C'est comme si le destin.<8>

※カラマトゥ×イッチー・カーラ×イチマトゥ


【 side:A - Episode 4 - 】

カーラとイチマトゥが姿を現したのは鬱蒼と木々が生い茂る深い森の中だった。見たことのない風景にカーラは戸惑って何度も周囲を見回し―――対するイチマトゥは懐かしそうにゆっくり目を細めた。

「数百年ぶりか……」
「イチ、ここはどこなんだ?」
「おれたち兄弟が棲む屋敷の近くだよ」

イチマトゥの言葉にカーラは目を見開き、それから声を潜めて近付いてくる。急に肩を寄せられたことでイチマトゥの頬が僅かに朱く染まる。

「バレないか?」
「えっ……あぁ、大丈夫だよ。こっちに来る前に追跡できないようにする防御呪文をおれたちにかけてあるから」
「いつの間に」
「カラマトゥ兄さんのことだから、何をしてくるか分からない。念には念を入れておかないとね」

イチマトゥが両手を前に翳すと、何もないはずの空間に半透明の地図が出現する。現在地が赤く点滅しているようで、じっと地図を眺めていたイチマトゥはやがて大きな屋敷を白い指先で指し示した。ぼうっと青い光が屋敷の上に明滅する。

「ここだよ。おれたちの屋敷」
「随分と大きいんだな」
「兄弟6人で棲んでるから。昔―――もう千年以上前だけど、人間の富豪が住んでいたらしいよ」

イチマトゥの言葉にカーラは興味深く相槌を打ち、地図の屋敷周辺を確認する。どうやら屋敷の近くに小さな小屋があるらしい。カーラの視線の先に気付いたのか、イチマトゥはあぁと小さな声を上げる。

「その小屋?小さい頃に秘密基地にしてた場所だよ。懐かしいな…」
「ここ、今も使ったりしているのか?」
「いや、本当に小さい頃しか使ってなかったよ。今じゃ誰も出入りしてないはず。……どうして?カーラ」

不思議そうに首を傾げたイチマトゥにカーラは地図上の小屋を指しながら口を開く。眼鏡越しの瞳は真剣な色を帯びている。

「拠点として使うのはどうかと思ったんだ。どの道、向こうに動きがない限りは強硬手段に出るわけにもいかないだろう」
「そうだね……屋敷の守護魔法も強固だし」
「向こうには5人のヴァンパイアが居る。オレが戦えれば話は別だけど、現状こっちの戦力はイチしかいない。危険だから、しばらく様子を見る必要があると思うんだ」
「なるほどね。うん、それいいかも」

イチマトゥは地図を見つめながら頷くと、カーラを見上げた。眼鏡のブリッジ部分を悪戯に指先で突くと、悪戯っぽく微笑む。

「カーラ、意外に頭いいじゃん」
「意外……は余計だぞ」
「ふふ。じゃあ小屋へ行こうか。森の中で誰かと鉢合わせたら大変だしね」

イチマトゥがそっと触れると地図は消え、代わりに道の上に光の線が出現する。どうやら目的地である小屋まで続いてるらしかった。不意にシャツを引っ張る感覚があり、カーラが視線を落とすとイチマトゥの指が絡んでいた。いじらしい行為に思わず苦笑し、カーラは伸ばした手でイチマトゥの手を掴む。細い肩がびくりと大きく揺れるが、カーラは少々強引な強さで冷たい手を引いて歩き出す。

「カ……カーラ…ッ!」
「繋ぎたいのかと思ったけど、違った?イチ」
「ち、ちが…くない、けど」
「じゃあいいよな。小屋までだから、な?」
「…………うん」

目だけで振り返ると、俯いたイチマトゥの尖った耳が真っ赤になっているのが見える。カーラはイチマトゥに気付かれないように忍び笑うと、手を握り直して歩き出した。体温の異なる冷たい手が、少しでも温かくなればいい。そんな呆けたことを考えながら。


×


森の中は不気味なほどの静寂で満たされていた。時折鳥の羽ばたきが聴こえるのみで、他には獣の気配が一切感じられない。カーラはイチマトゥの手を握りながら背中を伝う冷たい汗を感じていた。イチマトゥが甘えるように伸ばしてくれた手だったが、今となってはカーラが縋るように握っている。しかしここで弱音を吐くわけにはいかないと前を向いた時だった。数メートル先の木陰にぼんやりと何かの姿が見えた気がした。見間違いではないかと目を擦っていると、少し後ろを歩いていたイチマトゥが顔を覗かせる。

