フリルスカートに秘匿<前>

※来神時代 ※女装


秋も深まり、吹き付ける風は随分と冷たく乾いたものになった。校内が俄かに忙しい雰囲気に包まれているのは、近付く学校行事に起因している。教室の自分の席で退屈を持て余していた臨也は、窓の外へ視線を向けた。何人もの生徒が中庭や外廊下を行き交っており、その中に見覚えのある後ろ姿を見つける。しっかり固められたオールバックの髪型に大きな背中、がっちりとした広い肩幅は見間違えようもない。

「―――ドタチン」

誰にも聞こえないほど小さな声で臨也は呟く。ほんの戯れのつもりで呼びはじめたが、当の本人に強く拒絶されなかったことで定着してしまったあだ名。臨也が呼ぶ度に門田は渋い顔でやめろと言うが、それが本気ではないことは明白だ。しかし、通例のようになっていたそのやり取りもこの数週間は行われていない。外廊下を抜けて文化棟に消えていった背中を見送り、臨也は視線を逸らす。門田が文化棟に向かったのは演劇部の部室へ行くためだと知っていた。来週に迫った文化祭で、演劇部はある舞台をやる。しかし、例年より早いインフルエンザの流行で何人も部員が休んでいた。先月、助っ人をしてくれないかというチラシが臨也のクラスにも回ってきたばかりだ。臨也はそれに協力することを選ばなかったが、門田は演劇部に所属する友人に頼まれたらしい。忙しくなりそうだ、と苦笑しながら漏らしていたのはもう一ヶ月ほど前になるだろうか。お人好しにも程があると臨也が言った時、そうか?と不思議そうに首を捻っていたのが印象的だった。

「お人好しと呼ばずになんて言うんだよ……」
「臨也?なんか言った?」

掠れた声に反応したのは後ろの席に座る友人だった。身を乗り出してきた友人を首だけで振り返り、臨也は溜め息混じりに否定の言葉を紡ぐ。

「……別に」
「窓の外に誰かいた?あぁ、もしかして静雄かな」
「違うよ、新羅」

新羅と呼ばれた少年はそうなの?と軽く首を傾げた。透明な硝子の奥で大きな黒い瞳が瞬きを繰り返す。新羅は卓上の教科書を鞄に仕舞いはじめ、その片手間に臨也へ問いかけた。

「そういえば、最近門田くんを見かけないね」
「学園祭で忙しいんだってさ」
「あぁ、演劇部の助っ人に駆り出されてるんだっけ?そりゃ忙しいはずだ」

新羅は臨也の言葉に納得したように頷き、鞄を閉める。それから呆れたような笑みを浮かべて臨也を見遣った。

「君、少し前までは昼休みや放課後もよく一緒にいたよね。門田くんと友達になったのかい?」
「友達?」

振り返った臨也は訝しげに眉根を寄せる。新羅は微笑みながら臨也の視線を受け、椅子を引いて立ち上がる。

「僕はようやく臨也にも新しい友達ができたのかなと思っていたんだけど、違うのかい?」
「ドタチンはそんなんじゃないよ」
「そんなあだ名をつけておいて?」

新羅の言葉には揶揄するような響きが含まれていた。臨也はそれを感じ取って眉間の皺を更に深くし、呆れたように前へ向き直った。新羅はそんな友人の背中を眺めたまま、歌うように再び口を開く。

「でも友達じゃないっていうのに、門田くんもよく君に付き合ってくれるよねえ」
「それをお前が言うか?」
「あはは。でも僕は友達でしょ?」
「心底遺憾だけどな」

溜め息交じりに言いながら臨也は立ち上がる。屈託のない笑みを浮かべる新羅を呆れた目で一瞥し、机の間を抜けて歩き出した。新羅は臨也の背中を追いかけ、教室を出る。廊下を少し歩けば、演劇部の生徒たちが足早に通り過ぎていった。それを横目にしながら新羅は首を傾げる。

「演劇部の劇はハムレットだっけ?門田くんは好きそうだよね」
「俺も好きだよ。悲劇的で救いのない復讐劇、実に魅力的だ」
「でも門田くんは今回演者じゃないんでしょ?いい声してるし、体格もいいから何をやっても嵌まりそうなのにねえ」
「そう、大道具だってさ。彼の家は左官屋だからね。ああいう役割は適任だってことになったらしい。少し前、日曜大工なんかも好きだって言ってたしね」

臨也は門田との会話を思い返しているようだった。ほんの少し楽しそうに表情を和らげ、口角を持ち上げている。新羅はそんな臨也の隣に並び、顔を覗き込むように質問を投げかける。

「大道具って学園祭当日も行かなくちゃいけないのかな?」
「さぁ…?どうだろう。当日までは流石に行かなくてもいいんじゃないかな」
「じゃあ門田くん、当日はフリーってことになるね」

臨也は歩く速度を僅かに落とし、眉間にぎゅっと皺を寄せる。低い声で新羅、と呼びながら苦々しい表情を浮かべた。

「お前、何か勘違いしてないか」
「え?勘違いなんかじゃないと思うけど?」
「……」
「門田くんに会えなくて寂しいんだろ」

臨也はピタリと足を止め、窓の外に視線を向けた。誰も居ない中庭からその先の文化棟を見つめて黙り込む。整った横顔は作りものめいて美しいが、どこか寂寥感を感じさせた。新羅はそんな臨也をじっと見つめながら言葉の続きを待つ。

「違うよ」

小さく呟いた臨也は何かを堪えているように見える。形容し難い感情を押し込めるような表情はどこか苦しげだ。

「……ふうん」

首肯した新羅を見た臨也はいつもと変わらぬ笑みを浮かべた。まるで何事もなかったかのように、楽しげなスキップで止まっていた足を動かしはじめる。

「帰ろう、新羅。今日はシズちゃんに他校生をけしかけてるんだ!きっと見物だよ」
「……君って本当に懲りないねえ」


×


学園祭当日、浮足立った雰囲気に包まれた校内は非日常そのものだった。校内を歩けばあらゆるクラスからキャッチ紛いの呼び込みをされる。お化けや幽霊の仮装をしたり、チャイナ服や浴衣、着物を着た生徒が何人も忙しそうに動き回っていた。まるで無法地帯の様相だったが、争いの類は今のところ見受けられない。見回りの教師陣も今日ぐらいは、と多少のことなら目を瞑っている様子だ。臨也は窓越しに廊下の喧騒を楽しそうに眺める。その背中に女子生徒から声が投げかけられた。

「折原くん!」

臨也が振り返ると、腰の辺りで大きなリボンがふわりと揺れる。そしてスカートの柔らかそうなフリルが翻った。女子生徒を見つめ、臨也は微笑みながら首を傾げる。

「なに?」
「あ、えっと……すごく似合ってるね」

臨也は返ってきた言葉を聞いて嬉しそうに笑う。女子生徒は熟れた林檎のように頬を紅潮させた。臨也は軽やかにその場で一回転してみせる。

「とってもかわいい……多分、クラスで一番似合ってると思う」
「うわぁ……臨也、君って本当にすごいねぇ。完璧に着こなしているじゃないか」

女子生徒の後ろから顔を覗かせたのは、給仕服を身に纏った新羅だった。臨也に言われて珍しく眼鏡を外し、今日はコンタクトをしている。臨也に見蕩れていた女子生徒は振り返り、新羅を見て目を丸くした。

「岸谷くん!?……眼鏡してないと別人みたいだね。で、でも似合ってるよ」
「そう?ありがとう。でも慣れないし、眼鏡がないと変な感じだよ」

新羅は苦笑しながら窮屈そうにネクタイを弄る。臨也は腰に手を当てて新羅の全身を舐めるように眺めると、その眼前に人差し指を突きつけた。

「お前、今日絶対に喋るなよ。ニコニコ笑って給仕だけしてればボロも出ないだろ。変な蘊蓄垂れ流して客をビビらせたりするんじゃないぞ」
「それを言うなら君もだろ。……そうだね、見た目だけは無駄にいいから黙ってれば女子だと思われるんじゃないかな?お淑やかにしていれば美人局も出来そうだし。女子が足りてないとはいえ、君を推薦して本当に良かったよ。間違いなく適任だったねぇ」

