It's up to you.

※大学時代


「ピアス開けようと思ってるんだよね」

軽い冗談のつもりだった。成人式を終えて数ヶ月後経ったばかりの頃で、少し気持ちが浮ついていたのかもしれない。大学の講義を終え、帰り道で一緒になった友人にポロリと零した何気ない会話の一部。別に本気で開けようと思っていたわけではなく、先輩の耳に何箇所もついているピアスを見てかっこいいと単純に思っただけだ。他人の影響を受けて深く考えずに発したその一言が、回り回って"あいつ"の耳に入るなんて思いもしなかったのだから。


×


「奈倉くんさ、ピアス開けたいんだって?」

バイトを終え、たまたま一人で外食していた日の帰り。店から出た瞬間に投げ掛けられた爽やかな声に、俺は仰け反りながら後退った。安い牛丼チェーン店におよそ似つかわしくない美しい顔の男は、俺の反応を見て不思議そうに首を傾げる。艶やかな黒髪が看板の白い光に照らされて輝いていた。俺の顔を覗き込むと、何が面白いのか彼はニヤリと笑う。

「なぁにその顔。鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔して」
「い、臨也……さん…」
「やだなぁ奈倉くん、俺たち同い年だろ?さん付けなんて他人行儀だよ」

そう言って歩道の縁石の上に乗ると、臨也は俺と並んで歩き出す。少し酒が入っているのか、白い肌が僅かに赤らんでいた。危なげなく縁石の上を歩きながら、臨也は赤い瞳で俺をじっと見つめる。

「偶然だね。こんなところで君に会うなんて」
「……明らかに待ち構えてましたよね」
「え?気のせいじゃないかな?」

臨也は白々しくそう笑うと、縁石から飛び降りて俺の目の前に立ちはだかった。ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま俺の顔をじっくり吟味すると、白い指先をついと伸ばす。反射的に目を瞑ると、くすくすと笑みが零された。何の痛みも衝撃も訪れないことに目を開けると、臨也の指先が俺の耳殻に触れる。するりと耳殻をなぞり、耳朶を半ば引っ張るように摘んだ。周囲の視線が集まっていることを感じて俺が声を上げると、臨也はゆっくりと手を離す。

「な、なにしてるんですか」
「んー?似合うかなぁと思ってさ」
「何が…」
「ピアスだよ。奈倉くん、開けたいんでしょ?」

なんでもないように言われた言葉に、俺はぽかんと口を開いた。回転が速くはない脳味噌で必死に過去の記憶を遡るが、どこにも臨也にピアスを開けたいと言った記憶は残っていない。残存するのは唯一、大学の友人に零した記憶だけ。

「なんで、臨也さんが知って」
「奈倉くんのことならなんでも知ってるよ」

不意に顔を寄せられ、耳に吹き込むように囁かれた低い声にぞくりと背筋が震える。ぱっと顔を離した臨也は呆然としているおれの手を掴むと、そのまま歩き出した。呑気に調子外れな鼻歌など歌っている。

「臨也さん、どこ行くんですか」
「俺の家だよ」
「臨也さんの家……って、最近一人暮らし始めたっていうマンションっすか。なんで……」
「なんで?おかしなことを訊くね。こんな場所じゃ出来ないだろ?」
「え?」
「それに、残念ながら病院はもう閉まってる時間だしね。あ、途中で薬局寄ろうか。ピアッサー持ってないよね?」

俺の手を引いたまま振り返った臨也は笑う。間違いない、臨也は自分の手で俺にピアスを開けようとしているのだ。急に全身の血の気が引くが、掴まれている手を振り払えば何をされるか分からない。黙ったまま俯いていると、臨也は俺の表情を見てけらけらと笑う。

「そんな深刻な顔しなくていいじゃないか。どうしたの?いざとなったら穴開けるのが怖くなっちゃった?」

穴を開けることが怖いんじゃなく、あんたの手で開けられることが怖いんだよ。そう言えればどれほど良かっただろう。ちらりと視線を上げただけで再び俯いた俺に、臨也は不思議そうな顔をするばかりだ。

「奈倉くんって先端恐怖症だっけ?大丈夫だよ。見えないようにするし」
「そうじゃなくて…」
「あれ?でも採血とか平気だよね。……まぁいいや、それだけ怖がるなら自分でやると失敗しかねないからね、俺がやってあげる。安心しなよ」
「…………」

