unforgettable memories 03

※ユーリ誕


「あと誰がいるっけ」
「ギュンターと……アニシナか?」
「うわ、また撮影に難がありそうな二人が残ってるな」
「ギュンターは執務室には居なかったな。自室だろうか」

ツェリ様の部屋を後にしたおれたちは、城の階段を降りていく。写真の残数は1/3ほどになっていた。大事に撮影しなきゃいけないとおれが気持ちを引き締めていると、ふいにグレタがおれと繋いでいた手を離して階段の窓に走り寄る。

「あれー?あそこにいるの、ギュンターかなぁ」
「え、どこだグレタ」

グレタは精一杯背伸びをすると、窓の外を指差した。目を凝らすと、先ほどお茶をしていたバルコニーの端に見覚えのある白い僧衣を身につけた人物が佇んでいる。

「ほら、あそこ!ギュンター、手になにか持ってるみたい……」
「よく見えないが、あれはもしかすると花か?」
「花ぁ?なんでまたそんなもの持ってるんだろ」
「まさかギュンター、また花占いをしているんじゃないだろうな」
「え、いつの間にそんな趣味を……しかもまたって」

妄想日記を書くぐらいの人だから、何かのきっかけで少女趣味に目覚めてしまったのだろうか。もしかしてあみぐるみ好きなグウェンダルの影響か。留守番が多い二人は結構仲がいいらしいので、影響を受けたのかもしれない。しかしギュンターの年齢を考えると、とんでもないおじいちゃんなのに少女趣味ということになる。おれに対して孫に目がないおじいちゃんみたいになっちゃうギュンターのことだ。もしかしたら責任の一端はおれにあるのかもしれない。

「ぎ、ギュンター」

急に背筋が冷たくなってきて、おれは慌てて階段を駆け下りた。ヴォルフラムもグレタを抱えてついてくる。バルコニーの近くまで来ると、おれたちは壁からそっと顔を覗かせて王佐の様子を確認した。2メートルほど先の距離にいるギュンターは、深い溜息を吐いて美しい顔を曇らせた。銀髪が風に靡いて輝き、舞い上がった花びらがその憂い顔をいっそう引き立たせる。誰しもが見蕩れてしまう美貌を翳らせたまま、ギュンターの長い指が手にした薔薇の花びらを散らしていく。

「ま、マジで花占いしてるんデスけど……」
「やはりな」
「ギュンター、どうしたのかなぁ?なんか元気ないみたい」
「よ、よし!いっちょおれが出てって元気出させてや……ぐえっ」
「待て、ユーリ!」

飛び出しかけたおれの襟首をヴォルフラムは掴む。首が締まっておれは咳き込み、ヴォルフラムはそのままおれの腕を引っ張って壁に押し付けた。グレタも慌てて壁にぴたりとくっつく。

「ぅ、げほげほっ……な、なにすんだよヴォルフ」
「お前が出て行ってギュンターを励ましでもしてみろ、きっと夜まで解放されなくなるぞ!」
「そうかなぁ」
「そうだ!しかも、執務が滞っているのは事実だろう。それを理由に引き留められれば断れなくなる。お前は執務室に閉じ込められて、出られなくなってしまうぞ」
「た、確かに……」
「今日はグレタも帰ってきたし、ぼくとしてもあいつに捕まりたくない。年寄りの説教は受けたくないしな」

ヴォルフラムは壁から顔を出してギュンターの様子を伺うと、苦々しく呟いた。お前も立派な高齢者だろ!という突っ込みをおれはぐっと堪える。しかしギュンターだけ写真を撮らないのもなんだか可哀想だ。おそらく撮れる写真はもう数枚だろう。おれはしばらく考え込み、日本だったら捕まりかねない案を導き出した。

「……こっそり撮るか」

おれたちが近づくと大騒ぎになる、でも写真は撮っておきたい。そうなるともう盗撮するしかないだろう。グレタは見つかったところで問題なさそうなので、おれやヴォルフラムのことを言わないように約束して送り出す。おれたちは見つからないように隠れ、ギュンターとグレタの様子を伺うことにした。

「ギュンター!」
「おや、グレタ……どうしたのです?あなたお一人ですか?」
「そう!ユーリとヴォルフはね、グウェンのとこでおはなし中なのー」
「そ、そうですか。グウェンダルは執務室にいるはずですから……あぁ、私はまた陛下はどこかに遊びに行ってしまったのかとばかり思っておりました。帰ってこられてすぐに執務に取り掛かられるなんて…!流石は陛下、魔王としての自覚が出てきたのですね」

