深縹のアメジスト・ラブ<5>

※海賊カラ松×人魚一松


【 Episode 04 】

夜になり、カラ松は船員たちの手伝いを終えて部屋に戻ってきた。おそ松には手伝わなくていいと言われたが、部屋でじっとしているだけでは物事をどんどん悪い方へと考えてしまいそうだったからだ。そっと水槽を覗けば、一松は身体を丸めて瞳を閉じている。眠っているのかもしれないと思い、なるべく音を立てないようにしながら一番下の木箱へ腰かけた。ゆらゆらと水に揺れる身体に触れたくても硝子越しでは不可能だ。朝の会話を思い出したカラ松は、歩み寄れない距離を歯痒く思いながら拳を握り込む。

「―――カラ松、」

静かな声に名前を呼ばれ、カラ松は顔を上げる。いつの間に目を覚ましたのか、一松がこちらを見つめていた。名前を呼ばれたのは初めてではないだろうか。そもそも、名前を覚えていてくれたのか。一松は無表情なままだったが、朝のような激情や疲労の色が浮かんでいないことに少し安堵する。

「一松……起きていたんだな」
「もう、帰ってこないかと思った」
「何故だ?」
「呆れたでしょ、おれに」
「呆れてなんかいない。オレが勝手にお前の中に入ろうとした。人魚を狩るような人間が、人魚を知りたいだなんて……一松は怒って当然だ」
「……ちがう。違うよ、カラ松。悪いのはおれ……カラ松は悪い人間じゃないって、分かってたはずなのにおれ酷いこと言った。お前は、優しいのに」

今にも泣き出しそうな声だった。俯いてしまった顔を水槽越しに覗き込もうとするが、一松が腕で隠してしまったので見えなかった。透明な壁に阻まれているせいで、流れているであろう涙を拭えないのがもどかしい。水中に暮らす人魚の涙を拭えるかどうかは分からないが、それでも。

「あぁ、泣かないでくれ一松。お前は悪くないさ。信条が異なるとはいえ、人魚のお前からすればイヤミもオレ達も同じ人間だ。拒絶するのも無理はない。それに心を知りたいだなんて、オレの勝手な……」
「カラ松―――」

目元を赤く染めた一松が上目遣いでカラ松を見上げる。宝石のような瞳に見上げられて言葉を紡げず、カラ松は崩れ落ちるように水槽に両手をついて項垂れた。それを見た一松は、同じように内側からそっと硝子に触れた。2人が手を当てた部分が淡く発光し、奇妙な温かさを感じてカラ松は慌てて顔を上げた。手を離そうとしたが、一松が微笑を浮かべていることに気付いて思わず硬直する。一松は何かをカラ松に見せたいのだろう。次第にカラ松の頭の中に頭の中流れ込んできたのは、まだ幼い人魚の姿だった。雄の人魚だろう、小さな身体で沖の方へ泳いでいく。周囲に親と思しき人魚の姿はなく、危険なのは火を見るよりも明らかだ。無邪気な表情の人魚は、よく見ると一松によく似ている。おそらく、これは一松自身の記憶なのだろう。幼い一松は好奇心旺盛なのか、陽が落ちてきても沖近くで泳ぎ回ってはしゃいでいた。そこへ遠くから波を伝って震動が届き、視線の先には大型の船があった。掲げる帆も旗も漆黒で、近づくにつれ旗に印された髑髏がはっきりと見えてくる。しかしその印にも臆することなく、一松は自分から船へと近づいていった。海面から顔を覗かせ、上の様子を窺っていると人間の声が聞こえてくる。しかしその声は明らかに不穏で、怒声と罵声が入り混じっていた。ただならぬ気配を感じたのか、一松は不安そうな表情を浮かべて引き返そうとした。―――その時、船から顔を出した男がその瞳に一松の姿を捉えた。初めて目にする人間という未知の生き物に見つかり、一松は石にされたように動かなくなった。それを見た男はニヤリと口角を吊り上げたかと思うと、大海に響き渡るほどの大きな声で叫んだ。