「どうしたの?」
「いや……何かが居たような気がして……」
「えっ」

イチマトゥはカーラの手を強く引いて立ち止まる。困惑気味のカーラをその場に座り込ませると、精神を集中して木陰の方に両手を翳す。イチマトゥとカーラの身体を光の膜が包み込み、息が詰まるほどの沈黙で満たされる。イチマトゥがじっと目を凝らすと、木陰に居た何者かは音もなく消えたようだった。同時に二人を包んでいた光の膜も消えていく。カーラが見上げた先のイチマトゥは余裕のない表情で尚も何かが消えた方向を注視している。

「……イチ……?」
「この森には、野生生物なんてほとんど棲んでいないんだ。おれたちヴァンパイア以外の生き物は小鳥ぐらいで……ほぼ居ないと言ってもいい」
「それ、は…」
「兄弟の誰かが、おれたちを見ていたかもしれない」

カーラは立ち上がって細い肩を引き寄せようとしたが、イチマトゥは繋いだままの手を引いて歩き出してしまう。

「ごめん、カーラ。早めに移動しよう」

早口でそう告げ、イチマトゥは半ばカーラを引き摺るような形で進みはじめる。カーラは今までに見たことがないほど切迫した様子に虚を突かれたが、小さく頷き返す。イチマトゥの手が僅かに震えていることに気付かないふりをしながら。


×


小屋に到着するなり、イチマトゥはカーラを部屋の中心にある椅子に座らせると閉じた扉から内側の壁全体に防御魔法をかけはじめた。深く精神を集中している様子でとても声など掛けられる雰囲気ではない。魔力の消費が少し心配ではあったが、今ここで見つかるわけにはいかないだろう。カーラは何も出来ない自分を歯痒く思いながら小屋の中を見渡し―――物置状態になった片隅に積み上げられている物に気がつく。高価そうな装飾品が無造作に積み重なる中に、ロザリオを見つけた。

「……これで大丈夫。カーラ、ごめんね。もう平気だか…―――ッ!?」

振り返ったイチマトゥはカーラが手にしていた物を見て悲鳴を飲み込んだ。燭台の炎に照らされ、金属が鈍く禍々しい光を放っている。豪奢な装飾が施されたそれには嫌なほど見覚えがあった。何故なら、封印された時にもイチマトゥはそれを目にしていたからだ。誠実そうな顔をした、美しい神父の顔が脳裏に蘇る。彼の胸元に輝いていた物と同じロザリオを―――カーラは指先で弄んでいた。

「そ、れ」

渇いた喉で必死に吐き出した言葉にカーラが顔を上げる。不思議そうに首を傾げながらカーラの指先がロザリオを撫でた。

「あぁ、これか?そこに転がっていたんだ。他にも高価そうなアクセサリーがたくさんあったが、イチの兄弟が集めていた物か?」

カーラは顔面蒼白なイチマトゥに気付かないまま笑い、ロザリオをテーブルに置いた。覚束ない足取りで後退ったイチマトゥが無言なことでようやく異変に気付き、カーラはイチマトゥを見上げた。

「イチ…?どうしたんだ、随分と顔色が……真っ白だぞ」
「な、なんでも…ない」
「そんなことないだろ。魔力の使い過ぎじゃないのか?オレの血を……」
「ちが、違う。違うんだ……だから、ッ…!」
「おい―――イチマトゥ!?」

膝から力が抜け、イチマトゥはその場に崩れ落ちる。必死に肩で息をしながら、慌てて立ち上がったカーラを見上げる。優しく暖かいはずのカーラの顔が、今はぐにゃりと歪んで見えた。頭の中が掻き乱されて、正常な思考がままならない。そんなわけがないと理解しているはずなのに、忌まわしい記憶の中の神父とカーラの顔が重なった。そうだ、あの神父もひどく優しい表情をする人間だった。あの日、何かに取り憑かれたように一変してしまうまでは。

「イチ、どうした……イチ!」

焦ったカーラはイチを抱き起こし、必死にその痩身を揺らした。しかしイチマトゥの意識は次第に遠ざかり―――瞳の縁から透明な雫を何粒も流しながら、長い睫毛に縁取られた瞳は閉じられる。まるで外界と自分とを断絶するように。