うっとりとすみれ色の瞳を細めるギュンターを見て罪悪感が込み上げる。ヴォルフラムがじっとりとおれを見つめていたが、一緒に遊んでいるお前も共犯だと思う。

「ねぇねぇギュンター、グレタとおはなししてっ」

グレタが両手を伸ばすと、ギュンターは手にしていた薔薇を手すりに置いてグレタを抱き上げた。おれとしては珍しい組み合わせに思えたが、おれが不在の間はギュンターもグウェンダルやアニシナさんと一緒にグレタの世話をしてくれているらしい。彼女を抱き上げたまま優しく語りかける姿は、やけに子どもの扱いに慣れているように見える。

「へー、意外だなぁ」
「なにが?」
「いや、ギュンターって小さい子の相手も様になるんだなと思って」
「あぁ……母上の在位中は幼いぼくたち兄弟の相手をよくしていたからな。ぼくはあまり覚えていないが。それに、20年以上前は兵学校の教官だった。コンラートにとっては恩師という立場になるだろう」

汁だくな王佐の姿しか見ていないおれは忘れがちだったが、ギュンターは兵学校の教官だったのだ。あのルッテンベルグの獅子と呼ばれていたコンラッドに剣技を教えたのもギュンターらしい。ギュンターが実際に剣を抜いて戦う機会を見たことは少ないが、彼の剣術は相当なものだとコンラッドが言っていた。

「そっか。ギュンターって教師だったんだよな」

ギュンターとグレタの会話は、内容こそほぼ聞こえなかったが楽しげに見えた。穏やかに話すギュンターの話にグレタは熱心に耳を傾けている。時折なにか返事をしながら、グレタは実に楽しそうだ。おれはそっとカメラを構え、シャッターを切る。距離は遠かったが、中庭の木々や花々が写り込んで綺麗な写真になった。きっと額に飾ればいっそう美しいだろう。

「ギュンターにはちょっと悪いことしちゃったけどさ、これはこれでいい写真になったな」
「……そうだな」

おれが潜めた声で囁くと、ヴォルフラムもゆっくりと頷いた。グレタはひとしきり話し終わって満足したのか、ギュンターに降ろしてもらって大きく手を振る。慌てて壁に隠れたおれたちの方へ戻ってくると、彼女はたのしかったよ!とおれたちに耳打ちした。綺麗に撮れた写真を見せると、グレタも嬉しそうに微笑む。

「じゃあ、あとはアニシナだね!」

満面の笑みで告げられた名前にヴォルフラムの笑顔が引き攣る。グウェンダルの悲鳴を思い出したのだろうか、彼はごくりと唾を飲んで視線を床に落とした。グレタは久しぶりにアニシナさんに会えるのが嬉しいらしく、ぐいぐいとおれの手を引っ張って地下室へ向かう階段へ連れて行こうとする。おれも魔力がある以上、魔王だからといって実験にされない保障はない。なにしろ、おれに対してぶっ倒れるまで魔力を使ってみろと言い放った女性だ。

「ぐ、グレタ、ちょっと待って」
「え?なんでー?」
「えーっと、ちょっと心の準備が必要というか…」

壁に手をついて屈み込んでしまったヴォルフラムの背中を撫でながら、おれはグレタに聞こえないよう声を潜める。大丈夫か?と尋ねると、ヴォルフラムからは低い返事だけが戻ってきた。じっとりと浮かんだ額の汗に金髪が貼り付いて、天使が絶望に打ちひしがれているようだ。

「やっぱりアニシナさんは避けた方がよくないか?」
「……しかし、グレタは楽しみにしているぞ」
「そりゃそうだけど、おれもお前も命が惜しいだろ」
「当たり前に―――…」

ヴォルフラムが不意に言葉を切り、暗い廊下の奥を注視する。何事かと視線を移した瞬間、その廊下から声が聞こえてくる。

「あれ?ユーリとヴォルフラム……グレタまで」

なにやら大きな荷袋を抱え、コンラッドが歩いてきた。おれたちをじっくりと観察すると、空いている方の手を顎に添えて首を傾げる。

「……かくれんぼ、かな?」
「違うよ、コンラッド」
「ぼくたちを子ども扱いするな!」
「グレタは子どもだけどなー」

憤慨するヴォルフラムを宥め、おれは苦笑する。コンラッドは荷袋を抱え直し、そうですかと爽やかに微笑んだ。それからおれが手にしているカメラに視線を移すと、納得したように頷く。