『人魚を見つけたぞ!捕まえてその血を抜いてしまえ!』

一松の顔は一瞬にして恐怖に歪み、その言葉の恐ろしさに宝石のような瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。そこからは靄がかかったように一松の姿が揺らぎ―――気がつけばカラ松は、先ほどと同じ体制のまま一松の前に立っていた。

「見えたでしょ?」

自嘲するように笑った一松は、水槽越しにカラ松の手を撫でるような動きをすると尾びれを揺らした。カラ松が慌てて手を引くと、もう勝手にしないよと力ない声で呟く。

「今のは、昔の一松か…?どうして能力を……」
「言い訳じゃないけど、でもお前には知っておいてほしいって思ったから。おれが、人間を嫌う原因」
「いち、ま……つ……」
「もう大丈夫、分かってるよ。でも、知ってほしかったんだ。カラ松に」

低い声で囁かれ、カラ松はそのまま意識を手離す。目蓋を閉じる瞬間、視界の端には泣きそうな顔で淡く微笑む一松の姿が映った。


×


「―――ラ松……カラ松!!」

遠くの方から呼ぶ声にカラ松の意識がぼんやりと覚醒する。薄らと目を開けると、おそ松が自分を抱えて名前を呼んでいた。ぐらぐらと揺さぶられ、カラ松はゆっくりと身体を起こす。

「…………おそ松?どうして此処に…」
「朝になっても姿が見えなかったからだよ!来てみれば水槽の前で倒れてるし……人魚は相変わらず呼んでも無反応、こっちを見もしないし」
「オレ、倒れてたのか?」
「そうだよ。なに、お前全然覚えてねーの?」
「あぁ……最後に一松と話したことしか……」
「―――なるほどね」

おそ松は水槽の奥で丸くなって眠っている一松を一瞥し、低い声で呟く。どうかしたのかと尋ねようとした瞬間、急に身体が浮き上がってカラ松は思わず悲鳴を上げた。

「ぅおッ!?ちょっ、おそ松何して……離せ!!」
「嫌なら抵抗してみろよ」
「はぁ!?こんなの簡単に―――ッ!?」
「できねーだろ」
「……なんだ、これ……?」

力が少しも入らない。抱えられたまま腕はだらりと垂れ下がり、かろうじて首だけはなんとか動かせるが、全身が痺れたように重だるい。初めての感覚に困惑するしかないカラ松を抱き直し、おそ松は一松へ向かって大きな声で叫ぶ。

「人魚ちゃーん、ちょっとコイツ借りるからねー」
「は!?ちょっ……待て、おそ松!オレを何処に連れていく気だ!?まだ一松と話が」
「いいから黙ってろ」

カラ松の言葉を遮り、おそ松は部屋の外へと向かっていく。カラ松が抵抗しようにも叶わず、せめてと一松の方を見れば薄目を開けた彼がこちらを静かに見つめていた。一松!と叫ぶが、彼はゆるく首を横に振って再び目を閉じてしまった。

「随分とご執心みたいだねぇカラ松。あの人魚ちゃんがそんなに可愛い?」
「"人魚"じゃない、一松だ」
「へーへー、イチマツちゃんね。俺には一言も喋らねーのに、すっかり懐いたな」 
「懐いたなんて言い方をするな。オレは一松を……ッ!」

反論する言葉はそこで止まらざるを得なかった。乱暴に降ろされたのは硬いソファの上だった。痛みに腰を擦りながら顔を上げ、そこにチョロ松の姿もあることに気付いた。周囲を見渡せば綺麗に片付いた部屋で、本棚には多くの分厚い本が並んでいる。どうやらチョロ松の自室らしかった。

「やっぱり魔法みたいなもんか?」
「いえ、魔女が使う魔法の類とは大きく異なります」
「……何の話だ?」

勝手に話を進めようとする2人を睨み上げると、おそ松は呆れたように顔を逸らした。その態度に腹が立つが、ぐっと堪えてチョロ松に話を訊くことにする。チョロ松は肩を竦めながらカラ松にグラスを差し出し、隣へと腰かけた。なんとか腕を伸ばして受け取ったグラスはひやりと冷たく、無色透明なのでおそらく水だろう。全身が痺れるような感覚を我慢しながら一気に呷ると、一気に全身のだるさが抜け落ちていく。