×


イチマトゥが意識を取り戻した時、最初に視界に入ってきたのはカーラの髪だった。ベッドに横たわる自分の手を握ったまま、顔から毛布に伏せって眠っている。乱れた髪をそっと直してやっていると、テーブルの上にあったはずの十字架が無くなっていることに気が付いた。イチマトゥの様子を見て、カーラもその原因が十字架にあると気付いたらしい。自分のせいで余計に気を回させてしまったと後悔しつつ、イチマトゥはゆっくりと上体を起こした。窓の外から見える外は暗闇に包まれている。どうやら時刻は深夜を回っているようだ。少し精神を集中させてみるが、小屋の周囲や森の中に誰かの気配はないようだ。安堵して軽く息を吐くと、伏せていたカーラがもぞりと身じろぐ。ぼんやりを顔を上げたカーラの頬にイチマトゥが触れると、その冷たさに驚いて悲鳴が上がる。

「ひっ―――…い、イチ……?目が覚めた、のか?」
「うん。もう大丈夫だよ」

ふわりと微笑みかけると、カーラは両手を伸ばしてイチマトゥの肩を抱き寄せた。突然のことに驚いてイチマトゥは声を上げるが、カーラの腕の力は緩みそうにない。

「く、苦しいよ」
「ごめん……でも、本当に無事でよかった」
「おれの方こそ…ごめん。急に、びっくりさせちゃったよね」

イチマトゥの言葉にカーラは首を横に振り、腕の力を緩めて顔を覗き込む。真っ直ぐに見つめてくる瞳の中に後悔の色が浮かんでいた。カーラはイチマトゥの手をぎゅっと握り、がばりと頭を下げる。

「オレが悪いんだ!何も考えず…イチの前でロザリオを手にしたりして……」
「カーラ」
「無神経だった。防御魔法を張って疲れているイチに酷いことを…っ!」
「カーラ、大丈夫だよ。そんなに気にしないで」

顔を上げるように促しながら優しい声を掛けると、カーラは焦れるほどゆっくりと顔を上げる。瞳が僅かに潤んでいることにイチマトゥは思わず苦笑し、あの神父とカーラが重なったのはやはり自分の錯覚だったのだと思い直した。

「ちょっとびっくりして、混乱しただけだよ。カーラに悪気がなかったことは分かってる」
「で、でも」
「お前が泣いてちゃわけないだろ。泣き虫だね、カーラは」

そっと髪を梳きながら宥めると、カーラは涙を拭いて頷いた。イチマトゥがロザリオについて尋ねると、クローゼットの奥に隠したそうだ。視界に入らないだけで楽だよとイチマトゥが微笑むと、カーラも少し緊張が解れたらしい。

「それよりも、身体は大丈夫なのか?イチ」
「あぁ、大丈夫だよ。一時的に消耗しても回復するって言ったろ。カーラと契約してから、おれの身体は随分と調子が良いんだよ。実は相性がいいのかもね」
「相性なんてあるのか?」
「人間にもあるだろ。輸血…だっけ?同じ型じゃないと出来ないんだよね。あれと似た感じかな。おれたちヴァンパイアが美味しいと感じる血は相性がいい証拠なんだ。魔力の回復が速かったり、少し増幅されたりする」
「……逆に、相性が悪いとどうなるんだ?」
「うーん、単純に不味いだけかな。別に悪い作用があるわけじゃないよ。……あぁ、それよりも今は別の話だよ。カーラ、あのさ。……森の中で見た生き物のこと、覚えてる?」

イチマトゥの言葉にカーラははっと目を見開く。記憶の中の何かは、確かにこちらをじっと見つめていた。

「あぁ。確かに何かがオレたちを見ていた」
「だよね。でもおれ……あの視線に何か違和感を感じて」
「違和感?」
「カーラは感じなかった…?」

記憶の糸を手繰り寄せ、カーラは何かの姿を思い出す。木陰の中で何かが動き、刺すような視線が身体に突き刺さる。しかし、その視線には悪意やそれに準じた嫌なものを一切感じられなかった。まるで自分たちの姿をただ確認しているだけのような。カーラの表情から考えを察したのか、イチマトゥも静かに頷く。

