深縹のアメジスト・ラブ<7>

※海賊カラ松×人魚一松


【 Episode 06 】

カラ松が提示した条件は、一松の予想に反するものだった。

「……今、なんて…?」
「だから、オレの傍にいてほしいと」

繰り返された言葉に、水槽の縁を握り締めた一松の手から力が抜けそうになる。何を言っているんだ?この状況でカラ松はまだおれのことをからかっているのか。一度落ち着いた怒りの感情がぐわりと湧き上がり、一松はカラ松に噛み付こうと顔を上げる。

「ふざけんな!!おれのことからかってるのか!!」

鋭い声で怒鳴りつけ、ぎっと睨みつけるがカラ松は一切怯む様子がない。それどころか、一松の反応は想定内だったとも言いたげに涼しい表情をぴくりとも動かさなかった。

「……茶化すなって言ったよな」
「茶化してなどいない」
「嘘つくな!!何処の世界にそんな阿呆みたいな条件を提示する海賊がいる!?おれは人魚なんだぞ!?使い道なんて腐るほど」
「一松、」

まくしたてる最中、静かな声で名を呼ばれて思わず言葉を失う。じっと一松を射抜くカラ松の瞳は凪いだ海のように穏やかだったが、その奥には昏い何かが渦巻いているように映ったのだ。続く言葉を見失い、黙り込んでしまった一松の髪をカラ松が柔らかに撫でる。一瞬びくりと身じろいだ一松を、カラ松は困ったように見下ろす。

「"使い道"なんて言い方をしてくれるな。オレはお前を道具のように使うつもりはない」
「ッ、だっておかしいだろ!!これは取引なのにっ…!」
「分かってる。取引だからこそ、望んだことだ」

なおも穏やかに諭され、一松の身体から一気に力が抜けていった。意味が分からない。この男が何を考えているのか理解が及ばず、一松は項垂れて重い息を吐き出した。

「……お前は、おれをどうしたいんだよ」

自分の心が大きく揺れ動いている自覚はあった。絆されては駄目なのだと、分かっているはずなのにカラ松の声に名を呼ばれると凝り固まった気持ちが溶かされるようだ。カラ松はそんな一松の心を見透かしているように淡く微笑む。

「どうしたい、か…。ただ手元に置いておきたい、それじゃあ不満か?」
「不満?……ハッ、そんな理由でおれを騙そうって魂胆だろ」
「騙したりしない」
「―――っ、そんな、の……」
「嘘じゃない。本当は分かっているんだろう?一松」

一松の髪を撫でていたカラ松の手が止まる。俯いた顔を覗き込まれ、一松はとうとう言葉を失った。これ以上の言い逃れはできないと悟ったのだ。

「……お前、本当に物好きだな」
「何とでも言うがいいさ」

一松がぽつりと呟くと、それを聞き逃すことなくカラ松は微笑む。その表情を暫く眺め、一松はカラ松の方へと手を伸ばした。カラ松は首を傾げ、どうした?と尋ねる。

「手。貸して」
「……だが、水中でなければ火傷してしまうだろう」
「それでもいいから」
「―――オレが嫌なんだよ、一松」

カラ松は一松の手を無視して水中へ手を差し入れ、誘うようにゆらゆらと振ってみせる。それに眉を顰めながらも、一松は水中のカラ松の指にそっと触れた。皮膚を確かめるように辿り、カラ松の表情を伺いながら指を絡めていく。きゅっと握り締めると、カラ松は嬉しそうに微笑んだ。その表情を目にしただけで胸が締め付けられ、一松は俯いてしまう。この感情が何なのか、きっと自分でもとっくに分かっている。

「手を繋いで、何か分かるか?……そうだ、オレの話をしようか」
「カラ松の…?」
「あぁ。お前の出自についてオレは知っているが、一松はオレのことを知らないだろう?それじゃ信用に値しないのも無理ないだろう。……もっと早く気付いていれば、お前のオレに対する不信感も拭えたかもな」
「……別に、お前に不信感を持ってるわけじゃ」
「いいんだ。なぁ一松、お前が嫌じゃなければオレの昔話を聞いてくれないか」

握る手に軽く力を込められ、一松は顔を上げる。真っすぐにこちらを射抜く視線の強さに閉口し、黙って頷いた。カラ松はそれに安堵したように表情を緩める。

「ありがとう。あれはオレがまだ幼い頃、親父に憧れていた頃の話だ―――」

話を終えたカラ松は再び握る手の力を強めた。一松ほど波乱万丈ではないよな、と苦笑する姿が年相応に映ったのは出自を今聞いたからだろうか。一松はカラ松の傍へ泳ぎ寄り、両手でカラ松の手を包み込んだ。水槽の低い水温のせいですっかり冷たくなっている手を労わるように撫でれば、カラ松は僅かに動揺の色を浮かべた。

「一松…?」
「ありがとう、カラ松。話してくれて」

一松の口から素直に零れた言葉に、カラ松は瞠目する。やさしく手を撫でる一松の手から、じんわりと温かさが伝わってくるようだった。

「……ただの自己満足だよ。オレが聞いてほしかっただけで」
「自己満足でも、聞けてよかった。おれ、お前のことをお人好しだとか、勝手に踏み込むなとか……ひどいこと言った。悪かった」
「一松が謝ることじゃない」
「でも、」
「オレが逆の立場でも激昂してたよ。いいんだ、一松。謝らないでくれ」

安心させるように大丈夫だよと繰り返され、一松は頷いた。気を抜けば涙が零れ落ちそうになり、カラ松の手を通して伝わってくる感情にも嘘偽りがないことをはっきりと自覚した。それならばカラ松から告げられた「オレの傍にいてほしい」という言葉も心から告げられたものになる。一松は軽く息を吐き、それからカラ松の顔をじっと見上げた。

「カラ松、もう一度教えて。おれに望む条件は?」

深海のような濃い群青の虹彩に、捕らわれてしまいそうな錯覚を覚えながら問う。返ってくる返答は分かりきっていた。それでも、カラ松の口からもう一度告げられることを一松の心が強く望んでいた。この男に求められたいと、一松自身がそう求めていたのだ。

「―――オレはお前が欲しい、一松」

まるで最初から決まっていたように与えられた言葉に、一松の心臓は大きく跳ねた。胸に手を当てれば忙しない鼓動がどくどくと脈打ち、頬がじんわりと熱くなる感覚に満たされる。あぁ、初めて感じるこの感情。この感覚こそがきっと―――恋慕だ。熱に浮かされたカラ松の瞳が答えを待ち侘びていることさえも熱を更に上げさせるようで、一松は震える唇をゆっくりと開いた。

「おれのことが、欲しいの?」
「そうだ。……お前に心を奪われてしまったんだよ」

熱い吐息交じりにそう囁かれてしまえば、一松はもう限界だった。カラ松の手を包み込んでいた両手の力をそっと緩め、引き寄せられるように顔を近づける。それは一瞬のようで、長い時間のようでもあった。薄桃色の唇がカラ松の厚い手の甲に触れ、その場所から淡い光がぼうっと浮き上がる。唇を離せばカラ松の皮膚に一瞬だけ紋様が浮かび上がり、ぱっと霧散した。

「一松、今のは……」
「おれの魔力を使った、契りみたいなもの」
「―――契り?」
「契りって言っても、大仰なものじゃないよ。おれの力をちょっとお前に分け与えただけ。……一種の、まじない」
「……オレの望みを受け入れてくれるんだな」

尋ねるというよりも確かめるようなカラ松の口調に、一松はごくりと唾を嚥下した。撤回するのであれば、きっとこれが最後のチャンスだ。この道は到底楽な道などではない。隔てる壁は無数にあり、選ぶのであれば何が待っていようとも戻れはしないだろう。それでも、一松の心はもう変わることはない。

「……おれもお前が欲しいよ」

一松の唇から零れた声色は思ったよりもずっと甘かった。その答えを聞き、カラ松は柔らかく破顔する。

「ありがとう、一松」


×


「お初にお目にかかります、一松」

銀縁の眼鏡の奥で瞳を細め、チョロ松はにこりと笑みを浮かべた。一松は水中からチョロ松をじっくりと観察し、軽く頭を下げる。時折カラ松やおそ松を落ち着かない様子で見ては、目を泳がせていた。どうやら緊張しているらしく、カラ松は安心させるように微笑んでみせる。

「一松、大丈夫だから。安心していい」
「緊張していらっしゃいますか?」
「……ちょっと、だけ」
「このような狭い水槽で話を聞いていただくのは大変心苦しいのですが、少しお付き合いいただけますと助かります」

緊張している一松を落ち着かせるように微笑みながら、チョロ松は水槽の横の木箱に腰掛けた。一松は小さく頷き、チョロ松の近くまで移動する。チョロ松は丸めていた海図を一松に見えるように広げた。細い指先が示したのは、イヤミがいる孤島から少し離れた距離にある港町だ。

「この港町が分かりますか」
「うん……人間の文字はちょっと読めないけど」
「貴方の弟―――十四松は、おそらくこの港町の地下牢に監禁されています」
「っ…!」
「本当か、チョロ松」

息を呑んだ一松の顔色が変わり、カラ松は驚きに大きく目を見開く。おそ松は眉間に皺を寄せ、腕組みをしたまま微動だにしない。

「えぇ。この港町には私の知り合いが何人かいます。治安が悪い町で大きな地下牢があるのですが、最下層には海水が引いてある牢があるそうです」
「牢に、海水を…?」
「奇妙なことでしょう。しかしそれが人魚を捕えるための牢であれば……どうでしょう?」
「……まさか」
「そのまさかです。牢には海から直接海水を引いています。そして、地上からの侵入より海中からの侵入が遥かに容易い」

チョロ松の言葉を聞き、ずっと黙り込んでいた一松が俯いていた顔を上げる。強い視線をそのままチョロ松に向け、薄い唇をゆっくりと開いた。

「その役割を、おれが引き受けるってことだよね」
「……えぇ、そういうことです。一松」

重々しく頷いたチョロ松を静かに見つめ、一松は視線をカラ松へ向けた。心配そうなカラ松にうっすらと微笑んでみせ、一松は深く頷く。

「引き受けるよ、チョロ松」
「……ありがとうございます。地上からはキャプテン・おそ松とカラ松が侵入するので、一松には2人がイヤミを引き付けている間に十四松を連れ出してもらいます。決行は明日ですから、今日はゆっくり体を休めてください。作戦は明日の夕刻から開始します」
「分かった」

一松が頷いたことを確認してチョロ松は立ち上がる。離れた場所で腕を組んでいたおそ松も、チョロ松と一緒に部屋を出ていった。何か思うところがあったのか、珍しくおそ松は口を閉ざしたままだった。

「そんな顔しないで、カラ松。おれはお前たちに協力するって決めたんだ」

ふらりと水槽に歩み寄ってきたカラ松にそう微笑みかけ、一松は水面に顔を出す。木箱の最上段に腰掛けたカラ松の表情が暗いのを見て、困ったように眉根を下げる。

「……しかし、」
「カラ松とおそ松がイヤミをしっかり引き付けてくれればおれは安全なんだろ?」
「それは……もちろん、そうだが」
「じゃあしっかり護ってよ。おれのことも、十四松のことも」

揺らぐことのない紫色の瞳がカラ松をじっと射抜く。覚悟の据わった瞳を見つめ返し、カラ松は観念したように頷いた。それからポケットに手を突っ込み、ゆっくりと引き抜いた手の平を広げる。一松はそれを覗き込んで首を傾げた。

「これは?」

カラ松の大きな手の平の上にはネックレスが乗っていた。燭台の炎を受けて光り輝いている。小さな貝殻や宝石で作られたそれは実に美しい。中央にある大きな貝にはアメジストが埋め込まれている。カラ松はネックレスの美しさに目を奪われている一松を見て微笑んだ。金具を外し、手招きをして一松の首にネックレスをつけてやる。ぱちぱちを目を瞬かせながらネックレスに触れている一松が嬉しそうで、カラ松の表情も緩んでしまう。

