嫣然たる笑みに爛れた



病的なまでに白い肌を目にするたび、後ろめたさにも似た感情に胸が締め付けられる。乳白色のシーツの海にすらりと長い手足を投げだしたまま、彼はこちらを振り返った。艶のある黒髪が蛍光灯に照らされている。鋭い緋色の瞳がうっそりと細められるだけで正臣の心はざわめき波立つ。

「どうしたの、紀田くん。随分と怖い顔をしているね」

正臣は投げかけられた問いに答えることなく身を起こすと、彼が手にしていた紙箱を奪い取った。ベッドサイドのテーブルを狙ってそれを投げ棄てる。彼は心底おかしくてたまらないといった様子で喉を鳴らして笑った。正臣は恋人の反応に苛立ち、足元のシーツを蹴り上げる。

「あんたは愉快でたまらないって顔してますね。臨也さん」
「やだな、怒らないでよ。だって君がそこまで露骨に……嫌がるなんて思わなかったんだ」
「だったら申し訳なさそうな態度してみたらどうです?」
「俺がそんないじらしいことすると思ってるの」
「……思ってないすけど……あぁもう、いちいち揚げ足取るのやめてくれよ」

度重なるカラーリングに痛んだ髪をがしがしと掻くと、ひやりとした感触が正臣の手に触れる。ふと視線を下げると、臨也の指が手の甲をそっと撫でていた。

「揚げ足取ってるわけじゃないさ。ただ面白がってるだけで」
「……あんた、本当にいい性格してるぜ」
「そりゃどうも。そもそも、君なら俺の性格なんてよく知ってるだろ?」
「嫌というほどな」

テーブルの上に転がる青緑の紙箱を睨みつけ、正臣は深く溜息を吐いた。細い肩を掴むと、臨也はされるがままに正臣の傍に近寄った。猫のような所作ですり寄り、大きく開いた瞳で正臣を見上げる。

「まだやるの?」
「違いますよ。……なんすか、臨也さんまだやりたいんですか」
「君がやりたいって言うなら付き合ってあげてもいいよ。あと一回ぐらいならね」

滑らかな素肌が密着するだけで劣情を煽られそうになって、正臣は誤魔化すように目を伏せた。臨也はそんな本心などお見通しだと言いたげに微笑む。

「ほんと若いね。俺は思春期の10代男子を正直舐めてたのかもしれない。君って、ぱっと見細く見えるけど武闘派だもんねぇ。着痩せするタイプ?意外とがっしりしてるし、力もスタミナもあるし……こことか、筋肉すごいし」

つっと指先で胸筋を撫でられて思わず正臣は息を呑んだ。瞠目して視線を落とすと、悪戯っぽい笑みに迎えられて頬が熱を帯びる。

「臨也さ……っ、やめてください」

咄嗟に口から出た声が掠れてしまっていて更に羞恥を煽られた。正臣は指の動きを止めようとしない臨也の手首を掴む。少しでも力を籠めれば折れてしまいそうに華奢な感触。正臣が眦を吊り上げて見下ろしていても臨也は特に焦ることもなく、ただ邪魔をされて残念そうに眉根を寄せた。

「なんで?君がやりたいなら俺は構わないんだけど」
「別にやりたいわけじゃないです!」
「でも反応しかけてるじゃん」
「そりゃあ煽られたら誤作動することだってありま―――ちょっと、臨也さん!」

反対の手が下半身に伸びかけたのを見て、正臣は臨也の身体を押し倒した。上から圧し掛かるような体勢できつく睨めば、臨也は反省しているのかしていないのか分からない顔で視線を逸らした。本気で相手にするだけ無駄だと思い、正臣は全身から力を抜く。細い身体が蠢くのを無視して体重をかけると、臨也は身体を捩りながら不満げな声を上げた。

「重いんだけど」
「うるさいですよ。臨也さんが勝手なことしようとするからでしょ」
「……反抗期?」
「残念ながら違います。俺のこれは仕様っすから」

苦笑しながら視線を動かすと、正臣の身体の下から抜け出した臨也は重い溜め息を吐く。この世の終わりみたいな顔をしているが、次に紡がれる言葉が戯言である予感は往々にして出来ていた。

「紀田くんはさぁ、もっと俺にデレるべきだと思うんだよね」
「臨也さんはマゾなんだからデレなんていらないでしょ。むしろ俺がデレたら嫌がるくせに」
「マゾって君にだけは言われたくないなぁ。それに、君がデレたら俺は可愛がってやると思うけど」

形の良い唇が弧を描き、臨也は蠱惑的な笑みを浮かべた。一瞬にして魅入られてしまいそうな表情だが、臨也が言う"可愛がる"とは言葉の通りではない。正臣に首輪をつけるか手錠をかけるか―――そのどちらかだろう。

「俺はあんたのペットになるなんて御免だ」

伸ばされた手を振り払い、正臣はゆっくりと身体を起こした。ベッドの下に転がっていたミネラルウォーターのボトルを拾い上げる。夕方から転がっていたそれは、すっかり元の冷たさを失っていた。キャップを捻り、中のぬるい水を喉に流し込むが気分は少しも向上しない。纏わりつく靄のような不快感を振り払いたくて頭を振ると、後ろから腕が絡められる。

「紀田くん」

甘ったるい声が鼓膜を揺らす。駄目だと頭では分かっているのに振り返ってしまい、蕩けた瞳に目を奪われてしまった。やわらかな唇が頬に触れたと思えば、こめかみから首筋を辿る。鎖骨の辺りの薄い皮膚を吸い上げられ、ちりつく感覚に襲われる。視線を落とせば花びらのような痕跡が浮かび上がっていて、正臣は言葉もなく項垂れた。どうしようもなく腹が立ち、ミネラルウォーターのボトルを彼の頭上で傾けた。ぼたぼたとぬるい水が零れ落ち、彼の黒髪を更に濃く映し出す。瞳を伏せると長い睫毛がよく見えて、ゆっくりと抉じ開けた赤い瞳が緩慢に細められる。濡れた腕を正臣に絡ませたまま、臨也は怒ることもなく薄い唇を開いた。

「……ほんとに怒ってるんだね」
「分かりませんか?それとも、賢いあんたのことだから分からないふりしてるんですかね」
「さぁ、どっちだと思う?」

正臣の答えを待つことなく臨也は腕を引いた。背中からシーツの海へ倒れ込み、正臣を見上げて表情の読めない笑みを貼り付ける。

「紀田くんは俺のこと嫌いなの?」
「嫌いです」

即答した正臣を見つめたまま臨也は笑みを絶やさない。再び腕を引っ張られ、正臣は重力に従ってベッドへ倒れ込む。ぎしりとスプリングが軋み、臨也は満足げに微笑む。薄紅色の唇に狙いを定め、噛み付くように口づけた。どこか甘く感じる唇を何度も貪り、隙間から舌を捻じ込ませる。あえやかな声が漏らされるたび、嫌になるほど興奮を覚えてしまう。それさえも腹立たしくて、正臣は乱暴に口腔内を蹂躙した。焼け爛れそうな熱を共有するように柔らかな舌を吸い、歯を立てる。このまま噛み千切ってやれば流石のこの人だって死ぬだろう。そうぼんやり思考だけは渦巻くが、実行に移せないことはとうの昔に理解している。

「っは……、ぁ、紀田くん……」

甘え媚びるような声が正臣を呼ぶ。拒絶することもできない自分が何よりも嫌いだった。正臣は請われるままに手を伸ばし、痩身を強く抱き締める。こんなにも嫌いで、こんなにも腹が立つのに、どうしようもなくこの人のすべてを求めてしまう。池袋最強と呼ばれる男の存在をどうしようもなく畏怖しているのに、彼と対等に渡り合えるという事実だけで目の前が真っ赤になるほど強い怒りを覚えている。視線を上げた臨也は正臣を真っ直ぐに見上げて手を伸ばす。滑らかな指の腹が正臣の頬を押圧しながら撫で、そのまま首の後ろに指が触れる。うなじの薄い皮膚や髪の生え際をつめたい指先が辿るだけで背筋がぞくりと震えた。誘われていると思うと同時に、試されているような気がした。ぐらぐらと理性が揺れ動いている様を愉しんでいるのだろう。まるで高く積み上げたジェンガが瓦解するのを心待ちにする子どものように。

「……いざや、さん」

情欲を抑えようと深く息を吐き出しても、燻ぶる熱は収まってくれそうになかった。


end.



title by moss




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