この上なく安心とはかけ離れた状況だ。上機嫌で前を歩く臨也に気取られないよう、俺は深い溜息を吐き出す。冬も近くなった秋の夜空には、小さな星々がビルの合間から顔を覗かせて明滅していた。


×


薬局でピアッサーを購入させられ、俺は臨也の自宅マンションへ連れてこられた。オートロックやカードキーなど年齢におよそ似つかわしくないセキュリティの厳重さに慄いていると、音もなく高速で昇っていたエレベーターが指定の階に到着する。ポーンという音と共に扉が開き、目の前には大理石の床が広がった。ロビーにも廊下にも埃一つ落ちておらず、隅々まで掃除が行き届いているらしい。臨也は相変わらず俺の手を握ったままで廊下を歩くと、隅部屋の前で立ち止まった。臨也がカードキーを通すとカチャリと開錠される。臨也が扉を開くと、一歩踏み入れただけで自動で灯りがついた。俺が思わず感嘆の声を上げると、臨也はカードキーを収納しながらくすりと微笑む。そんなに珍しい?と言いながら俺の反応を楽しんでいるらしい。バイトしながら学費と家賃を必死に払っている、安アパート暮らしの俺からすれば天と地ほどの差がある。珍しいに決まってるだろと乱暴に言いたいのを堪えて頷くと、臨也は自分の靴を脱いで来客用のスリッパを指し示す。

「それ履いて上がってね。洗面所はそこの右手。手洗ったらリビングに来て」

俺から薬局の紙袋を受け取ると、臨也は一足先に洗面所へ消えていった。俺は靴を脱いで揃え、言われた通り来客用のスリッパを履く。先に手を洗った臨也がリビングに消えるのを見送ると、俺は洗面所で手を洗う。薬用のハンドソープは見たことがない銘柄で、かけてあるタオルも本当にハンドタオルなのかと疑いたくなるほど柔らかい。生活の質の違いをまざまざと感じさせられながらリビングへの扉を押し開くと、臨也は部屋の中央にある革張りのソファーに腰かけていた。ジャケットを脱ぎ、インナーだけになった姿は非常に目に毒だ。細い首筋から浮き出た鎖骨、ウエストや腰のラインがやけに強調されているように感じる。それだけならまだしも、男らしからぬ色気を持っているからタチが悪いのだ。俺は僅かに視線を逸らしながらソファーの横に立つと、テーブルの上に置かれた物を見下ろす。薬局で買ったピアッサーの他に除菌ジェルやガーゼが用意されていた。

「ほら、こっちに座りなよ」

自らの隣を指し示した臨也に促され、俺は逡巡ののちに腰を下ろした。臨也はピアッサーのパッケージを開封して中の説明書を一通り確認すると、除菌ジェルで手を消毒する。それから俺の髪を耳にかけると、ガーゼに除菌ジェルを含ませて耳朶を拭いた。どうやら消毒しているらしい。そのあと冷やすのかと思えば、臨也の手には既に滅菌パックに入ったピアッサーがあった。細い指先がパックを破ろうとしていることに気付いて、俺は慌ててソファーから立ち上がる。

「い、臨也さんちょっと待っ…!」
「何?ちゃんと消毒したよ」
「そうじゃなくて!あの、耳は冷やさないんですか」
「冷やす?」
「冷やした方が痛くないって言うじゃないですか」

焦りながら俺が言うと、臨也はピアッサーの入ったパックを揺らして笑った。奈倉くん、勘違いしてるね。愉しそうにそう呟きながら。

「冷やしても冷やさなくても特に痛みは変わらないよ」
「そうなんすか…?」
「冷やしている間は確かに血管が細くなるけど、冷やすのをやめると冷えた身体を温めようとして血管が広がる。血行が良くなって、その段階でピアッシングをするわけだから……分かるだろ?」
「出血のリスクが増加するってことですか?逆効果なんですね…」
「そう。しかも、痛いのが嫌だからって痛みを感じないほど強く冷やすと凍傷になってしまう。傷の治癒に対して良いとは言えないね。冷やすのはあくまで急性期の炎症……つまり、耳が熱っぽく腫れた時だけ」
「へぇ」

やけに詳しいなと思ったが、すぐに臨也の友人である闇医者の存在に思い至る。きっと、あの話の長い岸谷から聞いたどうでもいい蘊蓄の一つなのだろう。話を聞いている時はつまらなさそうな顔をしていながらも、しっかり話を覚えているのが臨也らしい。