「気に入ったか?」
「う、うん…!キラキラしてすごく綺麗だ」
「それは良かった。幼い頃に集めていた貝がたくさんあってな。それを使ってアクセサリーを作ると、御守りになると母に聞いたことを思い出したんだ」
「カラ松の、お母さん……」
「オレが父と旅に出る頃には流行り病で死んでしまったよ。父は母に海賊であることを隠し通していたが……優しく賢い女だった。きっと全て見抜いていて、ネックレスを最期に父と俺に渡してくれたんだろう」

カラ松が襟首のボタンを二つ外すと、胸元にはシンプルな貝のネックレスがかかっている。桜色の貝殻は慎ましくも品があり、一松はそこにカラ松の母の面影を感じた気がした。一松がアメジストをそっと撫でていると、カラ松の指先がネックレスの金具に触れる。顔を上げると、カラ松がぐっと顔を寄せてきている。慌てて反射的に目を瞑るが、予想していた感触はいつまで経っても訪れない。そっと目を開けると、カラ松はネックレスを掴んでアメジストに口づけていた。

「おまじないだ。母もこうして、ネックレスに口づけていた。……それに、一松もしてくれただろう?それのお返しだ」

カラ松は柔らかく微笑み、ネックレスから手を離す。一松が呆けたように目を見開いていることに気が付くと、首を傾げる。

「一松?」
「……な、なんでもない…っ!」
「顔が真っ赤だぞ」
「なんでもないったら!!ね、ネックレス、ありがと……」

赤らんだ顔のまま目を逸らす一松に苦笑し、カラ松は笑みを浮かべる。落ち着かなさげに、しかし嬉しそうにネックレスに触れる一松を見ていれば心は自然と落ち着いていった。しかし、漠然とした不安自体を消し去ることは出来ない。水中に手を差し入れると、おずおずと一松は手を握り返してくれた。柔らかな皮膚の感触を確かめるように触れ、カラ松は静かに目を伏せる。

「一松、お願いがあるんだ」
「……なに?」

触れた指先からカラ松の抱える不安を感じ取り、一松は優しい声で尋ね返した。カラ松の虹彩が逡巡に揺れる。一松は安心させるように手をぎゅっと握り返し、遠慮しないで言ってよと囁きかけた。カラ松は覚悟を決めたように深く頷き、ゆっくりと唇を開く。

「作戦が無事に終わった後、どうかオレの元へ戻ってきてくれないか。」

懇願するような声色で吐露された言葉に一松は息を呑む。心臓が大きく跳ね、冷たい汗が肌を伝っていく錯覚に襲われた。真っ直ぐに見つめてくる視線の強さに負けてしまい、自分の気持ちを見透かされているような居心地の悪さに視線を逸らす。

「そ、れは……」
「無理を、言っているのかもしれない。一松の目的は十四松を連れ帰ることだと分かっているよ。それでも、オレは……お前が欲しい」

カラ松は消え入りそうな声で囁き、力なく微笑んだ。一松が視線を逸らし、俯いたことに戸惑いを感じ取ったらしい。繋いだ手を握りしめたまま、黙り込んだ一松をじっと見つめる。一松は困惑を隠しきれず、口を閉ざしたまま何度も視線を泳がせていた。

「返事は急かさない。作戦が無事に終わったら―――その時でいい。君の答えを聞かせてくれ」

カラ松は絡めていた手を解く。一松は弾かれたように顔を上げたが、カラ松は優しく微笑んで立ち上がってしまう。木箱から降りると、おやすみと囁いて寝室へと姿を消した。一松は呆然とした様子でカラ松が消えた寝室の方を見つめていたが、やがて深く俯いて身体を丸める。

「そんなの、答えられないよ……」

一松は今にも消え入りそうな声で呟く。誰にも届くことなく、一松の泣き声は水中に溶け消えた。


continue...




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