「もしかして、まだ写真撮影の途中ですか?」
「そうなんだよ!あとアニシナさんだけなんだけど、これが問題でさ」
「なるほど……グウェンやギュンターみたいに実験されるんじゃないかと危惧していらっしゃるんですね」
「そうそう。おれたち相手にも手加減してくれる人じゃないだろ」
「捕まったら逃れられないですからね。グウェンダルもギュンターも、後ろから音もなくにじり寄られていとも簡単に捕縛されて―――」
「ひえっ」

ヴォルフラムは情けない悲鳴を上げておれの肩を掴む。怯える弟を見つめるコンラッドの口角は僅かに上がっている。明らかに弟を脅して反応を楽しんでないか。いや、それよりも先に、気掛かりなことがある。

「その口ぶりだとあの二人が犠牲になるの見てたんじゃ…」
「魔力を持たない俺には代わってやることはできませんからね」

恐る恐る尋ねると、コンラッドはいつもと変わらず爽やかに微笑んだ。代わりにはなれなくとも引き留めることはできるだろうに、コンラッドは完全に我関せずを貫いている。

「う、うわー、コンラッド薄情者だぁ…」
「薄情者なんてひどいですね」

おれの肩越しに顔を出したヴォルフラムは、眉間の皺を深くした。次兄の態度が不愉快だと顔に書いてある。長兄贔屓な三男としては、グウェンダルを見捨てたコンラッドの行動が許せないのだろう。

「こいつはそういう男だ」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ、ヴォルフラム」
「人聞きが悪いもなにも、事実だろう!以前ぼくがアニシナに捕まりかけた時のことをぼくは鮮明に覚えているぞ…!グウェンダル兄上はアニシナを必死に引き留めていたのに、お前は後ろでにやにや意地の悪い笑みを浮かべていたじゃないか!」

ヴォルフラムは白い肌を紅潮させ、立ち上がって兄に食ってかかる。きゃんきゃんと噛み付かれてもコンラッドは意に介した様子もなく、慣れた様子でヴォルフラムをあしらう。わがままプーの扱いを誰よりも心得ているのはコンラッドかもしれない。

「そんなことはないよ。面白……興味深いなと思って見てただけで」
「コンラッド、今面白いって言いかけた?」
「言ってないですよ」
「う、嘘だー」
「それよりも、あまり騒いでいるとギュンターに見つかってしまう。花占いしてまで陛下たちを探していたから」

おれたちがギュンター隠れていることを分かった上でかくれんぼかと尋ねたのだろう。コンラッドは薄茶の瞳を悪戯っぽく眇めた。銀の虹彩が星のようにきらきらと輝く。こういうことを言う時のコンラッドは、ちょっと子どもみたいだ。

「でもアニシナさんが……あれ、そうだ!」
「なんです?」
「コンラッドって魔力ないんだよな?じゃあ、グレタと同じでアニシナさんに実験される心配ないじゃん」

おれの言葉にコンラッドは瞠目し、ヴォルフラムはそれだ!と声を上げる。しかし、当のコンラッドはどうにも歯切れが悪い。

「確かに実験されることはないと思います。アニシナは魔力が強いグウェンダルやギュンターでしか実験をしていませんからね魔力が弱かったり無い場合は相手にもされないですよ。現に、俺やヨザックは今までに実験されたことはありませんから」
「じゃあ大丈夫じゃん!」
「……ただ、アニシナ的には面白くないでしょうね。何か用事で実験室を訪れることがあっても、俺やヨザックだと彼女は見向きもしませんから」
「アニシナが面白くないのはどうでもいいだろう!これ以上犠牲者を出すわけにはいかないんだ。それともお前は魔王陛下と弟であるぼくを生贄として差し出すつもりか!?」

必死なヴォルフラムに苦笑し、コンラッドはダークブラウンの前髪を弄った。どうしようかと考えあぐねている様子だった。しかしおれと視線が合うと、ふっと笑みを浮かべて首を横に振る。

「二人のお願いなら仕方ないですね。俺がカメラを持ってグレタと一緒に行きましょう。ちょうど、実験室に用事もありますので」

用事?とおれが首を傾げると、コンラッドは胸に抱えていた荷袋を揺らした。どうやら、中身は実験に必要な薬品類らしい。業者に頼んでいた分を実験室に運ぶよう言いつけられたそうだ。魔力がなくても使える男は使うというのが実にアニシナさんらしい。しかしアニシナさんはあの細腕でとんでもない豪腕だったはずだが、今やっている実験はそんなにも手が離せないのだろうか。どんな実験なのか知るのも恐ろしくて、おれはコンラッドへカメラを手渡した。怯えるおれとヴォルフラムに構うことなく、グレタは嬉しそうにコンラッドの腕に抱き着いた。幼女相手にもスマートな姿勢を崩さない男は、恭しく幼い姫の手を取って地下室への階段を下っていく。二人が暗い階段の奥に消えていくのを見送ると、おれは大きく溜息を吐いて冷たい壁に凭れ掛かった。

「良かった。なんとかなったな」
「コンラートにグレタを預けるのは複雑だが」
「そうか?子どもの扱いならコンラッドだって慣れてるだろ。大丈夫だよ。お前、もうちょっとおにーちゃんを信用してやれよ」
「ふんっ」

先ほどコンラッドに対して自分で"弟であるぼく"と言ったあたり成長しているようだが、素直になれないのは相変わらずらしい。ヴォルフラムのそれは可愛かったという蜂蜜ちゃん時代をおれは知らないが、実弟に突っぱねられ続けてきたウェラー卿の心境を考えるとちょっと切ない。おれもグレタが成長したらおとーさまと洗濯物一緒にしないで!とか言われちゃうんだろうか。兄弟に対する気持ちと娘に対する気持ちを混同している気がするが。

「陛下ぁあああああああっ!」

時間潰しにまたしりとりでもしようかと口を開きかけた瞬間、バルコニーの方から聞き覚えのある声で絶叫が響き渡った。おれとヴォルフラムは驚いてびくりと身体を跳ねさせる。

「うへぇ!?な、なに…」
「ぎ、ギュンターだな」
「なななっ、なんで半狂乱になっちゃってんだよっ」
「……大方、グウェンダル兄上の執務室にぼくたちがいないことが知れたんだろう。それで、ぼくがユーリを連れて姿を消したと騒いでるんじゃないか」
「あー……」
「ぼくはユーリの婚約者なのだから、お前を連れてどこへ行こうがぼくの勝手だ」
「いや、その場合のおれの意思はどうなってんのかな…って、そんなことよりもここに突っ立ってたらギュンターに見つかっちゃうよ!どっかに隠れないと」

ふんぞり返って鼻を鳴らしたヴォルフラムの腕を掴み、おれは周囲を見渡す。血盟城の奥にあるこの辺りの道には詳しくなく、隠れられるような場所があるのかよく分からない。ヴォルフラムは少し離れた場所に古い木の扉があるのを見つけ、ゆっくりと押し開いた。鍵はかかっておらず、開かれた隙間から少しカビ臭い空気が漏れてくる。

「中は狭そうだ。倉庫のようだから、あまり快適とは言えなさそうだが」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろっ。いいよ、入ろうぜ」

渋るヴォルフラムの背中を押し、おれたちは小さな部屋に侵入した。扉を閉めると鍵がついていたので、単純に鍵の閉め忘れだったらしい。部屋の中には掃除具などばかりで、盗まれる心配のあるようなものはないが不用心だ。ヴォルフラムは兵士の怠慢に呆れ、元王子らしからぬ舌打ちをしながら鍵をかける。それからおれの手を掴むと、大きな荷車を押し退けて奥へと引っ張り込んだ。舞い上がる埃に咳き込みそうになると、ヴォルフラムは胸ポケットから取り出したハンカチをおれに差し出した。細かな刺繍の施された滑らかなハンカチを受け取り、おれは躊躇することなく口元に押し当てる。ヴォルフラムも自らの軍服の袖で口元を覆い、静かに目を閉じた。数十秒の数拍の後に扉の向こうをギュンターが走り抜けていくのが聞こえる。銀髪を床と平行に靡かせて全力疾走しているのだろう。すみれ色の瞳からは滂沱の涙を流しているかもしれない。おれのせいで眞魔国一の美貌が形無しになっていて本当に不憫だ。しばらくして大きく溜息を吐き、おれはゆっくりとハンカチを口元から外す。舞い上がっていた埃は床に落ちていて、呼吸に支障はなさそうだった。

「……大丈夫そうだな」
「いや、また戻ってくる可能性がある。コンラートとグレタが戻れば声が聞こえるだろう。それまではここに隠れていよう」

ヴォルフラムの細い指先がおれの手をぎゅっと強く握る。反対側の手はしっかりと腰の剣に添えられていて、闖入者があれば容赦なく斬り捨てると言外に滲んでいた。そんなに警戒しなくても大丈夫だよ、という意味を込めておれはそっと彼の手を握り返す。しばらく静寂が続き、外からは時折誰かが通る足音だけが聴こえてくる。ギュンターは戻ってきていないが、コンラッドやグレタの声もしない。あのコンラッドであってもアニシナさんには敵いそうにない。きっと捕まっているのかもしれないと思うと自然と口角が緩んでしまう。