「どうですか」
「あ、あぁ……随分と楽になった。これはただの水じゃないのか?」
「一般的に麻痺などの緩和に使われる薬を溶かしてあります。効いて安心しましたよ。それで、身体に異変があったのはいつ頃ですか?」
「…………よく覚えていないんだ。昨夜、一松と話していて急に意識が遠のいた」
「彼とただ"話していた"だけですか?」

含みのある言い方に顔を上げると、チョロ松は目を眇めてこちらを推し量るように見ている。一松の能力についてはきっと言外しない方がいいだろう。ただオレはこの2人に協力するという名目で乗船しているが、都合が悪くなれば向こうから手を切られる可能性は大いにある。そうなればオレは勿論、一松の身すら案じられる。

「……他には口外しないと、誓ってくれるか」
「えぇ、勿論」
「おそ松、お前もだぞ」
「はいはい、誓いますよーん」

ふざけた返事に苛立つが、カラ松が手を上げるよりも先にチョロ松が本の角でおそ松を殴っていた。流石は専属航海士、頼りになる。激痛にのたうちまわるおそ松を無視して、オレはやむなく一松の能力について話し始めた。それに伴い、一松がここに来た経緯と人間を憎んでいる原因の全てを。

「なるほど、それで……」
「一松は、少なくともオレのことを信頼してくれている。裏切りたくはないし、目的は合致している。あいつとあいつの兄弟も助けてやりたい」
「貴方の気持ちも分かりました。……しかし問題が一つあります」
「なに?」
「そのいちまっちゃんの能力だよ、カラ松」

いつの間にか復活していたらしいおそ松は、カラ松の肩を抱き寄せながらそう言った。距離が近くて気持ち悪いと押しのけるが、一向に効果がない。仕方ないのでそのままにして、カラ松はチョロ松に話の続きを促す。

「チョロ松。一松の能力……あれは、記憶を共有するものか?」
「そうです。その能力、おそらく疲弊するのは彼だけではなく相手側もなのでしょう」
「相手側というのは、つまりオレのことか」
「えぇ。人魚は不可思議な力を持ち合わせていると……知識としては認識していましたが、今まで半信半疑でした。しかし、貴方の様子を見るに魔力などを持たない人間であっても体力を消耗するようですね」
「……そういえば、一松が言っていた。『どっちも疲れるから何度もしない』と。会話の流れで流してしまっていたが、オレも疲弊してしまうと危惧していたんだろう」
「そうですか。貴方の話を聞く限り、彼は素直な性格のようですし気遣ってのことだったのでしょう。二度目の発動は貴方を宥めるため―――理解してほしい一心だったのではないですか?」
「あぁ、そうだろうな……」
「と、いうことです。残念でしたね、キャプテン。貴方の推理は外れです」

チョロ松にそう言われ、おそ松は大仰に嘆いてみせる。それからカラ松の背中を思い切りバシッと叩いた。もはや叩くというよりは殴るに近い勢いで、カラ松は呻き声を上げた。

「痛い!!」
「うっせー!なんだよ、お前が誑かされてるんじゃねーかって心配してやったのに」
「面白がってた、の間違いでしょう」
「まぁそうとも言うけど」
「ふざけるのも大概にしろよ、おそ松。……オレはもう部屋に戻る。一松はきっと怯えているだろうからな、お前のせいで」
「はぁ!?」

叫ぶおそ松を無視してカラ松は立ち上がる。チョロ松の前を通り過ぎようとすると、不意に腕をそっと掴まれた。視線を落とすと、チョロ松が少し困ったように眉根を下げている。