「それに、ピアッサーの場合は開ける瞬間より開けた後に痛みが来るよ」
「えっ」
「ジンジンする感じね。だから開けた後に冷やす方が効果的」

でも大した痛みじゃないから安心しなよ。臨也は俺の顔の向きを固定すると、指先で耳朶のやわらかい部分に触れる。

「開ける場所はイヤーロブでいいかい?この柔らかいところ」
「一般的な場所っすよね?……大丈夫です」

俺の硬い声から緊張を感じ取ったのだろう。臨也は薄く微笑みを浮かべながらピアッサーを滅菌パックから取り出した。俺の耳を前後左右から確認して位置を決めたらしい。緋色の瞳が俺を見定めるようにじっと見つめる。

「だ、大丈夫っすよ」
「急に動いたりしないでよ。ずれちゃうから」

正しい警告のはずなのに、臨也が言うと脅しに聞こえてくる。俺は緊張感で速くなった鼓動を必死に落ち着けながら、震える声ではいと呟いた。臨也は視線を俺の耳朶に戻し、再度位置を確認すると―――指先に力を込めた。ガチャン!という音に肩がびくりと跳ねる。おそらく耳元で鳴ったせいで大きく感じるだけなのだろう。心配していたがチクッとした痛みが一瞬あっただけで、想像していたような痛みは訪れなかった。 臨也はキャッチに針が刺さっているか確認し、俺の耳からピアッサーを外す。

「…ね?大丈夫だったでしょ」
「は、はい。思ったより全然……」
「あれ、でも奈倉くん泣いてない?」
「え、」

臨也の指先が俺の目尻に触れる。すっと撫でるように触れた彼の指先には、確かに涙の粒が付着していた。自分でも知らず知らずの内に緊張感で涙を滲ませていたらしい。情けなさと恥ずかしさで頬が熱くなり、俺は声も出せずに俯いた。

「大袈裟だなぁ。そんなに怖かったの?それとも実はすごく痛かった?」

君のリアクションからしてそんなに痛くなさそうだったけど。そう呟きながら臨也は俺の両頬を挟んで無理矢理上を向かせた。必死に視線を逸らすが、至近距離でじっと見つめられてそれもあえなく失敗する。抵抗するのをやめて見つめ返すと、臨也は満足げに口元を緩めた。

「ガチガチに緊張してたもんね。俺のことだから信用できなかったんだろうけど、泣くことないのに」
「……自分が信用されてないって自覚はあるんすね」
「そりゃまぁね」

臨也は笑みを浮かべて俺の頬を撫でると、ぐっと顔を近づけた。声を上げる間も避ける間もなく、柔らかい感触が唇に触れる。一瞬だけのことなのに随分長い時間に感じられ、俺は呆然と瞳を閉じた臨也の長い睫毛を見つめていた。臨也は唇を離すと、にこりと微笑んでみせる。

「いっ……い、臨也さん、急になに…」
「知らないかい?キスをするとエンドルフィンが分泌されるんだよ」
「―――は?」

唐突に何を言い出すんだと思っていると、臨也はあっさり俺を解放してもう片方の耳にも穴を開けるために手を消毒しはじめた。もう一つのピアッサーを滅菌パックから取り出し、俺に逆方向を向くように命じる。除菌ジェルを含ませたガーゼが再び耳朶に触れて冷たい。

「エンドルフィンにはモルヒネと同じぐらいの鎮痛効果があるんだ」
「はぁ……。いや、別に俺は痛くて泣いてたわけじゃないんですけど」
「どっちにしてもそう変わらないさ。…動かないで」

もう一度ガチャン!という音が鳴り響き、臨也はピアッサーを耳から外して微笑む。今度は泣いてないね、と揶揄する声はやけに柔和だった。

「うん。綺麗に開いたよ。自分でも見てみるかい?」

臨也は棚に置いてあった鏡を持ってくると俺に手渡した。恐る恐る鏡を覗き込むと、左右の同じ位置に綺麗にピアスが刺さっていた。俺は臨也の器用さに感謝しながらほっと息を吐き、道具を片付けている細い背中をなんとなく見つめた。ピアッサーのパッケージや説明書をゴミ箱に捨てて、臨也が俺を振り返る。

「ね、いい感じでしょ」
「はい。ありがとうございます」
「痛みが少なかったのは耳朶が薄いからかもね」
「え?そんなの関係あるんっすか」
「らしいよ。ほら、俺が最初に確認したの覚えてない?」