「何をにやついているんだ、ユーリ」
「えっ」
「だらしない顔をしているぞ」

だらしないとは随分な言いようだ。おれが軽く頬を膨らませると、ヴォルフラムは呆れたと言いたげにエメラルドグリーンの瞳を細めた。

「ぼくと居る時に他のことを考えるなんて、いい度胸だな」
「なかなか帰ってこないからさ、コンラッドもアニシナさんに捕まってんのかなって考えてただけだよ」
「……コンラートのことか」
「そ。やっぱコンラッドでもアニシナさんのことは苦手なんだよな。別にいい気味ーなんて意地悪いこと思ってるわけじゃないけどさ」

何かを言いかけて、ヴォルフラムは口を噤む。顔を覗き込むと、僅かに瞳が揺らいだのに気が付いておれは首を傾げた。いつも遠慮なく言葉を紡ぐ綺麗な唇が、らしくなく何かを言い淀んでいる。

「なに?」
「……お前は本当に、コンラートを信頼しているな」
「コンラッドを?そりゃそうだよ。急にどうしたんだ?」

今の会話から何がどう繋がっておれがコンラッドを信頼しているという話になるのかは疑問だったが、言われた内容に間違いがあるわけではないので素直に頷く。ヴォルフラムがなぜ急にこんなことを言ったのかと頭を巡らせ、おれはあっと声を上げた。

「お前、もしかしてまだコンラッドが離反してたこと気にしてんのか」
「そうじゃない。その件はもう終わったことだろう」
「じゃあなんで……」

他に何が原因になり得るだろうかと考えようとした時、ヴォルフラムの指先からふっと力が抜けた。繋いでいた手が離れかけて、おれは反射的に強く握ってしまう。

「なんだよ、言ってみろって」
「別に、お前に言うことじゃない。言う必要もないことだ」
「そこまで言っといてそりゃないだろ!おれだってモヤモヤするしっ」
「……単に、お前がコンラートへ向ける信頼と同じだけの信頼を、ぼくが得られていないと思っただけの話だ」

少し翳った瞳はおれを見ようとしない。逡巡の後にヴォルフラムの唇から零された言葉におれは耳を疑った。正直ひどく困惑したし、それと同じぐらい怒りに似た感情も込み上げてきた。話を切ろうとするヴォルフラムの肩を掴み、おれは無理やり視線を合わせる。

「なに言っちゃってんの、お前。コンラッドはコンラッドだしヴォルフはヴォルフだろ」
「そんなことは分かっている」
「分かってないだろ!……なぁお前、さっき言ってたよな?一度決めた選択を迷うなって。じゃあおれも言わせてもらうぜ」
「なに……」
「ヴォルフラムは、おれのことを信じて臣下になってくれたんだろ。こんなへなちょこなおれを支えてくれるって、お前自身が決めたんだよな。じゃあ、おれからの信頼を疑うのはやめてくれよ。お前はお前だろ?おれはヴォルフラムに誰かの代替を求めたことはないし、信頼に差をつけたつもりは一度もないよ。それでもおれのことを信じてくれないのか?」
「ユーリを信じていないわけじゃない!でも、」

握ったままの手を強く引っ張ると、抗弁しようとしたヴォルフラムは唇を噛み締めた。おれは握る手に力を込め、意図して声を低くする。揺らぎそうになる翠の瞳をじっと覗き込んで、おれは祈るような気持ちで囁いた。

「じゃあ一度信じたことを疑うな。おれはお前を信頼してるよ。……伝わってなかったかな」

僅かに目を伏せていたヴォルフラムは数拍黙り込むと、おれの手をゆっくりと握り返した。剣に添えていた方の手でおれの頬に触れると、お前は馬鹿だなと囁く。

「馬鹿ってなんだよ」
「ぼくの戯言など放っておけばいいのに、いちいち拾い上げて説教するなんて……しかし、そんなところがユーリらしい」
「それ、褒めてんの?」
「そのつもりだが」

伝わんねーよと苦笑すると、つられるようにヴォルフラムも口角を緩ませた。おれは気恥ずかしさを誤魔化すために、彼の華奢な背中を乱暴に叩く。

「ありがとう」
「どーいたしまして。お前に素直に礼言われると背中がモゾモゾするよ」

背中が痒いなら掻いてやろうかと大真面目に尋ねてくるヴォルフラムをあしらっていると、扉の外から幼い声が聞こえてきた。それに呼応する落ち着いた男の声も。おれたちは荷台を押し退け、鍵を外してゆっくりと扉を押し開けた。

「あっユーリ!ヴォルフラム!」
「おや、そんなところにいらっしゃったんですか」
「いやぁギュンターに見つかりそうになっちゃってさ」

コンラッドがグレタの手を離すと、彼女はぱたぱたと走り寄ってきてヴォルフラムの腰に抱き着いた。ヴォルフラムは穏やかな笑みを浮かべてグレタの柔らかな髪を梳く。

「かくれんぼしてたのー?」
「あぁ、そんな感じだ」

変に喧嘩したまま出てくることにならなくて本当によかった。おれたちがぎこちない空気になっていれば真っ先にグレタはその異変に気が付くだろう。もちろん、コンラッドもだ。

「さっき衛兵に聞きましたが、ギュンターは錯乱しながらどこかへ行ってしまったようです。しばらく戻ってこないでしょう」
「ギュンターには申し訳ないけど助かったよ。撮影も大丈夫だった?」
「えぇ、実験中のアニシナとグレタを撮影できましたよ」

コンラッドが差し出した写真には、薬瓶の中の赤紫色の液体を覗き込んでぞっとするほど美しい笑みを浮かべるアニシナさんが写っていた。その隣にはそんな彼女を恍惚の表情で見上げるグレタが。魔力がないから毒女は諦めたとグレタは言っていたが、依然として毒女に憧れている傾向はあるようだ。しかし代わりに罠女を目指されても困るのだけれど。娘の将来を危惧しながら、おれはコンラッドから写真を受け取った。

「ありがとな」
「しかし、明日からはきちんと執務をしていただかないと困りますよ。俺もこれ以上はお助けできませんから」
「分かってるよ。今日だけだからさ、なっコンラッド!」

お願い、と両手を合わせて見上げるとコンラッドは曖昧に苦笑した。ダークブラウンの髪を掻き上げて視線を逸らし、小さな声で呟く。

「……まったく俺も、陛下には甘いな」
「お前がユーリに甘いのはいつものことだろう。ほらユーリ、グレタ、ギュンターが戻ってこない内に戻るぞ」
「あ、うん。もう撮り終わったしおれの部屋に行くか。グレタも歩き回って疲れちゃったよな」

おれはグレタを抱き上げ、コンラッドに手を振って別れた。ギュンターが行ったという方向とは逆の道から少し遠回りだが自室へと戻る。時刻は夕方に差し掛かっていて、グレタは軽い疲労のせいで少し眠そうだった。途中でヴォルフラムがグレタを抱いてくれて、少し痺れた腕が自由になる。留学中も順調に成長しているグレタの身体は少し重さを増していた。もちろん彼女の前で言うことはないが。


×


「あ、ダカスコス。ギュンターどこにいるか知ってる?」

魔王のプライベート付近まで来ると、ダカスコスとすれ違った。押していた大きな荷台から手を離すと、つるっとした頭頂部を撫でる。もう髪を剃ってから随分と経つのに、相変わらず髪を触る癖が抜けないらしい。

「あ、はいっ!陛下たちの姿が見当たらないと大騒ぎされておりましたが、今は執務室でグウェンダル閣下に絡んで……いえ、泣きついておられるようです」
「……グウェンも執務妨害されて胃を痛めてそうだな」
「ぼくたちはユーリの自室に戻るが、夕食までそのことは他言無用だ」
「グレタも疲れちゃってるからね、頼むよ」
「はっ!」

びしりと敬礼したダカスコスに手を振り、おれたちは自室へ戻った。半分眠っていたグレタの髪飾りを外し、ヴォルフラムはおれのベッドに彼女を横たえた。肌掛けをかけてもらい、やがてグレタは穏やかな寝息を立てはじめる。平和そのものな寝顔を眺め、おれとヴォルフラムは顔を見合わせて笑みを浮かべた。

「よく寝てるな」
「疲れたんだろう。しばらく寝かせておこう」

髪飾りをベッドサイドのテーブルに置くと、ヴォルフラムはソファーに腰を下ろす。おれも隣に座ると、カメラをテーブルに置いてポケットから写真の束を取り出した。グレタが留学先のカヴァルケードでも城内の風景を思い出せるよう、人物以外も撮ったのでかなりの枚数になった。残っているのはおそらくあと2、3枚程度だろう。写真をテーブルに広げると、ヴォルフラムは興味深そうに1枚1枚を吟味していく。撮影者はおれとコンラッドだけなので、変にぶれたりぼけたりということはなかった。自分に写真のセンスがあるとは思わないが、全体的に綺麗に撮れたと思っている。

