ロング・ロード

※我ナポの夏(Bye-Bye Summer Days)のネタバレを含みます。


「あっ……ぢぃ……」

ビニール袋のずしりとした重さを両腕に感じながら、佐能は呻き声を漏らした。照りつける太陽の日差しは容赦なくジリジリと皮膚を焼く。黒いアスファルトから照り返す熱も暑く、ビニール袋を強く握り締めて佐能は隣を歩く人物を仰ぎ見た。涼しい表情を浮かべているのは伊武山ローランで、佐能の視線に気付くと静かに首を傾げた。長い睫毛をぱちくりと瞬かせ、薄紫のルージュを引いた唇が静かに開く。

「なぁに」
「いや……伊武山先輩、あんまり暑そうに見えないなと思って」
「そんなことないわよ」
「マジですか…?」
「佐能、いい男ってのは暑さを感じさせないんだぜ」

ローランの隣から顔を覗かせた男子生徒―――平見史道は爽やかな笑みを浮かべた。周囲にキラキラとした光が散っているが、それは汗の粒だ。ローランは一瞬だけ顔を顰めたが、平見の意見には同感らしい。笑顔を取り戻すと、胸を張って佐能を見下ろす。

「そうよ。言霊ってあるでしょう?アタシは美容以外のオカルトに興味はないけど……ほら、そうやって背筋も丸めないの。歩きにくくて余計に疲れるわよ」

ローランに背中を軽く叩かれ、佐能は慌てて背筋を伸ばす。にこりと微笑まれると、その美しさに一瞬目を奪われそうになる。

「思い込みの力ってのは凄いぞ。ほら、佐能も暑くないって思い込んでみろ」
「そ、そっすね…!暑くない、暑くない、暑くない―――」

平見に叱咤され、佐能は念仏のように呟きながら前を見据えた。胸を張って繰り返していると平気なような気がしてきたが、結局全身を襲ってくる熱気には打ち勝てない。こめかみを汗が流れ落ちる感覚が不快で、耐えきれずに大声を上げる。

「いや無理っす!!暑いもんは暑いっすよ!!」
「……まったく、仕方ないわね」

不意に左手から重さが消え、佐能は慌てて隣を見遣る。見上げると、ローランは佐能が右手に持っていたはずのビニール袋をも奪い取っていた。

「え、あ、ちょっと先輩!?」
「アタシが持つわ」
「で、でも……」
「それに、このペースだとアイス溶けちゃうわよ。先に行くわね」
「おう。風紀委員の奴らに見つからないよう、気をつけるんだぞ」

平見の言葉に右手を軽く上げ、靴音を高く鳴らしながらローランは去っていった。その姿は実に凛々しく、靡き揺れる学ランはまるでマントのようだ。佐能が呆然と見送っていると、平見は静かに微笑む。

「佐能、お前から持つと言い出したんじゃなかったか?」
「うっ、そ、それはそうっすけど……」
「まぁいい。……しかし、あいつも変わったな」
「え?」
「思い出してみろよ。あの日―――月代瑠璃が消えた日も、俺達はこうしてアイスを買いに行ったじゃないか?」
「あぁ……そういえばそうですね」

佐能は相槌を打ちながらも首を捻る。ローランに変わったところがあったようには感じなかったからだ。平見は思い出を懐古しているらしく、軽く目を伏せて呟く。

「あの日のあいつは、しきりに暑いと漏らしていた。ぐったりと背中を丸め、紫外線を気にして外に出たくなかったとも言っていたか。……それなのに、今日の伊武山はどうだ?自分からアイスを買いに行くと言い出した上に、一言だって暑いとは言わなかった。背筋を真っ直ぐに伸ばしてな」

平見の指摘に佐能は目を見開く。確かに今までのローランは、美容に関すること以外に気乗りするタイプではなかった。芯が強くありながらも、非常に慎重な一面を持ち合わせていたはずだ。

「言われてみれば……」
「スーパーカップ、一人三個ノルマって言っただろ。あれを言い出したの、誰だと思う?」
「え、そりゃ平見先輩でしょう?いつも一人で三個食ってましたし」
「違うんだよ」

佐能の返答に苦笑し、平見は空を仰ぎ見上げた。青空はどこまでも突き抜けるように澄み渡っている。真白い入道雲は、燃えるような日差しを受けて輝いていた。平見は眩しげに瞳を細めながら佐能を見る。

「伊武山だ。あいつから言い出したんだよ」
「えッ……伊武山先輩が……!?」
「そうだ。俺が食っているのを見て食いたくなったんだと、冗談めかして言っていたよ」
「そ、そうなんですか。でも、伊武山先輩がそんなこと言うなんて……」
「驚いたか?」
「そりゃそうですよ!冗談でもそんなこと言いそうにないのに」
「……あいつも、あいつなりに色々と思う所があったんだろう。派手な出で立ちで誤解されがちだが、存外繊細な奴だからな」