臨也は返ってきた言葉に口元を引き攣らせ、突き付けていた指をゆっくり下げる。スカートに皺ができるのも構わずに布地を強く握り締め、新羅から思いきり顔を背けた。新羅は臨也にからかうような視線を向け、女子生徒に同意を求めるように笑いかけた。女子生徒は曖昧に笑うばかりだったが、新羅はそれで満足したらしい。それから廊下へと視線を向け―――不思議そうに首を傾げる。

「ねぇ、うちのクラスってオープン前だよね?」
「え?うん。うちは人数が足りなくてまだ準備中だから……」

流行が本格化したインフルエンザの猛威はこの一週間で更に勢いを増していた。それは新羅と臨也が所属するクラスも例外ではない。元々は裏方だった新羅と臨也が表方に駆り出されたのもそれが原因だ。とはいえ裏方から人数を回しても全体的な人数不足は否めず、準備が遅れているので他クラスよりも三十分ほどオープン時間を遅らせている。

「オープンまであと十分ぐらいあるけど、どうしかした?岸谷くん」
「いやぁ、廊下の外にすごい人だかりが……」
「え?」

女子生徒は言われるがままにそちらへ視線を向け、驚愕に目を見開く。他クラスの同学年の生徒たちが人だかりを作っていたからだ。どこか興奮を滲ませた何人もの生徒が廊下から教室内を覗き込んでおり、異様なまでの圧が感じられる。

「なんでこんなことに…?」
「うーん、誰か臨也がメイド服着るってことを漏らしたのかな」
「えっ」
「昨日の時点で決まってたからね。うっかり誰かが漏らしててもおかしくないよ」

新羅は呆れた様子で呟き、視線を教室の隅に向ける。臨也は屈み込んでブラックボードにメニューを書き込んでいた。外の騒ぎには気付いているようだったが、特に気にしている様子はない。しかし、オープンした途端に混雑しては店が回らないだろう。どうしたものかと女子生徒が頭を悩ませていると、作業を終わらせた臨也がおもむろに立ち上がった。教室のドア前へと歩いていき、勢いよくドアを開け放つ。すかさずドア付近からサッと飛び退れば、群がっていた生徒たちはドミノのように教室内に倒れ込んできた。準備中だった教室内の生徒たちは驚いて悲鳴を上げる。臨也は混乱の中で倒れ込んでいる生徒たちを立ったまま見下ろし、薄い笑みを浮かべて腕を組んだ。

「やぁ、随分と熱烈なお客さんだね」

臨也に見下ろされている生徒たちは全員男だったが、仁王立ちしている臨也を見上げてたちまち顔を赤らめる。今にも見えてしまいそうなスカート丈にチラチラと視線を向け、ドギマギしている様子だった。臨也はそんな男子生徒たちをぐるりと見渡すと、低めた声で質問を投げかける。浮かべている笑みは変わっていないはずだが、その身に纏っている空気の温度が一変したようだった。

「で、君たちは一体誰から俺が女装することを聞き出したのかな?更に他の生徒……例えばお友達にも教えたりしたのかい?」

男子生徒たちは口籠って顔を見合わせたが、臨也が静かに一歩を踏み出すと顔色が変わった。青ざめた表情でほぼ同時に臨也のクラスに所属する男子生徒の名前を叫ぶ。名を呼ばれた男子生徒は大きく肩を跳ねさせ、臨也を振り返って硬直する。倒れていた生徒たちは一目散に逃げ去っていったが、臨也はそれを引き留めることなく一瞥しただけだった。おそらく生徒たちの顔と名前は既に覚えているのだろう。情報を漏洩させた当の男子生徒は、クラスメイトに取り囲まれて右往左往している。教室の外の人だかりは随分と減っていたが、このお祭りムードの中では情報の伝わるスピードも速いだろう。臨也は重い溜め息を吐きながら顔を上げ―――人だかりの中に見覚えのある姿を見つけた。思わず一歩後退り、ひくりと頬を引き攣らせる。

「……よお、臨也」

そう口にしたものの、次にどんな言葉を続けるべきか分からなかったらしい。門田は挙げた右手を下ろすと、気まずそうに視線を逸らして教室の奥にいる新羅を見た。

「岸谷も、珍しい恰好してるんだな」
「人手不足でね。僕と臨也も狩り出されることになっちゃったんだ」
「そうだったのか」
「おや、門田くんは知ってて来たんじゃないのかい?」
「いや……俺は無理矢理連れて来られただけで、何も知らなかった」

門田はそう言って視線を再び臨也へ戻した。臨也はいつの間にか普段と変わらぬ表情に戻っていたが、瞳の奥は笑っていない。自分の意志ではなかったとはいえ来てしまったことを後悔し、門田は帰ろうと踵を返しかける。しかし、そんな門田をクラス委員の男子生徒が引き留めた。

「門田くん!君、うちの喫茶を手伝ってくれないか!?」
「……は?」

驚きに目を見開いたのは門田だけではなかった。周囲のクラスメイトも新羅と臨也を除いた全員が首を傾げている。門田は振り返って首を捻り、理解できないと言いたげな様子で疑問を口にした。

「俺はこのクラスの生徒じゃないんだが」
「それは重々承知している。君のクラスは屋外でお好み焼きだったと思うが、君も店番をするのかい?」
「……いや、演劇部の手伝いがあって準備にも参加できなくてな。気を利かせてくれたのか、店番も免除してもらったよ。俺は今朝の買い出しだけでお役御免だった」
「なら、今日は一日暇しているということだな」
「それはそうだが……」

門田は少し困った様子で視線を泳がせる。臨也はといえば先程までの引き攣った表情はどこへやら、何故か楽しそうな笑みを浮かべていた。

「暇なんだろ?人助けだと思って手伝ってよ」
「……お前は知ってると思うが、俺は昨日まで演劇部の手伝いで忙しかったんだ。今朝も買い出しで重い荷物を持たされたし、正直疲れてる」
「でもドタチン……このままだとうちのクラス、大変なことになると思うなぁ」

歩み寄ってきた臨也は門田の顔をじっと見上げる。門田は静かに臨也を見つめ返していたが、しばらくすると臨也は焦れた様子で眉根を寄せた。それから、何かを思いついたように大仰に両手を広げてみせる。その場でくるりと一回転するとスカートの裾がはためくが、それを気にも留めない。

「いいこと思いついた!俺と新羅が整理券を作るから、ドタチンは入り口でそれ配ってよ」
「え、僕も?」

急に巻き込まれた新羅はあからさまに嫌そうな表情を浮かべたが、臨也はそんな新羅をさっくり無視する。門田を見上げながら人差し指を立て、名案だとばかりに得意げに笑った。

「整理券…?」
「そう。女の子とか俺目当てに来て、ろくに注文しないような客には渡さないで。そういう奴らを追い返してくれると助かるなぁ」
「……ウエイターというよりも、用心棒ってことか」
「ドタチン、腕っぷしに自信あるでしょ?ほら、うちのクラスにはそんな人いないから」

静雄とやり合える自らの身体能力を棚に上げてそう言い、臨也は笑みを深める。横からクラス委員と新羅、女子生徒たちからも賛同されて、お人好しの門田が断れるわけもない。

「―――今日だけだぞ」

溜め息交じりに頷いた門田の視界の隅では、情報漏洩させた男子生徒が給仕服を脱がされていた。まるで見計らったかのように、その生徒の体格は門田と変わらない。まさか、という思いが過ぎって門田は整理券の準備に取り掛かっている臨也に視線を向けた。しかし、流石にここまで仕組めはしないだろうと思い直す。門田は周囲に急かされるままに給仕服へ着替え、五分後には臨也からお手製の整理券が入った袋を持たされた。廊下の外から待ちきれないといった様子のざわめきが伝わってくるのを感じながら、門田はドアの前に立つ。すると、臨也が音もなく近寄ってきて門田の腕を掴んだ。振り返れば予想以上に近い距離に近付いていた臨也に驚かされる。

「な、んだよ」
「ネクタイ曲がってる」

臨也はそう囁きながら門田のネクタイを掴む。細い指先が曲がっていたネクタイを器用に整え、少し崩れていた襟元まで綺麗に直した。臨也は満足そうに微笑むと、至近距離のままで門田を見上げた。