「どう?いい感じだろ」
「あぁ。しかし、シャシンというのは本当に凄いな。まるで、この一瞬を切り取っているように見える」
「ほんとだよな。昔の人はすごいよ」
「チキュウには、こちらにはない高度な技術がたくさんあるな」
「でもさ、電話とか写真とかテレビとか……こっちにはまだないけど、もしかしたら数十年後には出来るのかもしれないぜ。アニシナさんだって翻訳機とかすごい高性能なもの作っちゃってるし」

そんな平和的な機械ばかりが出来ればいいのだけど。おれは災厄の箱のことを思い出して、それを振り払うように大きく首を横に振った。こちらの世界も技術は少しずつ発達している。魔剣を入手した時にも話題に上がったが、魔族の所有する武器に対して人間が対抗して武器開発を強化すれば平和は脅かされる。おれが永世平和主義を貫きたくても、魔王としての手腕が足りなければ武器に頼らざるを得ない事態になるかもしれない。

「ユーリ?」
「……いや、なんでもない」

おれの表情が翳ったことに気が付いたのか、ヴォルフラムはこちらを覗き込んで瞳を眇めた。おれが誤魔化したことは分かっただろうが、それ以上深く追及してくることはなかった。今回は偶然カメラを持ち込んだけれど、次からは何かを持ち込んだとしてもこちらで使うのは避けた方がいいかもしれない。眞魔国内で使うならまだしも、もし地球の機械や道具がこちらにもたらされ悪用でもされればどうなるか分からないのだ。

「ヴォルフ、気に入った写真あった?」
「あぁ……これだな」

写真を眺めていたヴォルフラムは、おれの問いに顔を上げると1枚の写真を手にした。差し出されたそれを受け取ると、コンラッドが撮ってくれた家族写真だった。グレタが編んでくれた花冠を被った写真の中のおれはだらしなくにやけていたが、グレタとヴォルフラムは幸せそうに微笑んでいる。この世界には写真の技術はないが肖像画はあるので、家族で写ったものには思い入れが大きいのかもしれない。おれもこれが好きだなと言いかけた時、ベッドから衣擦れの音がした。視線を移すとグレタがゆっくり起き上がり、眠い目を擦りながらおれたちを見ていた。

「グレタ、起きたのか」
「眠いならまだ寝てていいんだぞ。夕食までは時間がある」

おれたちがそう言うが、グレタは大きく欠伸をしてベッドから降りておれの隣へぴったりくっついて座った。15分程度寝たから少しすっきりしたらしい。おれが手にしている写真を覗き込むと、嬉しそうに声を弾ませる。

「これ、ヴォルフラムの一番お気に入り?」
「あぁ、そうだ。家族シャシンだからな」
「そっかぁー。グレタもね、これがいちばん好きだよ!」

グレタは他の写真も楽しそうに眺めていたが、やがておれが持っていた家族写真をじっと見つめて眉をきゅっと顰めた。なにかを考えている時特有の仕草に首を傾げる。

「どうしたんだ?」
「あのねユーリ、ヴォルフ、お願いがあるの。グレタ、このシャシンもらっていい?」
「そりゃもちろん。グレタが向こうで寂しくないように撮ったんだから、好きな写真いっぱい持って行っていいんだよ」
「ううん、他のシャシンはいいの。これだけ欲しいの」

予想だにしなかった言葉におれは大きく目を見開く。隣に座るヴォルフラムも予期できなかったようで、身を乗り出してグレタに声を掛ける。

「なぜだ?グレタ、お前のために撮ったシャシンだ。遠慮することはない」

お前の好きにしていい、その権利があるとヴォルフラムは静かに諭した。しかしグレタは凛々しい表情を崩さないまま首を横に振った。朱茶色の巻き毛がゆるく揺れる。強情な様子にヴォルフラムは口を閉ざしてしまい、おれはグレタに向き合って細い肩に手を置いた。伏せがちな瞳を覗き込み、優しい口調になるよう意識しながら尋ねる。

「グレタなりに何か考えたのかな?」

おれの言葉にグレタはしばらく黙り込んでいたが、怒っているわけじゃないというヴォルフラムの言葉に、彼女は顔を上げて小さく頷いた。言葉を選びながら、たどたどしい口調でゆっくりと話しはじめる。

「グレタはかぞくシャシンだけでいいの。残りはユーリに持っててほしくて」
「おれに?」
「うん。ユーリにみんなのシャシンを持っててほしいの」
「だ、だってこっちには写真ないだろ?」
「うん」
「地球では写真って珍しくもないんだしさ、ヴォルフとグレタが持っててくれよ」
「でも、ユーリに持っててほしいの!」
「なんで……」