そう言って笑うと、平見は勢いよく佐能の肩を抱いた。密着したことにより熱気が込み上げ、佐能は思わず悲鳴を上げた。平見の香水らしき爽やかな香りが漂ってきて、なんとも言い難い気持ちになる。汗臭くないのは良いとしても、密着した肌がべたついて不快としか言いようがなかった。おまけに、平見の決して軽くはない体重が圧し掛かってきて足が震えそうになる。

「ぎゃあああ!!平見先輩、くっつかないでくださいよッ!!」
「悲鳴を上げるなんて失礼だぞ。それに、その反応は何だ?もっと喜んでもいいんだぜ?」
「喜べるかッ!……じゃなかった、喜べるわけないですよ!離れてくださいってば!」

平見は不服そうな顔をしながらも佐能から離れる。佐能はげっそりとした表情で平見から距離を取り、がくりと肩を落とす。

「なんなんっすか」
「……いやな、あいつも多分無理してるんじゃないかと思うんだ」
「あー、っと、伊武山先輩が?」
「あぁ。部長も少し思い詰めている様子だったが、伊武山は高い美意識と同じぐらい責任感も強い奴だ。副部長として責任を感じているんだろう。……四谷を無事に連れ帰れなかったことを」
「それ、は」

伊武山先輩のせいじゃないでしょう。そう言いかけた佐能の眼前に平見は右手を翳す。何も言わずに頷き、アスファルトの上に転がる小石を軽く蹴る。平見は側溝に落ちていった小石を眺めると、珍しく深い溜め息を吐いた。

「分かってる。俺たちの誰もがそう思ってるさ。誰のせいでもない―――でもあいつは完璧主義な奴だからな。どうしても自分を責めてしまうのだろう。他人には優しい奴だが、自分に対してどうにも厳しすぎる」
「……平見先輩、よく理解してるんですね」
「そうか?俺が勝手に思っているだけで、実際にはまったく理解できていないのかもしれないぞ」

おどけた風に笑う平見の瞳は微かに揺らいでいた。ローランのことを気にかけているが、平見もまた四谷のことを気にかけているのだろう。佐能は拳を強く握り込み、ぐっと歯を食い縛る。元はといえば、タイムマシンをリトルグレイからくすねてきたのは佐能だ。自分がタイムマシンを持ち帰ればこうならなかった―――佐能は何度も何度もそう考えた。しかし、救い出した瑠璃の笑顔を見るたびに、自分を責めることが果たして正解なのか分からなくなった。瑠璃を犠牲にする世界が正しかったなどと言えるはずがなかったからだ。握り締めていた拳をゆっくりと解き、佐能は顔を上げる。

「そんなこと、ないです」
「え?」
「伊武山先輩は、平見先輩がいるから……伊武山先輩らしく居られる気がします」
「はは、嬉しいことを言ってくれるな」
「あの、お世辞とかで言ってるわけじゃないです。俺は本当に……そう思うんっすよ」
「あぁ……分かってるさ。ありがとう、佐能」

真剣な佐能の瞳を見つめ返し、平見は少し困ったように笑った。佐能は僅かに俯き、自らの手の平を覗き込む。佐能の手の平や腕には、細かな切り傷が幾つも残っていた。タイムリープをすれば残ることのなかった傷が、今は生々しくも残っている。類似した痕跡は四谷の精神を削り取るという形で残り、同様にオカルト部全員の心にも深い傷を残した。ふと気が付くと、佐能はいつの間にか立ち止まっていたらしい。頭上に落ちてきた影に顔を上げると、平見が微笑んでいる。

「お前も無理はするもんじゃないぞ」
「……平見先輩」
「他人の気持ちは分からない……それでも、俺たちは相手を思いやって、寄り添いあって生きていくしかないのさ。……それに、佐能」
「はい?」
「お前だって"いい男"だろう?暗い顔ばかりしていては、レディー達に逃げられてしまうぞ」

立ち止まっている場合じゃない。そう言って平見は佐能の背中をドンと押した。遠慮のない力に佐能は軽くよろけ、我慢できずに噴き出した。込み上げる笑みを堪えることなく思いきり笑って歩き出す。

「平見先輩は相変わらずっすね!」
「俺はどんな時だっていい男だからな」
「ほんと、参っちゃいますよ。俺も負けてらんないじゃないっすか」
「おう!その意気だ、佐能!」

角を曲がれば正門が見えた。校内へは風紀委員の目を掻い潜って戻らなければならないだろう。目的地は、オカルト部の部室。二人には見つからずに一刻も早く戻らなければならない理由があった。佐能は平見と顔を見合わせて笑う。うだるような暑さに襲われても、もう項垂れようとは思わない。悔いている時間があるならば、ピンと背筋を伸ばそう。前を見つめて進めば、きっと道は開けていくはずだから。


continue...




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