深縹のアメジスト・ラブ<3>

※海賊カラ松×人魚一松


【 Episode 02 】

ひんやりとした潮の流れに身を任せ、ゆっくりと目蓋を閉じる。海底は暗く静かで、視界も塞いでしまえばまるで夜闇の中にいるようだ。底知れないこの場所を恐れて近寄ろうとしない同族も多くいると聞くが、こんなにも心地いい場所を知らないなんて不憫だとすら思える。ぼんやりと考えを巡らせながら、一松はゆっくりと目を開ける。海底から見上げるこの景色が大好きだ。遥か頭上を泳ぎ回る小さな魚の群れ、岩に擬態する不思議な色の深海魚、たまに姿を現す大きなくじら―――人魚である自分と異なる姿を持ちつつ、同じこの海の中に生きている。それだけで不思議と心が安らぐ。

「……さーん…………にいさーん……」

ふと意識を浮上させると、遠くから高い少年の声が聞こえてくる。だんだん近づいてくるその声は、末の弟のものだった。美しい薄桃の鱗を纏ったその人魚は、髪飾りを優雅に揺らしながら一松の隣へ泳ぎ着く。

「トド松」
「またこんな所にいる!暗くて探しにくいじゃん」
「別にいいだろ、ここが落ち着くんだから」
「兄さんを探すボクの身にもなってよね!まったく……」

尾びれを不満そうにゆらゆらと揺らすトド松のせいで波が生まれる。不機嫌な時の弟の癖だった。

「……わかったよ、ごめん。それよりも何かあったの?」
「あっそうだ!兄さん、大変なんだよ…!」

一松が首を傾げて尋ねると、トド松は本来の目的を思い出したのか大声を上げた。その声に驚いて一松は身を竦める。大人しく引きこもりがちな一松に比べてトド松は社交的で明るい性格だ。両親を失ってから一松の決定でこの集落に住んでいるが、トド松は頻繁に他の集落へ遊びに行っては一松の知らない人魚と交流を深めている。一松はそんなトド松を心配していたが、思慮深く慎重な性格なのでトラブルは起きていなかった。そんなトド松がひどく焦っているということは、問題はもう一人の弟に起こったに違いない。

「―――十四松に、なにかあった?」

トド松の話によれば、十四松は昨日の朝から戻っていないのだという。現在の時刻はもう夕刻にもなろうという頃で、十四松が丸一日も帰らないのは初めてだった。予想もつかないことばかりをする弟だが、家族を心配させるような真似はしない。狼狽するトド松をなんとか宥め、先に住み処へ戻っておくよう促す。一松は珊瑚の密集する岩に腰かけると、大きく手を広げて精神を集中させた。一松の髪飾りにある宝珠が淡く発光しはじめ、その光が少しずつ波を打ちながら拡散していく。暫くすると一松の周囲に、ポウ…と明滅を繰り返す光が浮かび上がっていく。

「おれの弟が戻ってこないんだ。誰か、教えてくれないか」

一松が囁くようにそう言って耳を澄ませば、その光からさざ波のような声が聴こえてきた。ともすれば掻き消されてしまいそうなそれをすべて聴き終えると、一松は全身の力を抜いて岩にしなだれかかった。岩の凹凸が滑らかな肌に食い込むが、それに構う余裕もなかった。一松の特殊な能力は使用するとひどく体力を消耗する。友人たちの情報によれば、十四松は昨夜の朝から昼の間に海面近くを泳ぎ回っていた。夕方近くに浅瀬の方へと向かっていったのが最後の目撃情報らしい。夕方を過ぎれば陽が落ち、海は一気に暗さを増す。その夜になると海賊たちが出没するのが、十四松が向かった浅瀬付近だ。そして、それ以降の目撃情報は皆無だという。

「どうして浅瀬に……あれほどダメだと言っていたのに」

住み処へと戻った一松は、トド松が泣き疲れて眠っているのを確認すると自分のベッドへ倒れ込んだ。海藻で編んだ肌掛けを手繰り寄せ、身体を隠すように覆ってしまえば少しだけ気が休まる。だが、それだけでは容易に眠れそうにない。目を閉じてみても、脳裏に浮かぶのはあの天真爛漫な笑顔だった。奇想天外な弟は、ひょっこり戻ってきそうだとすら思える。それなのに、実際には戻ってくる気配すら感じられない。気が遠くなるような眩暈を覚え、靄がかかるように一松の意識は遠のいていった。


×


翌日、明け方に目を覚ました一松はトド松がまだ起きてこないことを確認すると、近くにあった石に短いメッセージを刻んだ。それから、音を立てないように静かに住み処を離れる。一松がこの集落を出ることは滅多にないため、早朝にも関わらず友人たちが心配して集まってきた。それを有り難くも申し訳なくも思いつつ誤魔化し、一松は3時間ほど泳いで他の人魚が住む集落へとやってきた。知らない人魚との会話は苦手だったが、弟を探していると一松が明かせば親身になって話してくれた。話を聞いている内に、集落の子どもが十四松とよく遊んでいたという情報を手に入れた。その子が見せてくれた白い球体は人間が遊びに使う道具らしく、十四松はその子どもとそれを使って遊んでいたらしい。そして一昨日もその遊びをした後、沖へ向かう十四松を見送ったという。それ以降、姿は見ていないらしい。

「……そう、ですか」
「力添えできずにすまないね」
「い、いえ。その、ありがとうございました」
「君も無理はしないように。弟さんも無事だといいね」

人魚たちの優しさが胸に痛かった。十四松が姿を消してからもう二日が経過している。昨日、友人から聞いた話の中には聞き捨てならない噂もあった。その噂が真実だとすると、十四松は無事だとは思えなかった。眩暈がするのを堪え、一松はその集落を離れる。時刻は昼を過ぎていて、沖の方へ出てくると他の人魚の姿はだんだん減ってきた。見慣れない魚たちに何度か尋ねてみるが、十四松に関する情報は何も得られなかった。そうしている内に陽が傾き、次第に海中が暗くなってくる。そろそろ帰らなければと思った瞬間、一松の身体に震動が届いてきた。久しく感じたことのなかった揺れ―――だが一松にはすぐに分かった。この揺れは間違いなく、中型の船のものだ。船を察知したのか、周囲から魚たちが消えていく。だが船を認知した一松は身体が消耗していることも構わず、そちらへと泳ぎ出した。判断力が鈍っている自覚はあった。しかし、一松の身体は弟を求めて自然と海面へ近づいていた。遠くから魚たちが警告する声が聞こえた気がしたが、一松の耳にはもう何も届かない。船までの距離が数メートルに近づいたその瞬間―――一松の身体は網に捕らえられ、締め付けられて強い力で海上へと引き揚げられることになった。


continue...




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