「やっぱり。あの視線から敵意は感じなかったんだよね」
「……もしかして、イッチーだったり……」
「残念だけど、それはないね。あの子が森の中に一人でいるとは思えない。……それに、あの子は魔力が増幅したままのはずだ。そんな状態でこんな場所に居たら真っ先におれが気付くよ」
「本当、か?」

訝しむようなカーラの視線にイチマトゥは苦笑する。嘘を吐くならもっとまともなことを言うだろう。

「信じられない?」
「違う、そうじゃない。……すまない、イチを疑ったわけじゃないんだ」
「あれが誰なのかってことだよね。実はおれ、心当たりがあってさ。多分、おれの弟のどっちかだと思うんだ」
「弟……えっと、イチは6人兄弟の4番目だったよな?じゃあ5番目か末っ子ってことか?」
「そう。まぁ末っ子はドライな奴でさ、あんまりおれの心配をするような奴じゃなくて。多分、一つ下のジュウシマトゥじゃないかって」
「ジュウシマトゥ……彼はイチに懐いていたのか?」
「うん。性格はおれと全然真逆なんだけどね。明るくて―――ネジが何本も抜けたようなぶっ飛んだ奴なんだけど、でもおれによく懐いてくれてた。兄さんたちと喧嘩した時も、ジュウシマトゥはおれの味方してくれて……まぁ思いもよらぬところで裏切られたことも何回かあったっけ」

そう話すイチマトゥの表情は柔和に綻んでいる。少し遠い目で見上げた先には懐かしい日の思い出が広がっているのだろう。こんな表情も出来たんだな、と感慨を覚えながらもカーラは同時に胸が締め付けられるのを感じていた。兄との仲違いがあろうとも、元来イチマトゥはとても兄弟想いらしい。結局、いつかはあの屋敷に帰る日がやってくるはずだ。今こうしてカーラがイチマトゥと共に居られるのは運命の悪戯のお陰でしかないのだと、まざまざと実感させられる。

「……そうか」
「でも、いい奴だからって油断していい理由にはならない」
「え?」
「もしジュウシマトゥがおれのことを案じてくれていたとしても、兄さんたちを裏切れるような立場にないことは確かだ。もし無理に裏切ろうとすれば、ジュウシマトゥも無事とは言い切れない」
「そんな……だって兄弟なんだろう?」
「兄弟だからこそ、カラマトゥ兄さんはきっと許さない」

そう呟いたイチマトゥは黙り込んでしまう。寂しそうに瞳を伏せ、力なく溜息を吐く姿に胸が痛んだ。カーラが手を握ると僅かに表情が緩んだが、イチマトゥは笑うことはなかった。自分がイッチーを奪還したいという気持ちはエゴなのではないか、と胸に疑問が渦巻く。イチマトゥまで兄弟と敵対させて、一体何になるのだろう。自分だけがこの身を投げ打ってヴァンパイアたちに土下座でもすればいいのではないか。そう考えたところで、イチマトゥがカーラの顔を覗き込んだ。

「なに考えてるの、カーラ」
「え、…」
「思いつめた顔してる」
「……オレ、は……」
「自分がおれの役に立てないとか、イッチーを取り戻すことに何か躊躇してる?」

ずばり言い当てられてカーラは動揺した。大きく揺らいだカーラの瞳を見て、イチマトゥは薄く微笑みを浮かべる。それからカーラの唇に冷たい指先を押し当てる。

「おれのことは気にしないで。大丈夫、ちゃんとおれが決めたことだよ。カーラに流されたわけでもなんでもない。おれも、カラマトゥ兄さんの真意が知りたいんだ。だから敵対することを今更悔いたりしてない。……安心してよ。それとも、おれのこと信じられない?」
「そ、そんなこと…!」
「じゃあ信じて。カーラに信じてもらえることが、今のおれの支えだよ」

イチマトゥは美しい微笑みとともにそう囁き、カーラの首筋に唇を這わせた。冷たいはずの唇が何度も触れるうちにだんだんと熱を帯びていく。誘うように眇められた瞳に抗えず、カーラはイチマトゥの肢体をベッドへ押し倒す。燭台の炎に照らされ、不思議な色になった瞳がじっとカーラを見上げる。ゆっくりと閉じられたイチマトゥの瞳に導かれるように、カーラはそっと口づけを落とした。


continue...




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