隣に座っていたヴォルフラムがおれの服の袖を引っ張った。視線を移すと、呆れた顔で見つめられている。なんだよ、とおれが言うとヴォルフラムはグレタを見て頷いた。

「ユーリは本当にへなちょこだな。娘の言いたいことが分からないなんて。お前が浮気者だからに決まっているだろう」
「はぁ!?」
「―――シャシンを見て、あちらでもぼくたちのことをきちんと思い出せということだ」

エメラルドグリーンの瞳がおれを射抜く。語りかけるような口調なのに、呼吸が詰まった。おれは掠れそうになる声を振り絞って言葉を紡ぐ。

「……いつだって忘れたことなんてないよ」
「ちがうよ、ユーリをうたがってるんじゃないんだよ!」

おれの声が震えていて泣きそうだと思ったのだろう。グレタはソファーの上に立ち上がると、おれの頭をぎゅっと抱き締めた。慰めるように何度も頭を撫でられてしまい、思わずおれは苦笑する。娘に心配されてしまうなんて、情けないにも程がある。じわりと視界が滲んでしまい、おれは鼻を啜って誤魔化そうとするがそれはあえなく失敗する。ヴォルフラムがおれをグレタごと抱き締めたからだ。細い腕がめいっぱい伸ばされて、温かい体温を両側から強く感じる。

「ぼくもグレタと似たようなことを考えていた」
「え?」
「最初にぼくのシャシンを渡しただろう。あれは、ユーリに持っていてほしいんだ。……向こうでも、ぼくのことを思い出せるように」

おれに自分の写真を渡した時のヴォルフラムが、何かを言いかけてやめたのをフラッシュバックのように思い出す。あの時、ヴォルフラムは既にそんなことを考えていたんだ。初めての写真に喜んでくれるだろうと、そんなことばかりを考えていた自分が恥ずかしくなる。

「そんなこと、」
「ユーリを信じていないわけじゃない。グレタも言ったろう。……しかし、あちらとこちらの距離は遠い。カヴァルケードと眞魔国よりも、遥かにずっとな」

身体を離してヴォルフラムは静かに呟いた。何かを吹っ切ったような、晴れやかな表情で柔和に微笑む。おれは潤んだ瞳を乱暴に拭い、分かったよと呟く。ヴォルフラムは安堵したように息を吐いた。

「お前のことだから駄々を捏ねるかと思った」
「娘の前でそんなことするわけないだろ」
「どうだか」
「ヴォルフはどの写真にするんだよ。まさか要らないとか言わないよな」
「……そうだな……」

グレタが興味津々に身を乗り出す。ヴォルフラムはの細い指はコンラッドが数枚撮ってくれていた中の1枚の家族写真を拾い上げ、それからもう1枚の別の写真に伸びた。

「この2枚を貰おうか。グレタ、いいか?」
「うん、いいよっ」
「お前、なんでその写真……ていうかグレタが1枚なのにお前は2枚かよ」
「グレタはぼくたちの娘という立場から1枚選んだんだ。ぼくはお前の婚約者とグレタの父という2つの立場があるから、2枚だ」

胸を張ってもっともらしいことを言っているが、ちょっと大人げなくないだろうか。それに、おれとしてはヴォルフラムが2枚目に選んだ写真を見たせいで頬が熱い。なんとしても阻止したくて手を伸ばすが、ヴォルフラムはおれの手をひらりと躱して満足げに微笑む。

「ユーリにぼくが選ぶ写真を拒否する権限はない。諦めるんだな」
「でも被写体おれじゃん!」
「ヒシャタイ?なんだそれは、男か!?」
「おれのことだから男に決まっ―――ちょっ、首!首締まってるから!」
「こらーっ!ちわげんかしちゃだめ!りんごの木になっちゃうでしょー!?」
「グレタ、痴話喧嘩でもりんごの木でも離婚の危機でもないからな!」

勘違いをしたヴォルフラムがおれの胸倉を掴み、グレタは腰に手を当てておれたちを叱る。数十分後にコンラッドが夕食の時間だと呼びに来るまで、おれたちは大騒ぎしていた。


ヴォルフラムが手にしている写真はコンラッドが撮ったものだった。グレタお手製の花冠を被り、照れ笑いを浮かべるおれが1人でぎこちないピースをしている。どうせヴォルフラムに貰われる写真なら、締まりのない顔じゃなくきちんとした表情で写りたかった。頭の片隅でそう思いながら、おれはヴォルフラムを必死に宥める。忘れられるわけない思い出を噛み締めながら、自然と笑みが零れてしまうのは許してほしい。


end.




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