「なんだ」
「少し待ってください。キャプテンの身勝手は謝りますが、この際に確認したいことが」
「悪いが、手短に頼む」
「はい。その……少々言いづらいことなのですが、船員たちが一松に対して怯えているのです。人魚は厄災を呼ぶのだと触れ回る輩もいまして……」
「あぁ……それはオレも薄々気付いていたさ。昨日、漁港で食料調達の手伝いをした時に、分かりやすくオレを避けている奴が何人もいたからな。そうかと思えば、人魚の鱗は本当に美しいのか、などと不躾に訊いてくる奴までいた」

思い出しただけで気分が悪くなり、カラ松は眉間に深い皺を寄せた。そんなカラ松の様子を見て、チョロ松は気の毒だと言いたげな表情で俯く。

「それは、本当に申し訳ないです」
「チョロ松が謝ることじゃない」
「……しかし、このような状況です。一松を逃がすのか、それともイヤミ討伐ために説得するのか……明日までにご決断をお願いしたいのです」
「随分と急ぐんだな。まさか、船員の暴動が起きる寸前か?」

カラ松が揶揄するように唇の端を吊り上げると、チョロ松は力なく肩を落とす。チョロ松の後ろで話を聞いていたおそ松は、他人事のように肩を竦めた。

「まぁ、キャプテンがこんな調子ですから船員も寄せ集めばかりです。不安が続いては、間違いなく良い方向には向かわないでしょう」
「……なるほどな。了解だ、明日までに決めるさ」
「お願いします。私たちはどちらでも異存はありませんので」
「えっ、俺なんも言ってないけど」
「承知した」
「無視!?無視すんのやめて!?心臓キュッてなるからぁ!!」

喚くおそ松を羽交い絞めにするチョロ松に手を振ると、カラ松は自室へと急ぐ。途中、すれ違う船員たちの目には露骨なまで怯えが浮かんでいた。これは確かに急を要すだろう。カラ松は深い溜息を吐き出した。


×


一松はまだ寝ているだろうと思い、カラ松はなるべく物音を立てないよう静かに部屋に入る。案の定、水槽の中央付近では一松が身体を丸めてゆらゆらと浮かんでいた。部屋を出る直前に見た、あの物憂げな表情が忘れられず、静かに水槽へと近付いていく。眠りが深いのか、一松は目を開ける気配がなかった。水槽越しに顔を覗き込むと、随分あどけない表情で眠っている。起きている時は感情を削ぎ落としたような表情をしていることが多いが、心は幼い頃のように無邪気で純粋なままなのかもしれない。硝子をそっと撫で、彼を苦しめてきた心無い人間やイヤミを憎く思う気持ちは増幅していくばかりだ。この穏やかな表情を守り、もっと幸せな気持ちをたくさん教えてやりたい。そして、心からの笑顔を自分へ向けてほしいと思った。

「―――……から、まつ…?」

ぼんやりと瞳を開いた一松は、しばらくの間カラ松の顔を眺めていた。夢うつつなのかと思い、微笑ましい気持ちでカラ松は名前を呼んだ。その瞬間、一松は大きく目を見開いて尾びれで硝子を叩く。ドンッと鈍い打撃音が響いてカラ松が驚いていると、一松の表情がみるみる歪んでいく。

「一松、大丈夫か…?」
「…………」
「さっきはおそ松が急にすまなかった。オレの身体はもう平気だ」
「カラ松……おれ、ごめん……」
「謝らなくていい。記憶を共有するとオレも疲弊するというだけだろう?さっきは一松も混乱していたんだ。気にしていないさ」
「うん……その、それはそうなんだけど」
「?どうした」
「一個、まだ言ってなかったことがあって。共有する記憶、古い記憶だと更に疲労が強くなるんだ」
「なるほど、だからオレは倒れたのか」
「あの記憶を見せたのは、おれの勝手な判断で……お前の許可もなかったのに、ごめん……」
「いいんだ、一松」

俯きながら謝罪をする一松に、カラ松は宥めるように囁きかける。お前が心を曝け出してくれたことが嬉しいのだと、滔々と語って聞かせてやると、一松はすこしだけ顔を上げて首を傾げる。

