あまい香りのせいにして

※静雄→臨也前提 ※臨誕


「シャンプーでも変えた?」

投げかけられた問いに振り返った臨也は静かに微笑む。

「よく判ったね。でも残念ながらシャンプーじゃない」

臨也は笑みを絶やさないまま、自らの席に腰を下ろした。艶のある美しい黒髪を指先で軽く弄んで視線を移す。紅玉にもよく似た色の瞳が、陽の光を受けて煌めいていた。

「じゃあ香水かな」
「ご名答。まさか新羅が気付くとは思わなかったけどね」
「目の前を通られたら流石に気付くよ」
「アハハ、そう?俺の匂いに敏感なんてシズちゃんみたいだね」

臨也の声は笑っているが、その表情は忌々しげに歪められている。新羅は呆れたように肩を竦めて苦笑した。

「やだなぁ。僕は静雄みたいに君に執着しないよ。僕が興味を持っているのはセルティだけさ!」
「その同居人、いつになったら会わせてくれるんだ?」
「臨也には会わせたくないね。絶対に」
「つれないなぁ」

臨也は肩を竦めて苦笑する。新羅が口を開こうとした瞬間、教室の扉が大きく開け放たれた。室内を満たしていた平穏な空気が一瞬にして乱れ、一部の女子生徒が悲鳴を上げる。闖入者は鋭い視線で教室の中を見回すと、臨也に向かって大股で歩み寄ってくる。

「おや、静雄だ」
「……最悪だ。新羅、君のせいだぞ」
「噂をすればってことかい?でも静雄くんの名前を出したのは臨也の方じゃないか」
「臨也ァッ!」

椅子に座っていた臨也の胸倉を掴み上げ、静雄はぐいと顔を寄せた。額には青筋が浮かんでおり、周囲のクラスメイト達はたちまち二人から距離を取る。新羅だけはその場を動くことなく、場にそぐわないほど穏やかな笑みを浮かべていた。

「やぁ静雄。今日は朝から随分と機嫌が悪いね。また臨也に何かされた?」

にこやかに投げかけられた質問を無視し、静雄は拳に力を込める。インナーシャツがミチリと嫌な音を立てたのを聞いて、臨也は胸倉を掴まれながら眉根を寄せた。

「ちょっとシズちゃん、俺のシャツ破かないでよ」
「うるせえ」
「もしかして俺のこと脱がしたいの?この衆人環視の中で?シズちゃんってば、とんでもない変態趣味だったんだね」
「アァ!?」

怒りのあまり拳に再び力が籠り、臨也のインナーシャツから繊維が千切れる嫌な音が立つ。本当に破ってしまいそうになり、静雄は慌てて手の力を緩めた。自分が臨也をあらぬ意味で襲っていたなどという噂が立てばどうなるか、理解するだけの理性はかろうじて残っていた。

「ふざけんな!俺にそんな趣味はねえ!」
「じゃあその手を離してくれる?いい加減に鬱陶しいんだよね。ていうか貴重な昼休みの邪魔してこないでよ。俺、今日は君に何もしてないでしょ?」

呆れたように肩を揺らす臨也の胸倉を掴んだままで、静雄は大きく目を見開く。鳶色の双眸がギラリと猛獣のように光る。本能的な恐怖で思わず背筋が震え、臨也は僅かに口角を引き攣らせた。

「手前、今日はいつも以上にくせえんだよ!」
「……はあ?」

思わず間の抜けた返事をしてしまったのは、静雄の言葉が予想出来得る範疇から外れていたからだ。今日こそ静雄に直接何もしていない臨也だが、相変わらず他校の生徒が静雄を襲撃させる計画は進んでいる。有りもしない噂を流布させれば頭の悪い人間は容易に食いつき、静雄に勝って名を上げるという無謀な行動に出た。そんな哀れな人間を眺めるだけでも愉しかったし、静雄が困惑している様はそれ以上に愉快だ。学校行事の際には行内の喧騒に便乗して更なる策謀を巡らせており、もっと細かな嫌がらせで無数に考えている。しかし、静雄の嗅覚が無駄に冴えていることも臨也は理解している。そういった計画を嗅ぎつけられたのかと警戒していた臨也は、がくりと身体から力を抜いた。胡乱げに静雄を見上げると、ジトリと瞳を細めた。

「なにそれ。シズちゃん、もしかして俺の匂いが変わったのを嗅ぎつけて昼休みになった瞬間にこの教室まで来たわけ?」

臨也は心底嫌そうに顔を顰めると、静雄の隙を突いて身を捩る。腕の中からするりと抜け出し、周囲にいたクラスメイトが離れていることを確認して静雄から距離を取った。紅い瞳で静雄を睨めつけ、嘲るように鼻を鳴らす。

「君のその嗅覚、まるで犬だね。馬鹿の一つ覚えみたいに匂いだけでギャンギャン吠え立てるところなんかもそっくりだ。これだから俺は犬嫌いなんだよ」
「俺は犬じゃねえ!」
「あーはいはい、シズちゃんの知能じゃ犬以下かもね」
「手前ッ……!大体なァ、その匂い気持ち悪いんだよ!前よりも甘い匂いでプンプン残りやがる!」

静雄の言葉に臨也は虚を突かれたように固まり、それから口角を持ち上げた。口元は笑みを形作っているが、双眸は底冷えするように冷たい色を浮かべている。

「へぇ、本当に犬並みじゃないか。この香水の甘さまで分かるなんて」
「分かるに決まってんだろうが!無駄に甘ったるくてベタベタしてて、鬱陶しいんだよ…ッ!」
「ふーん?俺はこの香り、気に入っているんだ。……ある人が俺に贈ってくれたんだよ」