街で会った時に耳朶を軽く引っ張られたのを思い出す。あれは俺の耳朶の厚さを確認していたらしい。思わぬ事実に言及され、俺は驚きに目を見開いた。

「あれ、確認してたんですか」
「そ。まぁ別に君の耳朶が分厚くてもやってたと思うけど」
「いや、そこは遠慮してくださいよ…」
「どうして?君の泣き顔が見れるのは面白いよ」

つくづく悪趣味な人だ。恨みを込めて睨んではみるが、臨也は愉快そうに笑うばかりだった。重い息を吐いて俺は立ち上がる。これ以上の長居は無用だろう。なんとか平静を装ってはいるが、先ほどのキスのせいで頭は混乱を極めていた。

「おや、もう帰るのかい?」
「明日は朝からバイトなんで。今日はありがとうございました」
「どういたしまして。……でもさぁ、奈倉」

歩き出そうとしていた俺は、急に呼び捨てされて思わず振り返る。こうして臨也が俺を呼び捨てにする時、何かしらの含みがあると決まっていた。振り返った先の臨也は薄い笑みを浮かべたまま俺の手を掴む。甘えるように身体を擦り寄せると、俺の肩に手を置いて背伸びをした。俺より僅かに背が低い臨也は真っ赤な瞳で俺を射抜くように強く見上げる。

「もっと泣いてたら深いキスしてあげてたかもよ。痛みを緩和させてあげるためにさ」

悪戯っぽく細められた瞳の虹彩に吸い込まれてしまいそうだった。よろめきそうになる足を叱咤して、俺は震える手で臨也の肩を掴む。つまらないと言いたげに唇を尖らせる臨也を引き剥がし、背を向けて廊下へと続く扉のドアノブに手を掛けた。

「……今日は、ありがとうございました」
「さっき聞いたよ」

早くも臨也の興味は薄れたらしく、欠伸交じりの返事が返ってきて俺は脱力しながらドアノブを捻った。誰もいない廊下を抜け、玄関で靴を履いていると、ガチャリという音と共にリビングの扉が開く。まだ何かあるのかと冷や汗を掻きながら振り返ると、臨也は手に小さな箱を持っていた。ベロアに似た生地で覆われた手の平に乗る大きさのそれは、アクセサリーボックスらしい。

「お土産だよ」
「え……何です、これ。俺が貰っちゃっていいんですか」
「うん。俺はピアス開けてないし、開ける予定もないからね」
「……これ、もしかして信者から貰ったやつなんじゃ……」
「やだなぁ、信者なんて無粋な言い方しないでよ」

開けてみてと促され、俺は仕方なく受け取ったアクセサリーボックスを開く。蓋の内側には俺でも知っている有名なブランド名が記されていて、箱の中央には小さなシルバーピアスが1セット鎮座していた。

「結構いい物だと思うよ。君の身の丈に合っているかは分からないけれど」
「……そりゃどうも」

蛍光灯の光を受けて輝くシルバーピアスには一点の曇りもなく、美しい輝きを湛えていた。臨也の言う通り、俺の身の丈には合わなさすぎる。固辞しようと箱を臨也に返そうとするが、それは彼の手によって阻まれてしまう。

「受け取ってよ」
「臨也さんにこれを贈った信者にバレるんじゃないですか」
「バレないさ。シンプルなデザインだし、サイズも小さい。それに、贈り主も俺が男に譲ったなんて思わないよ」

臨也の手が静かに蓋を閉じ、箱を俺のコートのポケットへと押し込んだ。有無を言わせぬ態度に、最初から俺に拒否権などなかったことを気付かされる。

「……分かりました。有り難く頂きます。…これ、明日からつけてくればいいんですか?」

俺の問いに臨也は一瞬だけ瞠目すると、ふわりと破顔した。何を言ってるんだい?そう言いたげに小首を傾げてみせる。

「強制なんてしないよ。君の好きにするといい」

言葉とは裏腹に、俺を試すような視線の強さは否めない。軽く息を吐き出すと、俺はコートのポケットに手を突っ込んで小さな箱の感触を確認した。

「―――…はい」
「じゃあまたね、奈倉くん」

俺が玄関の扉を押し開いて外に出ると、臨也はひらひらと手を振った。軽く頭を下げ、再び頭を上げた時には扉は締まって施錠の音が響いていた。俺はポケットの中で握ったままの箱の輪郭を確かめながら歩き出す。きっと首輪代わりに与えられたであろうこのピアスを装着している、滑稽な自分の姿を思い浮かべながら。


end.



title by サボタージュ




ホーム / 目次 / ページトップ



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -