れ、顎は疲れてしまっていた。力の入らない身体は未だに彼にがっちりと捕えられたままで、身動きひとつ取れない。静雄の胸板を再び押し返してみるが、強い力がかかって臨也の手首が痛くなっただけだった。顔を上げれば、静雄は悔しげな複雑な表情を浮かべている。先ほどまで怒りに震え、強引に唇を奪った男とは思えない表情に臨也の脳内は混乱を極めた。

「シズちゃん、なにそれ」
「あぁ?」
「―――うるせぇよ」

心底嫌そうにそう吐き捨てておきながら、静雄は臨也の腰を強く引き寄せる。そして臨也の肩に額を押し付けたきり、じっと黙り込んでしまった。

「……ねぇ」
「…………」
「ねぇ、シズちゃんってば」
「……喋るんじゃ、ねぇ」
「だってシズちゃん、黙ってなんてられないよ」

焦れた臨也が何度も呼びかけると、静雄はゆっくりと顔を上げる。穏やかな色に変化した鳶色の虹彩がじっと臨也を見つめていた。臨也が静雄の頬に触れると、静かに瞳は伏せられた。先ほどまでの激情は身を潜めてしまったようだった。

「―――嫉妬した?」

揶揄を含まない臨也の声が静かに問いかける。静雄の肩がぴくりと僅かに動いた。

「……するわけねぇ」
「本当に?」
「……当たり前だろ」

全てを見透かすような臨也の赤い瞳から逃れるように、視線を逸らしたまま静雄は呟いた。臨也は消え入るような声でうそつき、と呟いて静雄の胸に顔を押し付ける。ぎこちなく回された腕の強さは、静雄の嫉妬を言外に表していた。


(『愛』だなんてそんなもの、ほんとうはわかりもしない)



end.




ホーム / 目次 / ページトップ



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -