I want to make love to you tonight. <後>

※ステ煙草ネタ



「臨也?そういえば最近は見てないね」
『仕事の依頼は受けるが、全てメールでしか受けていないな』
「……そうか」
「どうしたの、静雄。急に臨也のことを聞いてくるなんて」
『確かにあいつが姿を消していると不気味だが』
「いや、なんでもないんだ。姿を見てないならそれでいい」

邪魔したな。そう言って去っていった静雄を見送り、新羅とセルティは顔を見合わせる。正しくはセルティに顔が存在していないが―――新羅はセルティの顔があるべき位置にしっかり視線を向けていた。

『静雄……何かあったんだろうか』

突然訪れてきたと思えば、投げかけてきたのは「臨也を見ていないか」という質問だ。普段であれば臨也の名前を口にするだけで忌々しげな表情をするというのに、今日の静雄は驚くほど落ち着いていた。明らかに様子がおかしい。そう思ってはいたものの二人が指摘できなかったのは、静雄の纏うどこか切羽詰まった雰囲気に気圧されたからだ。

「うーん……でも、臨也に直接何かされたわけじゃなさそうだ」
『そうだな。もしそうなら、もっと怒っていてもおかしくはないだろう』
「……あの様子だと、その逆かもね」
『逆、と言うと?……臨也の姿が見えないから、怪しんでる…?』
「多分。彼の野性的勘はすごく当たるからね。……あぁ、でも」

何かを思い出したのか、新羅は指で顎を撫でながら視線を上げる。セルティは肩を揺らし、不思議そうにPDAへ文字を入力した。

『どうした』
「四木さんが臨也と会ったって言っていたのを思い出したよ。一昨日だったかな」
『そうなのか?池袋で?』
「うん。でも、粟楠会の事務所に来てたって話だったし……静雄の行動範囲とは少し離れてるね」

普段であれば粟楠会の事務所に来るついでに静雄をからかっていてもおかしくない。それでも静雄が会っていないというのなら、臨也はその選択肢を自分で潰したということだろう。セルティは胸の内に湧き上がった過程をPDAへ打ち込む。

『……臨也が、意図的に静雄を避けてる?』
「その可能性はあるんじゃないかな。まぁ、粟楠会との真面目な取引を静雄に邪魔されちゃ堪らないだろうしね。……少し前までやたらと絡んでいたせいで、そう見えるだけかもしれないけど」
『静雄にとっては、良いことのように思えるけど』
「嵐の前の静けさとも言うしね。臨也が大人しくしている時はその後に嵐が吹き荒れると決まっているから……静雄はそれを危惧しているんじゃないかな?」

高校時代を思い出したのか、新羅は懐かしそうに目を細めて笑った。セルティは胸中がざわめくような感覚を覚えながら静かに頷く。新羅の予想が当たっているかは分からないが、良い友人だと思っている静雄に何かがあってほしくはない。少なくとも彼がこれ以上傷つくことがないように祈りながら、セルティはPDAの電源を静かに落とした。

×

いつの間に充電が切れていたのか、開いた携帯の画面は電源が落ちて真っ暗だった。もう何年使い続けているのかも分からない携帯は寿命が近いらしく、毎日100%まで充電しなければ夕方まで保たない。軽く舌打ちをして携帯を閉じ、静雄は両手をポケットに突っ込んだ。仕事終わりで家に帰るだけだが、ここ数日は真っ直ぐ帰宅せず池袋を徘徊するのが常になっている。禁煙を始めてから、既に十日が経過していた。苛立ちは日々募るばかりだったが、静雄は強い意志でなんとか禁煙を続けている。しかし、静雄を悩ませているのは別の部分に原因がある。

「……門田?」

珍しく一人で歩いている同窓生の姿を見かけ、静雄は声を上げた。あまり大きな声ではなかったが、耳聡い彼はすぐにこちらを振り返る。静雄を見ると、門田は少し驚いた様子で目を瞠った。

「静雄。お前がこっち来るなんて珍しいな。何か用事か?」
「いや、そういうわけじゃねえんだ」
「……そうか。静雄は仕事上がりか?俺は今から夜勤だよ」

肩に担いでいた鞄を揺らして門田は快活に笑った。二人きりで話すのは随分と久しい気がして、そのまま他愛もない会話をしばらく交わす。十分ほど経過した頃、会話の途中で門田の視線が時計台へ移動した。それに気付いた静雄は、今から夜勤だと言っていたことを思い出して口を噤む。

「どうした?静雄」
「お前、今から仕事なんだろ。引き留めて悪かった」
「あと少しなら平気さ。しかし静雄、禁煙続けてるんだってな」
「あ、あぁ」
「臨也の奴、邪魔してくるだろ?あいつ、性懲りもせず今日もうろついてたしなぁ」
「―――え?」

門田の言葉を耳にして、静雄は掴みかけていたフルーツガムを取り落としそうになった。動揺を隠しきれず、思わず食い気味に門田へ質問を投げかける。

「臨也の奴、今日池袋に居たのか!?」
「あ、あぁ……。静雄は、見てない…のか?俺はてっきり、今日もお前にちょっかいを出しに行ってたのかと思っていたが」
「……俺は、ここ五日間は見てねえ」

静雄が唸るような声で吐き出すと、門田は不思議そうに首を傾げた。記憶を辿るように視線を虚空へ向けながら言葉を紡ぐ。

「俺がこの五日間で臨也を見たのは今日だけだが、狩沢は一昨日見たと言っていた。池袋には来ているが、お前にちょっかいを出してこないのは珍しいな」
「……あいつ、どっかおかしかったりしたか?」

静雄の質問があまりにも要領を得なかったので門田は違和感を覚えた。しかし、質問に質問で返しては静雄の怒りを買うかもしれない。門田は咳払いをし、午前中の出来事をゆっくりと思い返した。

「いや……そんなことはなかったよ。ファーコートじゃなくスーツを着ているのは珍しかったが、いつも通りだった。ただ―――お前の話をした時には少し様子が変わったような気がしたな」
「……どんな風に」
「そうだな、動揺……しているように見えた。俺の見間違いかもしれないが、早く話題を変えたがっているような空気を感じたな」
「……そうか……」

門田が静雄がいきなりキレるのではないかと危惧していたが、予想に反して彼は首肯しただけだった。僅かに俯いているせいで表情は窺えないが、怒りを押し殺しているようにも見えない。そこで視線を再び時計台に移し、時間が差し迫っていることに気付いた。

「すまない静雄。もう時間だ」
「あぁ、仕事頑張れよ」

片手を挙げてみせた静雄は穏やかな笑みを浮かべている。しかし、鳶色の瞳のその奥はどこか笑っていないようにも見えた。門田は背筋にうすら寒いものを感じながら静雄に背を向ける。二人の間に何があったか定かではないが、これから起こるであろう出来事を想像しただけで落ち着かない。せめて臨也が殺されないようにと微々たる祈りを送りながら、門田はその場を後にした。

「俺だけを避けてるってことか」

一人残された静雄からは覇気のない呟きが零れる。強く握り込んでいた手の平を開き、視線を落として溜息を漏らした。池袋に来るなとは言ったが、本当に来なくなるとは思わず動揺していた。しかし実際には静雄を避けていただけで池袋自体には足を運んでいるらしい。きな臭い仕事ばかりをしていると周囲から聞いているので、静雄と会うと面倒なことになる仕事を請け負っているのかもしれない。頭ではそう理解しているはずなのに、静雄の胸を締めるのはそれを遥かに凌駕する怒りだった。燃え上がる炎のような怒りではなく、氷にも似た冷たい怒りを感じるのは初めてだ。それは静雄が自覚したばかりの恋慕に起因している。薄いブルーのレンズを取り去ると、静雄は低い声で嗤った。猛獣によく似た凶悪な笑みは、ただ一人の人間へと向けられている。

×

太陽の光は日中よりも赤く、そして淡く暖かい色を孕んでいる。空全体が金色に輝いて見えて、それをマジックアワーと呼ぶ―――高校時代、臨也が得意げに言っていたことを静雄は思い出す。当時はどうでもいい蘊蓄だと受け流していたのに、妙に頭に残って離れない記憶の一つだった。行き交い人々の忙しない空気を感じるのは随分と久しい気がする。電車で一駅、十分という短い距離なのに随分と長く感じた。新宿駅を出た静雄は駅のロータリーをゆっくりと歩き、夜も近い街の空気を胸いっぱいに吸い込む。池袋の雑多な喧騒とは異なる、忙しくも活気のある雰囲気が新宿には溢れていた。人間が好きだと豪語する臨也が好むには相応しい街で、だけれど彼が唐突に池袋を去った日を思い出して静雄の胃がキリリと痛む。余計な感傷に浸っているせいか、今日はやけに苦い記憶ばかりが脳裏に蘇ってしまう。静雄は煩雑な思考を振り払うように首を左右に激しく振り、新羅に教えてもらった住所を目指して歩き出す。駅からそう遠くない距離を歩き続ければ、高層ビルが立ち並ぶ通りへと出る。少し寂れた衣服店やラーメン屋の傍らにその建物はあった。セキュリティが厳重なこの高級マンションに訪れるのは何年ぶりだろうか。いくら静雄でもセキュリティを無理に突破しようものならすぐに捕まってしまう。衝動的に飛び出してきたせいで何も考えていなかった静雄は必死に頭を捻り―――その瞬間、鼻孔を掠めた淡い香りに振り返った。ジャスミンによく似た甘い香りを纏う人間を、静雄は一人しか知らない。

「……シ、ズ…ちゃ」

妙に引き攣ったその声は、今にも掻き消えてしまいそうなほど儚かった。静雄は三メートルほどあった距離を一気に大股で詰めると、逃げようとした臨也の腕を掴んだ。咄嗟に暴れようとするので僅かに力を込めると、骨が軋みかける嫌な感触が手に伝わる。静雄は慌てて力加減をして溜息を吐き、腕を引き寄せるのではなく自分の身体を臨也へ密着させた。至近距離からじっと見下ろしてみるが、臨也は視線をコンクリートの地面に向けたままだ。静雄の方を振り返ろうとしない態度は頑なで、真っ黒なコートから覗く白すぎるうなじはこちらを拒絶しているように見える。

「臨也」
「…………」

沈黙が重い。何かを言おうとして、上手い言葉が何も浮かばないことに気付いてしまった。とはいえ臨也を傷つけたいわけでもなく、今の状況をどうにかしたい。静雄は低い唸りを上げながら臨也の腕を握り直す。肘の上辺りを掴んでいたのを、手首へ握り直した。唸り声に困惑したのか、臨也の首がぴくりと微かに動く。無反応というわけではないことに少し安堵し、静雄は唇を開いた。

「家、入れろよ」

乱暴な言葉だと自分でも思った。怒りは確かにあるが、脅すような真似がしたかったわけではない。僅かな後悔を覚えながら見下ろしていると、焦れるほどゆっくり臨也が振り返った。夕闇の中でいつもより濃い色になった緋色が、戸惑ったような表情を伴って静雄を見上げる。

「……なんで」
「話がある」
「俺は、ないんだけど」
「手前になくても俺にはあるんだよ」

このままでは平行線になるかと思った矢先、臨也はふっと瞳を伏せて笑った。どこか諦念が滲んだ表情ではあったが、ちらりと静雄に視線を移しながら空いている手でカードキーを振ってみせる。

「いいよ」

そのまま歩き出した臨也に先導され、静雄はマンションの中へあっさりと入ることが出来た。拍子抜けするほどスムーズな展開に正直驚いていたが、それを臨也に指摘されると面倒だ。静雄は表情を繕いながらエレベーターに乗り込み、臨也に続いて部屋へ入った。玄関を抜けると、オフィスになっているという広い部屋に出る。あまり生活臭の感じられない部屋の中は綺麗に片付いていた。そういえば秘書を雇っていると風の噂で聞いたことがあったか。静雄がぼんやりと思考を巡らせていると、不意に手を振り払われた。視線を向けると、臨也が警戒を滲ませた目つきでこちらを睨んでいる。

「おい」
「……なに?別に逃げやしない。用があるなら今話して」

さっさと話を終わらせたいという態度が目に見えて苛立つ。静雄は歯噛みしながら臨也を睨み返し、乱暴に自らの髪を掻き乱す。何から話すべきかと迷いあぐねた結果、唇から漏れたのは要領を得ない言葉だった。

「禁煙、続いてるぞ」
「―――言いたいことって、それだけ?」

呆れ返ったと言わんばかりの表情で赤い瞳が眇められる。静雄はぎこちなく首を横に振ってその問いを否定し、綺麗に磨かれたフローリングへ視線を落とす。

「だから……手前が邪魔しても無駄だってことだ」
「君が来るなって言ったから俺はそれを守ってるじゃないか。実際、邪魔してないでしょ」
「池袋には来てるだろうが」
「俺だって仕事があるんだよ。君には会ってないんだからそれでいいだろ」
「よくねえ!」
「はぁ?」

怪訝さ半分、苛立ち半分といった声を上げて臨也は静雄を睨めつけた。理解不能だという風に肩を竦めると、その場に立ったままの静雄を無視して革張りのソファーへ腰を下ろす。優雅な仕草で脚を組み、胡乱げに静雄を見上げた。

「いい加減にしてくれるかな。いきなり押し掛けてきたと思ったら、何それ?つくづく会話が噛み合わないとは思っていたけど、これほどだとは思わなかったよ。君が来るなと行ったから君の前に姿を現さなかった。禁煙の邪魔もしてない。それなのに、一体君は何が不満なの?」

静雄はソファーに近寄ると、空気がひりついているのも構わずに腕を伸ばした。咄嗟に臨也が身構えそうになったのを察知すると、ぴたりと腕の動きを止める。行き場のない腕は虚空を掴んだままになり、静雄は力なく溜息を吐いた。いよいよ臨也は表情に困惑を強く滲ませ、口元を引き攣らせる。

「暴力に出るわけでもない……ねぇ、どうしたのシズちゃん。今日の君、すごく気持ち悪いよ。何か悪いものでも拾い食いしたのかな?」

臨也はわざと挑発する言葉を選んでいたが、今の静雄にはその挑発に乗れるほどの余裕はない。腕を下ろして臨也の隣に腰を下ろすと、ソファーがぎしりと軋んで音を立てる。臨也は予想外の行動に目を見開き、静雄から距離を取ろうとした。それを逃がさなかったのは静雄で、臨也が持たれていた背面に手をついて動きを制限した。

「……どういうつもり?」
「手前が……池袋自体に来ないならよかった。でも、手前は池袋に来て俺だけを避けた。だから腹が立った。禁煙だってそうだ。俺なりに努力して続けてるのに手前は邪魔してきやがる。腹が立つ」
「―――前者はともかく、後者はまだ理解できるよ。殴りに来たんならどうして殴らないんだ?本当に不気味だ。この状況は何?君は、俺をどうしたいんだよ」

ルビーのような瞳が推し量るように静雄を見上げる。夕陽は完全に水平線の向こうへ沈んでおり、窓からはもう光が差し込んでいなかった。蛍光灯の白い灯りに照らされた臨也の表情には色が感じられず、静雄はそれを少し不気味だと思う。言葉を紡ごうとして失敗して、先に動いていたのはまたしても腕だった。臨也の後ろについていた手で細い肩を掴み、強引に引き寄せる。予想外の行動に反応が遅れた臨也はされるがままに静雄の胸の中に倒れ込む形になり、そこから長い沈黙が続いた。てっきりナイフを持ち出されるか暴れられるかと思っていた静雄は臨也の大人しさに面食らい、結局また言葉に詰まる羽目になる。

「た……煙草の臭い、しねえだろ」

どんな切り出し方だと自分でも思ったが、口から出てしまった以上はどうしようもない。臨也は静雄の胸に顔を埋めたまま微動だにしなかったし、同じように静雄も動くことが出来なかった。どうしたものかと嘆息した時、静雄はシャツに熱い何かの感触を感じた。ナイフを突き立てられたのかと一瞬思ったが、臨也が身体を動かした様子はない。じゃあ、これは何だ?掴んでいた肩をそっと引き離してみて、静雄は違和感の正体に気付いた。いつの間にか前が開いていたベストの内側、真白いカッターシャツに染みが出来上がっている。液体は透明で、その染みは臨也が今まで顔を埋めていた位置にある。肩に置いていた手をスライドさせて、細い顎にひたりと指を添えた。瞬間、何かによって濡れる感触を感じる。粘性のないさらりとした液体は静雄の指を伝い、重力に従って革張りのソファーにぽたりと落ちた。指先に軽く力を込めるだけで臨也の顎は上向きになり、ひた隠しにされていた表情が露わになる。呆然と見開かれた赤い瞳から、また一滴の雫が流れていく。初めて見る臨也の涙に静雄は動揺を隠せなかった。涙を拭うこともできないまま、臨也の顔を食い入るように見つめることしかできない。臨也は涙を拭うことも鼻を啜ることもなく、ただほろほろと透明な雫を流し続ける。瞳はどこかぼんやりとしていて、静雄の方を見ようとはしない。意識が遠くにあるのか、臨也はただ涙を流し続けることしか出来ない様子だった。

「おい、泣くなよ」

急激に喉の渇きを覚え、吐き出した声は掠れてしまっていた。静雄は指を濡らしてくる雫をどうにかしようと、柔らかな臨也の頬に触れる。陶磁のような滑らかな感触は初めて感じるもので、ほんの少し触れただけで指先が震えそうになった。この数年間、壊そうとして触れたことはあれどそれ以外の意図を持って触れたことなど一度もない。雫を拭うと皮膚の下から暖かい体温が伝わってきて、それから臨也の瞳がゆっくり動いた。真っ赤な虹彩が収縮し、そこに自分の顔が映り込んでいる。吸い込まれてしまいそうな感覚に陥り、静雄は自然と臨也の身体を抱き寄せていた。鼻先が触れ合うほどの距離で二人は見つめ合う。臨也は相変わらず何を考えているのか分からない無表情だったが、静雄はそれでも構わないと思った。

「臨也」
「……シズちゃん」
「煙草の臭い、しないだろ。それとも、泣くほど俺が嫌か?」

肯定されても仕方ないと思った。今まで毎日殺し合っていた相手に抱き寄せられて嫌悪感を覚えない方がおかしいだろう。口汚く罵られても構わない。そんなことさえ思っていた静雄だったが、ようやく視線が合った臨也が見せた表情を目にしてその思考は吹き飛んだ。困ったようにふわりと微笑み、それから苦々しそうに口元を歪める。拒絶というには甘すぎる表情に、静雄の胸には僅かな期待が生まれていく。

「そうじゃないよ」
「じゃあ……なんで泣いてんだ」
「逆だよ。シズちゃんが思っているのと真逆の理由だ」
「……真逆…?」

分かるだろ?そう言いたげに臨也は微笑んだ。静雄は必死に思考を巡らせ、思い浮かんだ一つの理由に言葉を失う。静雄の考えを見透かしたように、臨也は優しく笑いかける。白魚のような細い指先が静雄のこめかみに触れた。ひんやりとした感触に優しく撫でられて、静雄はゆっくり視線を下げる。

「……もう分かった?君の考えは見事に外れていたってことさ」
「そんな、だって、お前は……煙草が嫌いなはずだろ」
「うん……そうだね。煙草は嫌いだよ。でも、一つだけ例外があった」
「例外…?」
「君のことさ、シズちゃん」

少し痛んだ金髪を優しく梳きながら臨也は言った。静雄は意味を飲み込めず、呆然と臨也を見下ろすことしか出来ない。

「どう、いう……意味が分かんねえ」
「あはは。だからさ、煙草自体は嫌いなんだ。それは高校時代から変わってないよ。でも、俺はシズちゃんのことが好きだったから。君が吸う煙草の臭いだけは好きだったんだよ」
「―――……好き?」
「そう、君のことが好きだった。君の吸う煙草が好きだった。だから禁煙を阻止したかった。……これで分かる?」

(あぁ……そうか、そういうことだったのか)

窺うように見上げてくる瞳の中に微かに不安の色が見えた、気がした。静雄は細い身体を強く抱き締め、その肩に顔を埋める。腕の力の強さが苦しいのか、静雄の髪が首筋に触れたのか、臨也は僅かに声を上げた。

「なんで、過去形なんだよ」
「……え?」
「好き"だった"って、なんで過去形だ。もう俺のこと、好きじゃないのかよ」

暫しの沈黙が落ちて、臨也は静雄の腕の中で小さく身じろいだ。僅かに腕の力を緩め、そっと顔を覗き込む。静雄と視線が合うと、気まずそうに逸らされてしまった。焦れた静雄が臨也を押し倒せば、否が応でも視線がかち合う。観念したように臨也は静雄を見上げ、小さな呟きを漏らす。

「好き、だけど」
「じゃあ過去形にすんな。勝手に終わらせようとすんじゃねーよ」
「だって、俺は一生言うつもりなかったから」
「俺は好きだ、臨也」
「……!」

流れ落ちていた涙はいつの間にか止まっていた。臨也は驚きに目を見開き、静雄をじっと見上げた。信じられない。そう言いたげな表情に静雄は苦笑して、涙が乾いた痕を指先で撫でる。

「お前に言うつもりがなかったとしても、俺は言うぜ。臨也、お前が好きだ。だから煙草もやめようと思ったんだ。煙草嫌いだって言ってたよな、高校時代から。だから、嫌がることをするのはもうやめようと思った。……でも、お前が好いてくれてたってんなら、考え直す必要があるかもなぁ」

臨也は静雄の言葉に目を細めて、くすぐったそうに微笑んだ。それから大きく息を吐き出し、ぐりぐりと静雄の胸に頭を押し付ける。

「馬鹿じゃないの」
「馬鹿はどっちだよ。勝手に終わらせようとしやがって」
「……俺のこと好きだから煙草やめようとしたなんてさぁ、シズちゃんってほんと甘いよね」
「甘くて悪いか。好きな奴に意地悪したいなんて小学生みたいなメンタルしてねーんだ、俺は」

観念しろよ。そう囁くと臨也は両耳をがっちり抑えて恨めしげに静雄を睨んだ。頬は真っ赤に染まっていて、迫力も何もあったものではない。

「……もうやだ……俺、なんで君を好きになったんだろ」
「俺だってそう思ってる」
「ていうかシズちゃん、俺に意地悪してたじゃん。俺が嫌がると思って煙草の煙吹きかけたりしてたんでしょ?どうせ意味なんか何も知らないでさぁ」
「―――それ、は」
「え?なに……その、反応」
「し、知らなかったんだ。……最初は」
「最初は!?最初はってどういう意味!?」
「い、意味を知ってからはやってねーよ!そんな恥ずかしい意味だって知らなかった、それは本当だ…!」
「……俺が嫌がるからって、それだけの理由でやってた…んだよね?」

どもる静雄に念を押すように臨也は尋ねる。動揺を露わにしたままではあったが静雄はこくりと頷き、それによって臨也はようやく胸を撫で下ろすことができた。あからさまに安堵した様子の臨也を見て、静雄は複雑そうに眉根を寄せる。

「なんでそんなにほっとしてんだ、手前は」
「だって、シズちゃんが自覚的にあんなことやってたら……心臓どうにかなっちゃうよ」

熟れた果実のように赤い頬を両手で包み込み、臨也は俯いた。そのあまりの愛らしさに静雄は臨也の肩を掴んでソファーの座面に縫い付ける。急に動けなくなったことに困惑し、臨也は声を上げて自由な足をじたばたと動かす。

「な……なに!?突然なにし―――」
「禁煙、中止するか」
「は?」
「今度はちゃんと意味を理解した状態で煙を吹きかけてやるよ」
「や……っ、やだやだ!なんで!?」
「"どうにかなっちゃう"手前が見てえから」

さらりと告げられた言葉に臨也は頭が爆発しそうな衝撃を受けた。静雄は意地の悪い笑みを浮かべ、上体を折り曲げて臨也の額に口づける。ちゅ、と場違いなほど可愛らしいリップ音が響いて恥ずかしさに臨也はぎゅっと目を瞑った。

「やっぱり、シズちゃんは意地悪だ」
「……まぁ、お前が本当に嫌ならやめるけど」
「煙草自体は嫌いだよ……今でもね」

臨也はそう呟くと、逡巡するように視線を泳がせた。長く息を吐き出し、静雄に曖昧な笑みを返す。

「でも、君の煙草の臭いが残るのが……嬉しかったんだ。この気持ちは墓まで抱えていくと思っていたから、それだけで十分だと思っ―――……シズちゃん?」

急に抱き寄せられて臨也は瞠目した。静雄の顔を見上げると、何故か苦しそうな表情を浮かべている。どうしたの?と尋ねると、食い縛った歯の間から熱い吐息が零れ落ちる。今度は静雄が泣くのではないかと思い、臨也は僅かに狼狽える。

「ちょっと、どうしたの。俺なんかまずいこと言った?」
「……そんな理由で、俺の煙草が好きだったのかよ」
「うん、そうだけど。……なに、シズちゃん怒ってるの?」
「怒ってねえ!でも煙草はもう吸わねえ。禁煙は続行するからな」
「え、えぇ……?」

(禁煙を続けるのは悪いことじゃないし、もう邪魔しようとも思わないけど……シズちゃんは何を怒ってるんだ?)

静雄の感情が理解できない臨也は暫く首を捻っていたが、やがて諦めて身体から力を抜く。抱きしめてくる静雄の腕に縋るようなものを感じて、そっと大きな背中に手を回した。半ば諦めかけていた想いが奇跡のように結実したことを強く実感する。もう彼の煙草の臭いで自らを慰める必要もない。

「ねぇシズちゃん……俺のこと、今どう思ってる?」

意地悪をされたのだから少しの意地悪は許されるだろう。そんな思いで臨也は静雄に質問を投げかけた。静雄はゆっくり腕を離して、じっと臨也の顔を見下ろす。意味を図りかねている様子だった静雄は臨也の唇が吊り上がったことで意味を理解し、苦々しく表情を歪める。

「わざわざ言わせようとすんな」
「別にいいじゃん。リップサービスだと思ってさ」

ニヤリと微笑んだ臨也を見下ろして、静雄は深く溜息を吐き出す。嫌がっているというよりも照れている様子で、そういう静雄の表情が臨也は嫌いではなかった。

「かわいい……お前を、独占したい」
「う、っわぁ……やば……」
「何だその反応は!言わせといて茶化すんじゃねえ」

頬を紅潮させた静雄に苦笑し、臨也も熱くなりそうな頬をさりげなく誤魔化す。静雄の広い背中を宥めるように撫でながら、臨也は腕にぐっと力を込める。二人の距離が近付き、あと数センチで唇が触れ合う距離になった。

「ねぇ、もう一つは?言ってくれないの?」

臨也が媚びるように首を傾げると、静雄はごくりと音を立てて唾を嚥下した。夜の帳は既に下りている。口にするには相応しい時間になっている自覚もあった。それでも誘われるがままに口にするのは癪で、静雄は開きかけていた口を閉ざした。薄紅色の唇が弧を描いているのが無性に腹立たしい。噛み付いたらどんな反応をするだろう―――そう思えば少し溜飲が下がった。近付いてくる静雄の顔に、赤い瞳が大きく見開かれる。

「……リップサービスなんかじゃ言わねえよ」


end.




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