きみは時々魔法を使う

※クリスマス


吐いた息が溶け消えていくのを見送りながらヴォルフラムは金色の睫毛をそっと伏せた。腰掛けた木のベンチにはすっかり熱が移っていて、乾いた風に吹かれてぶるりと身を震わす。少し大きめの手袋に包まれた両手を擦り合わせ、軽く肩を竦めた。見上げた先の広葉樹から何枚かの落ち葉が散っていく。

「ヴォルフ―!」

少し離れた屋台から離れ、黒髪の少年がこちらに手を振りながら歩いてくる。片手には紙製の器を持っていて、そこからは湯気が上がっていた。少年の声に周囲の人間が振り返り、その視線の先のヴォルフラムを見てひそひそと声を立てる。最初こそ、奇異の視線は自分に向けられているものではないと思っていた。しかし、今はそれが自分に向けられているとはっきり分かる。ヴォルフラムは溜息を吐きながら立ち上がると、黒髪の少年へ歩み寄る。

「ユーリ」
「ごめん、待たせちゃったよな。ちょっと混んでてさ。ほら、爪楊枝2本つけてもらったから……これヴォルフのな。この尖ってる方で刺して食べるんだ」
「これが、タコヤキか?」
「そ。外側の生地はこの前食べたお好み焼きってあっただろ?あれと似た感じでさ、中にはタコが入ってるんだ。あ、熱いから火傷すんなよ」

ユーリはそう言いながら舟型の紙皿を差し出す。ヴォルフラムは手袋を外してダッフルコートのポケットに入れ、言われるがままに爪楊枝を手に取った。たこ焼きを刺し、ゆっくりと持ち上げる。綺麗な正円を描いているその形状は美しく、上にかかっているソースやかつおぶし、青のりの香りに目を丸くした。お好み焼きに似た感じはするが、このたこ焼きはまた違った風情がある。ヴォルフラムは小さく口を開け、たこ焼きにかぶりつく。落とさないように半分食べると、断面部分から中心に鎮座しているタコの身が覗いた。少し濃い味付けに眉を顰めつつ、残りの部分も食べてみる。タコの身の柔らかく弾力のある味わいと生地部分のジャンクな味が絶妙に合っている。しばらく黙って咀嚼していたヴォルフラムを眺めていたユーリは不安そうに眉根を下げる。

「……口に合わなかった?」

尋ねられたヴォルフラムははっと顔を上げ、慌てて首を横に振った。

「ち、違う!その、味は少し濃いが……美味しい」
「あーよかった。また気難しい顔してるからさ、口に合わなかったのかと思ったぜ」
「それに、ちょっと熱かったんだ」
「焼き立てだからなー。味が濃いのは少しソース多かったかもな。食べる時に減らせばいいよ、こうやって…」

ユーリは自分のたこ焼きの上にかかっているソースを爪楊枝で減らすと、横に寄せる。それを見てヴォルフラムはなるほどと頷き、2個目のたこ焼きに手を伸ばした。ソースの調節が上手くいったのか、今度は咀嚼しながらすぐ微笑む。ユーリはそんなヴォルフラムを眺め、彼の口の端に僅かにソースがついていることに気付いた。軽く身を屈め、ユーリは紙ナプキンを持ってヴォルフラムに近付いた。

「ヴォルフ、ちょっとじっとしてろ」
「?にゃんだ?」

たこ焼きを咀嚼しながら見上げてきたヴォルフラムを見下ろし、口の端をそっと拭ってやる。ヴォルフラムは不思議そうに目を丸くしていたが、ユーリの手でソースを拭われたのだと気付くとたちまち頬を赤らめた。

「あ、ありがとう」
「夢中になってたんだろ。ヴォルフが気に入ってくれて嬉しいよ」
「……うん」

軽く俯いたヴォルフラムを見つめるユーリは嬉しさを隠しもしない。気恥ずかしさが込み上げるばかりで、それを誤魔化すようにヴォルフラムは咳ばらいをした。

「そ、それよりユーリ。座って食べないか」
「ん?別にいいけど……ヴォルフが座ってたとこ、もう座られちゃってるぞ」

ユーリの言葉にさっきまで座っていたベンチを振り返ると、小さな女の子を連れた30代ぐらいの女性がスーパーの袋を置いて座っていた。ヴォルフラムと目が合うと、困ったように眉根を下げて立ち上がろうとした。それを慌てて制したのはユーリだった。

「あ、すんません、おれたちは大丈夫です!荷物あって大変ですよね?お母さんが座っててくださいー!」
「あ……ありがとう。助かるわ」
「ありあとー!」

女性は安堵したように微笑み、女の子は無邪気に手を振る。ユーリは嬉しそうに手を振り返し、ヴォルフラムの背中を軽く押した。

「この辺じゃ無理っぽいから、ちょっと移動しようぜ」
「あ、あぁ」

促されるままに歩き出しながら、ヴォルフラムは肩越しに振り返る。女の子が楽しげに女性の膝に抱き着き、抱っこを強請っていた。甘えるような表情に、女性も自然と笑みを浮かべる。自分と視線が合った瞬間の強張った表情を思い出して、少し胸が痛んだ。そんなヴォルフラムの様子に気が付き、ユーリは軽く首を傾げる。

「ヴォルフ?どうした?」
「いや……己の至らなさを思い知った」
「は?」
「お前が微笑みかけ、言葉を掛けるだけで民は喜ぶ。それはあちらでもこちらでも変わらないのだなと思って」

ヴォルフラムの大仰な言葉にユーリは仰け反り、苦笑いを浮かべた。指先で頬を掻きながら困ったように眉根を寄せ、言葉を探しはじめる。

「いや、民って。地球じゃおれもただの一市民でしかないんだけど」
「しかし……」
「ていうか、ヴォルフだって何もわがままで座りたいって言ってないじゃん。まだ立ち食いとか食べ歩きに慣れないんだろ?」
「それは、そうだが」

ヴォルフラムが言葉を濁すと、ユーリはにっこりと微笑む。安心させるようにヴォルフラムの背中をぽんぽんと叩き、少し冷めたたこ焼きを一つ頬張った。

「だろー?なら気にすることないって」
「……ユーリ、咀嚼しながら話すな。行儀が悪いぞ」
「はいはい。あ、こっちのベンチ空いてる」

広場から続く隣の公園に空いているベンチを見つけ、ユーリは小走りでそちらへ駆けていく。周囲には座ろうとしている人の姿はなく、ヴォルフラムは少し安堵しながら腰を下ろした。先に座っていたユーリは冷めてしまう前にとたこ焼きをもぐもぐと頬張っている。その様子がまるで長兄が好きな小動物のようで、ヴォルフラムは忍び笑う。

「なに笑ってんの?」
「いや、別に」
「ヴォルフも早く食べた方がいいぜ。ちょっと冷めてきてる」

言われるがままにヴォルフラムは爪楊枝を手に取り、たこ焼きへ突き刺した。先ほどまで熱々だったたこ焼きは、人肌ほどの温度になっている。猫舌のヴォルフラムにとっては冷めているどころか食べやすく、落ち着いてゆっくりと食べることが出来た。公園の中央にある噴水を眺めながらたこ焼きを咀嚼していると、先に食べ終わったユーリがナプキンで口元を拭いながら立ち上がった。ポケットから取り出したのは小さな財布だ。

「喉乾かねぇ?あそこに自販機あるし、なんか買ってくるぜ」
「……いいのか?」
「いーよ。ヴォルフは炭酸苦手だったよな。寒いし、あったかいお茶とかがいい?」
「ユーリに任せる」
「ん、分かった。ちょっと待っててな」

ユーリは噴水の向こうにある自販機に走っていった。たこ焼きを食べ終わったヴォルフラムは、座ったまま隣の広場の様子を眺める。ユーリに連れ出されてやって来たここはクリスマスのイルミネーションが名物らしく、様々な屋台が出ていた。クリスマスにちなんだイベントなのにチキンやピザの屋台は出ておらず、夏祭りのように焼き鳥やたこ焼きというラインナップばかりなのが不服らしくユーリは文句を言っていた。しかしヴォルフラムにとっては日本の食文化に触れるという意味で、興味深いことこの上ない。目を輝かせながら屋台を覗き込み、これは何だ?あれは何だ?と聞いてくるヴォルフラムを見るユーリの瞳は実に優しかった。それを思い出してしまい、ヴォルフラムの頬が熱くなる。地球では本当に初めて見るものばかりで、目新しい反面分からないことの多さに不安になることも多い。その度にユーリが根気強く教えてくれるが、ユーリが眞魔国へ来た時はどうだっただろう。

「お待たせー。はい、ホットのほうじ茶な。お前好きだったろ?……ヴォルフ?」
「あ……ありが、とう」
「どした?難しい顔しちゃってさ」
「少し、考え事をしていて」

ペットボトルを蓋を捻って開けながら、ユーリは首を傾げた。ボトルの中では薄緑色の液体が揺れている。薄く湯気を立てている緑茶を飲んで、ヴォルフラムに話の続きを促した。

「おれに言えないこと?」
「そんなことは…」
「じゃあ教えてよ」

少し前まではヴォルフラムが考え事をしていても、その先に踏み込んでくることはなかっただろう。躊躇なく話を聞いてくるようになったのは、ユーリが少しずつ自分で国政に携わるようになってきたからだ。自分が眞魔国を変えると明言したからには、国政をグウェンダルやギュンター任せにしていての変革は難しい。苦手な勉強をしながらも自分から国政に携わっていくうちに、ユーリの変化は人間関係にも如実に顕れてきた。分からないことや気になったことが少々聞きづらい内容でも、聞いてくるようになったのだ。自分が知らない過去の話など、今までは聞きたそうな表情を隠せもしないまま黙り込んだいたというのに。それはそれでいじらしく可愛らしいことこの上なかったが、正直に聞かれる方が気分は良い。ヴォルフラムは咳ばらいを一つし、ほうじ茶を口に含む。香ばしくも温かい液体をゆっくりと嚥下して薄い唇を開いた。

「お前が眞魔国に初めて来た時のことを思い出していたんだ」
「おれが?また懐かしい話を……」
「ユーリもあの時は随分と心細い思いをしたんじゃないかと、思って」

ヴォルフラムの言葉を聞くと、ユーリは黒曜石のような瞳を大きく見開いた。どうやら意外だったらしく、そのまま瞬きを繰り返して頭の後ろで手を組む。

「どうだろうなぁ。あんまり覚えてないけど……最初はすげー不安だったよ。目ぇ覚ましたら外人さんばっかりで言葉通じないし、いきなり石投げられたりアメフトマッチョ―――アーダルベルトに頭鷲掴みにされて、蓄積言語引き摺り出されたりして……」
「……フォングランツだけは絶対に許さないぞ」
「ま、まぁまぁ。アイツも悪い奴とは言いきれないし……えーと、そうじゃなくて。最初は不安だったけどさ、コンラッドに会ってからはだいぶ安心したよ。まぁ城に連れて行かれたと思ったら敵意剥き出しにされたり求婚だ決闘だってなった時には、もう不安とかそういう話じゃなかったけど」
「その件は、本当に……その、済まなかった」
「今更いいって。あれは美香蘭のせいもあったんだろ?お前に殺されるかもって思うと怖かったけど、でもやるしかないって気持ちだったよ。自分の持ってるスキルを自分にぶつけるだけだって思ってたから、そんなに迷いはなかった」

あっけからんと言ってのけるユーリは笑みさえ浮かべていて、ヴォルフラムはほうじ茶のボトルを握ったまま軽く俯いた。それから自嘲気味な笑みを湛えてユーリを見上げる。

「……ユーリは強いな。ボクはお前ぐらいの歳の頃には、そんなに肝が据わっていなかった」
「そりゃそうだろ。魔族の15歳なんてまだ子どもじゃん」
「しかし、魔族は成人の歳だ」
「そうだけど……でも、ヴォルフラムは成人の儀できちんと選択したんだろ。魔族側を」

ユーリに指摘され、頷きはしたもののヴォルフラムは目を伏せる。自分で選択をしたつもりではあった。しかしあの頃の選択が自分だけで選んだものだったと胸を張って言うことはできない。血盟城の中でほとんどを過ごし、周囲の貴族や血縁者の影響を大きく受ける幼少期を過ごしてきたからだ。ユーリに会った時に魔族以外のものを強く蔑む姿勢にあったのも、その影響が色濃く影を落としていた。しかしその真逆であるユーリは、コンラッドやギュンターの助言こそ受けながらも多くを自らの手で選択した。決闘の時も自分が持ちうる経験を活かし、自分の意見を突き通す。芯の強さには、目を瞠るものがあった。

「そんな顔すんなよ。また難しいこと考えてないか?」

俯きかけていたヴォルフラムの頬にユーリの指が触れる。温かいボトルに触れていたせいか、指は随分と暖かくなっていた。思わず目を閉じると、ユーリの指先が冷たくなった頬を軽く摘む。痛みを感じない程度に引っ張られて苦笑する。

「地球じゃヴォルフはお客さんなんだからさー。あんまり気負わなくていいんだよ。おれが初めて眞魔国に来て何も分からなかった時は、色々教えてくれただろ?その時と逆で、おれが地球のガイドしてやるって。まぁ地球規模じゃ無理だから日本……いや、埼玉と東京限定だけど」

元気づけようとしたであろう言葉がだんだん尻すぼみになっていくのに堪えきれず、ヴォルフラムは噴き出してしまった。ユーリはやっと笑ったヴォルフラムに安堵したらしく、少し表情を緩める。

「眞魔国に比べると随分と規模が小さいが?」
「仕方ないだろー。地球じゃただの一市民だって言ってるじゃん」
「そうだったな」

ヴォルフラムはわざと頬を膨らませたユーリに微笑み返す。ふと空を見上げれば、鼻の先に冷たい感触を感じた。首を捻りつつ手を伸ばすと、今度は手の平にも同じ感触が訪れる。

「……雪だ」
「え!?わっ、本当だ。ホワイトクリスマスだな。……まぁでも、今年も積もらないだろうけどな。おれが小さい頃は積もってたんだけど」
「そうなのか?」
「あーあ、積もったら雪合戦やりたかったのになぁ」
「ボクはそんな子供っぽい遊びはやらないぞ」

つまらないと言いたげに唇を尖らせたユーリにヴォルフラムは眉を顰める。流石は繁華街の夜遊びすらも断った男だ。伊達に82歳ではない。

「まーたそんなこと言っちゃって。ヴォルフも雪遊びなんてしたことないんじゃないの?王都もビーレフェルト領も雪が積もったりしないだろ?」
「まぁ、確かに珍しいものではあるが……」

眞魔国の王都もビーレフェルトも比較的温暖な土地ということもあり、雪が積もるどころか降ることもない。雪自体は国外で見たことがあるし、最近はカロリアでも見た。しかし、雪遊びなどヴォルフラムは幼い頃に少ししかやったことがない。

「だろ?な、もし明日積もったらやろうぜ!村田も呼ぶし、なんなら勝利も連れてくるし」
「……猊下もユーリの兄上も外遊びがお好きには見えないが」
「いーんだよ!2人より4人の方が楽しいだろ?」

食べ終わったたこ焼きの容器をゴミ箱に入れ、ユーリは座っていたヴォルフラムの手を引く。降り出した雪に随分と気分が上昇しているようだった。まるで子どものような無邪気さを目にして、思わずヴォルフラムの頬が緩む。

「そうだな」

ユーリは2人分のペットボトルを鞄に仕舞い、小さなイベントマップを取り出した。広場へと戻りながら奥にある灯りを指差す。無数の小さなライトがアーチ状になって輝きを放っていた。

「あっちでイルミネーション見れるんだ。ほら、行こうぜヴォルフラム」

おれが案内するから安心しろよ。そんな声が聞こえた気がして、ユーリの手を握り返しながらヴォルフラムは微笑む。小さな雪の結晶は、ユーリやヴォルフラムの頭や肩に落ちては消えていく。雪は明日、降り積もらないかもしれない。そう思いながらも、ヴォルフラムはそれでも構わないと思っていた。ユーリとともに過ごせるだけで、それが自分にとって得難いことになると理解していたからだ。繋いだ手から伝わる熱を噛み締めるように目を伏せ、ヴォルフラムはひっそりと微笑む。降り出したばかりの雪は、イルミネーションの灯りに照らされて美しく輝いていた。


end.




title by moss




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