「どうして?」
「お前の気持ちが嬉しいんだよ、一松」

だから解ってくれないか、と懇願するように言うと、一松はむずがるような表情でゆるく微笑んだ。その表情の美しさに、カラ松は再び心を奪われてしまう。カラ松はもう少し話がしたい、と木箱の最上段に腰かける。一松も同じように水上へ浮上し、肩から上を水面に出す。僅かに照れているのか、カラ松を見上げる瞳は泳いでいて視線が合わない。

「一松、お前の能力について少し訊かせてくれないか」
「う、うん」
「お前と接する時に、何か注意すべきことは?」
「えっと……まずおれの能力だけど、おれ自身が強く念じなければ発動はしないよ。ただ、すごく怒ってるときとか―――制御できないほど感情が昂ぶってると暴走することもある、みたい」
「"みたい"?」

曖昧な言い方にカラ松が首を捻ると、一松はゆらゆらと身体を揺らしながら視線を落とす。

「おれ自身は暴走したことないから」
「そうか。触れる箇所は手のみか?硝子越しでも発動するようだが」
「人間と人魚の場合は手だけだって。硝子ぐらいなら障害にはならないみたい。おれも、今回初めて人間に使ったけど……」
「他にも、人間に対して能力を使った人魚がいたのか?」
「古い書物に載ってたのを読んだんだ。……実際にそんな人魚は周囲にいない。その、人間と関わりのある人魚なんて」
「そうか」

カラ松はおもむろにジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げる。一松は驚いたように水面に鼻から下を沈めてしまう。まさか飛び込むつもりじゃ……と一松が青ざめていたので、カラ松は笑いながら訂正した。

「そんなことはしないさ」
「じゃあ、なんで……」
「物は試しだろ?一松、手を出してくれ」
「えっ」

カラ松が水面に手を差し入れると、一松は困惑したように尾びれを揺らしていたが、おずおずと手を差し伸べてきた。最初に指先同士が触れ合うが、何も起こらないことに一松は安心して息を吐いた。カラ松から手を動かして掌に触れ、手首を確かめるようにゆるく掴むと、一松は顔を赤くして黙り込んでしまった。

「一松?大丈夫か?」
「だ、大丈夫だから……」

手首を離してやり、今度は指と指を絡めるように手を繋ぐ。途端に一松は押し殺せなかった声を上げ、びくりと身体を震わせた。すっかり真っ赤になった顔は、もうカラ松を直視できないようだった。

「……一松?」
「も、もう無理……離して……」

繋いだ指先から震えが伝わってくるが、そんな表情をされれば余計に離したくなくなる。だが、ここで意地悪をすれば一松はからかわれたと傷つくかもしれない。カラ松が諦めて手を離してやると、一松は逃げるように水中に潜り、何度か旋回してから浮上した。少し落ち着いたのか、顔の赤みはすっかり引いている。それを少し残念に思いつつ、カラ松は水中から手を出して眺める。皮膚には何の異常も生じていない。

「手を触れ合わせるのは問題なさそうだな」
「……うん」
「一松、身体に異常は無いか?」
「あの、異常ってほどじゃないんだけど。カラ松の手、ちょっと熱くて」
「熱い?」
「……これも本で読んだから、合ってるか分からないんだけど。人間と人魚って体温の仕組みが違うでしょ?」
「体温の仕組み……あぁ、そういうことか」

一松と最初に出会った時にチョロ松が言っていたことを思い出す。

『人魚は魚と同じで変温動物です。僕たちみたいに自力で体温を安定的に保つことができないので、外気温や水温の影響を受けやすいんですよ』

以前、漁師にも聞いたことがある。魚の種類で適正温度は異なるため比較的熱に強い魚もいるが、低温で暮らしている魚は人間の体温で火傷をしてしまうのだと。それに魚は体の表面を粘膜で保護しているため、粘膜が剥がれると体力を消耗し、雑菌にも感染されやすくなるのではなかっただろうか。

「熱いだけか?火傷したりはしていないか?」
「あ、うん。それは大丈夫。でも……水中でも熱く感じるなんて」
「直接触れることは避けた方がいいだろうな。気をつけよう」