「何か気付かない?」
「……は」
「ほら、よく見てよ」

そう言って臨也はどこか楽しげに微笑む。その弧を描いた唇が、少し人工的な色を乗せて艶めいていた。肌も普段以上にきめ細かく見え、蛍光灯の光を受けて玉のように輝いている。

「お前、化粧してる…のか?」
「うん。女の子にされちゃってさ。でも、結構楽しかったよ」

くすくすと笑って臨也は目を伏せる。よく見れば、目蓋にも色鮮やかなラメパウダーが乗せられていた。睫毛も普段より長く見える気がする。

「……綺麗だな」

気付いた時には口が勝手に動いていた。嫌がるのではないか、とか揶揄されるのではないか、という思いが去来したが、臨也の反応はそのどちらとも違っていた。赤い瞳を丸く見開いた臨也は瞬きを繰り返し、それからぱっと門田から距離を取る。頬が赤いように見えたが、それはチークのせいかもしれない。

「いざ…」
「ほら、もうオープン時間だよ!いってらっしゃいドタチン!」

ドンッと背中を押され、門田はドアを開けて廊下に出ていく。廊下の喧騒が一気に流れ込んでくる中、一瞬だけ背後を振り返る。臨也は僅かに俯いて口元を覆っていた。次の瞬間には臨也の姿は視界から外れてしまったが、門田は頬が緩みそうになるのを堪える。咳払いをして顔を上げ、蛇行している待機列に向かって声を掛けた。明らかに女子生徒や臨也目当てであろう生徒を追い返し、整理券を配り終えると既に二十分以上経過している。門田は疲労を感じて溜め息を吐きつつ、教室内へ戻った。教室内では新羅や臨也を含めた生徒たちが忙しなく動き回り、オーダーを取ったり、食べ物をテーブルに運んでいる。門田は衝立で遮られている奥の方へ行き、そこでエスプレッソマシンを動かしているクラス委員の男子生徒へ声を掛けた。整理券を配り終えた旨を伝えると、今度は裏方を手伝ってほしいと言われる。そうして手伝いはじめると、時刻はあっという間に経過していた。十二時になると、門田は休憩に出ていいと言われた。着替える時間は無いのでそのままの格好で教室を出ると、少し離れた場所で臨也は腕を組んで壁に凭れ掛かっている。周囲には人だかりが出来ており、臨也は僅かに疲弊した様子だ。

「お前も今から休憩か」
「うん。やっぱり着替えてくればよかったかな」
「まぁ……目立っているのは事実だな。お前、ジャージ置いてないのか」
「ジャージ?授業ないから持ってきてないよ」
「じゃあ俺のクラスに来い。今日は空き教室になってるから」
「……うん」

門田は臨也の手を引き、人波を掻き分けて歩き出す。俯き気味で歩いているお陰でだんだん人目につかなくなっていったが、やはり噂は校内全体に伝わっているらしい。ひそひそと囁く声が耳触りで、門田の眉には自然と皺が寄る。臨也自身が強く嫌がっていないとはいえ、不躾に向けられる好奇の視線は不快でしかなかった。


×


門田のクラスは中庭に出店しているので、教室は使われておらずガランとしていた。誰も居ない教室に入ると、臨也は深い溜め息を吐き出す。適当な椅子を引いて腰掛けると、ぐったり背中を丸めた。

「ほら」
「ありがと。ドタチンはジャージ置いてたの?」

門田からジャージを受け取り、臨也は不思議そうに尋ねた。門田はロッカーを閉じながら振り返り、ゆっくり首を横に振る。

「昨日、本来なら授業があるはずだったんだ。でも学園祭準備が終わっていなくて潰れた」
「なるほど」

メイド服の上からジャージの上着を羽織り、臨也は少し安堵した笑みを浮かべる。短いスカート丈は気になるが、下まで穿けというのは憚られた。門田は自分の財布を手にして左右に揺らす。