香水を吹き付けた場所だろうか、臨也は袖口を軽く捲り上げて日に焼けていない手首をそっと撫でた。細い指先が慈しむように滑らかな皮膚を辿る。それがやけに艶めかしく映り、静雄の頬に朱が散った。

「シズちゃんには香水を贈ってくれる人なんて居ないだろうけどね」

そう呟いた臨也の背後に、香水を贈ったという誰かの姿がぼんやりと見えたような錯覚に陥る。静雄がその幻覚を振り払おうと頭を振ると、臨也が視線を投げかけてきた。真っ赤な瞳に見つめられるだけで燻ぶった感情が煽られる。怒りが奔出していくのを堪えることはできず、静雄は大きく声を張り上げた。

「俺はその匂いが嫌いだ!!」

張り詰めていた空気がビリビリと震える。室内に轟いた静雄の声にクラスメイトは慄き、数人の女子生徒が廊下へと走り去っていった。あと数分もすれば教師を連れて戻ってくるかもしれない。当の臨也は静雄の叫びを受けても怯むことはなく、うっそりと微笑んだ。

「そうなんだ?シズちゃん避けになるなら、ずっとつけておこうかな」

あまつさえ、そんな言葉を零しながら。


×


チャットルーム

折原臨也、復活!

『やぁ折原、いらっしゃい。今日も何か悪巧みをしたのか?』
『やだな、今日は何もしていないよ』
『今日は……ね。相変わらず静雄の周囲を引っ掻き回しているようじゃないか。彼の弟は君を疑いはじめているぞ』
『そうだな。まぁ、もう少しは様子見とするよ。あいつ自身は気付きそうにないし、幽くんの方がずっと賢そうだ。あの弟を俺が手籠めにしたら奴が一体どんな顔をするのか、想像しただけで愉快だ』

軽やかにタイピングを続けながら臨也は子どものような笑みを浮かべる。窘めるような返信の文字を見ても、その笑みは崩れることはない。

『お遊びも程々にしておけよ。調子に乗ると痛い目を見ることになる』
『ご忠告どうも。池袋を荒されるのがそんなに気に食わないか?』
『そういうわけじゃない。池袋という街が人格を獲得するためには人間という細胞同士のやり取りが必須だからな。お前がその細胞の一つであり、街の人格形成に必要であるという可能はある』
『おいおい、俺のことは細胞扱いか?』
『喩え話だよ。まぁ、流石に度を過ぎれば俺も看過できないが』
『相変わらず、お前の考えはオカルティックだな』
『そういうお前だって最近は神話について調べているだろう?』
『……なぜ知っている』
『おや図星かい?……あぁ、それより贈り物はお気に召したかな』

タイピングを続けていた臨也の指が暫し動きを止める。すぐに動きを再開して文字を打ち込むが、僅かに生まれた空白の時間を画面越しの相手が見逃すことはなかった。

『香水のことなら使ってないぞ』
『……返信までに間があったね。さては使ってくれているのかな』
『使ってないって言ってるだろ』

口角が自然と下がり、苦い表情へと変わっていく。自分の表情変化を自覚しているのか、臨也は思わず小さく舌打ちを零した。

『へえ?それが事実ならとても残念だな』
『大体、一度も会ったことがない人間に対して香水を贈るってどういう神経してるんだ?それに、俺はお前に誕生日を教えた覚えはないんだが』

指を止めることなく文字を打ち込みながらも、臨也の表情がほんの少し歪む。ディスプレイに表示されている現在の日付は5月5日。荷物が届いたのは臨也の誕生日である昨日、5月4日の夕方だった。送り主が記載されていない定形外郵便の小包を開けるべきか悩んだのをよく覚えている。結局、開けたがる双子を追いやりながら開封したのだが―――中から出てきた上品な香水瓶を目にして、臨也の思考は数秒間停止した。その時のことを思い出し、臨也は苦々しい表情のまま液晶画面を睨みつける。

『そうつれないことばかり言うなよ。お前に似合いだと思ってセレクトしたんだ』
『戯れ言を』
『嘘じゃないさ。柑橘系の爽やかな香りも似合うが、甘い香りこそお前の魅力を引き立たせると俺は思っているよ』
『どうして俺が柑橘系の香水を使っていることを知っているのかは追及しないでおくよ』

呆れながらそう入力した臨也だったが、次に画面に表示された文章の羅列に再び指を止めることになる。

『お前のことで知らないことはない―――とは言わないけど、よく知っているよ』
『それに、愛らしい折原に甘い香りはぴったりだ』
『あぁ、すっかり言いそびれてしまっていた』
『誕生日おめでとう、折原』

じわりと込み上げてくる微熱は思い過ごしではないだろう。全身を侵食していく熱を持て余したまま、臨也は指先に力を込めた。顔が朱に染まってしまう前に、このチャットルームから消えてしまいたい。画面越しでは相手に見えるわけがない―――そう理解しているはずなのに、たまらなく逃げ出したくて仕方がなかった。

『……用事がある。今日はもう落ちるぞ』
『おや、残念だな。またいらっしゃい』

折原臨也、死亡確認!

『……俺はお前を待っているよ。このチャットルームでずっとな』

真っ黒になった画面の向こう側で、臨也は唇を強く噛み締めて顔を伏せる。自らを包み込む香水の甘いラストノートを振り払うように。齎された言葉によって胸の中に渦巻く―――燻ぶるような熱を誤魔化すために。


end.




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