それならば皮膚が見えていない箇所なら問題ないかと思い、カラ松はそっと手を伸ばす。髪を撫でてみるが、一松が硬直してしまって思わず笑みが零れる。その顔は言うまでもなく真っ赤で、火傷は瑣末な問題なのかもしれないと思い直すこととなった。

「も、もういいだろ。離せよ…っ!」
「あぁすまない。しかし、お前の髪は滑らかで綺麗だなぁ」
「そっ……そんなことない、し」

そう言って嫌がる割には強く跳ねのけようとしないので、満更でもないのだろう。濡れた髪だが、絡まったり引っかかることもなく指の間をスルスルと滑っていく。髪が落ちた先のなだらかな肩にも触れてみたくなるが、水面に出ているその部分に触れてしまえば火傷させてしまうだろう。

「髪飾りも美しいな。一松、これは自分で?」
「それは弟が作ってくれて……おれ、そんなに器用じゃないから」
「そうなのか?しかしよく似合っている。弟と仲がいいんだな」
「―――……うん」

兄弟のことを思い出したのか、一松は遠い目をした後はにかむように笑った。身内のことを褒められてこんなにも喜ぶなんて。一松の心根の優しさを改めて感じて、カラ松は微笑む。そして、今から提示しようとしている条件はきっと一松にとって酷なものだろうと胸を痛めた。

「なぁ、一松。話があるんだ」

真剣なカラ松の様子を感じ取ったのか、一松は尖った耳をぴくりと動かしカラ松の膝元へと近付いてきた。水槽の縁に手を掛け、身を乗り出すように何?と見上げてくる。カラ松は髪を梳いていた手を止め、腕を組んだ。

「お前は意識がある時に面識が無いが、おそ松の専属航海士のチョロ松という男がこの船にはいる。先ほど、おそ松も含めて3人で話してきた。今後お前をどうするか、ということでだ」
「……うん」
「オレとしては、お前に助力を請いたい。もちろん、イヤミ討伐の為だ。お前の弟―――十四松が奴に捕らわれているのなら助けるし、もし違った場合も探す手立てを考えよう」
「ほ、本当に…?あ、でも、他の2人は……」
「オレの意見に異存は無いと言ってくれた」
「……そう」

カラ松の言葉に安心した様子の一松だったが、おそ松のことが信用ならないのか眉を寄せている。チョロ松にもまだきちんと会っていないので、不安は完全に拭えない様子だった。

「重要なのはここからだ。イヤミは珍しい人魚の鱗を狙っている。普通の鱗ではなく、自然に剥がれ落ちる希少な鱗のことだ」
「希少な鱗……」
「心当たりがありそうだな。……その中でも1000年に一度と言われるほど稀少なのはゴールドだ。そして、イヤミはその鱗を持つ人魚が見つけたと聞いている。その人魚が小さな群れでいた場所は……一松、お前が住んでいた場所と一致している」
「―――ッ!」

一松の瞳が赤みを帯びたように見える。アメジストのような瞳の奥に、燃え盛る炎のような赤が明滅していた。髪の毛が逆立ち、長い爪は尖り、溢れ出す怒りを抑えきれない様子が見て取れる。

「一松、」
「…………分かってる。大丈夫、おれはまだ理性を保ってる」

激情を押し潰すような低い声で一松は囁く。フーッフーッと荒い息を何度も吐き出し、背中を丸めてこみ上げる感情の嵐に必死で耐えているようだった。やがて落ち着いたのか、だが瞳には赤を携えたまま一松がこちらに視線を投げる。痛いほど張り詰めた緊張感に、空気がビリッと震えるようだった。

「それで、おれは何をすればいい」
「やはり鋭いな、一松は」
「茶化さないで。能力があるとはいえ、おれは非力な人魚で人間には敵わない。そんなおれに情報開示したんだ。……カラ松、何かおれに対して条件があるだろ」

瞳に炎を湛えた人魚が海賊を見据え、海賊は人魚へ答えるため口を開く。

「条件は―――…」


continue...




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