「疲れてるだろ。食いたいもんあるなら買ってくるぞ」
「うーん……どうしようかな。正直、俺の格好に対するみんなの反応を見るのは楽しいんだけどねぇ」
「静雄に見つかったらどうするんだ」
「あぁ、それは考えてなかった。確かに面倒そうだ」
「だろう?適当に買ってくる。文句は言うなよ」

門田はそう言い残して教室を出ると、出店が立ち並ぶ中庭へ向かう。お昼時ということもあって人でごった返していたので、給仕服でも過剰に目を引くことはなかった。まずは自分のクラスの店に向かい、お好み焼きを二パック購入する。クラスメイトは門田の格好を見て演劇部の衣装だと勘違いしていたが、喫茶店を手伝わされているのだと訂正しておいた。お好み焼きと一緒にラムネも二本購入すれば、ビニール袋をつけてくれたので有り難く受け取る。他にも何かないかと周囲を見渡し、空いていた店でフライドポテトを一パック購入した。ずしりと重くなったビニール袋を抱え、門田は教室へ戻る。臨也は窓からグラウンドを眺めていたようだったが、門田が戻ったことに気付くとスカートを揺らして駆け寄ってきた。門田が持っているビニール袋を覗き込み、小さな鼻をくんくんと動かす。

「早かったね。いい匂いがするけど、お好み焼き?」
「俺のクラスのな。あとはフライドポテト……これは多分冷食だろうな」
「まぁ、ジャンクフードもたまには悪くないかもね」
「好きじゃないんだっけか」
「あんまり。俺は人が作った料理が好きだからさ」

門田は相槌を打ちながら輪ゴムを外してパックを広げ、ラムネ瓶を置いた。誰のものか分からない机を勝手に動かして、臨也が座る机とくっつける。それを見ていた臨也は、割り箸を割りながらどこか楽しげに口を開いた。

「なんか新鮮だね、ドタチンと教室でお昼食べるなんて。君と食べる時っていつも屋上でしょ?もし同じクラスになったら教室で食べることもあるのかな」
「……来年のクラス替え次第だろうな」

学園祭ということイベントの臨也はいつもより上機嫌だ。女装そのものに抵抗があるわけではないらしい上に、趣味であると公言している人間観察もいつもと異なる周囲の反応を楽しめて、疲れるということ以外にデメリットを感じていないのだろう。いただきまーすと無邪気に言い、臨也は湯気を立てているお好み焼きに箸を立てた。柔らかい生地を箸で切って持ち上げ、口へ運ぶ。ソースで口周りを汚すことなく咀嚼すると、満足げな笑みを浮かべた。

「うん、美味しい」
「試作を重ねたと言っていたからな。うちの副担任、家庭科の先生だろ?だから色々アドバイス貰って、家庭部の女子が中心になって作ってるんだと」
「なるほどね。ドタチン、料理出来るんでしょ?君が焼いてるのも見てみたかったな」
「……演劇部の助っ人がなければやらされていただろうな。当日の店番はしなくていいと言われたのに、昨日の準備中に強引にねじり鉢巻きをつけさせられた」

新しい苦い記憶を反芻し、門田は眉を顰める。臨也はお好み焼きを咀嚼しながら笑みを堪え、残念そうに笑った。

「あー、それ見たかったなぁ。だって絶対ドタチン似合うでしょ」
「そうか?」
「うん。その給仕服もいいけど、君の場合はそういう男臭い恰好の方が似合いそうだ」

そう言って臨也は笑う。門田はお好み焼きを咀嚼しながら、一度飲み込んだ疑問が湧き上がってくるのを感じた。女装する噂を流布したのは臨也自身なのではないか?あの男子生徒が漏らすように唆したのかもしれない。自棄に強引な友人に臨也のクラスまで連れて来られたが、それも今考えるとどこか怪しかった。それに加え、情報漏洩の罪に問われた男子生徒と門田の体格はほとんど同じだった。

「なに考えてるの?」

ふと気付けば、正面に座る臨也から顔を覗き込まれていた。門田は口腔内の咀嚼物を飲み込むと、冷たいラムネで流し込む。炭酸の弾ける泡と舌に残る甘さがやけに強く感じられた。

「……なんでもない」
「嘘。余計なこと考えてたでしょ」

緋色の瞳にはありありと疑心の色が浮かんでいる。門田は黙って首を横に振り、フライドポテトへ箸を伸ばした。少し冷めてしまってはいたが、塩気の強いポテトはジャンクで美味い。臨也は不満そうに門田を見つめていたが、やがて諦めたのか残りのお好み焼きを食べはじめる。門田はポテトを勧めてみたが、臨也は拗ねたように顔を背けた。

「ジャンクフードもたまには悪くないんじゃなかったか?」
「いらないったら。ドタチン一人で食べなよ」

つっけんどんに言い捨てて臨也はラムネを煽る。ソースの濃い味を流し込んですっきりしたのか、ナプキンで口元を拭って息を吐く。そこで臨也はナプキンに視線を落とし、あっと声を上げた。ポテトを摘むのをやめた門田が顔を上げると、臨也は少し気まずそうにラムネの蓋を閉める。

「どうした」
「別に」

明らかに何かを隠している臨也を疑わしく思い、門田は箸を置いた。首を傾げて臨也の顔を覗き込むと、その唇に違和感を感じた。

「あぁ……口紅か?」

門田の指摘に臨也は俯き、視線を逸らす。そんなに気にすることだろうか、と思いながらも自然と門田の手は動いていた。今日は臨也に翻弄させてばかりで、なんとなく意地の悪い気持ちが芽生えたというのが正直なところだった。

「そんなに気に入っていたのか?また塗り直してもらえよ」

ジャージを着た臨也の腕を掴み、門田は揶揄するようにそう言った。臨也は複雑そうな表情で瞳を眇める。

「気に入ってたわけじゃないけど……なんとなく、落としたくなかったから」
「なんとなく?」
「言ったでしょ。結構楽しかったって」

開き直るような物言いが予想外で、門田はしばらく瞠目する。女装に拒否感を抱いていなかったにしろ、ここまで積極的だとは思わなかったのだ。とはいえそれに対して嫌悪感を抱くことはないので、静かにそうかと頷いた。臨也は席を立って門田の横に立ち、細い腕を伸ばしてくる。半ば倒れ込んでくる臨也の身体を受け止めた門田は、僅かに苦笑を浮かべた。華奢な身体の感触は普段と変わらない。しかし、ふわふわと柔らかな衣服の感触にどこか落ち着かない気分になった。

「ドタチンは、こういうの好き?嫌い?」
「……初めて見たからな。明確にどうかは自分でも分からないが」

言い淀むような言葉を紡いでいると、臨也は門田の肩に手を置いて顔を上げた。まるで何かを推し量るように門田をじっと見つめる。門田は臨也の頬に触れようとしたが、化粧が崩れてしまう可能性に思い至って手を止めた。艶やかな黒髪を梳くと、絡まることなく門田の手の中で流れていく。

「似合ってるし、いいんじゃないか?」
「……そっか」

門田の答えを聞いた臨也は花が咲くように微笑んだ。穏やかな笑みはメイド服という格好のせいか、いつもより柔らかく見える。門田は髪を梳く手を止めないまま顔を寄せ、そっと口づけた。臨也は唇が離れる瞬間に門田の唇をぺろりと舐め、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ポテトの、塩の味がする」
「美味いか?」
「これだけじゃ分かんないよ」
「まだ残ってるぞ、ほら」

門田はパックの中のポテトを指し示したが、臨也はつまらなさそうに首を横に振る。門田の給仕服の襟を掴み、再びキスを強請るように顔を寄せた。しかし門田はちらりと壁掛け時計に目を遣ると、臨也を引き剥がして立ち上がる。

「もう時間だ。戻るぞ」
「えー」
「俺たちが戻らないと他の奴らが休憩に行けないだろ」

露骨に機嫌を害した様子の臨也を窘めつつ、門田はパックやナプキン類を片付けた。残っていたポテトのパックは閉じて輪ゴムをかけ直す。冷めてしまうだろうが、オーブンで温め直せば食べれないことはないだろう。門田は残っていたラムネを飲み干し、臨也が着ているジャージの首元を軽く引っ張った。首が締まると文句を言う臨也を連れて教室を出る。一応ジャージを着せてはいるものの、顔が見えているだけで臨也は周囲の目を引く。距離にすればたったの十数メートルだったが、好奇の視線を浴びながら戻ることになった。教室のドアを開けて入りながら、臨也は眉根を下げて呟く。

「しばらくは変な噂を立てられそうだ」
「そんなの気にするタマか?お前の場合、逆に楽しむだろ」
「まぁ、それはそうなんだけど」

臨也は苦笑しながらも辟易した様子だった。思ったよりも疲れているのかと思い、門田は教室のドアを閉めて臨也の頭をポンと叩く。その瞬間に周囲から視線を向けられた気がしたが、門田は特に気にすることなく臨也を見下ろした。

「噂も上手く利用してやればいい。得意分野じゃないか」
「……もしかして、励ましてくれてるの?ドタチン」
「そう受け取るかどうかも自由だ」
「素直じゃないねえ」
「お前には言われたくないさ」

そう言って臨也の髪をぐしゃりと掻き回す。臨也は嫌がって顔を顰めたが、それよりもキャーッという黄色い声に門田の意識は持っていかれることになる。ふと周囲を見渡せば、客として訪れている生徒はなぜか女子ばかりになっていた。顔を赤らめた女子たちが食い入るように見つめてくることに門田が後退ると、頭上の手を退けながら臨也が低い呟きを零す。

「ドタチンのせいで変な噂がまた増えそうだね」
「……」
「あ、門田くん!折原くん!」

門田が押し黙っていると、メイド服の女子生徒を呼んで手招きした。二人は衝立のある裏方側へ行くと、揃って首を傾げる。

「どうしたの?なんか女子ばっかりになってるけど」
「それが、折原くんの目当ての子がすごく多くて……折原くんを見るまでは帰れない!ってなかなか帰ってくれなかったの」
「なるほどな。ずっと居座ってるってことか」
「ごめん、迷惑掛けちゃったね」
「う、ううん!それは別に……ただ、その……」

女子生徒は言いにくそうに言い淀み、なぜか臨也ではなく門田をちらりと見上げた。門田は意図を測りかね、不思議そうに目を瞠る。

「どうした?」
「実は、折原くんだけじゃなくて……門田くん目当ての子も結構いるみたい。午前中に来た子たちがあちこちで話してて、噂になってるの。うちのクラスに行けば執事服の門田くんが見れるよーって」
「……え?俺?」

予想外の言葉に門田は呆然と呟く。女子生徒は気の毒そうに見上げてきていたが、臨也は楽しそうな笑みを浮かべていた。卓上から客から回収した整理券を一枚取り出し、その紙を弄ぶように揺らしてみせる。

「あらら。まぁドタチンは廊下で整理券配ってたもんね。君は背も高いし、給仕服なんか着てるし、ただ整理券を配ってるだけでも目立つに決まってる。それに比べて、俺はずっと教室内にいるわけだし。視覚的な情報の方が伝わるのも断然速いだろう」

明らかに現状を楽しんでいる臨也に視線を向ける。臨也の手から整理券を取り上げると、門田は胸の内に潜めていた疑心を露わにした。

「臨也」
「なあに」
「わざと俺に整理券を配らせたのか?」
「さあ?どうだろうね」

はぐらかすような言葉に門田は眉を顰めた。二人の間の空気がピリッと乾いたことを感じ取り、女子生徒は顔を引き攣らせる。その場を静かに離れると、表に戻るからと駆け足で去っていってしまった。門田は女子生徒を横目で見送り、溜め息を吐く。このままだと裏方の空気をただ悪くしてしまうだけになりそうだ。門田は整理券をビニール袋に戻してネクタイを締め直す。それから、にやけた笑みを浮かべている臨也を見下ろして口を開いた。

「詳しい話は後だ。俺も今から表に出る。今いる客が帰らないことには次の客も入れられないだろうからな」
「はいはい」
「ちゃんと給仕しろよ。愛想よく振る舞うのはお前の十八番だろ」
「ドタチンも俺を見習っていいよ?愛想のいい君なんて珍しいし、見てみたいなぁ」
「……馬鹿言うな」

今日だけで何度目になるか分からない溜め息を吐きながら、そう口にするのが精一杯だった。


continue...



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